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後編

本、後編で完結になります。

最後まで楽しんで頂ければ幸いです。

もぞっ


私は枕元の目覚ましが鳴ったのでそれを止めるのに手を伸ばした。


かちり。


止めるボタンを押し、しばらくそのままでいる。

起きるのに少しかかる私だ、身体と頭が覚めるまで時間をおく。


「・・・・・・」


熱い―――

その間に身近に熱を感じる。

昨晩は一人でベッドに入ったはずなのだけれど、すぐそばで誰かの体温を感じた。

私はため息を付く。

その存在が誰なのか分かったからだ、彼女しか居ないではないか。

私の家に居て私のベッドに潜り込んで来るようなものは。


「真白・・・何度言ったら分かるの? 私のベッドに潜り込んで来てはだめだって言ったよね」


カチリ

ベッドサイドの電気をつける。

全体を明るくはしないけれど、無いよりはマシだ。

明かりに照らされて私の隣にくっつくように寝ている彼女の姿が浮かび上がった。


何も着ていない。


着る、ずっとそういう習慣がないのだ。

裸というか、本来の彼女は毛皮で暮らしてきたから。


「う・・・ん―――」


身体を丸めて眠そうに目をこする。

美しい肢体だとは思う、気にならないと言えば嘘になる。

 触れたいとも。

多分、真白も許してくれるだろう。

でも、私は無遠慮に触れるつもりも親しくなっても一定の距離は置くべきだとは思っていた。


真白は本来、狼なのだ。


私は狼の姿で彼女に会った。

そのあとも何度か山で狼の姿の彼女と会い、色々と話して親しくなった。

言葉を話す狼など居る訳のないはずなのだけれど、祖父はマタギだった。

祖父からおとぎ話のように聞かされた話があり、動物が話すということを聞いていたので私は動物が言葉を話すことに対して違和感無く受け入れたのだった。

ただ、狼が話すことはすぐに容認出来ても人に変身するということに関してはすぐには受け入れられなかった。

激しく驚いたし、びっくりした。

狼男、狼女の存在についてはファンタジーだと思っていたからだ。

あり得ない――――さすがに私もその非常識を受け入れるのに時間がかかった。


「いぶき」


ひとつあくびをして身を起こす真白。

銀色の長い髪がさらりと白い肢体を流れ落ちる。

あの狼が人間に変身したらこんな美女になるのかと驚いたものだ。

確かに、あの話しぶりから受けるイメージはかぶる。


「自分のベッドで寝てって、私は言ったよね」


毎回、言い諭しているような気がする。

私が本気で怒らないからか何度もこんなことになった。


「寒いし、寂しいです」


「ずっと独りだったんだろうに今更だろう?」


私は苦笑した。

彼女の仲間はずっと前に居なくなり、独り・・・もとい一匹だけで山の中で暮らしてきた。

途中、彼女を調査する女性学者と一緒にいたこともあるみたいだけれど女性学者は戻ってくる途中で事故にあって死んでしまったらしい。

真白はまた、一匹に戻ってしまった。


「今日も仕事ですか?」


真白が裸で抱きついてくる。

今はそれくらいに慣れてしまった。


「そ、仕事だよ。大人しく家で待っていて」


私も鬼ではないから軽く抱きしめてやり、肩をたたいて言い聞かせた。


「いぶきは仕事なんてしなくてもいいはずなのになぜするのですか?」


私の両親は離婚して両方ともすでに亡くなってしまっていたけれど、多額の遺産を残してくれていた。

それで生活も出来るはずだけれど私は甘えたくなかったから手に職を持った。

今ではそれも軌道に乗ってそれだけで生活ができるくらい。


「生活のためと、自分のためだよ」


「自分のため・・・」


私に生活のためのお金が十分にあるということは真白も分かっているようだ。

ただ、自分のためということは分からないらしい。


「とにかく、働くことは気分的にも健康的にもいいからだよ」


「私は・・・寂しいです」


私は小さく笑う。

ずっと真白は山で一匹で暮らしていたのに、私と暮らし初めて寂しいと言い始めた。


「女性学者の時もそう思った?」


「少し。でも、今の方が寂しい感じが強いです」


それは、私の方が思われていると思ってもいいのかな(笑)


私は元来、女性が恋愛の対象でもあったから真白に人間の姿で思いを寄せられても気にはならない。

ただ、元来は狼だけれど。


「ほら、服に着替えるのが嫌なら元の姿に戻って」


真白は服を嫌がった。

狼の時は裸同様(毛)なので服を着ると違和感があるのだろう。

だけどずっと裸なのは私も目のやり場がない。


「キスしてくれたら戻ります」


「真白・・・」


変なことを覚えて大胆なことも言うようになった真白(苦笑)

言っておくけれど私が教えたわけじゃなく、どうもTVを見られるようになってから知って覚えたらしい。

野生の狼が何を覚えたのか・・・まったく。

今じゃ、私が怒らないのいいことに私のベッドに裸で入ってくるし迫るし、キスもねだってくる。


・・・だけど、自分もそれが嫌ではないのがくやしい。


「山に戻る気はないの?」


「私の帰る場所は無くなりました」


そうなのだ、ずっと山に隠れて見つからなかった真白だけれど私と会ったことでミスを犯した。

人間にその存在を知られてしまったのだ。

そして、真白は怪我をして私の家までやってきた。

あんな遠い場所にある山から、未知の都会に。

人間に見つかるかもしれない危険を冒して。


「まったく・・・」


私は笑いながら狼の真白にキスしてやるとベッドから出た。


「いぶき」


「朝ご飯を食べよう、眠いなら寝ててもいいけど」


「頂きます」


真白もベッドから起きるとそのまま、狼に変身した。


てっきり満月と関係があると思ったに、それは全くないと分かった時のショックたるや・・・

変身した真白は大きい、これだけ大きいと犬には見えない。

顔つきもウルフドックに似ているけれど、詳しい人が見たら狼だと見破るだろう。

だから、私はあまり公に真白を外には出さない。

友人に牧場を持っている知り合いも居るし、大きな庭を持っている友人も居るから彼女の運動はそういう友人を頼っている。

真白は私が歩いている横に並び、すり寄りながら歩く。

自分は随分と懐かれてしまったと思う。

山で会っていたときには想像もしなかったことだ、こんな風に甘えられるとは――――(苦笑)

私は顔を洗ってからまず先に自分、そのあとに真白のご飯を作ってやる。

自身はそんなに食べないので時間はかからず、パンとコーヒー。

真白は、本当は人間の食べ物は食べさせるべきではないのだろうけれど獲物そのものをもらってくるわけにはいかないのでスーパーで肉を買ってくる。

ただ、それだけでは色々と足りない成分が出てくるので補助を考えて色々と食べさせていた。

『人間の食べ物でも大丈夫です』

真白はそう言う。

意外にジャンキーフードが好きらしい、高いカロリー、高塩だろうに・・・コーラも大好きだ。

「私が言うのもなんだけど健康に悪いよ?」

『別にもう、長生きはしたくないです』

一体、どれくらい生きているのか聞いてみたかったけれど詳細は恐くて聞いたことはない。

『いぶきが最後で私を看取ってください』

「また、そんなことを言う―――」

そうなのだ、真白はもうこれ以上長生きを望んでいない。

仲間がいない世界で一匹残っていることが堪らないらしかった。

「あの山には居なくても、日本各地のどこかには仲間が居るかもしれないのに」

『私が好きなのはいぶきだけです』

じっと見上げてくる。

 狼の姿で言われてもねえ・・・

鶏肉に錠剤を混ぜて皿の上に置いてやる、錠剤はサプリ。

人間並に健康に気を使う(笑)

飲ませない方が健康そうだろうにとは思わなくもない。

『サプリは美味しくないです』

皿を鼻でズイッと私の方にやる。

「小さいものだろう? 圧倒的に肉より小さいのに・・・」

『いりません』

そこははっきり拒否する。

「真白の健康のためだよ、人間の世界で生きてゆくならそれに合わせないと。特に人間の食べ物は君たちには味が濃すぎる」

『――――・・・』

渋るような表情をする、真白。

私が言うことは理解しているようだ、それでも美味しくないものは口に入れたくないようで首を振る。

「まったく・・・しようがないなあ、真白は」

私も甘いと思うけれど、嫌だという物を無理矢理食べさせる気はない。

せっかく入れてやったサプリを取り出してやると真白は鶏肉に食いつき始める。

私は真白の頭を軽く撫で、自分の朝食を食べることにした。


「じゃあ、入ってくるからね」

私は準備をして玄関から出る、真白は座ってお見送り。

文句は言ったことがない、大人しく私が帰ってくるまで待っていてくれる。

そこら辺はイヌや猫と違い、知識が高い分だけ聞き分けがいい。

『はい、待ってます』

人間にしたら三つ指でも付いているようなものだろうか。

「今夜はドッグランに行こう、夜なら空いてる」

口の堅い友人が多いのはこういう時に助かる、真白のことは世間に知られるわけにはいかない。

『はい』

毎日、散歩や運動が出来ないので時々のこういう機会は貴重だった。

すべての人がウルフドックだと思ってくれるといいのに(笑)。

私は扉を閉めると仕事に出かけていった。





整体師として最初は一人だったけれど事務所を小さいけれど持つようになった。

従業員は3人、受付1人と整体師2人。

お店と出張を3人でまかなっていた。

人数が少ないのでそんなに数はこなせないけれど、実績で常連のお客さんが付いてくれる。

口コミで一時、数が多くなってしまったので今は会員制にしていた。

「おはよう」

「おはようございます、オーナー」

一応、お店で一番偉いのでそう呼んでくれている。

私が名前で呼んでくれてもいいのにと思っているのに。

「今日は予約が7件入っています」

「うん、変わり無しだね」

ここに急きょ、予約が入る時もある。

全員そろってから、開店準備に入った。

お客さんはほとんど女性が多い。

2人の整体師のうち、一人は男性だけれど彼はどちらかといえば女性に近い雰囲気を持っているから常連さんも安心して頼めるのだろう。

開店時間になると予約されたお客さんが来店する、お店の施術室3部屋がすぐに埋まってしまう。

「2週間振りですね、山下さん」

私は馴染みのお客様に声を掛る。

「ええ、ちょっと海外に行っていたの」

施術着に着替え、うつ伏せになって彼女は言う。

「お仕事ですか、大変ですね。リラックスする暇はなかったんですか?」

「無かったわね、海外のスパもいいかな?って思ったんだけどやっぱりあなたの方が良いかと思って我慢して帰ってきたの」

「それはそれは、ありがとうございます」

こういうお客さんは多くて、お店としては助かっている。

「安心できるし、施術後の効果も知っているから」

「それでは、失礼しますねーー」

私は施術を始める。

ほかの部屋ももう始まっていると思う、これからが私の一日の始まりだった。




「私は出先から直帰するから戸締まりをよろしくね」


本日最後のお客さんは出張だった、なので出張先から家に帰ることにする。

「はい、分かりました。オーナーもお気をつけて」

彼らは予約分を捌き、営業時間が終わったら帰る。

心配はしていない。

車を運転して高級住宅地に近づく、お客様は名のある方で有名人。

わざわざ出かけず、家に呼ぶことが多いらしい。

最近は私を指名してくれることが多かった。

高級住宅地なのでどこを見ても豪華な家が建ち並ぶ、玄関も家を取り囲む塀も豪華で長い。

私はその中でもひときわ大きなお屋敷があって門に車を付けるとすぐ開いた。

車で門から5分ほど走らなければ玄関までたどり着けない広さ、お金持ちは本当に居るのだなと毎回ため息を付くほどである。

「お待ちしておりました」

車を置いて重厚な玄関の扉の前に立つと、扉が開いて中から執事が出てくる。

今時、執事やメイドさんが居るということも驚きである。

「はい、失礼いたします」

「どうぞ、こちらへ」

いつものように執事さんに付いてこれまた大きなお屋敷の中を歩いてゆく。

明治初期にたてられたという洋風の建物、戦火をくぐり抜けて来て今に至るらしい。

調度品も、廊下の電灯も未だランプを使っているという。

いつも施術をする部屋に通されるとそこにはすでに彼女が居た。

「失礼いたします、お連れいたしました」

慇懃に主人に頭を下げると執事は部屋から出ていった。

彼女は窓際に置かれているテーブル一対のイスに座って優雅に紅茶を飲んでいる。

いつ見ても年齢を感じさせない美しさと佇まいに私はいつも見とれてしまう。

「待っていたわ、高城さん」

「お待たせしてすみません」

ドアの近くで立っていた私は歩き出す。

彼女は、もう女優業からは引退して今は気ままに生活しているという伝説の女優。

長い業歴を誇り、数々の賞を取り、国民栄誉賞も頂いているという。

「ここにこもってからは人と会うことが少なくなってしまって、あなたに施術してもらいながら話すのが唯一の機会で楽しみなの」

伝説の女優にそう言ってもらえるのは嬉しい。

「あなたもどう?」

「――――頂きます」

施術だけに来ているのではない、こういう会話も相手をすることも含めて出張に含まれていた。

向かい合うように反対側のイスに座り、香り高い紅茶を頂く。

ここでは忙しい時間が止まっているか、ゆっくり流れるように思える。

「最近、変わったことはあった?」

彼女は私の近況を聞いてくる。

出かけることが少なくなった彼女の楽しみ。

「そうですね、今朝は飼っているイヌが朝起きたらベッドに入り込んでいてなかなか出て行かなかったことですかね」

イヌではなく、狼だけれど。

本当のことは言えない(笑)

「まあ―――いたずらはしないの?」

「ええ、よく躾ているので粗相やいたずらはしませんけど何度言っても布団には入ってきますね」

「主人が恋しいのかしら、ダメと言って檻に入れるのは可哀想ね」

「出せ、出せ、と吠えるので檻には入れません」

真白が入る大きさの檻は無いし、憮然として拒否するか。

「可愛いわね、いつか見てみたいわ」

「いやぁ、お見せするほど可愛いものでは――――」

見た目、いかめしい大きなウルフドック。

どう思うだろうか。

そういうとりとめない話を30分程してから私は施術に入る、人によって力の加減が必要だし、感情のケアも必要だった。

「右の肩が少し、凝ってますね」

「――――そうなの、やっぱり分かってしまう?」

触れて固さが違うので分かる。

「ボケ防止にね、刺繍を始めたの」

「そんなお年じゃないでしょうに」

私は謙遜なく言う。

「よく言うわ、もうそんな年なのよ。頭と手先を動かす事をするとボケないんですって」


ぎゅっ、ぎゅっ


「利き腕の方に力が入ってしまうのね、やっているときは感じないのに」

「皆、そうですよ。私もよく使う腕の方が筋肉が付いていますから」


ぎゅ、ぎゅっ


「あと、健康のためには少し歩くことも大事ですよ。庭の散歩をおすすめします」

「・・・そうね、一人じゃ寂しいから小さなイヌでも飼おうかしら」

この屋敷には子供はいない、イヌも猫も居ない。

居るのはこの人と、彼女の世話をする人たちだけ。

確かにそれでは寂しいだろうし、失礼ながらボケるのも早くなるかもしれない。

「あなたの慈善事業の話を聞きました、恐れながら・・・世間から身を引いたあなたに言う事ではないかと思いますが援助している子供たちをお屋敷に呼んではいかかがでしょうか?」

「高城さん?」

「大人は色々煩わしいですが子供たちは純真です、援助の成果を見るという名目で呼んで余裕がある時に指導などなされたら良いかと」

「今更、口を出すのははばかられるわ」

「あなたは女優の卵たちから見たら、雲の上の人です。そんな人に演技について教わるのは有益だと思いますし、あなた自身も日々、健康的に過ごせますし―――どうですか?」

「高城さんは私のことを考えてくれるのね」

「いつまでも元気でいて欲しいですから、あなには」

「まあ・・・あなたにそう言われると照れるわね、いい年をして恥ずかしいわ」

そう言われて私は笑う。

時々、言い過ぎることがあるので押さえているのだけれどどうしても口をついてしまうことがある。

自分の言ったことがお客さんに真に取られてしまうことがあり、時々トラブルになったことがあった。

 危ない、気を付けないと・・・

あくまで私は仕事をしているのだ。

施術は1時間、私は仕事に集中することにした。






ガチャリ。

玄関の鍵を開ける、扉を開けるといつもの光景があった。


『お帰りなさい、いぶき』


朝、私を見送ったお座り体勢で私を出迎える真白。

よく見ればぱたぱたと小さくしっぽが左右に揺れている。


「ただいま、そこにずっと居た訳じゃないよね」


真白の頭をひと撫でして、棚に車のキーを置くと家の中に入る。


『さすがにそれはないです』


置いて行かれたイヌではなく、ちゃんと私が仕事に行くことを理解して帰って来ることも分かっているから私の気配を感じてから玄関に移動したのだ。

「だね。お腹は空いている?」

『まだ、夕飯じゃありません』

真白はガッツかない、優良狼だ。

「じゃあ、ドッグランに行く準備をしようか」

場所は少し遠い、車で出かける。

『はい』

嬉しそうに真白が応える、やはり身体を動かすのは好きなのだろう。

家の中は普通に比べると狭くはないだろうけれど、山の中と比べると大違い。

私には言わないがストレスは溜まっているはず、動物も人間も気から身体が弱って行くのでそれを防ぐために頻繁に連れていってやる必要があった。

カチリ。

真白に首輪を付け、リードを付ける。

本来、こんなものは必要の無いものだ。

しかし、他の人は真白のことを知らない。

大きなイヌとしか認識しないし、大きい=凶暴と思う人も居るだろう。

それにイヌを連れて歩くときは、リードを付けるのが必須だった。

「しばらくの辛抱だから我慢して」

『・・・はい』

屈辱なのは痛いほど伝わってくる。

私も人間に変身している時の真白のことを知っているからなおさら首輪をつけることには躊躇した。

それでも、付けなくてはいけないのは辛い。

たっ。

真白は軽やかに歩き出す。

このマンションは動物を飼うことは問題ない、けれどなるべく人と会わずに車まで行きたかった。

真白はこの大きさだし、まず始めに皆びっくりして驚く。

子供などは姿を見ただけで泣き出してしまうほどだ。

意外に真白は子供は嫌いな方ではなく、子供に泣かれると少し落ち込む(笑)

慣れれば遊び相手になってやることもあった。

エレベータはどこにも止まらずに地下の駐車場に着いた、そうして止めてある車まで誰とも会わずに行けた。

「今日はラッキーだ」

『子供たちとも会いませんでした』

残念そうに言う真白。

「時間が時間だからね、仕方がないよ。子供でも嫌な子供もいるだろう?」

私は笑って真白を後部座席に促す。

『大体、子供は可愛いものです』

「毛を思いっきり引っ張られたのに?」

以前会った子供は、好奇心から真白の毛を毟らんばかりに引っ張ったり叩いたりした。

真白の反撃を恐れて親が慌てて止めに入ったくらいだ。

結局、真白は反撃などしないでじっと我慢していたのだけれど。

『子供のすることですから』

「真白は寛大だね、私だったらムッとするけどな」

運転席に座り、エンジンをかけた。

『私の怒るラインまで子供がしなかっただけですけど』

「なるほど」

怒りのラインというものが真白の中にはあるのか。

私も彼女を怒らせないように注意しないと(笑)

車は駐車場を滑り出した。

真白は後部差席で伏せてはいない。

興奮をして動いてもいないけれど、好奇心で窓の外を見る。

それは毎回のことだった。

「興味ある?」

『私の知らない場所ですから、興味深いです』

「散歩させられたらいいんだけどな」

『首輪は嫌いです、窮屈で。別に車から見るのも好きなのでこれでいいです』

じっと窓をドックランに着くまで真白は窓の外を見続けていた。



ガタゴト、ガタゴト。

舗装されたアスファルトが終わり、でこぼこの道を車が走る。

もうすぐ着く。

目の前に煌々と明かりがついているのが見えた。

「もうすぐ着くよ」

『はい』

「喧嘩はしないようにね」

『私は仕掛けません、向こうが仕掛けてくるんです』

運転席と助手席のシートの間から顔を出した真白が心外だという表情で言う。

体格の差をものともせず、または弱肉強食でイヌより上の狼に喧嘩を吹きかけてくるイヌがたまに居るのだ。

真白が無視しても、払っても仕掛けてくる。

仕舞には真白が牙を剥き出しにして本気で怒ってやっとしっぽを向いて逃げていったくらい。

一番たちが悪いのは、大型のオスのイヌらしい。

『私は興味がないのに言い寄ってくるし、交尾しようとしてくるし』

「真白の方が強いだろう?」

『まあ、そうですけど』

大型犬とはいえ、人間の世界で飼われてきたイヌと厳しい山の中でずっと生活をしてきた狼とは全く出来が違う。

聞けば熊ともやりあったこともあるらしい真白。

さすがに熊相手に勝ってしまったことのある真白に勝てるわけがない。

首輪にリードを着け、私たちは車を離れる。

今日は駐車場には車が2台くらいしかない。

人が少ないことはいい、真白のことはあまり見られたくないし。

「こんばんは」

受付に真白を伴って入る。

経営しているドッグランで飼われているイヌが数匹寝そべってくつろいでいたけれど真白と私が入って来るとガバット立ち上がった。

彼らの尻尾が警戒かおびえかの動きを見せる。

真白はいつものことなので澄まし顔で私の側に。

「いらっしゃい、待っていたわ。こんばんは、真白ちゃん」

受付の西条さんは女性で、ことのほか真白のことを気に入ってくれている。

真白も尻尾を振ってそれに応えた。

イヌたちは遠巻きに見るだけでどれも近寄らない。

ただ一匹だけを除いて。

中型犬の珍しい甲斐犬の雌犬。

「こんばんは、マル」

マルというのはもらったときはコロコロと丸かったかららしい、けれど今は精悍な狩猟犬の顔をしている。

私が手を伸ばすと、鼻先を近づけて少し臭いをかぐ。

そのあとにぺろりと私の手を舐めた。

「今日は真白と遊んでくれるとうれしいな、運動不足だから」

そう言うとマルは私を見上げる。

了解、と言ってくれたようだ。

「今日は少ないみたいだね」

「ええ、真白ちゃんにとっては環境はいいみたい」

受付台帳に記入し、料金を払う。

「この前のは真白も辟易していたみたいだから」

「―――・・ああ、あれね。確かに嫌がっていたわねぇ、真白ちゃんも本気で怒るわけにはいかないから大変そうだった」

例の交尾の件である。

オスの本能とはいえ、しつこいのは嫌われる。

特に真白は気高き狼なのだ、興味がないのに言い寄られて背後に付かれるのは本当に嫌だったらしい。

家に帰ったら私が怒られた。

 私が困っているのが分かったら助けてくれてもいいでしょうに!!と。

その剣幕がスゴかったので私も、ごめん・・・と謝ったくらい。

「さて、ドッグランに入ろうか」

マルと真白はもう挨拶をすませたのか、2匹で並びながら開けられたドックランの扉から入っていった。

先には2匹のプードル、1匹のビーグル、1匹のラブラドールが居た。

マルと真白が走り出すと彼らの動きが止まり、じっと2匹を見る。

飼い主も同じだ。

マルは看板犬で見慣れているだろうけれど、真白は初めて見るのかもしれない。

大きさで圧倒する、側にいるマルは中型犬だからなおさら狼である真白の大きさが際だった。

最初は相手をマルに任せておこうと思う、あとでバトンタッチ。

郊外にあるドッグランなので広大だ、真白が思いっきり走っても狭く感じない。

心なしか楽しそうに見える。

時々、じゃれ合って転げ回った。

もちろん、本気ではなく甘噛み。

「あなたのワンちゃんですか」

ふいに声をかけられた、40代くらいの髭の男性。

「ええ、うちのはそちらのワンちゃんは襲いませんので心配いらないですよ」

あの大きさと見た目からそういった心配をする人がいる。

「ああ、心配はしてません。全然、うちのなんて目に入って居ないみたいで」

笑いながら言う。

まあ、他のイヌも相手に興味があれば自分から近づいて行くだろう。

真白とマルは一直線に走り始めたから、他のイヌには興味がないらしい。

「しかし、大きいですねえ。ウルフドックですか?」

「はい、少しばかり狼の血が濃いみたいで狼に間違われることもあるんです」

一応、予防線を張っておく。

素人ならまずは見抜けない、準素人でもだ。

ここのドックランは写真撮影が禁止なのもここを利用する理由だった、昨今SNSが発達しているので無断で撮られてUPされたものを鑑定されたら真白の存在が危うくなる。

愛犬の写真を撮りたいなら他のドッグランを使えばいい。

「あんなに大きいウルフドックは初めて見ました、名前はなんて言うんですか?」

「真白です」

名前を教えるのはいいだろう。

「白くて毛並みも綺麗ですしね、いい名前です」

「ありがとうございます」

しばらく話していて、マルと遊んでいた真白が飽きたのか走ってやってきた。

口にはボールをくわえている。

どう見てもボールをくわえている狼がミスマッチだったので笑ってしまう。

ポロリ。

どうやら真白はウルフドックを”演じて”いるようで私に笑われたのがショックだったらしい。

表情がそんな感じだった。

ふいっ。

いじけたように横を向き、元来た道を走って行った。

「すねちゃっいましたかね」

隣にいた彼がいう。

「私に笑われたのが傷つけてしまったみたいですね」

これは当分、機嫌が直りそうもなさそうだと思う。

真白を捕まえるのも至難の技だし、帰るのが遅くなりそうだった。





「悪かった、機嫌を直してよ真白」


「・・・・・」


後部座席からの反応がない。

ドッグランから帰るときは、グズらなかった。

しかし、ずっと私の話には無反応。

笑ったことを怒っているらしい。

実に人間臭くて面倒くさい、一緒にいた女性学者もこんな真白を相手にしたのだろうか。


「つい笑ってしまっただけじゃないか」


私も悪かったけれど、それくらいですねるのもどうかと思う。


『傷つきました、私』


「だから、ごめんって謝っているだろう?」


『狼ってバレないようにがんばってなりきっていたのに』


なりきっていたって・・・そうは思えなかったけれど、もっと機嫌が悪くなると困るのでいわないでおく。

ボールは本能的に咥えて遊んでしまいたくなるのだろう。

本人は気づいていないだろうけれど。


「分かった、分かった、もう笑わないから」


『もう、ドッグランには行きません』


言い切られる。


「運動不足はどうするんだ? ずっと家の中に居たら身体を悪くするぞ」


『平気です、笑われるくらいなら家でじっとしてます』


強情だな・・・すねた真白の機嫌を直すのがこんなに難しいとは。

次に出かけるまでに機嫌が直っているとは思うから気にしないことにした。

私への抗議なのか、駐車場に着いて私にリードを付けられている間も無言で私を見ない。

部屋に入って、足を拭いている間も無視。


・・・まあ、いいけどね。


私は真白の足を拭きながら彼女の機嫌を取らなかった。

しばらく間を置くのもいいだろうし、朝みたいにそうそうベッドに潜り込んで来られるのも困る。

夕飯は途中で食べてきたのであとは私がシャワーを浴びて寝るだけ。

居間でふて寝している真白をチラリと見て、浴室に向かった。


熱いお湯を頭から被る。

一日の疲れを落とすには浴槽に身を浸けるのがいいのだろうけれど私はシャワーの方が好きだった。

お湯が溜まるまで待てないというのもある。


しかし――――


笑ってしまったのは悪かったけれど、やはりボールをくわえている真白には笑ってしまう。

あれは絶対に演じているのではなく、本気だった。

イヌが主人に対して遊んでと、ボールを持ってきたシーンのようにしか見えない。

いつもと違う環境に入ると周りに感化されてしまうのだろうか。

 くっくっくっ

思い出し笑いをしてしまう。

すねて機嫌が悪くなったのは困ったものだけれど、それも可愛く思えてしまう。

思いの外、真白のことを気に入っているようだった。


狼なのに――――――な。


人間らしくて、言葉も流暢で丁寧。

話していると相手が狼だということを忘れてしまう。

そして、人間にも変身して私に好意を寄せてくるので対応に困る。

恥ずかしさは感じないのか大胆にだ、そこら辺は人間的ではなく、動物的なのだろうか。

ただし、生殖は関係ないだろう。

私は生物学的に女性だし、真白も狼の雌でもある。


キュッ。


ブルリ。


カランを閉め、頭を振って水気を飛ばす。

シャワーだったけれど頭から被って随分と身体も暖まった。

出た後はビールを飲んでTVを見て眠くなったところで寝よう。

浴室を出て、身体をバスタオルで拭く。

そこで寝間着に着替えてキッチンに向かう途中で居間の真白を伺ったけれどシャワーを浴びる前の体勢のままだった。

 こりゃあ、朝までかな――――

そう思いながら冷蔵庫を開けてビールを取り出す。

キンキンに冷えている、湯上がりには最高の冷え具合。

 この美味さは、真白には分からないか。

すたすたと寝ている真白の横を通り過ぎ、TVの前のソファーに座った。

この時間だと、スポーツかな。

TVの電源を入れて、ビールを開ける。


プシュッ。


いい音、のどが鳴る、鳴る。


ゴクっ、ゴクっ


冷たいビールが喉を通ってゆく。

やはり、シャワーの後は最高だと思う。


「美味っ」


自然と声が出てしまうくらい。

TVではメジャーリーグが放送している、スポーツは全般的に好きなので何でもいい。


ゴクリ、ゴクリ


そのあともグイグイとビールを飲む。

でも、日に1本と決めているのでゆっくり味わうために途中で止めようとした。


「お、わ・・・っ!」


ソファーの背もたれにビール缶を置いて見ていたらいつの間にか背後に真白が居て驚く。


「真白、驚かさないで欲しいな」


くんくんと、手に持っているビール缶に鼻をつけてくる。


「ダメだよ、アルコールだよ」


さすがに飲ませたことはない。


『いつぞや、お相伴に預かりました』


女性学者さんーーー・・・・がっくりうなだれる。


「ダメ、真白は狼なんだから」


『じゃあ、人間になります』


「えっ」


私がびっくりしている間に、目の前で真白が狼から人間に変身し始めた。


『―――――――――――』


変身シーンは映画とかで見られるようなグロさはないものの、背徳さと淫媚さがある。

初めて見たときは衝撃に言葉も出なかった。


「――――・・・ふう」


四つん這いから、身体をゆっくりと人間の身体に慣れるようにほぐしながら動き、最後に私を見た。


「――――真白、心臓に悪い、いきなり変身しないんだよ」


髪を拭くタオルでは隠しきれないので私は立ち上がった。


「・・・・いぶき?」


ついさっきまで、すねていたというのに今度は私を伺う。


「バスローブを持ってくるだけだよ、そこで待ってて」


バスローブなら羽織るだけだから、違和感も少ないだろう。

浴室の前室にある棚からバスローブを取り出して持って行く。


「ほら、これを着て」


「大丈夫なのに・・・・」


「私が大丈夫じゃないから、居間で真っ裸で居られるのは私の居心地が悪いの」


くしゃり、と真白の頭をつかむ。

真白はバスローブを受け取るとゆっくりと着た。


「そこを結んで」


慣れたとはいえ、人間の姿でまだできないことは多い。


「よし、終了」


真白を立ち上がらせる。


「ほら」


私はポンポンとソファーを叩き、隣に座るのを促す。


「―――――いいんですか?」


「いいも、悪いもない、初めから私は怒っていないよ」


真白も途中でこのままでは嫌だと思ったのだろう、でも素直に私に近づけなかったからこんな風になってしまったのだ。

それでも結果オーライだからいいだろう。

真白の顔がぱあっと明るくなってソファーに座っている私に抱きつくように座った。


「真白・・・」


「ごめんなさい、いぶき」


抱きつきながら真白が謝る。

すねて家までそれを引きずったことだろうか、そんなこと謝らなくてもいいのに。


律儀だな(苦笑)


「笑ってしまった私も悪かったよ、真白には狼のプライドがあるのに」


「大人げがなかったです、私も」


抱きついている真白が顔を上げる。

狼の姿ではない彼女は目の毒だ、その気などないのに押して込めている感情がぞわぞわと沸き上がってきてしまう。


「いぶき?」


私が目を逸らしたのを目ざとく見て私を呼ぶ。

考えを悟られないように私は持っていたビールを飲む。

冷たかったビールはぬるく感じた。


「もう、ぬるい――――」


「ぬるくていいです、私にもください」


「美味しくないよ、ぬるいのは」


少しだけ残っている。

そのまま与えるのはどうかと考えてから私は残りのビールをあおった。


「あっ、ひどいっ」


真白が抗議する。

くれると思っていたビールを私が飲んでしまったからだ。


違う。


私はそう言う代わりに、真白の顔を引き寄せて顔を近づけた。


「あ、んっ・・・」


そのまま、真白の口の中に流し込む。


「ん・・・っ」


ゴクリ。


一口くらいしか残っていなかった、それくらいなら影響は少ないだろう。

真白がどれだけ飲めるか知らないけれど。


しかし、ビールを飲ませても私と真白の唇は離れなかった。

真白がキスをしてきて私の舌を絡めて離さないのだ。


「はぁ・・っ・・んっ」


キスの合間に艶めかしい吐息が真白の口からこぼれる。

彼女が私のことを好きなのは知っていて、分かっていてもこういう風に態度に示されると胸が締め付けられる。


私たちは普段は狼と人間なのだ―――――許されない。


「いぶき――――・・・」


私の名を呼ぶ声が私を熱くさせる。

その声と表情が冷静な私を扇情して、理性を崩させようとした。


「・・・私」


変身した真白は今や人間と同じだ、何の躊躇があるのか。

今朝は冷静に対応できたのに、今は――――


「・・・ずるいぞ、真白」


「だって・・・いぶきがビールの変な飲ませ方なんてするからーー私・・・」


顔が紅い。

ビールだけのせいでもないだろう。


「キスならいい、それ以上はダメだ」


なんとか、残った理性で自分を抑え込む。


「いぶき・・・!」


「そんな顔をするのもダメ」


「ひどい、私にここまでしておいて――――――」


これが本当に狼とは思えないくらい人間的なのが困る。

少しでも非人間的な部分があったのならいいのに。

真白の潤んだ瞳が私の意志を折りそうになる。


「真白」


「いや」


しがみついて離れない。

どこからこんな風になってしまったのか。


私か?


私が人間に変身した真白に欲情したからなのか?


だから真白には変身をさせたくなかった。

私の鉄の心を、意志を変えてしまうから。


「私はいぶきのことが好きです」


「・・・私もだよ、いつも言ってる。でも世の中にはダメなこともある」


それは言い訳だと思いながら私は真白に言い聞かせる。

自分でそう思っているのだから彼女に伝わるわけがない。

都合のいいように、逃げているだけだ。


そのあとのことから。


真白を受け入れてしまったら彼女は死ぬまでずっと、私のことを好きでいると思う。

それくらい一途なのだと、一緒に暮らしていて知った。

私にはずっと真白の想いを受け止めていられる自信がない、その自信の無さが真白を受け止められないようにしている。


「ひどい・・・いぶき」


真白がしくしくと泣き始める。

誇り高き狼である真白は人間になってもあまり泣いたことがなかった。


「―――――――――」


参った。

泣かせるつもりはなかったのに。

すぐそばで泣いている真白の身体に触れる事もできない。

それなのに、その泣いている姿はまた私の欲望を刺激してくる。


まるで悪魔の囁きのように――――


意志をくじくのは一瞬のこと。

そのあとは後悔とともに生きて行くか、喜びとともに生きて行くか。

どちらに転ぶのかは分からない。


はあ・・・・


ため息が漏れる。


これが人間の女性ならなにも問題ないのに。


声には出せない、真白に悟られる訳にはいかない。


真白は住んでいた場所を追い出されたのだ、そして危険を冒してまで私を頼って来た。

山で偶然出会った狼に何度も会いに行ったのは私だ。

そういう風にさせてしまったのは私のせいでもある。

・・・いい加減、真白への態度を曖昧なままにしてはおけないだろう。


覚悟を決めなくては―――――


目の前の真白は完全に私に総てを委ねているというのに(正体も晒して、自分の心も晒している)。


「真白」


私ずっと泣いて震えていた真白の肩に手を置いた。

顔は上げないものの、ぴくりと反応する。


「私の方が早く亡くなるかもしれないよ? それでもいいの?」


長く生きてきた狼だ、その可能性はある。


「・・・ずっとじゃなくていいんです、生きている限り・・・一緒に居たい」


真白がうつむいたまま言う。

手が私の寝間着をきつくつかんだ。


「それは告白じゃなくて、プロポーズ?」


笑みを浮かべてしまう。

まさか、真白からそんなことを言われるとは思ってもいなかった。


「知らない――――私はそう思っただけ・・・」


ぐすり。

うつむきながら鼻をすする、そんな姿がかわいく思えてしまう。

そういう時点で私も真白のことを好きなのだと認めざるを得ない。

あとは勇気を持って踏み出すだけ。

今度はため息ではなく、息を吐いた。


決意の一息(笑)。


両手で真白の顔を上げさせる。

泣いている真白の目は赤く、涙がだらだらと伝っていた。


「見ないでください・・・ひどい顔ですからーー」


逃げるように顔を背ける真白。


「ひどい顔じゃないよ、真白」


私は再び顔を向けさせてこぼれ落ちる涙を唇で掬う、それには真白も驚いた顔をした。


「・・・いぶき?」


「ごめん、謝る。私がはっきりしないばっかりに真白をこんな風に泣かせてしまって」


真白に口づける。

少し長く。

唇が離れたとき、また真白が驚いた顔をしていた。


「何でそんな顔するかな」


「だって・・・」


「私も真白のことが好きだよ、ずっと一緒に居よう」


私は真白の右手を取り、その指にキスをする。


ビクンッ


真白の手が反応した。


「嫌だった?」


私は指にキスをしたまま顔を上げる。

泣いていた顔は泣き止んでいて、驚きが広がっている。


「嫌だなんて・・・」


そう言ってまた泣きそうな顔に戻る真白。


「どっちなの? 嬉しい? 嫌?」


私は笑って聞く。

もう、答えは決まっているだろうけれど。


「嬉しい――――――」


真白がそう言って抱きついてくる、勢い余って私はソファーに倒された。


「好きです、いぶき」


嬉しそうに言う、何度も。

私の身体にグリグリと身体をすり寄せてくる表現は狼の時と変わらないようだ。

ただ、もふもふの毛を感じないだけで。

私は真白の気が済むまでそうさせた。






「・・・・・」


カチン。


目覚まし時計を止める。


もぞっ。


肌にもふもふの毛の感触が触れた。

自分は何も着ていない。


そうかーーー


昨晩はパジャマを脱いだ覚えがあるけれどまた着た覚えはない。


ただ、人の姿の真白を抱いた覚えはあった。


その肌の感触も。


でも、今肌に感じている感触は明らかに人の肌ではない。

ゆっくりと身を起こし、振り向くとそこに狼の姿で丸まっている真白が寝ていた。


昨晩は人の姿で今日は狼の姿か・・・(苦笑)


そう思い呆れながらも、寝ている真白を愛おしげに見る。

人の姿も、狼の姿もどちらも真白だ。

それは変わらない。

ただ、意図を持って一緒に寝るのであればやはり人の姿の方がいいかな(笑)


ぴくっ


真白が気づく。

狼なのに反応が遅い、というのはナシで。

今は狼の姿だけれど、昨晩は人の身体で私に抱かれたのだ。

すぐに起きられないくらい疲れていたらしようがない。


「おはよう、真白」


『あ、えっーーー!?』


起きあがって一回転すると自分の身体を見て驚く。

自分の意志で狼の姿に戻ったわけではないようだ、目の前の様子だと。


『いつの間に・・・』


「そうだねえ、いつ狼に戻ったのか」


私も気づかなかった。

記憶にあるのは腕の中で声を上げて鳴く真白だった。

初めて抱いた真白は、いぶきも抱きながら見とれるくらいに美しかった。


美しいものは散らしたくなるーー


途中から、愛おしさとは反対の感情を覚えながら真白を責め立てた。

最後はしがみつき、尾を引くような声を上げて真白は果てた。


「まあ、その姿でもいいよ。おいで」


私は手を伸ばす。


『・・・この姿で?』


「しないよ、もう朝だし。撫でてあげよう」


笑って引き寄せる。

私も真白も座っているけれど、真白の方が座高が高いから見上げるようになった。


ぺろり


真白が顔を、口の周りを舐める。

舐めるのは親愛の挨拶だということは何かの本で読んでいたから知っていた。


ぺろ、ぺろ、ペろ


舐めすぎだと思うものの、愛情表現だと思えば嫌とは言えない。

これはキスの方がいいかも。

飽きたのか、私の顔を唾液だらけにした真白は私に身体をすり寄せてきた。


すりすりすり


ベッドに寝てイヌのようにお腹を向けて甘えてくる。


「はいはい、撫でろってね」


さすさす。


嬉しそうなのはいいことだ。

昨晩は随分、無茶をしたかもしれないからこれはお詫び(笑)


ヴァウッ!


狼らしい鳴き声をあげた。


「甘えすぎだよ、もう終わり」


ポンとお腹を叩くと私はベッドから降りた。

今日も1日が始まる。

けれど、今日からは昨日と違う日になるのだ。


今は狼の姿だけれど私は真白と生きて行くことにした。

自然の摂理からかけ離れていることは自覚している。

私も真白も。

でも、お互い好き合って想い合っているのだ。

昨晩、それを確認した。


顔を洗って居るときにも真白は私の足に身をすり寄せている、片時も離れない。

そんなに想われていたことなどなかった。

私は真白が特別だとは思わない、ただ狼だからそういう表現しかできないのだ。

――――――今は。


ばしゃっ


冷たい水で顔を洗い、柔らかなタオルで拭く。

一連の行動を終えて私は下を向く。

すぐに上を向いた真白と視線があった。


『いぶき』


「うん?」


『好きです』


「こんな時に?」


『いつも想ってます』


「ありがとう、私も好きだよ」


私は身を屈めて、真白の頭にキスをした。

残念ながら毛に、だけれどそれでもいい。

その行為に意味があるのだ。


「早く帰ってきてまたしたいね」


『・・・まだ、朝ですよ』


真白が少し引くような声で言う。


「冗談だよ、発情気のイヌじゃないんだからそんなに性欲はないよ」


「・・・・」


今度は反論がない、沈黙だけで。


「――――昨晩何かした?」


私が覚えていないこと。


『別に・・・何も』


何もないような言い方ではない、逆に何かあったような雰囲気。

自身が覚えていないのが困りものだけれど。

朝ご飯を作る、いつもと同じもの。

作りながら真白から聞き出そうとした。

でも、ガードが堅くなかなか聞き出せない。


「ほら、話してごらん」


朝食を食べさせた後、真白を捕まえて聞く。

ぐりぐりぐり。

腰を落として、狼の真白目線でその顔を揉みながら。

決していじめているわけではなく、愛情表現だから。

その証拠に真白も嫌がってはいない、気持ちよさそうにしている。


『ほ・・・んとに、何でもないです――――』


ぐりん、ぐりん


「気になるなあ、私と真白の間に隠し事はナシだろう?」


『それは・・・』


嘘も隠し事もナシ、一緒に生きていくと言ったのだからね。


「ほら、真白」


『・・・んんっ』


マッサージの効果か、狼にも効くのか真白が徐々にリラックスしてくる。


もう一押し。


『な、にもしてないです。ただ―――』


「ただ?」


『ちょっと・・・激しかったくらいです・・・びっくりするくらいに―――いぶき、いつもと違って』


「・・・・・」


ふうむ。


さすがにその告白を聞いて自分でも恥ずかしくなった。

そんなに性欲は強くなかったはずだけども。


『でも、すごく気持ちよかったです』


「その姿で言われてもね、人の姿時に言って欲しいな」


『――――分かりました』


うなづいたけど言わなさそうな気がする。

肝心なところで人間くさくなるし(笑)


さて、と。

聞きたいことは聞けたから準備して家を出ようか。

真白は私のマッサージでふにゃけて床に寝転んでいる。

動物にも効きそうだから、動物も対象に仕事としてやってもいいかもしれない。

あ、でも真白がヤキモチを焼くかな。

意外に所有欲が強いから。


その日、私はいつもより色々と考えながら出勤の準備をし、いつもより気分が良く家を出た。

これから続く狼人間の真白とのなかなかスリリングで楽しみな生活を思い描きながら。

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