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前編

再度、お知らせいたします。

本作品は人外(狼)×人間の小説になります、苦手な方はご注意下さい。

ファンタジーより、現実的リアルな感じになりました(笑)。

楽しんで頂ければと思います。

『お腹が減っています、何か頂けませんか?』


それは私の目の前で言葉を話した。

登山を楽しみ、いつもより少し暗くなった山中で私は“それ”に出会った。


「・・・・・」


私といえば、その姿に圧倒されて言葉が出ない。

それに目の前の姿と私に投げかけた言葉がミスマッチなのだ。

目の前に居るのは大きな犬・・・いや、それよりも大きく精悍な身体と顔つき―――


私には狼に見える。


いや、日本の狼は随分と前に絶滅したはず。

それに現在、博物館に残っているニホンオオカミは貧相な体つきをしていた。

こんな、映画や漫画に出て来るような西洋オオカミではない。


『お願いします』


実に丁寧に話すが・・・、油断させて私を食べる気かも知れない。

そう思っていると狼が話す。


『私は人間を食べません、美味しくないですから』


と心を読んだように言われた。


・・・どうしようか。

私のリュックにはチョコレートしか入っていない、イヌいや、狼にチョコレートをあげてもいいのかすら分からない。

しかし、手持ちはチョコレートしかないので私は分け与えることにした。

襲うつもりならもうすでに襲っているだろう、襲わないのでやはりお腹が空いていて力が入らないのかも。

「ほら」

私はチョコレートの包装を剥くと半分以上を投げた。

もう山は降りるところなので余程のアクシデントがなければそれだけあれば足りる。

その狼は投げられて地面に落ちたチョコレートの欠片を見て少し匂いを嗅ぐとペロリと食べた。

体格がいいから、チョコレートの欠片ではお腹が満たされないかもしれない。

なにかあれば良かったけれど、あまりものを持たない私にはそれくらいしか無かった。

『ありがとうございました』

律儀にお礼を言う。

現実ではなく、小さい頃にテレビで見た日本昔話やキツネにつままれているのではないか。

「ここの主かどうか知らないけど、狩猟の季節だから気を付けて」

私は言った。

基本的に狼は山の獣たち、食物連鎖の頂点に立つ。

熊も居るだろうけれど狼は集団になると熊よりも強い。

『―――あなたもどうかお気を付けて、暗くなってきましたから』

狼はそう言うとくるりと身を翻して、藪の中に消えていった。

笑ったように見えたのは気のせいじゃないはず、動物にも表情はある。

私はしばらく、今起こったことが現実なのか夢だったのか・・・茫然とその場に立っていた。






あの出会いからひと冬を越えて私はまたその山に登ることにした。

山登りは唯一の趣味で、独りで出来るからいい。

ストイックに黙々と険しい山を歩くのは私自身、楽しんでいる。

誰かと一緒だとペースが乱されるし、それに私は人と話すのが苦手だった。

山登りを楽しむというよりは、アスリートかもしれない。

素人に毛が生えただけど(笑)

有名な山や岳に上りたいという気持ちもない、私は私が登りたい山を登るだけ。

それでもこの山はそれなりに険しいし、素人には山道を歩くことすら難しい場所。

観光気分で来るような場所ではないと思っている。

最近はどこにでも外国人を見かけるようになって、この山でも登山と思われるリュックを背負ったカナダ人の夫婦とも会った。

地元にあんな壮大な山があるというのにわざわざ遠い島国の山に登りに来たとは―――

まあ、私のように自分の持論があるのかもしれない。

今回も今は天気はいいようで雨に濡れることはないようだった。

濡れてもいいような装備をしてきてはいるけれど濡れなければなおいい、足元も滑りやすくなるから雨はあまり好ましくない。

朝から登り始めて何人かの登山客と挨拶を交わしてお昼前には頂上に着いた。

登りなれているからか普通よりは多少早く登れていると思う、あまり遅い登頂だと降りる時に暗くなってしまう、ここはそれくらいの山だ。

私でも時々、道を見失ってしまうこともある。

景色を肴に頂上でお弁当を食べ、少しの休憩後に山を下り始めた。

少し寒くなって来たかなと思い、上を見上げると綺麗だった青い空に雲が出てき始めている。

 雨か―――

確認した天気予報は夕方から曇りか雨か微妙な予想だった。

山の天気は変わりやすい、曇りか雨の予報なら雨を予想した方がいいだろう。

足元が歩きにくくなるなと思いながら歩くスピードを上げた。

ポツ、ポツと雨粒が顔に当たり始める。

まだ、私は山腹を降りていた。

道は舗装されていないし、なるべく手はくわえられていない。

この山は全体が神域になっていた、山頂にも小さい祠がある。

神社も反対側にあった。

はっきり言うと、人の都合のいいようにはなっていない。

神様の山であって、私たちはその山に登らせてもらっているというのが管理者の考えらしい。

私はそれに同意する。

何から何まで便利に人間の都合で自然を、昔ながらの物を作り変えるべきではない。

そういうものも中にはあるのだ。

ガサッ

険しい山道を下っていると左右にある藪が動く気配がした。

この時期、熊ではないならいいなと思いながら警戒する。

音を立てないように立ち止まった。

 何が居る? 小動物か―――

雨が本格的に降り始めたので厄介なことだ、何でもないなら良いのだけれど。

ガサガサッ、ガサッ

藪からイヌが飛び出してきた。

ガサッ、ガサッ

1匹だけでなく、5匹も。

首輪はしていない、あきらかに野犬だった。

 まずい―――

山に居る野犬はほぼ野生化しているので、食べ物のために人を襲うことがある。

私も過去に何回か襲われたことがあった。

しかし、5匹というのは多い。

ひとりで対応できる匹数ではなく、足元もぬかるんでいるので私には不利だ。

グッルルルウルルル

低く唸り声を上げてイヌが威嚇してくる。

手に持っているのは歩く時の登山ストックだけ、それも攻撃して来たらどれだけ耐えられるのか。

雨脚は激しくなりつつある。

私とイヌはしばらく睨み合って動かなかったが、イヌの方が唸りながらジリジリと私に迫って来た。

グルルルル

じりっ・・・私は後ずさる。

5対1では不利すぎるし、機敏性に勝る彼らの方に利がある。

リーダー格らしいイヌが飛び掛かるタイミングを計っているのが分かった。

バケツを被ったような雨がカッパを叩き、緊張感を高める。

「まったく・・・ついてない―――」

私がそう呟くのと同時に、目の目前の野犬が飛び掛かって来た。

「うわっ!」


ギャゥッ


しかし、私に向かってきた野犬は藪から突如現れた何ものかに跳ね飛ばされた。

私の目の前で。

一瞬のことで何が起こったのか分からない、すぐには現状を把握できなかった。


グルルルルル


腹の底から響くような唸り声が野犬に対して発せられる。

野犬たちよりも一回りも二回りも大きい四つ足の生き物。

それが、私を後ろに庇うように彼らに向けて静かに威嚇していた。


あの時の狼―――


すぐに分かった。

見間違えるはずがない、印象的な体躯に、なにものにも似ていない精悍な顔つき。

そんなものが2匹と居るわけが無かった。

リーダー犬はなんとか唸り返していたけれど、尻尾が本能的に怯えている。

他の野犬たちも先ほどの態度から打って変わって、怯えてその場をぐるぐると回っているだけ。

現れた狼に対して敵対する意思はあるものの、脅威を感じているようだった。

狼はひと吼えする。

初めて聞いた、狼の咆哮。

それで十分だった。

野犬たちは悲壮な鳴き声を上げると尻尾を巻いて脱兎のごとく逃げて行く。

姿が見えなくなってやっと私は息を吐いた。

「・・・助かったよ、ありがとう」

野犬に襲われて野垂れ死ぬところだった、この日本で。

いや、実際はあるのかもしれない。

表に現れないだけで。

『間に合って良かったです、タイミングが悪かったようですね』

「うん、いつも滅多に会わないのに今日は5匹もとは・・・」

緊張感が解けて、ホッとすると私はその場にへたり込んだ。

狼に対し自分が人間のように声をかけていることに私は気づいていない。

『あれらは人を襲います、先月も山に入った猟師と猟犬にけがをさせました』

「・・・そうなんだ、本当に助かったよ。ありがとう」

猟師や猟犬に怪我をさせるくらいだ、私一人など簡単だったはず。

ゴロゴロゴロ

頭上、少し遠方で雷が鳴り始めた。

 本当についてない―――私は苦笑する。

このまま無理をして山を下りることは出来ない、下手したら足を踏み外して転落することもあった。

私はダメもとで目の前の狼に聞いてみることにした。

自分でもおかしいとは思いながら。

「この天気で山を下りるのは無理だ、どこかに一晩あかせるところはないかな?」

『・・・居心地は良くないですよ』

狼はそう答えてくれた。

人間に対して警戒していないように思える。

「雨をしのげればいい、朝になって天気が戻ったら山を下りるから」

『―――なら、付いて来て下さい』

私は土砂降りの雨の中、狼に付いて歩き始めた。

ぬかるんだ道を歩き続けて30分、山の奥の奥に私は足を踏み入れた。

山道からかなり外れている。

でもそれは仕方のないことだと思える、日本で絶滅した狼が生きていると知られては死活問題だ。

騒がれて狩られてしまうかもしれない、だから山のずっと奥に人の滅多に入らない場所に住んでいるのか。

「君は、ウルフドックとは違うの?」

私は付いて行きながら聞いた。

『違います。狼とイヌのかけ合わせではなく純粋な狼です。ただ、出身は海の向こうですが』

海の向こう・・・昔の大陸経由なのかもしれない。

「ここには君一匹だけ? 他には居ないの?」

『・・・昔は居ましたが皆、人間に狩られて今は私一匹です』

その言葉に私は何も言えなかった。

大概、生物個体の絶滅は人間の仕業だから。

この地上の他の生き物を絶滅させて人間は生きている。

「ごめん」

私は謝る。

『なぜ、あなたが謝るのですか?』

「なぜって・・・」

私自身がしたことではないにしても、同じ人間としてしたことに羞恥を覚えた。

「謝らなければならないと思ったからかな、変だろうけど」

目の前に自然の洞窟が現れた。

入口は私の胸ぐらいの高さしかなく、普通は周囲はツタが覆っていて入ってみようとは思わないだろう。

「水と食料はあるから寝させてもらえればいい」

洞窟の中は暗かったので許可を貰って簡易ランタンを点けた。

入口は狭かったけれど奥の方は広く、空気音がしてどこかに通じているようだ。

「これは―――」

案内されて、目の前にあるものに私はびっくりした。

そこには人間が住んでいたような跡が残っていたからだ。

しかも、随分と昔ではなくごく最近まで。

ごつごつした岩、または草木の寝床をイメージしていた私は狼を見た。

『何年か前まで、私はある学者と交流がありました。ここに彼女は住んでいて私は研究対象でした』

「住んでいた?」

確かにそういう跡だけれど、私には物好きとしか言いようがなかった。

『私も人間にしては変な人だなとは思っていましたが、私に対して敬意を払って接してくれましたので側に居ることを許しました』

敬意・・・でなければ、狼も側に置くまい。

その学者から自分の存在が世間にバレて、生活を脅かされることになるだろうし。

私はリュックを下ろし、濡れたカッパを脱いだ。

『火を使いますか?』

「いいの?」

『暖まるには焚火の方が良いかと思います、ここには電気がありませんので』

この狼はどこまで人間の生活を知っているのだろうか、ここに居たという学者から知ったのか。

「君は狼というには、随分と人間的な気がするね」

右側を見れば焚火の後がある、薪も少しだけ積んであった。

『人との生活が長かったからでしょうか、人間の事も少しは理解できると思います』

話し方も失礼だがとても狼、獣からイメージする話し方ではない。

人間でもこんなに丁寧には話さないだろう、私でも。

新聞紙とライターを取り出し、身体をタオルで拭きながら焚火の準備を始めた。

「本当は理解なんてしない方がいいんだろうけどね、でも生きてゆくには必要か」

接点がなければ理解など必要ない、人間の思考など私だって理解したくもなかった。

「私が言うのもなんだけど、人間には近づかない方がいいよ」

狼は私の側で、座って聞いていた。

『彼女もそう言っていました』

「学者さんか、彼女というからには女性なのだろうね。随分と変わった人だったようだ」

種火を作りながらランタンに照らされた洞窟内を見回す。

人間の為の道具が少ない、ここで生活を出来るだけの物しか置いていない感じだった。

『―――それは否定しません、私もそう思っていたのですから』

狼が笑いながら言ったように感じる、それは人間の苦笑にも似たもの。

火が起きた。

ゆっくり消えないように燃えるものと薪をくべる。

「君と話していると人間と話しているような錯覚を起こす、姿を見ないと特に」

『そうですか』

「とても動物が話しているようには思えない、その口は言葉を話すには適していないだろうにどうやって話しているの?」

最初からの疑問だったのだけれど、一連の流れで聞くことが出来なかった。

『――分かりません、彼女もそれを調べていたようですが結局何も・・・』

人の言葉が分かり、話す狼は突如発生したものなのか。

ファンタジーや非現実の世界が目の前にある。

とはいえ、狼が話すことに脅威はない。

動物とコミュニケーションを取りたいと思うのは動物好きの人間は皆思うだろう。

かくいう私も動物は好きだし、コミュニケーションが取れたらどんなにか楽しいだろうかと思っている。

そのために、言葉は重要だ。

人間はネコやイヌの言葉が分からないし、反対に彼らは人間の言葉が分からない。

意思の疎通は言葉ではなく、態度、声、視線、感情などで伺い取るしかなかった。

火が立ち始め、勢いが出て来る。

カッパは濡れたけれど中に着ていたものは濡れていない、とりあえず髪だけ。

ただ、雨にうたれたせいで寒さはある。

洞窟の中も寒いので起こした火は体温の下がった身体には大変ありがたい。

「今日は、チョコレート以外も持ってきた。食べる?」

2,3個荷物にならないくらいのものだけれど、肉類を持ってきた。

ここに来たのは山を登ることも理由だったけれど、この狼と会えるかもしれないと思って来たことは否定しない。

『これをですか』

差し出したものに顔を近づけて来て匂いを嗅ぐ。

「味付けが濃いかな?」

『多分、大丈夫です。以前、似たようなものを食べた気がします』

顔を上げる。

チョコレートの欠片しか上げられなかったことが心残りになっていたので今回は少し持ってきたのだ。

『これを私に?』

「うん、会えるかどうか分からなかったけど・・・会えたらあげようと思って。この間はチョコレートひとかけらくらいだったからね」

『会えるかどうか分からなかったのに?』

「――結果、こうして会えたしね。会えなかったら自分で食べるつもりだった」

言い訳か(苦笑)

実のところ、会えるだろうと思っていた。

何となくだけど予感というものがあったのだと思う。

『気になさらなくても』

「私があげたかったんだよ、迷惑だった?」

狼は即答せず、数秒だけ間ができた。

『私は慣れませんよ?』

「君を慣らそうとする気はないよ、野生で生きているのだしね」

私は包みを開けてやる。

もう、下茹でをしてあるものだ。

本当なら何もしていないものがいいのだろうけれど人間仕様なので仕方がない。

ぱくり

食べ始める、美味しいかは別としてお腹が満たされるのはいいだろう。

山での狩猟がどういう環境なのかは知らないけれど。

「―――そういえば君の名前を聞いてないね」

ずっと話していて今更だけど、君と呼称していた。

『必要ですか?』

「まあ・・・君、としか呼んでいないから必要ないかもしれないけれど聞きたいな」

個として存在しているのだから呼び名はあるだろう、仲間が居ない今では呼ばれることはないだろうけれど。

『変った人間は彼女だけかと思っていましたけど、あなたもですか』

変人だと思われたかな。

「そう? 名前があるのだったら名前で呼ばれた方が私はいいと思うけど。教えたくないとかだったら無理には聞かないけどね」

『別にかまいません、名前くらい』

「私の名前は“いぶき”」

火がぱちぱちとはぜ始める、いよいよ暖かくなってきた。

いぶき―――

私の名前を呟く。

「私の祖父がマタギでね、その名前を私に付けてくれた」

『マタギ・・・』

「君にとっては厄介な人間だろうけど」

山の動物たちには猟師と同じくらいに相手が悪い。

「ずっと山で生活をして、最後まで山と共に生きた人だった」

『亡くなったんですか』

「うん、随分と前にね。多分、私が山に登るのは祖父の影響もあるんじゃないかと思う。会えないけど感じることが出来るんじゃないかって―――ね」

登っている山の険しさは比較できないけれど。

『好きだったんですね』

「うん、皆は頑固者で疎ましがっていたけど私は尊敬していた」

山小屋で取ったばかりの獲物を目の前で捌いて食べさせてくれたし、山で遭難した場合の対処方法も教えてくれたのがマタギの祖父だった。

『私は―――ましろ、真実の真に白いです。彼女が付けてくれました、私の毛が真っ白なので』

今は雨で濡れているから灰色だけれど初対面の時は、確かに白かった。

輝くような白銀。

「真白か、いい名前だ」

『あまり目立ちたくはないんですけれどね」

彼女が溜息をついた気がする。

山や森に隠れるには白銀の毛並みは目立ってしょうがないだろう。

「―――それより、学者の彼女はどうしているの?」

『何年か前に一旦戻ると言って出て行ったまま戻って来ません』

「帰って来ると思う?」

こんなところで何年も狼と一緒に生活してきたという変わった女性の学者だ、何らかの理由で帰って来られないのかもしれないし、研究を止めたのかもしれない。

ここに居る真白は彼女を今でも待っているのだろうか?

『どうでしょう?』

返事からは彼女の心を伺い知ることは出来なかった。




ふと目が覚めた。

いつの間にか寝袋に入って寝ていたようだった、目の前の焚火は消えている。

ランタンの明かりが少し弱くなって洞窟内を照らしていた。

『おはようございます』

薄くらい闇の中から声がする。

けれど、私に危害を加えるものの声ではないことは分かっているから身構えない。

「おはよう、天気はどうかな?」

昨日は夕方から夜にかけては大雨だった、下山を取りやめてこの洞窟で一晩明かすことになったのだ。

『はい、晴れていい天気です。これなら下山できると思います』

「良かった」

私はもぞもぞと動いて寝袋から這い出ると、固まった身体を解す。

「君には・・・真白には迷惑をかけてしまったね、ありがとう」

『いえ、私は話の通じる人間と交流が出来て嬉しいです』

「とはいえ、極力人間には近づかないんだろうね、君は」

洞窟を歩き、外に向かう。

ここは暗くて息苦しい、日の光を浴びて新鮮な空気を吸いたかった。

『ほとんどの人間は私と話すこともできませんし、私は信用しません』

ハッキリ、きっぱりと言う。

その方がいい、人間なんて信用しない方がいいのだ。

私も含めて。

「じゃあ、私の事も信用していないんだ?」

『信用しています』

「私も人間だよ、真白」

茂った木々の隙間から朝の光が眩しい、胸いっぱいに朝の空気を吸い込んだ。

『あなたが信用にたる人なのだとうことは分かります』

私は足元に居る真白を見た。

「その根拠は?」

『感覚としか・・・相手と話して自分が感じたことが根拠じゃいけませんか?』

「―――そうだね、その感覚は私にも分かるよ」

笑って彼女の毛並みを撫でる。

もっと固い感じかと思っていた毛は意外にも柔らかい。

真白は撫でた私の手に頭を摺り寄せて来た。

その様子は少し大きなイヌが甘えてくる感じ。

「―――さて、朝ご飯を食べてから下山しなきゃ」

しばらく甘えさせていたけれど、ずっとこうしているわけにはいかないので私はそう言った。



「もう、ここでいいよ。人に見つかるとまずい」

私は山道まで見送りに来てくれた真白に言う。

『大丈夫です、気配で分かりますから』

聴覚、嗅覚が優れているのは知っているけれど、彼女が不用意に見つかるのは避けたい。

「でも」

『送らせてください』

「必要以上に人に慣れるのはまずい、それは君が良く分かっているはずだよ」

私は研究者ではないし、彼女のテリトリーに入るべきではない人間だ。

『・・・・・』

そう言うと真白は黙った。

「正直に言うと私も、登山を口実に真白に会いに来たようなものなんだ。もう絶滅した狼が生きていたからではなく、言葉が喋れる狼が居るからじゃなくて純粋にもう一度会いたいと思ったから」

興味、というよりはなんだろうな―――存在に惹かれたとでも言うのだろうか。

『また――山に登りに来られますか』

話かけている言葉が少し弱く感じた。

「来るよ、この山は私が好きな山だからね。その時はまた洞窟に泊めてもらうよ」

私は腰を落とし、私を見上げる真白の身体を抱きしめた。

フワフワとは少し違うけれど、触り心地はいい。

ぺろり

真白が私の顔を舐める。

「真白は意外に大きいな、身体も舌も」

舐められた頬を手の甲で拭う。

『久しぶりに人間に興味を持ちました』

「学者さんの事は調べてみるよ、何か戻って来られない理由があるのかもしれないし」

『・・・・・』

「彼女は忘れていないよ、真白のことを」

『そうでしょうか』

「そうとも、そんな顔しないで」

人間にイヌの心が分かるわけもないのだけれど、今の私には真白が辛そうな表情をしているように見える。

親しかった人に置いて行かれたような、忘れられたような。

「じゃあ」

私たちは別れる。

真白は山に、私は都会に住む人間なのだ。

不用意に懇意になるわけにはいかない、今の情況がいつ破たんするかもしれないのである。

私は1日遅れで下山した。






私の職業は整体師である。

お店で施術することもあればお馴染みさんに呼ばれて、出向くこともある。

お客の中には有名人も居るけれど私の中では、誰もが等しく思っている。

山に登るときは、お客さんにあらかじめ知らせておくので被ることは無い。

今日はお店で施術をして、最後のお客が終わったのは23時過ぎだった。

スタッフはすでに帰り、私は最後の戸締りをする。

朝から台風が近づいているということで風や雨が酷い、それは夜になってさらにひどくなったような気がした。

 明日、大丈夫かな・・・

予約が数件入っている、台風となれば交通機関も混乱するし酷い風雨でキャンセルも出るだろう。

今から帰るのも危なっかしい感じ。

待っていても止む気配は見えず、ずぶ濡にならないといけないようだった。

帰宅する道路は冠水があり、何度も迂回をせざるを得なかった。

木は風に倒れていたり、看板が吹き飛ばされていたりする。

予想以上の情況に私は運転をしながら驚く。

スピードは出せず、安全運転でなんとかマンションの近くまでたどり着くとホッとした。

けれど、そのホッとした瞬間を狙ったように何かが車の前に飛び出してきた。

「うわっ」

安全運転でスピートが落ちていていたとはいえ、車だ。

ぶつかったらただでは済まない。

思いっ切りブレーキを踏むと車は横滑りしてガードレールにぶつかって止まった。

「この・・・嵐の中に出歩いているのは誰だ―――」

轢かなくてホッとしながらも相手に呪いの言葉を投げかけたくなる。

とはいえ、我に返って雨の中、車の外に出た。

「大丈夫ですか!?」

声が風の音にかき消されながらも私は声を掛けた。

雨も横殴りで痛いくらいに当たる。

「大丈夫ですか!?」

うずくまっている塊に近づいてハッとなった。

人ではない――

が、覚えがある。

数か月前に会ったばかり、そしてここは都会だ。

こんな場所に居る“彼女”ではないはずだった。

「ましろ?」

なんでこんなところにという驚きと共に、動かない体躯に触れた。

外灯の明かりが僅かに真白の身体と私の手を照らす。

「血―――?」

血だと分かった瞬間、べったりと手に付いた血が雨に流れてゆく。

轢いてはいなかったはずだ、なのに真白の身体触れた私の手には血が付いている。

それが何を意味しているのか理解する前に私は苦労しながら急いで真白を自分の車に乗せた。







「おーまーえーなー、もう営業時間は終了しているんだからなーー」


ずぶ濡れのまま友人宅兼個人医院を訪ねると嫌そうに言われた。

確かに、とっくの昔に営業時間は過ぎているのは分かる。

分かった上で訪ねたのだ、普通の動物病院には行けない。


「それにだ、俺は人間を見る医者で、動物専門じゃないんだぞ?!」


「ごめん、それは分かってる―――だけど、北島しか思いつかなくて・・・」


北島は高校の同級生だった、昔から頭がよく医者の家柄で家族が皆医療に従事している。

開業医をしているのを聞いていたので訪ねたのだ。

それに――彼は昔から変わっていて・・・動物も処置できるのではないかと思った。

「あのな、変わっているからっていう理由で連れて来るなよ」

と、言いながらも私から真白を取り上げ、診察台に連れて行ってくれた。

「しかし、デカいな。何のイヌだ?」

「ウルフドックだよ」

「ウルフドック? ああ、狼とイヌの合いの子か」

診察台に乗せてまじまじと見る。

「―――どうかな?」

北島は台の上に乗せた巨大な体躯をひっくり返して確認した。

「・・・こりゃあ―――お前、何を連れて来たんだ」

「何って・・・」

彼の言っている意味が分からずに聞き返す。

「撃たれているぞ? 家畜でも襲って猟師にでも狙われたのか?」

血が流れ落ちている部分を見つけて、私に見せる。

「弾が中に?」

「害獣だったら厄介だぞ、助けるのか?」

害獣という言葉に嫌悪した。

真白は害獣なんかじゃない、家畜は襲わないと言っていた。

彼女が嘘をつくわけが無かった。

「助ける。お願いだ、北島、彼女を助けて欲しい」

わざわざ、遠く離れているこんな場所まで傷ついた身体で頼ってきてくれたのだろう。

「―――治療費は高いぞ」

「構わない」

真白が助かるなら。

「そうだな・・・一晩付き合ってくれるなら助けてやってもいいぞ」

北島が思いがけないことを言う。

私は一瞬、顔を強張らせた。

「―――冗談だよ、お前が男を嫌いなのは知ってる」

本当に冗談だったのか笑った。

「別に・・・嫌いでは―――」

「無理すんな、からかっただけだ」

昔から知っているけれど、からかい方が心臓に悪い。

彼の事は嫌いじゃないけれど・・・彼を受け入れることは私には難しかった。

北島は弾の摘出手術をする準備をすると言って私を外に追い出す。

狼の生き残りかもしれない真白をこんなことで死なせるわけにはいかない。

私も彼女には死んでほしくはなかった。






ぺろり。

ぬめっとしたものの感触を頬に感じた私はハッとして身を起こした。

どうやらいつの間にか寝てしまっていたらしい、見知らぬ部屋の横長の椅子に寝かされて毛布を掛けられている。

ボウとする視界に白いものが映った。

「ま・・・しろ?」

グイっ

強めにその白いものが私に身体を摺り寄せて来る。

包帯が巻かれてはいるけれど弱弱しくは見えない。

「大丈夫なの?」

『はい』

はっきりと答える、しっかりとした声に私は身体の力が抜けた。

「良かった―――」

私はそのまま真白の大きな身体を抱きしめる。

「あのまま、死んでしまうかと思ったよ」

『ありがとうございました、迷惑はお掛けしたくなかったのですが・・・他に思い浮かばなくて・・・』

頼ってくれたのが嬉しいと感じる、不思議な感じ。

「でも、どうしてあんなことになったの?」

山奥で人に見つからないように慎重に生活して来ただろうに、なぜ猟銃なんかで撃たれたのか。

『最初は野犬だったのです、猟友会は野犬を探して駆除していたのですが中に勘のいい猟師と優秀な猟犬がいたようで、途中で私の存在に気付いたようなのです』

さらに真白は私に話す。

『一斉捜索以外にも何度も山に来ては私を探しまわってとうとう私も追い詰められてしまいました、人間と猟犬のコンビがあんなにもしつこいとは―――』

苦笑しているような表情の真白。

さすがに辟易したのだろう、私にもその様子が目に見えるようだった。

「もう、戻れない?」

『・・・たぶん、あの猟師と猟犬は探し回っているでしょう。あの洞窟もいずれは見つかるかもしれません』

沈んだ様子で言う。

あの女性学者との思い出も晒されてしまうのかと思うと残念に思う。

「―――他の山はどうかな? 狭い日本っていうけれど意外にも標高の高い山はあるし、人があまり足を踏み入れない山もあるから」

私は進言する。

元の住んでいた山に帰れないのはかわいそうだけれど、彼女が住める険しい山はまだたくさんあるはず。


『―――いぶきさん』


改まって真白が私を見た。

「なに?」

昨晩、雨でずぶ濡れだった毛並みはもう乾いており白銀に輝いている。

私はその毛並みを撫でてやりながら聞き返す。


『私を飼って頂けませんか?』


真白が言った。


「えっ!? え・・・っ―――」


聞き返してしまう、驚きに。


「なんだって?!」


慣れるつもりも、飼われるつもりもないと言っていた。

なのに、いきなり急どういう気持ちの変化なのだろう。

「狼は誇り高いんだろう? 人間に飼われるということがどういうことか分からない君じゃないだろう?」

山で暮らし、山中を駆けている方がずっといいはずなのに。

私もそれを望む。

人間の世界は彼女にとって窮屈で不自由なものだろう。


『もう随分と長く生きてきました・・・実はあなたよりも』


動物は人間より早く年を取る、昔飼っていた柴犬も普通よりは長生きをしたけれどやはり人間の長生きにはかなわなかった。

世の中の法則がこの狼の真白には当てはまらないらしい、その仕組みがどうなっているかは神のみぞ知るということなのか。

一緒に暮らしていたという女性学者も答えを出せなかったのだ。

「疲れただなんて言わないよね」

『―――それはありませんが、私も好きに生きてもいいのかと思ったのです』

「それは今まで好きに生きて来たようではない言い方だ」

『存在を隠して、見つからないように生きるのはもういい加減嫌になったのです』

「そうじゃないと、誰かが君を捕まえるよ? 人間は残酷だ、今まで居なかったものが見つかったら執拗に探し出し、見つけて見世物にする」

同じ人間だけれど否定できない。

私がそう言うと真白は笑ったような気がした。


『―――私はあなたに飼われたいんです』


自ら人に飼われたいという野生動物が居るだろうか。

目の前の狼の真白は知能が高く、人間というものを理解しているはずなのに。

「なぜ、私なの?」

そういう疑問がわく。

なぜ、私なのか―――

『人間は私にとって家族を殺した憎むべき対象です』

怒りなど見せず、淡々と話す真白。

『でも、その反対に興味の対象でもありました。私が興味を示した人間は多かったのですがそのほどんどに失望しました』

「それなのに?」

『中にはそうではない人もいると、私は知りました』

「あの学者さんだね」

唯一、彼女に傍に居ることを許されて研究を続けた変わり者の女性学者。

彼女は交通事故で亡くなっていた、それは真白には言っていない。

言ったら悲しむだろうから。

『それと―――あなたです』

「私が? 勘違いだよ」

そりゃあ、目の前の狼と驚かずに初対面から普通に話しているし、洞窟にも泊まった。

度胸があると言えばあるのだろうけれど(笑)

『私のことを余計に詮索はしませんでしたし、誰にも話しませんでした』

「私は生き残っていた君が絶滅するのは望まないだけだよ」

揉み揉み。

触り心地がいいので揉んでみた。

『そう考えてくれる人がどれだけいるのか・・・』

私にマッサージされながら真白は気持ちよさそうに身を委ねる。

「こんな大きな動物は飼ったことないよ、食事だって何を用意すれば――」

『人間の物も食べられるようにします』

そういう問題ではないだろうに・・・(苦笑)

それに飼う場所も考えなければならない、今のマンションは動物を飼うことが不可のマンションだし。

真白の体躯を考えると部屋の広さも考えなければならない。


『いぶきさん、私を飼ってもらえますか?』


私の手をすり抜け、再度私をじっと見て言った。

困る。

そんな表情で言われたら考える余地もないじゃないか。

「そんな顔で言わないでよ、参ったなぁ―――」

実のところ、飼えないという家庭事情はなかった。

独り身だし(半年前に恋人とは別れた)、狼が食べるであろう食事代や住む場所についても別れてしまった片親が残してくれた遺産があるから問題は無い。

「野生を失うんだよ? 分かってる?」

人に飼われるという事はそういうことだ。

人間の手から餌をもらい、住む場所、快適な寝床を用意される。

最初は違和感があるだろうけれど次第にそれに慣れ、牙が抜けないまでも野生の時にあった感覚が鈍ってゆくのだ。

そして最後は、もう山には戻れなくなる――――

『はい』

私の問いによどみなく答える。

はあ・・・と、ため息を付いた。

親しくなり過ぎた結果、こうなってしまったのか。

普通の登山客同様、あの時に驚いて逃げていれば良かったのかもしれない。


『あなたなら信用できると思いました』


「危険だなあ、そんなに人間を信用するものじゃないよ」


野生の狼に信用されていることが不思議だった。

彼女は住んでいた山を追われ、行く場所がない。

日本には彼女が住める山はまだ沢山あり、そこを探してあげる方が彼女の為だと思う。

人間と狼とは一緒に暮らせない―――

頭の中にそういう思いがあった。

祖父ならどうしただろうか、あの人は山に住んでいたから狼と共に暮らしたかもしれない。

だが、ここは都会で人間が暮らす場所だ。


ぺろり。


のしかかられて顔を舐められる、何度も。

「・・・・・・・・」

体躯が大きい分、舌も大きい。

何度も舐められるうちに唾液でべちょべちょになった。

それに体重がかかっているので重い。

「―――分かった、分かった!」

じゃれつく真白の大きな身体を押しのけて、叫ぶ。

どうなるか分からないけれど、本人の意思だ。

私がダメと言ったら何をするか分からない気がする。


『飼ってくれるんですね』


まったく・・・嬉しそうに聞き返して来る。

人間に飼われるのが嬉しいっていう感情が良く分からなかった。

自分に置き換えたら私だったら絶対に無理だと思うのに。

「その代わり、私の言う事はきちんと聞いてもらうよ」

人間のルールを教えなければならないだろう。

狼は知能が高いので早く覚えるだろうし、すぐに大人並みの常識を備えるだろうから心配はしていなかった。



北島は治療代を取らなかった。

正規ではないし、夜分に押しかけて無理を言ったのだから取って貰っても構わなかったのに。

「いい、いい。珍しいものも見せて貰ったからな」

私の足元に座っている真白を見て言う。

「ごめん、助かったよ、ありがとう」

「まあ―――飯くらいは誘ってくれてもいいぞ」

照れたように言うその言い方に笑ってしまう。

北島が私のことが好きなのは分かっていた。

でも、私は彼の想いには応えることは出来ない。

世の中は上手くいかないものだと思う。

「しかし、どうするんだ? そんなデカいもの」

「飼うよ」

そう言うと北島は渋い顔をする。

「飼うって・・・大変だぞ」

「まあね」

不安はありすぎるほどある(笑)

それでも、真白本人が望んでいるので私は出来るだけの事はしようと決めた。

「お前がそれでいいならいいけどな」

「あ、それとなんだけど・・・」

「分かってる、内緒だろ? それ、どう見てもウルフドックじゃないしな」

「北島」

知っていたのか。

「バカにするなよ、俺が人間ばっかり相手にしているからって分からないと思ったか?」

「黙ってくれるの?」

「友情は壊したくないしな、俺はお前の事が好きだし」

照れもなくはっきりと言う、私の方が顔を赤くしてしまう。

「お前に頼られるのは俺も嬉しい」

想いには応えられないけれど北島とはいい関係でいたいと私も思う。

「さ、行った、行った。もうじき、開院の時間だ。人の目を避けるんだろ?」

「ありがとう、北島」

しっしっと追い払われるように私と真白は昨晩乗って来た車に飛び乗ったのだった。




それからが大変だった。

その日は車から真白は出さず、引っ越し先を探す羽目になった。

さすがに住む部屋にあまりお金はかけてたくはないので、ほどほどの広さのマンションとする。

もちろん、動物飼育可のマンション。

そして、プライバシーが守られる場所。

これが一番大事で、好奇心から近寄って来る人間をシャットアウトする必要がある。

人間の居る世界で暮らすことになる以上、今までのように姿を隠しておくことはできないからだ。

狼とウルフドックの区別がつく人間がそうそういるわけではないが念には念を入れて。

探し回った最後の不動産屋でいい物件が見つかった。

次の日には下見をし、希望を満たしている物件だったので私はそこに決めた。

わずか二日、そして引っ越しも入れて五日で私は住んでいたマンションを引っ越したのだった。

その間、仕事は臨時休業。

お客さんからの問い合わせを受け付けてくれた受付の子は、また山に行ったの?と聞かれたらしい(笑)


「はあ―――っ」

どさり。

私は前の場所よりもかなり広くなったリビングに置いた、これまた大きいソファーに身体を沈めた。

この、五日間動き回ってさすがに疲れた。

諸々の手続き、引っ越しその他色々。

山を登るよりも疲れるとは・・・


「どう、気に入った?」


私は革張りの黒いソファーに身を置きながら目の前に居る真白に言う。

これを気に入ってくれないと困るけれど(笑)

『はい、こんなに広いとは思いませんでした』

「奮発したからね、あまり狭いとストレスが溜まるだろうし」

大きな身体の真白がそこに居ても狭く感じない、歩いても物にもぶつからないし。

身体を洗う為、浴室も普通より広いところを選んだ。

冬は床暖房と、至れり尽くせり。

『逆に申し訳なく思います』

本当に狼らしくない。

どういう経緯で人間の言葉を話し、理解できるようになったのだろう。

それは本人にも分からないとは言っていた。

仲間の中でも全部というわけではなく、そのうちの一部だけが特別なのだという。

今は、仲間は居なくなり真白1匹しか残っていない。

「おいで」

私は真白を呼ぶ。

彼女も遠慮をしなくなった、大きな身体でどっしりと私にのし掛かって来る。

とはいえ、気遣いはあるようで全力でではなく少しだけ力を抜いて。

飼うことになって不安も大きかったけれど、このモフモフ感はそれを打ち消してくれるくらいに気持ちいいことが分かった。

「モフモフだねえ」

ワフッと、あまり聞かない鳴き声を出し、身体を摺り寄せて甘えて来る。

動物にセラピー効果があるというのは本当らしい、相手をしていると疲れていることも忘れてしまう。

「とりあえず、ウルフドックとして飼うことにする。普通の人には見わけがつかないからね、あとはなるべく目立たないようにかな」

ぺロリ。

「―――やっぱりご飯は生肉なんだよね」

『いぶきに合わせます』

最初からそれは言っていたから軽く見ていたけれど、よくよく考えてみたらやっぱりまずいと思い始めた。

「ダメだよ、人間の食べ物は何かしら入っているし、病気にもなりやすい」

とはいえ、そのままの獲物をどこかで調達してくるわけにはいかない。

山に放って捕まえさせて食べさせるわけにもいかないし・・・肉の塊くらいなら卸店に売っているかな。

『嬉しいです、いぶき』

私は真白がいつの間にか私のことを呼び捨てにしていることに気づく、さり気なさすぎて気づかなかった。

他人行儀から少し、距離が縮まったのだろう。

「さて、明日から心機一転だ。真白には全然違う世界だと思うけれど時間をかけて慣れてくれるといいのだけれどね」

『――もう、行くとことが無いので頑張って慣れます』

ほとんど、狼である真白が言葉を話す事に慣れてしまって違和感も無い。

小さい頃は動物と話が出来たらなと思っていた私だから、大人になった今夢が叶ったといってもいい。

私たち(主に私)は疲れを取るようにリビングのソファーでダラダラしていた。





狼の真白が言葉を話し、人間を理解するほど頭がいいという非常識に私は慣れたつもりだった。

それ以上の驚きはもう無いと思っていたのにある日、それは突然私を愕然とさせたのである。

私は寝室のベッドに寝て、真白はリビングの感触のいい高級ソファーの上で寝ている。

真白なら檻は必要無いし、水飲みとトイレだけ用意すれば良い。

その日、私は夜中に喉が渇いたため起きた。

大体、私は寝たら朝目覚ましが鳴るまで起きないのだけれどその日はなぜか喉の渇きが我慢できずに寒い中しかたなくキッチンまで行った。

冷蔵庫の中には何本かペットボトルの水がストックされているからそれを飲むつもりで。

目的の物を取り出し、キャップを開けると一口飲んだ。

水は冷たく、喉を通り胃に流し込まれる。

あまりの冷たさに胃がきゅっと締まった気がした。

「――――」

ペットボトルは冷蔵庫に戻さず、それを持って寝室に向かおうとしたがふと気になってリビングに足を向けた。

狼相手に忍び足は効かないな、と思いながらも深夜なのでなるべく音を立てないように歩く。

威かすつもりは無かった。

ただ気になって様子を見るつもりだったのに―――


リビングの窓に付いているカーテンが開いていた、満月のようで月明かりが室内に差し込んでいる。

こんなに明るい月明かりは見たことが無い。

月明かりはソファーにも届いており、私は月明かりを目で追う。

ゆらり

視線の先に動くものを見た。

そのソファーには狼の真白が寝ているはずだ・・・が、しかし、そのソファーには別のものがいた。

思わず息を飲む―――

こちらには気づいていないようで“それ”は、ソファーから気怠そうに窓の外にあるであろう月を見上げていた。


バシャッ


手からペットボトルが落ちた。

なんたる不覚、見惚れるあまり私は手の力を抜いてしまったのだ。

そのまま、見なかったことにして寝室に戻ればいいものを。

ペットボトルが落ちる音にそれはかなり驚いて振り返る。


「だれ?」


それはこっちのセリフだったけれど私の方が答える。


「誰って、ここの住人だよ、君は? そこには真白が居たと思うのだけれど」


それは、いや、彼女は―――か?

月明かりを背にしているのでよくは見えないけれど、女性だと分かる。

しかもあり得ないことに全裸だ、どこから来たのだろうか。


「あ、ああ・・・いぶき」


私の名を呼ぶ。

知り合いに見覚えが無い。


「ごめんなさい」


謝られる。

不法侵入のことなのか。

「君は誰? 真白はどこに行ったの?」

目の前に居ない真白の行方を問う。

真白がこの部屋に他人の侵入を許すわけが無い、番犬以上の働きもする狼だ。

警戒心が強いはずなのに、どにも気配がしない。


「いぶき」


もう一度、私の名を呼ぶ。

その表情は憂いを帯び、困惑しているように見えた。


ドキリ


まさか――――


鼓動が早くなる。

あり得ない、現実でもない、と思いながら私は目の前の情況を冷静に考えていた。


キラリ、と光るものが胸元に見える。


あれは―――


それを見て、私は産毛が総立ちになった。

口の中が渇いて来る、カラカラに。

私は今、あり得ない事態に遭遇している。

真白に初めて会った時には感じなかった驚きを今、感じていた。


「ま・・・さか、真白?」


掠れた声が私から漏れる。

私は真白に首輪を付けない代わりに、金のチェーンをあげた。

それが彼女の胸元に光っているのである。


「ま・・・し・・・ろ?」


これは隠し玉過ぎる、反則といってもいい。

本人は知っていたのか、なぜ言わなかったのか。


「―――気づいたら・・・わたし」


声が震えている。

私が怒ると思ったのか、私に引かれると思ったのか。

怒るという感情も、引くという思いも感じなかった。

ただ、ただ驚いているといっていい。

真白に関しては出会いから、非常識のオンパレードだったのに。


「・・・真白は変身もするの?」


真白は頸を振る。

分からないといった様子で。

こんな風になったのは初めてだったようだ。

私がゆっくりと近づくと、ぴくりと身体を強張らせて真白は身を引く。

「大丈夫、何もしないよ」

激しく混乱はしていないようなのは分かる。

「わたし――-・・・・」

不安そうに私を見上げた。

さすがに裸のままにしておくわけにはいかないので、肩にかけていたパーカーを着せてやった。

「どうして・・・こんな――いつも通り寝ていたのに」

「月を見て?」

「はい」

頷く。

これではファンタジーだ、いくらなんでも私の周りに起こりすぎる。

真白ですら呆然としている。

「もう一度、確認するけど真白なんだね?」

「はい、そうです」

はっきりと答える。

目の前の出来事はやはり現実らしい、認めざるを得ない。

神様はずいぶんと気前がいいようだ。

「参ったね・・・私は、狼を飼ったつもりなんだけど」

もう、笑うしかない。

「すみません」

自分のせいではないのに真白が謝る。

「謝らなくていいよ、真白のせいじゃない。こんなの自然の摂理から外れている」

震える真白の身体を抱えた。

ぴくりと一瞬、反応したものの抵抗はぜずに身を預ける。

「どれくらい居たのか分からないけど、まだ寒いのに風邪を引く」

「・・・どうしていいか分からなくて・・すみません」

さすがに人間の言葉を話せても変身するとなると、困惑するのか。

「こんな姿ではいぶきの前に出るわけにはいかないと思って」

まあ、確かに全裸でいきなり現れたらもっとびっくりしてしまう。

「こんなことは真白だけなの?」

聞いてみる、他にも居た可能性も考えられる。

「―――ずっと前ですが、仲間からそういう者が居たというのは聞いた気はしますが・・・身近では見たことはありません」

ふうむ、見たことは無くても聞いた事はあるのか。

それだと、居たと思うのがいいな。

現実に狼の真白が人間に変身しているのだから。

「一緒に居た学者さんの前では変身したこともないんだね?」

「多分・・・」

「多分?」

「実は・・・初めてだとは思うのですがなんとなく初めてではない感じもするんです、でも記憶はなくて―――」

曖昧だな、覚えてないって。

もしかしたら覚えていないだけで、変身した可能性はあるということか。

それだとすごい研究成果になるだろう、ファンタジーの中でしか居なかった人間に変身する狼が居たのだから。

「元に戻るの?」

「・・・分かりません」

だろうなあ、自分の意思で変身したとは思えないし。

満月を見たら狼に変身するのが通常だけど、満月を見て人間に変身するというのは初めてだ(笑)

もっとも違った理由で変身したのかもしれないけれど。

「とりあえず、他に何か着て寝るのはここじゃなくてベッドにしよう」

「いいんですか?」

「さすがにその姿でソファーに寝かせるわけにはいかないよ、私がこっちに寝るから真白はベッドでね」

毛布は持って来よう、さすがに何も無いのは寒い。

しかし、真白になにかを着せようとしたら服を嫌がった、なんでも受け入れる彼女にしたら意外で驚く。

狼の姿は人間にしたら全裸だから、あれに服を着る感覚なのだろう。

だから、嫌なのかもしれない。

「仕方がないね・・・掛け布団があるから、寒く無いとは思うからそのままでいいよ」

「すみません」

しゅんとする、真白。

思ってもみなかった展開に、私に迷惑をかけている心苦しさを感じているようだった。

「いいよ、起きてしまったことだからね」

明日になれば狼に戻っているかもしれない、漫画みたいに。

そうだといいなと、思う。

いや、そうなって欲しい。

このまま、全裸で部屋を歩かれるのは困る。

それでなくても、この私が内心ドキドキするほどの美女に変身しているのだ。

変な気を起こさないようにわざと見ないようにしている。

最も、起すつもりもないけれど。

「おやすみ、明日になれば戻っているよ」

「はい、おやすみなさい、いぶき」

ベッドに入って少しは気持ちが軽くなったのか真白が笑った。

ホントに明日になって戻ってくれればと思い、私は取り出した毛布を持ってリビングに戻って行った。





ソファーで寝るなんて久しぶりだった。

大きいとはいえ、寝返りがうてないのは痛い。

とはいえ、そんな不満は寝入るまでで寝てしまうと私はそのまま朝まで起きることは無かった。

起きたのは体内時計のおかげ。

いつもの通り身体が目覚ましをセットしている時間に起きた。

それに加えて何かの気配が私を起こしたらしい。

何かといえば――――


『おはようございます』


「・・・おはよう、いつも早い」


起きたとはいえ、私はまだ覚醒はしていない、ゆっくりと身体を目覚めさせてゆく。

パフっ

いつものように私は手を伸ばし、それに触れる。


「頭―――」


ぽんぽん、と叩く。


『はい、元に戻りました』


身を起こして見れば、狼の姿の真白が座っていた。

私は、ほうっと安堵の息を吐く。

元の姿に戻っていた真白を見て、あのままだったらどうしようかと思っていたので良かった。

「戻ってよかった、どうなるかと思ったよ」

『はい、ご心配をおかけしました』

いつも通りの真白でほっとする。

「何だったのかなあ―――こんなの、今までなかったんだろう?」

『はい―――』

そこは自信なさげに答える、なかったかどうかは分からないらしい。

「別にいいよ、迷惑がかかるわけじゃないし」

ただ、変身後に何も着ないのはちょっと目のやり場に困るかな。

『頻繁ではないかと思います、私が覚えている限りで今までこんなことはなかったですから』

「だといいんだけどね」

私はそう言って真白の頭をひと撫でするとベッドから起き上がる。

今日も月が―――それが気になった。





仕事に出かけて夜に帰って来る。

最近は忙しくて、延長になることが多い。

仕事が忙しいのはいい事だし、私も好きな仕事なので嫌にはならなかった。

お金にもなるし。

片親の遺産だけでくらいしているのは心苦しかったので、手に仕事を持って自分のお金で暮らすことが出来ている。

両親には顔むけが出来るだろう。

両親もこんなに早く亡くなるつもりはなかったのだろうけれど、自分に何かあった時の為に遺産を残しておいてくれた。

愛情はもう受けることは出来ないけれど記憶にはある、それに加えて私のためと残された遺産を大事に使わせてもらおうと思う。

「ただいま」

午前様まであと15分くらい前に玄関の扉を開けた。

「?」

いつもなら私を出迎えに来る真白が来ない。

「―――真白?」

どうしたのだろう? 毎日、欠かさない日課だというのに。

「真白、どこに―――」

早足で部屋に入って行き、各所を探す。

広いといっても少し広いだけだ、探す場所もせばまってくる。


『いぶき―――』


声がした、寝室の方で。

真白が寝るにはまだ早い時間なので訝しむ。


「どうしたの? 何かあった?」


寝室の電気は消えていたので私が電気を点けると、布団に包まって真白がそこに居た。

その姿を見てがっくりと私の身体の力が抜ける。


「真白――――」


『すみません・・・』


「なんでまた戻っているの?」

頭を抱える。

朝は狼の姿、家に帰って来たと思ったらまた人間の姿になっていた。

「月を見た?」

『いいえ・・・』

首を振る。

『いつも通りしていました、夕方になってからはなるべく窓には近づかなかったのに数分前にこんな風に―――』

どういうシステムなのだろうか?

「本人の意思は関係ないのか・・・」

『そ・・・れは―――』

真白が口を挟んできた、覚えがあるのか。

「それは?」

『い、え・・・何でもないです』

「困ったね、ずっとこんな調子なのかな。変身したり戻ったりして身体は大丈夫なの?」

変身するところを見たわけではないけれど狼と人間は骨格も違うのだ、変身する場合はかなりの負担になるのではないかと思う。

『変身時だけ骨が軋むので少しきついですけど・・・』

ずっと家に居るので人の目に触れるわけじゃないので問題は無い。

ただ、私の衛生上に問題がある。

裸で居られるのが困るのだ。

私はベッドの縁に座った。

「多分、今後もこういうことはありそうだね」

それには真白は答えなかった。

多分、私と同じ考えなのだろう。

「だったら、服を着るのは我慢してもらうからね、真白」

『・・・やっぱり、だめですか?』

上目遣いに見て来る。

その仕草は無意識なのだろう、意思を変えてしまいそうになる自分をグッと抑えた。

「ダメ。嫌でも着てもらう、その代わり着やすい服にしてなるべく違和感無くするようにするから」

それに昨晩はそんなに明るい場所で見ていたわけではなかった、日中でも変身できるというのならずっと裸というわけにはいかない。

真白が良くても私の方が目のやり場に困る、実のところ恋人と別れたのは半年も前のことでそろそろ人恋しくなってきていた。

代わりに狼の真白を可愛がるのもいいとかと思っていたところに、この変身騒ぎ。

しかも、まずいことに変身した真白は美人だった。

もし、私が男だったら昨日の夜の段階で押し倒していたかもしれない(笑)。

『郷に入っては郷に従え・・・ですね』

観念したように真白が言った。

「要は変身しなければいいのだけれどね」

さて、真白に何を着せようかと思う。

身体にピッタリなのはやはり嫌がるだろうか、余裕があって動きにくくない服・・・

「無いな」

『えっ』

「真白が着るような服が無いんだ、残念ながら。明日買って来るよ」

ワンピースなど私は着ない、時々会う北島にも女らしくないと言われているくらいだった。

『でも――』

「それくらい大した出費じゃないよ、動きやすいのを買って来るから」

今日はYシャツとで我慢してもらおう、さすがにブラはともかく下は履いてもらう。

『色々、面倒をおかけしてすみません』

私に迷惑をかけることを心苦しく思っているようで声が小さくなる。

「問題ないよ、私が真白の事を家に置く(飼う)って言ったんだから」


―――触れるくらいならいいかな。


ふいに思って真白の銀とも灰色ともつかない綺麗な髪に手を伸ばす。

ビクリ

やはり、真白は反応する。

「髪に触れるだけだよ、嫌?」

安心させるように私は優しく言う。

『い・・やではないのですが、何となく―――』

人間に変身した姿である裸のままだと無防備で不安なのだろう。

「服を着ればそのうち慣れるよ」

さらりと流れるような髪をひと房取る。

やはり人間の髪の毛。

ただ、この毛色は自然では見たことが無い。

見たことがあるとすれば、人工的に染めたり抜いたりした場合だ。

しかし、それでも人工的ではこの毛並みと毛色は難しいのではないかと漠然と思う。

『いぶき―――』

真白が戸惑ったような顔をする。

「綺麗な髪だね」

昨晩は見ないようにしていた顔を今日は間近で見た。

これが元は狼だとは誰が思うだろうか、実に信じがたい。

人間の言葉を話す上に、内容を理解し、なおかつ知能も高いとは。

研究者がこの存在を知ったら大変なことになることは間違いなかった。

女性学者はこの事は知っていたのだろうか・・・今となっては本人に聞くことが出来ない。

真白も記憶が曖昧ときている。

手に持った髪の毛ひと房に自然と私は唇を寄せた。


『いぶき』


顔を赤くした真白がさらに混乱したように私の名を呼ぶ。

「何もしないよ」

私は笑って手を離し、ベッドから起き上がった。

クローゼットの中を探して少し大きめのシャツと下着を探すと渡す。

そして着方を教える、裸でいることについて本人はまったく気にしないようだ。

布団に包まっていたのは自分の意思ではなく、また変身してしまった自分を隠そうとした行動の現れか。

「不自由だと思うけど、慣れて欲しいからね」

『・・・はい、慣れないといけないのは分かっています』

「うん、誰かが突然入って来ることは無いとは思うけど服を着ている方がいい」

いきなり裸の女性が居たらびっくりするだろう、私だって昨晩はびっくりした。

心臓が止まるかと思った。

別の意味で――それについては胸の奥にしまっておくことにする。

真白が着替えると私はシャワーを浴び、やっとだいぶ遅い夕飯を食べることになった。



知能が高いというのは学習能力も高いということでもある。

狼の真白は私を見て人間が食べるという行為の意味と、所作を学習していた。

人間のビジュアルで肉の塊にかぶりつき、口の周りを血だらけにしている姿は見たくなかったのでそれについてはホッとしている。

「人間の姿だと、食べ物は人間と一緒のものでいいのかな」

『・・・どうでしょう、さっき頂いたものは私には濃すぎましたから』

テーブルに向かい合って食事をするのは何だか不思議な感覚だった。

今朝は狼の姿だったのに、今は人の姿になっている真白と。

「そうか、やっぱり味覚はそのままなのか」

そうそう上手くいくわけが無いか(苦笑)

『私の食事は何日か抜いても問題ないですから気にしないでください、山ではなかなか獲物にありつけなかったこともありましたし』

・・・その格好でそんなことを言われるとかなり違和感がある。

やはりイヌ用、猫用が合うのかもしれない、時々肉の塊とか―――

『極端なことを言えば人間の時は食べなくても大丈夫かと』

「狼との時にたくさん取ればいいか」

食べる量などもいまだ、手探りだった。

真白は私に遠慮してそれだけ欲しいのか、どれだけ食べるのかを言わない。

狼のくせに気を使い過ぎて変に人間臭い。

「それと、二日連続でソファーに寝るのは辛いから今日は隣に寝るよ」

『・・・すみません、私がこんな風になってしまったばっかりに』

謝り通しの真白。

「謝りすぎだよ、私はそんなに気にしていないんだから」

こうなったらベッドをもう一つ買う必要が出て来たかもしれない。

さすがに一緒に寝るのは抵抗がある。

明日は真白の人間の時の服と、ベッドを買って来るしかないようだった。





真白が変身する法則がいまだ分からない。

ただ、満月とそれに準ずる日が関係していることは確か。

それ以外の時には人間の姿にはならないからだ。

「今日は満月だけど、狼のままか・・・」

私はベランダに出て、空を見上げながら言った。

隣りには狼の姿の真白が座って同じく空を見上げている。

『はい』

寝る前のリラックスタイム(笑)。

「変身する時のこと、なにか覚えていない?」

ふるふると首を横に振る。

真白も自分の事は知りたいと思っているだろうに、身に覚えが無いのはかわいそうな気がする。

前兆さえ分かれば私も慌てないし、対処できるのだけれど。

「まあ、いいか。なるがまま、あるがまま」

手に持ったビールを一口飲む。

「今度、ドッグランに行ってみようか」

『ドッグラン?』

「うん、運動不足を解消するのにイヌが広い場所で走り回って遊べる場所かな。そろそろ真白も身体を動かしたくなって来ただろう?」

『大丈夫です』

そう言いつつ、真白の身体がうずうずしているのに私は気づく。

「素直じゃないよ、真白」

ニヤリと笑って言うと真白が珍しく狼狽えた。

『べ、別に・・・遊びたいわけじゃありません』

「分かっているよ、ずっと外に出ていないから少しは運動をした方がいい」

最近はだいぶ、狼の真白の表情を読み取れるようになったから照れているのか、怒っているのか、拗ねているのかもはっきりと分かる。

だから私が真面目な真白をからかうことも多くなり、その反応を私も楽しむ。

『・・・大丈夫でしょうか?』

「大丈夫だよ、都会を離れるし、プライバシーが守られるところだから」

狼と見破られるのはマズいので、ネットで色々調べて何個かに絞り込んだ。

月のかけている日の夜に行くから変身することはないだろう。

『お世話をお掛けします』

「他人行儀はいいって言ったのに、まだ敬語なあ」

『いえ、そこはキッチリ線引きをします』

“いぶきは私の主ですし“と言う。

名前は呼び捨てなのか。

真白は早い時期に私の事は呼び捨てにしていた気がする。

別に、呼び捨てでも構わないけどね。

「さ、てと。 月見もしたし、寒くなってきたから寝ようか」

ビールも飲み終わったのでベランダから部屋の中に入る。

真白が人間に変身した時のためにと買ったベッドは別の部屋に置いてあった。

狼の時もそれを使ってもいいと言っているのに真白は使っていない。

ソファーも使わず、今は私の寝室のベッドの床にマットを敷いたところに寝るようになっていた。

「ベッドに寝た方が気持ちいいだろうに」

そう言っても、私のいうことを聞かない。

『ここの方が落ち着きます』

「・・・・」

いつもこの会話のやり取りをして、結局私が折れるのであった。

扉を開けるとすたすたと私より先に入って、床のマットが敷いてある定位置にくるりと丸まる。

もう、がんとしてそこからは動かないつもりらしい、身体も大きいから私も一人では動かすこともできない。

「まったく・・・頑固なんだから、おやすみ」

私はため息をついてベッドに入った。

真白の性格も分かり始めた、融通が利かない。

こんなに我が強いとは思わなかったくらい(笑)

まあ、それも真白の個性だし、面白いので受け入れているのだけれど。





むにっ。


「う、わっ!」

「いたっ」


私は夜中にトイレに起きて、足をベッドから下した時に何かを踏んだ。

予想外の感触に声を上げてしまう。

真白の声もした。

ベッドに備え付けのライトをつけて確認する。

「な・・・にが―――」

ライトで明るくなると真白が浮かび上がった。

「―――変身したのか?」

驚いた。

今ごろになって変身しているとは・・・どうやら足を踏んでしまったようだった。

「みたいです・・・すみません」

裸なのは恥ずかしいことなのだと理解した真白は敷いていたマットで身体を隠している。

狼の姿の時に寝たから、裸なのは仕方がない。

しかし・・・なんでまた今度は夜中にと思う。

「どれくらい前に変身した? ついさっき?」

ぐっすり寝ていたようで私は変身に気づかなかった。

いつも私の知らない時に変身しているので大体、変身後に顔を合わせることの方が多い。

「10分くらい前です、身体が軋み出して」

両腕を掴んで言う。

「前兆は?」

「・・・いいえ」

「ふうむ―――参るね、こう予兆もないんじゃなあ・・・それより、足の方は大丈夫?」

思いっ切り踏んでしまった。

狼の時は気配でよけるのだろうけれど人間の時は避けきれないらしい。

ライトだけでは見えにくいので部屋の電気を点けた。

「大丈夫です・・・一応、踏まれた瞬間避けたとは思いますので」

「一応、見せて」

あの踏んだ感触から結構、体重をかけたと思うのだ。

ゴリっといった気がする。

しゃがんで踏んだ方の足を持って確認した。

持つぶんにはなんでもないようだけれど触れると一瞬、真白が痛がる表情をする。

「――――痛いのは我慢しなくてもいいんだよ、ここは山じゃないんだから」

今は青なじみも腫れてもいないけれど、時間が経って酷くなる場合がある。

「はい・・・少し、痛いです」

そんなに柔いとは思わないけれど。

私はそこに真白を置くと薬箱を取りに行き、中からシップとメッシュのカバーを取り出して戻る。

「シップを貼ってメッシュで剥がれないように保護するから、剥がさないように」

「痛くなくなるんですか?」

「そう、薬を貼って腫れを抑える。時間が経つと腫れてくるかもしれないからね」

狼の姿だとシップの匂いがきついだろうけれど今は人の姿だ、大丈夫だろう。

シップを少し広めに貼ってメッシュのガードを取り付けた、動きには問題ないだろう。

「こういうことがあるからベッドで寝た方がいいんだよ、真白」

私は顔を上げて言う。

真夜中なのに目が覚めてしまった。

「ごめんなさい、いぶき・・・」

私は怒ってはいないけれど怒られたように感じるのだろう、しゅんとする真白。

「ほら、立てる?」

立ち上がるために手と肩を貸したけれど、真白は足を踏ん張れずによろける。

「やっぱり、痛いんだろう? 我慢するのはいいけど、結局は私が処置しないといけないんだから素直に痛いなら痛いと言うこと、いいね?」

ここは強めに言った。

さらにしゅんとして小さくなる真白、これに懲りて我慢しないでくれるといいんだけど。

ベッドのある部屋までは少し遠い、このまま歩いて行くのも面倒くさかったので私は真白を抱え上げた。

「きゃあっ」

声が上がる。

真白は悲鳴なんて滅多に上げないからレアだ(笑)。

「狼の時は大きすぎて持ち上げられないけどね、今なら持ち上げられるから大人しくしていてよ」

「いぶき」

真白が動揺して焦っているのが分かる。

当たり前だけどこんなこと、されたこともないのだろう。

「ほら、掴まって」

「つ、掴まる・・・?」

「落ちないように私の首に腕を回すんだよ」

説明しないと分からないのは新鮮だった。

付き合った元カノにもしたことはあるけど反応はあまり良くなかった、でも真白の反応は面白くてその時に期待していたものに近い。

「こ・・・う?」

「そう、ぎゅっと掴まっておいで」

私が言った通りに真白はぎゅっと掴まる。

その様子が可愛くて思わず小さく笑ってしまう。

「―――なんですか? いぶき」

私に笑われたのが気に障ったのか、口を尖らせて聞いて来た。

「何でもないよ」

「今の笑い方、いい感じではなかったです」

「悪い意味で笑ったわけじゃないよ、真白」

「じゃあどういう意味で笑ったんですか? いぶき」

その言い方は答え次第では、首を絞められそうな感じ。

「可愛いと思って笑ったんだ、悪い意味じゃないよ」

行儀が悪いけれど足でドアを開け、何とか部屋の電気を点ける。

「可愛い、ですか?」

「そう、ほら狼の子供も小さくて可愛いだろう? あの可愛いだよ」

「私は大人の狼です、子供じゃありません」

と、来た。

知能は高いのに“可愛い”が分からないわけが無いと思うのに。

「うーん、可愛いは大人にも使うんだよ、真白。褒め言葉で、けなしたわけじゃないんだ」

「・・・・・」

分からないのか一瞬考える。

「褒め言葉ですか」

「そう、さっきの真白は可愛かったよ」

「――――――」

真白が急に私に顔を背けた。

「真白?」

きつく掴まって離れない。

「どうしたの? そんなにきつく掴まっていたらベッドに下ろせないよ」

「な、んでもないです」

何でもない割には声に感情が出ている、慌てている時の声だ。

「何でもないなら顔を、そむける必要もないと思うけど?」

「もう、大丈夫です」

頑なにそう言うので私はベッドに下ろす。

「明日まで安静だからね、動かないように。朝にまた様子を見るから」

「はい・・・」

そこは素直に頷く真白。

「あと、もう寝るだけだから今夜は特別、そのままでいいよ」

いつもは何か着せるのだけれど深夜だし、眠いので今更着替えさせるのは私も面倒くさい。

真白は不意に変身するのでその度に私はびっくりさせられる。

「いぶき」

「うん?」

部屋を出ようとして呼び止められる。

「あ・・・ありがとうございます」

「いいよ、私が踏んでしまったんだから」

寝ていたのは分かっていたのに、避けるから大丈夫だろうと思って油断していた私が悪い。

「おやすみなさい」

「おやすみ」

扉を閉める。

夜中に目が覚めてしまって中途半端になってしまった。

しかし、変身するタイミングが分からなくなってしまったなと思う。

戻るタイミングもさらに分からないし・・・こう、何度も驚かされるとは―――

本人の自由に出来ないのは困るだろう、私のマンションという狭い空間に居る間はいいけれど。

私も何度も裸の真白と対面するのは心臓に悪い。

暗い場所ならまじまじと見ることはないのだけれど、照明の下となるとはっきりと見てしまう。

なまじっか真白は美人の部類に入るので困る。

さっきも咄嗟に抱え上げた身体の感触が手に残っていて消えないでいた。

 真白は狼なのに変な気分だ―――

私は自嘲気味に小さく笑って自分の部屋に戻って行った。




目覚まし時計の音が頭の上で響く、もう朝らしい。

昨晩は夜中に起きてしまってすぐには寝られずに苦労した、なのにもう朝とは・・・真白を恨むのは筋違いと思いながら目覚まし時計を止めた。

「眠い―――・・・」

出来ればもう少し寝ていたい。

けれど、仕事に行くには目覚まし時計の鳴った時間に起きなければ用意が出来なかった。

仕方がなく起きることにした。

「?」

違和感がある。

私の身体にぴたっりとくっつく何かがある、心なしか布団も不自然に盛り上がっていた。

「―――まさか」

あり得ない、と思いながら私は恐る恐る布団を捲る。

「・・・・・・」

それを見た瞬間、力が抜けガックリとした。

「真白――――」

昨晩、自分の部屋のベッドに寝かせてやった真白が隣で寝ていた。

しかも、そのままだから何も着ていない。

基本、狼の時はソファーか床に寝ている。

人間の時は自分のベッドに。

それは暗黙の了解で、それを真白は破ることはなかった、なのに―――

なんだ、これは・・・

怒る気持ちはないけれど、どういう心境の変化なのか。

真白の。

「真白」

私は問いただす為に、寝ていた真白を起こす。

普通、隣りで私が起きたら気づくだろうにまだ起きない。

昨晩の私を避けられなかったことといい、人間に変身すると色々と五感が鈍るらしい。

鈍る、というよりは野生ではなくなる?みたいな感じか。

「真白」

さすがに叩き起こすことはしないけれど、強めに目を覚まさせた。


「これはどういうことなのか聞きたいな、真白」


「・・・・」


真白は寝起きだったけれど、私の様子にすぐに目が覚めたようだ。

全裸のままは私の方が目のやり場に困るので、布団で身体を巻かせた。

真白は私の顔を見ないでうつむいている。

反省しているのか、こんなことをして落ち込んでいるのか。

「怒るつもりは無いんだよ、真白。でも、自分のベッドがあるのにどうして私の方に潜り込んで来たの?」

ベッドは私のと同じく、布団も付いていて潜り込めば温かくて寒くはないのに。

「すみません・・・いぶき」

声も小さい、自分がしてはいけないことをしたことは分かっているようだ。

「謝るのはいい、理由が知りたいんだよ。真白は賢いはずなのにどうしてなの?」

そんなことが分からない真白じゃないはずだろうに。

「・・・わたしにも分からないんです」

「は?」

「昨晩は確実に運んでもらったベッドに寝ていたのですが、気づいたら―――」

夢遊病の気はなかったはずだ、今までも。

「―――気づいたってことは、そのまま自分の意思で居た訳だね?」

「・・・すみません」

ますます小さくなる、声も丸めている身体も。

「なんで、別々に寝ているか分かるよね、真白」

「はい―――」

真白は狼だ、いくら飼われたとしても人間の自分とは距離を置いた方がいいと思う。

もちろん、私は動物が好きだけれど一緒に寝るほどの愛犬家(?)ではないし、常識的に考えてのことだ。

「そんなことが分からない真白じゃないだろうに、どうしてこんなことになったの?」

自分では怒っているつもりはなかった。

声を荒げているわけでもないし、感情が昂っているわけでもない。

なのに―――

「・・・泣くことの事じゃないだろうに」

真白が泣き出したのだ。

大泣きではなく、しくしくと。

泣くというイメージが無かったのでこっちがびっくりする。

「ごめんなさい・・・いぶき」

人間の姿で泣かれるのは自分が悪いことをしているようで気分が良くない、自分が虐めているような気がしてしまう。

特に、真白の今の姿では。

はあ―――

私はため息を付く。

まさか泣くとは思わなかった。

怒ったつもりはなく、私は理由を聞いただけなのに真白はそうは取らなかった。

今、取り返しのつかない事をしたのではないかと後悔しているのだろう。

私は狼である真白を飼うと決まって、ルールを決めた。

ルールが必要であることは彼女も分かっていたし、了解した。

頭のいい彼女に対してはルールの数は実に少ない、普通のペットが10のルールを作ったとしたら真白は2・3個くらい。

ただ、その2・3個の中に今回のルールが入っていたのである。

私はベッドの縁に座った。

「泣くことの事じゃないよ、真白。私は怒ってはいないし、ただ理由が知りたかっただけなんだから」

「すみません――」

泣いて謝るだけの真白。

「今回は不問にするから」

「いぶき・・・」

泣いていた顔を上げて私を見る。

「次からは気を付けるようにするんだよ?」

「はい―――」

私は泣き止むまで真白の髪を撫でてやった。




「あ」

私は肝心なことを忘れていた、それに気づいたのは車で会社の近くまで行ってから。

真白の姿が朝の段階で人の姿であり、狼でなかったことにだ。

これはもうサイクルとか、法則というものではない。

一体、どういう仕組みで狼から人へ、人から狼に変身するのか。

下手をすると日中でも変身するのではないだろうか。

考えるとループから抜け出せなくなる。

真白の事はひとまず置いておいて私は頭を切り替えて仕事モードにした。

仕事をすると他のことは考えずに集中できるのでいい、今朝は驚き過ぎた。

夜中の事と朝起きた出来事のせいでまだ少し眠い。

まったく、真白も子供じゃないんだから―――

「おはよう」

私は少し遅れてお店に着いた。

今日は予約が入っていないので始業時間に間に合わなくてもいい。

「おはようございます、オーナー」

受け付けの河合さんが元気よく挨拶をくれたけれど、その時にあくびが出た。

「寝不足ですか?」

「ははは、少しね」

そう答えて準備をするために更衣室に向かった。

午前中はお店で、午後は2件出張。

私は大変でも忙しい方が生きていると感じる人間なので苦ではない。

「おはようございます」

施術室は3部屋、私とその他の整体師の分。

完全に個室化はされていなくて入口は防水カーテン、上部と下部が開いている使用。

完全個室化には何かあった時のため、していない。

「おはよう、そろそろ今日1番のお客さんが来るから」

「はい」

ミーティングを少ししてあとはお客さんが来るのを待つ。

お店が開いて5分もしないうちにお客さんはやって来た、平日の朝からうちを使ってくれるのは嬉しい。

大手のお店に人が流れることも多い中、長年使ってくれる人も居てうちは成り立っている。

午前中は私の予約は3人、1時間コースで午前中いっぱいかかってしまう。


「他の所も行ったのだけど、やっぱりいぶきさんの施術がいいのよね」


常連さんはそう言ってくれる。

「そうですか、ありがとうございます」

「予約も融通が利くし、出張もしてくれるでしょ? 助かるわ」

小さなお店なので地域に密着と、仕事は臨機応変に、というのがお店のモットーだった。

「―――そう言えば、イヌを飼ったとお聞きましたけど」

施術だけして欲しい人もいれば、会話もしたい人も居る。

今対応しているお客さんは後者なので話題を振る、会話をする事でリラックスしてもらう効果もあった。

「そうなの、トイプードルの子犬なの!」

聞かれて嬉しいのか寝ながらテンションが上がるお客さん。

トイプードル、小さい子犬を思い浮かべる。

人気な犬種で、良く街中で散歩をさせているのを見かけた。

どうしても真白と比べてしまうので、私はその大きさの違いに思い出し笑いを漏らす。

「お名前は?」

「ひーちゃんって名前を付けてね、もう可愛くって」

そのデレデレ具合からお客さんにとっていかに可愛いか分かる。

まあ、時々聞いた私が引いてしまうほど愛犬の自慢をする人も居るけれど(苦笑)

「いぶきさんの所も飼っているの?」

「ええ、うちは大型犬(狼だけど)を」

「あら、大きいと困るでしょう。遊んで欲しい時とか」

施術をしながら、思い浮かべる。

どうだったか・・・真白は遊んで欲しいとか言わないし。

ボールで遊ぶ、とか自然の中で暮らしてきたからそんな馬鹿なことするかって思っているような気がする、直接は聞いたことは無いけど。

「うちはボール遊びが好きでいたずらっ子なの、留守番をさせて家に帰ったらめちゃくちゃな時があったわ」

「それは大変ですね・・・」

「まあ、でも可愛いうちの子のすることだもの。仕方ないわ、可愛くて許しちゃう」

「・・・・・」

ここにも親バ・・・お客様に失礼しました。

「それとねえ、自分のケージに入れて寝させるんだけどいつの間にか鍵を外して外に出て私の布団に入り込んでいるのよねえ。怒っても毎回するからもう諦めているんだけど――」

「梶さんの所もですか?」

同じ体験をしている人に意見を聞いてみよう。

真白は分からないと言っていたから、あの様子だと本当に分からないのだろう。

嘘をついているようには見えない。

「いぶきさんのところも、ベッドにもぐりこんで来るの? 大きいんでしょう?」

「ええ、今朝がたに隣で寝ていてびっくりしましたよ」

背中から、今度は腰に施術を移動しながら言った。

「そうなのよね、こんなところに居ないと思っていたのにいきなり居るからびっくりするの。寒いとかもあるんだろうけど、私は人恋しいからじゃないかと思うの」

「―――人恋しい、ですか?」

「そう、猫はどうか分からないけどイヌはそういうことよくあるみたいね。何度怒られても潜り込んで、それくらい飼い主の側に居たいと思うんじゃないのかしら」

ふうむ、そういうこともあるのか・・・

とはいえ、狼の時には真白はベッドに入って来なかった。

汚れると思ったのか? いや、基本的に狼は綺麗好きだ。

ここのところずっと家の中に居るので汚れることは無い。

「いぶきさんは、飼っているイヌに好かれていると思う?」

思いがけないことを聞かれた。

「好かれている・・・んじゃないかとは思います」

狼の姿で飼って欲しいと言われた時、信頼する人間として認められたとは思う。

野生の狼が人間に飼われることがどんなに退屈になるか分かっていただろうに真白はその野生のプライドを捨てて今、私に飼われている。

「相手の事が好きじゃないと噛むし、吼えるし、言うことは聞かないし、ましてや布団になんて入って来ないわね。私ね、以前ひーちゃんがそっと入り込んで来た時気づかないふりをして見ていたの。本人は私が知らないと思っているみたいでそーっと入って来て、私の側でくるっと丸まってあっという間に寝ちゃったの」

ゲージに入れたら静かにして寝るまですごく時間がかかるというのに、と梶さんは言った。

「安心しているんでしょうね」

「多分ね、それってすごく嬉しいことよね。可愛いひーちゃんが側で安心して寝られるくらい信頼してもらっているのだから私の好きが伝わっているのだと思うの」

「なるほど」

梶さんの言うことはよく分かった。

けれど、狼の真白にそれが当てはまるのかといえば疑問だ。

 人恋しい、ねえ―――

私はあり得ないな、と小さく笑いながら施術を終わらせた。




私の場合、出先からはほとんど直帰になる。

終わるのが遅くなるからだ。

今日も、随分とかかってしまった。

ただ、家に帰って何かをしなきゃならないという差し迫った用事は無いので気が楽。

家には真白が待っているけれど、狼は一食でも大丈夫だし最悪2,3日は抜いても問題はない。

「ペットと同類にするのはちょっと違うかな」

私は梶さんの言葉を思い出しながら玄関のカギを開ける。

飼われている狼だけど、人間にも変身するのだ。

人間の姿の時点で倫理的にペット、という認識にするわけにはいかない。

バウッ

「うわっ」

玄関を開けて何かが飛び掛かってきたので思わず声を上げてしまった。

予想もしていなかったので驚いたのだ。

「――・・・真白、なんなの? びっくりするじゃない」

いつも飛び掛かって来ないのに今日に限って・・・

いつもは大人しく座って尻尾だけ振って待っているのに。

立ち上がった真白を受け止めながら聞いた。

『・・・すみません、嬉しかったのでつい―――』

「嬉しいって―――今まで飛び掛かって来たことなんてなかっただろうに、昨晩からおかしいよ?」

大きな体躯の体重をかけられているので重い、数秒で私は真白を離す。

「狼には何時ごろ戻った?」

『昼頃です、お昼の放送が鳴って少しして全身に痛みが来ましたから』

真白に身体を擦りつけられながら廊下を歩く。

「真白」

『はい』

ピタッと止まり、お座りの体勢で私を見上げる。

「そんなに足にすり寄ってこられたら歩くのに邪魔だよ」

『・・・すみません』

私がそう言うとしゅんとして謝る。

おかしい。

いつもは玄関で座って待っていて、移動する時も一定の距離を保って私の歩く邪魔はしないのに。

「何か悪いものでも食べさせたかな、昨日」

『昨晩は豚肉ブロックでした』

真面目に答える。

「真白・・・・」

面白い、真白はギャップが面白い(笑)。

笑ってしまい、その場にしゃがみこんだ。

『なにか笑うことでも言いましたか、いぶき』

笑われてまた拗ねるような感じで。

「真白が面白くてね、真面目に答えてくれるからさ」

悪いと思っても笑ってしまう、真白のプライドもあるからそんなに大きくは笑わないけれど。

『酷いです、聞かれたから答えたのに』

「まあ、狼の真白に会話を求めるのは酷かな」

私は笑いから立ち直って、真白の頭を撫でる。

『いぶき、会話くらいできます』

「うん、他のどの動物より賢くて私とも会話が可能だ」

『それでも足りないですか? 私は』

「足りない?」

足りないとは? 何の事だろうか。

『私はもっと人間を知りたいです、今の会話では私がまだいぶきに足りないと言われているように思えました』

――参ったね、さすがだ。

伊達に知能が高いわけじゃないか。

この理解度はペットではとても太刀打ちできない。

「私は真白に何かを求めてはいないよ」

『―――もう、いいです』

「真白」

ふい、と顔を背けると身を翻して廊下を歩いて行ってしまった。

どうも、私と真白に考えの不理解あったようだ。

あのいつも私に従順な彼女が反発するのは初めてのことで、何が悪かったのだろうか。




つーん。

機嫌が悪いことが分かる、真白の。

玄関でのことが引き金か、いつもならソファーでTVを見ている私の側にきて寝そべっているのに離れた床に寝ている。

それでもリビングから出て行かないのは寂しいからだろうか(苦笑)。

「そろそろ機嫌を直してくれないかなあ、真白」

TVを見て、ビールを飲みながら真白の身体を撫でるのが日課となっているのでそれができないので手が寂しい思いをしている。

反応なし。

これはちょっとやそっとでは機嫌が直りそうもないか。

「ほら、いつもの場所においで」

ぽんぽんぽん。

ソファーを叩く。

つーん。

「・・・・・」

無視か。

「―――真白はこんな子供じみた事はしないと思ったんだけどな」

ピクッ

私がそう言うと伏せていた真白の耳が動く。

お、反応あり。

高いプライドをくすぐってやる。

基本的に狼はプライドが高い、それは知能に比例すると思う。

「もっと大人だと思っていたのになあ」

ピクッ、ピクッ

いいぞ、いい反応だ(笑)。

もうひと押し。

「しょうがないか、今日はナデナデは無しか。残念ダナ――」

気持ちよさそうに撫でられているのは私も知っている。

真白だって毎日のソレが無くなるのは嫌だろう。


『ヒドイです! いぶき』


ずっと反応を見せなかった真白が勢いよく起き上がった。

私の勝ち(笑)

「ヒドイって? 私は何もしていないよ」

『~~~~~~~~』

悔しそうな表情。

動物にも表情の変化というものはある、真白と暮らし始めてから(飼うという言葉はあまり使いたくない)それが顕著に分かるようになった。

「ほら、我慢していないでおいで」

まだ、私の所に来るのを我慢している。

今、そそくさとやって来たらさっきまで抵抗していた意味がなくなってしまうからだ。

「ほら、ほら」

『くっ・・・』

反応が良くてついぞ、いじめてしまう。

悪いとは思いながら。

「―――じゃあこうしようか、私も悪かったと思うからお詫びに今晩は一緒に寝よう」

ぱっ。

明らかな反応を見せた真白に内心、驚いた。

表情が変わったのだ、撫でてやろうと言った言葉よりも今言った言葉に反応した。

すぐに表情は戻ったけれど、尻尾が大きく振れているのには苦笑する。

「意外だなあ、一緒に寝たかったのか」

『違います』

そう言い切るけれど、尻尾が振れているのはどうしようもない。

嬉しいらしい。

「素直じゃないよ、真白」

くっ・・・・

図星をさされて怯む真白。

梶さんの言ったことは真白にも当てはまるらしい、狼もイヌの遠縁だ。

まあ、身をすり寄せて甘えてくるのは出来るけれどルール化されている私のベッドには入って来ないという事項はペットの犬のようには容易には破れないか。

けれど、そう考えると今朝の件はどうなるのか。

今朝はルールを破って真白は私のベッドに潜り込んでいた、ただその姿は狼ではなく人の姿。

2つの姿で思考が変わるとは思えない、どちらとも真白。

朝は分からないと言ったけれど彼女の意思でしかない。

「じゃあ―――止めとこうか?」

そう言うと表情がまた変わった。

面白い、狼の表情がくるくる変わるのを見るのは。

『いぶきは意地が悪いです、私をいじめて楽しいですか?』

悔しそうに言う。

「楽しいよ、真白は真面目だからねえ」

『いぶき・・・』

今度は途方に暮れるような表情になる。

「飼い主の私がおいでといっているんだから来るんだよ」

本当は飼い主という言葉は使いたくない。

確かに真白は私に飼って欲しいと言って、私は飼っているけれど元野生の狼は他のペットと同類にしたくなかった。

昔、祖父に狼について聞いた話も、その祖父のマタギという仕事も関係しているだろう。

でも、こうなったらそうでも言わないとプライドの高い(意固地ともいう)真白は甘えて来ないだろうから。

『・・・・・』

私がそう言うと真白は私を伺う、狼が人の機嫌を伺うというのは不思議な感じだ。

「ほら、真白は何と戦っているの?」

笑う。

ここには私と彼女しか居なくて、ナデナデに陥落しても誰も笑わないだろうに。

真白はしばらくじっと私を見ていたけれど、意を決したように歩いて来た。

私の前まで来ると何も言わずに、軽々飛んでソファーに寝そべった。

何も言わないのはせめてもの彼女の抵抗だろうな(笑)。

だから私も、もう何も言わないで真白のことを撫でてやることにした。

これ以上いじめるのはかわいそうだし・・・ね。




しかし―――

その日、一緒に寝てやったのがいけなかったのか真白はルールの改訂を願い出て来た。

私にそういうことを言うのは珍しく、それに頑として引かなかった。

「――それってさ、ペットのイヌや猫と同じくなるってことだよ?」

驚きつつも頑なに言ってくる真白に言い聞かせる。

別に意見として出たルール改訂は嫌じゃないけれど、狼の立場としてはどうなのかと思う。

「プライドとか」

あまり野生からかけ離れ過ぎても困る(飼っちゃっているけど)。

『捨てました』

あっさり。

「・・・そんなにあっさり言う?」

あまりにもあっさりすぎて逆に清々しい。

『自分に素直になることにしました、どうせですから。それに毎回からかわれるのも嫌なので』

私に言われたことが相当悔しかったらしい。

それもルール改訂の一因になったのか。

「・・・まあね、真白は他のペットとは違って、していいことと悪いことは分かっているからルールの改訂について私も拒否しないよ」

『じゃあ―――』

「でもね」

『えっ』

「ルール改訂、一緒に寝るのはOKとする。でも、狼の姿の時にだけ」

私は言った。

まだ真白が人間に変身するタイミングと要因は分かっていない、あの姿で隣に寝られたら私の方が困る。

出来が良すぎるのだ、普通一般程度(失礼)の容姿ならともかく。

『―――――』

「その感じだと、あまり納得していないようだね」

『はい』

正直でよろしい(笑)

「とにかく、譲歩したよ。これでいく」

狼の姿の真白ならともかく、隣に美女が居たらぐっすり熟睡も出来ない。

恋愛対象が女性である私にしたら精神上よろしくないのだ。

『いぶき―――』

「甘えてもダメ」

最近は狼の誇り高きプライドもどこへやら、構わずに甘えてくるようになった。

どこかでスイッチが切り替わってしまったようだ。

とはいえ、私がほとんど叶えてやることが多いので味をしめたのだろう。

『分かりました、手を打ちましょう』

手を打つって・・・

その言葉に呆れてしまうくらい人間的だ、見た目は狼なのに。

「もう・・・なあ、どこの世界にベッドに一緒に寝る狼がいるんだか――」

『もう、野生ではないので』

「戻る気はないの?」

『いぶきは私を追い出したいんですか?』

「・・・・・」

普通に会話が成立してしまう。

「ごめん」

満月までは真白は狼の姿なので安心できる、満月およびその付近の日になると変身について不安定になることが大体分かった。

不安定、というのは変身するタイミングがまちまちであり、原因も特定できないから。

『とりあえず、良かったです』

すり、すり。

私の気も知らないで大きな身体を摺り寄せて来る。

まったく・・・人の気も知らないで――

とはいえ、そうされると可愛くてつい撫でてしまうので私は何かさらに深みにはまってゆくような気がしてならなかった。

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