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第16話 星空




 お店の綴りを間違えないよう丁寧に記入して、最後に管理者の欄に自分のサインを入れてから、テーブルの向こうに座る職員に渡した。


「こちらでお願いします」

「はーい、確かに」


管理組合所のなかは数人の運営員らしき女性が忙しそうに動き回っていて、こちらに注意を向けてもらうまでにわりと時間がかかってしまった。それでも中年の女性職員は丁寧に応対してくれて、ひとまず目的を果たすことができてほっとしていた。隣のカイリさんを見上げる。


「あの試食品を皆さんにお渡ししましょう、ね?」


簡素な室内で、カイリさんは頷いて背負った大きなリュックを角のテーブルに下ろした。中から取り出したのは、今朝焼いたお店のパンだ。ふわふわの白パンに、厚くスライスしたハムと濃い黄色のチェダーチーズを挟んだもので、軽食にぴったりのメニューになる。


先ほどの酒場の店主にも宣伝がわりに受け取ってもらったもので、ここでもひとつずつ配ってまわった。緊張しながら、どうぞと手渡していくとお昼が近いせいか、みんな顔を綻ばせて受け取ってくれる。


「こういったお昼向きの商品も揃えていますので、ぜひお店にもどうぞ」

「わぁ!美味しそうですねー!ありがとうございます。ちょうどいい大きさだし、ね?みんな」


口々に周りの職員も笑顔でお礼を言ってくれる。カイリさんも嬉しそうだ。最後の一つを配り終わって挨拶しようとすると、一人の女の人が私たちを見ながら言った。


「このパンすごく美味しそうだし、お店にも行ってみたいんだけど、あなたたち、もう少し愛想よくなれればもっといいんじゃない?ちょっと雰囲気暗い感じするわよ。もったいないわね」


他の人もたしかに、と頷き合う。


「ああ、そうかもね。私も思った。パンはとっても美味しそうだから、あとは元気よくが大事かもね」

「……は、はい。すみません、ありがとうございます」

「貴重な助言、感謝する」


二人ともかちこちになってしまい、余計に肩に力が入りしゃちほこばったので、周りで、あらあら、と心配されてしまった。宣伝してあげるから、がんばってねー、と声をかけられながら組合の扉を後にする。外へ出て、思いっきり大きく息を吐いた。


「なんだか…」

「ああ、なんだか、その、図星をさされてしまったな」

「ですね…」


二人して下を向き、うなだれる。


「でも、でも。パンはとてもいい感触でした!皆さん喜んでくれて」

「そうだな。これで流れが変わるといいが。とにかく今日やれることはやった。店に帰ろう」


宣伝活動の目標は一応達成したのだが、わたしは達成感よりも、やっぱり愛想がないのだということをしみじみと実感してしまったのだった。




✳︎✳︎



ひとつ、ふたつと、星が小さく瞬く。屋上に置いてある小さな揺り椅子に腰かけて濃紺の空を見上げた。古びた椅子は前の店主だというマルコット爺さんが使っていたものなのだろう、雨ざらしになって木の表面は白茶けている。


初めて上がってきたこの屋上。ここからこんなに星空が美しく見えるなんて知らなかった。空が近く感じる。下に広がる人間界の街並みがその分遠くに感じられた。私はエプロンのなかから手鏡を取り出して、口元を写しこむ。

片手で口の両端を思いっきり上につりあげてみた。

形だけ、笑顔になる表情。ありがとうございます、と呟いてみる。

へんな顔。

手鏡のなか、青い瞳はちっとも笑っていない。



『リエル。あんたね、ちょっとは笑うのやめなさい。いつもいつも何がそんなに楽しいんだか。シワになるわよ』


あれは十二、三さいくらいだったか、部屋で髪をゆってもらいながら、姉様に鏡ごしに小言を言われた。


「シワ?しわってなあに?それに、みんなおもしろいことばっかり言ってるんだもん。今日のフルーツもすごく美味しいし、今だってねえさまが髪の毛やってくれるの、すごく嬉しいの。だから自然と笑っちゃうの」

「あのね。たしかに笑うのはとっても大切なことよ。私たちは王女だし、緑や赤の種族と会うときには笑顔は大事な武器になるわ。でも、一番大事なときにとびっきりの笑顔は取っておかなくちゃダメ」

「いちばんだいじなとき?」

「そ。いっちばん大事なとき。大好きな方に想いを伝えるときよ」

姉様は少し顎をそらして、片目を瞑ってみせる。

「とうさま?母さま?」

「違う違う。あんたが恋するひとよ」


いちばんうえのねえさまは呆れたように私の髪をすくう。


「あんたもそのうち、大好きでたまらない人ができるわ。苦しくてたまらないのに、嬉しいの。その人を好きなだけで幸せなの。いよいよその方に想いを伝えるときに、女の子はいちばん綺麗な笑顔になるのよ」


そう言って微笑んだねえさまはとても美しかった。あのとき、彼女は恋をしていたのだろうか。十年経つかたたないうちに、殺されてしまうまでに幸せな恋をできたのだろうか。その後数年してから森の中に匿われていたわたしには、知る由もなかった。


指先が震えてくる。手鏡のなかの瞳は青く不格好に揺れていた。もう、どうしようもないことなのに。愛する人たちの顔が次々と鏡面に浮かんでは消える。精霊界の凄惨さから遠く離れたここでも、表情はまだ悲しげだ。みんな、ごめんなさい。上手に笑えなくて。


と、ふと、そこに紫の瞳が重なる。控えめに揺れる瞳はいつも穏やかな誠実さが滲んでいた。自分が踏み込んでいい領域なのかを悩みながら、それでも気遣おうとしてくれるカイリさんの態度を思い出して知らない間に手鏡を胸に抱きしめる。

いつか、カイリさんに話せるといいな。そして、笑えたら、もっといい。


濃紺のベールを纏った空で、星は少しずつ、瞬きを増やしている。







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