隣り合わせの道すがら
人の死をここまで矮小化できるのか。
私は読んでいた文庫本を机に放り投げた。
表紙には異様に胸が強調された女性が少女漫画チックに描かれている。
一体どんな輩がこの表紙を見て購買意欲を掻き立てられるというのだろうか。もしそんな奴がいるとすればそれはもはや人間ではない。性欲に脳を支配され、ヒトとしての尊厳を自ら捨てたただの猿だ。
表紙だけではない。タイトルからも頭の悪さが滲み出ている。なんだこれは。出版した会社は本当にコレを売るつもりがあったのか。
愚か。余りにも愚か。
何事も経験にと手にとってみたが、金と時間の無駄でしかなかった。ああ、人生は有限だ。勿体無いことをしてしまった。
いや、しかし、興味深い部分もあった。この小説は余りにも死を矮小化している。もしかすると、ここにこの小説がそれなりに売れているという謎を解く鍵があるのかもしれない。
例えば導入部分。主人公の青年は暴走したトラックと衝突して死を迎えている。そして次の瞬間には輪廻転生後の身体で前世の記憶を思い出すのだ。物語の冒頭で主人公が死ぬという構成も興味深いが、何よりも主人公がきちんとした一つの自我を確立しているということ、そして主人公が死んだ瞬間をあくまでも一人称を使い客観的に表現しているという点は中々に面白いと思う。
主人公は死の瞬間を知覚している。己の肉体が巨大な鉄塊によって無残にも轢き潰されたことを知っている。覚えている。
主人公は死の瞬間、何を思ったのだろうか。痛みはなかったのだろうか。聞くところによると、この手の小説では主人公は多彩な死に方を演じるらしい。
一番多いのが交通事故。自動車に轢き殺される感覚はどんなものなのだろうか。或いは通り魔によって自分の人生が終わりを迎えるというのはどんな感覚なのか。誰かの恨みを買い死んだ者は自分もまた相手を恨むのだろうか。些細な事故により自分の命が奪われた者は自分のちっぽけな人生を嘆くのか。自殺者は何を思い死んだのか。落下しながら見る空の景色は。
そして、そうやって死んだ者がもし別の人間として生まれ変わったのならば。彼らは一体何を思うのか。別人の過去を想う彼ら彼女らは果たして何者なのだろうか。
生と死は表裏一体だ。死は常に生のそばにある。彼らは私達の産まれた時からの親友だ。
人間は死の運命から逃れることはできない。妄想に救いを求めたってその事実は変わらない。神は存在しないのだ。
人生とは、死へと至る道だ。死に至る病だ。
生きている限り、その絶望から逃れることはできない。神はいない。魂などない。死はただの生理現象だ。朽ちた身体は、きちんと生態系へ還元される。
自分などというものは幻想だ。それはただの電気信号の交わりでしかない。ヒトが生きるための道具でしかない。言葉はおかしいが、自然が生み出した最高の人工知能、それが私だ。
私は私が生きているという実感を得ている。私は生きているので、生きるのに必要な行動を取る。私は生きているので、女性とセックスしたいと思うし、食べ物に困らないように仕事をする。私は人間の作り出した社会の中で、より安全に生きることができる。その実感が、あるのだ。
私の、ヒトの最も驚くべき点は、その思考の柔軟性、多様性にある。他の動物は単純な行動しかしないが、それは生きるのに最適であるようプログラムされている。しかしそれでは突然の事態に対応できない。
人間には多様性と柔軟性がある。それは私達が生きているという実感を、幻想を抱いているからだ。人を殺す人がいる。それを快楽とする人がいる。人を支配しようとする人も、それに従う人も抵抗する人もいる。一見非合理的な行動には、人間種存続の為の秘密が隠されている。人間に善も悪もない。それらもまた、人間が長く生きていけるように創り上げた概念でしかない。勿論、状況が変わればそれらは変化し、時に逆転する。古代ローマで殺人ショーが人々の娯楽であったように。
延命治療が悪となり、法律で制限される未来は、そこまで荒唐無稽なものだろうか?
私は知っている。私は幻想である。私は私の創り上げた妄想である。
であれば、死とは何者であるのか。
死が訪れる時、それは即ち妄想が終わる時である。
妄想は儚いものだ。気が付けばそれは終わっている。それは簡単に崩れ去る。
人生は常に死と隣り合わせである。しかしそれを恐れる必要はない。いや、恐れることも又人生なのだ。
私達は生きている。私達は長い長い自殺を試みている。当然そこに意味はない。
すぐ隣に、死が広がっている。隣り合わせで生きている。暗い暗い人生という道を、死と共に歩んでいる。
その道すがら、私は何を成すのだろうか。その瞬間、私は確かに存在したのだ。
私は今、生きている。
道の途中で、私は想うのだ。ただ、私の日常を。
街の喧騒が、窓ガラスを越えて届いてきた。
日が沈み始めるこの時間、この海辺の街はにわかに騒がしくなる。
二階の窓からは、茜に染まる広大な海と明かりを灯し始めた小さな街を覗くことができる。
学校帰りの子供達、散歩中の柴犬の吠え声、老人達が挨拶をかわし、その側を会社帰りのサラリーマンが通り過ぎる。街を照らしていた光は半分海に沈み、遠くで汽笛の音が鳴り、岬の灯台が光を灯して仕事を始める。
街は夜の闇に沈み、しかして人工の光を灯した街はまだ眠らない。早くから飲んでいたのだろう、酔っ払い達が家の前を歌いながら通り過ぎ、何処かでビールのグラスがぶつかり合う音がした。