世界の終焉で、恋をしよう
さらさらと雨が降る。学校からの帰り道、僕は通学路から少し逸れて、川沿いの道を選ぶ。
さらさらと雨が降る。こんな日はお気に入りの道で帰りたくなるんだ。川沿いの道は堤防の上にあるので、とても景色が良い。特に、雨の日は人が少なくて、なお良い。自転車やジョギングの人に気兼ねなく歩ける。
僕は足を止める。少し先にある小さな橋の入口に人影がぽつり、と見える。向こうも僕に気付いたのか、横顔をこちらに向けた。肩くらいまでのやや長い黒髪、すらっと細い身体。学校の制服は違うが、同じ高校生くらいの女の子だ。
彼女もきっと、同じように僕を観察していたのだろう。やがて、ゆっくりと僕と彼女の視線が合った。
ああ!
彼女が目を大きく見開き、小さく嘆息した。そして、僕もまた。
「……始まるね」
「……始まるわ」
世界の終焉が。
そう、また、始まるんだ。世界の終焉が。
勇者と聖女。世界の終焉に現れることを約束された一対の男女。
僕と君は、その唯一の一対。僕が目覚めると君が目覚め、君が目覚めると僕も目覚める。
どこかの誰か、人によっては、神とも悪魔とも言う存在が仕組んだシステム。
僕らは、その歯車。
いったい、もう、どれほどの世界の終焉を見てきたことだろう。
救えた時もあったね。救えなかった時もあった。
もちろん、救えなかったのは、僕らのせいじゃない。僕らはいつだって真剣に役目を果たしてきた。だけど、最後の選択の権利は、その世界の住人にこそあるんだから、僕らはそれを尊重しなくちゃならなかった。それも、仕組まれたルールの一つだからね。
救えた時は、もちろん、嬉しかった。救えなかった時は、やっぱり、悔しかった。
ああ、そうだ。あの時は楽しかったな。ほら、あの世界を救うための必須アイテム「虹の花」を取りに、月の裏側の国に行ったことがあったろう?
あの時の君は、綺麗で可愛かった。僕が作った「虹の花」の花冠を頭に載せた君は奇跡のように綺麗だった。思わず僕は「好きだ」って口走っちゃった。そしたら、君は真っ赤になって顔を隠して……。うん、今思い出しても最高に可愛かった。
世界の終焉なんて、来ちゃいけない。けれど、僕は待ち遠しかった。また、再び、君と巡り合えるから。
愛してる。愛してるよ、僕の唯一の半身。
……けれど、やっぱり、このシステムを作った、神だか悪魔だかわからない奴は、意地悪だった。
何回前の転生だったかな。驚いたよ。なんせ、君が勇者で、僕が賢者に転生したんだから。
これにはほとほと参ったな。後衛がこれほど気を揉ませられるものだとは思いもしなかった。
「どうして、そんなに前に出るの!」
「自分の力を過信しないで!」
「どうして、あなたは…………」
口うるさくて泣き虫で。勇者として戦っている時は、煩わしく思う時もあった。でも、僕は勇者。戦う者だよ、誰よりも前に出なくてどうするの?つい言い返してしまって、君に泣かれた時はどうやって謝ろうか、散々悩んだんだよ。
でも、君が前衛に立って傷だらけで戦って、僕が後衛でハラハラと君のことを見守るようになって、やっと、本当にわかったんだ、君の気持ちが。
「……もう、やめよう」
僕は初めて役目を放棄した。傷つき疲れ果てた勇者の君は、驚きに目を瞠って僕を見た。
「本気で言ってるの?」
本気だった。これ以上、君が傷つくのを見るのは、この上ない苦痛だったから。君も、君も今までそうだったんだろう?
「……私は、やめない」
そう言うと、君は僕に背を向けて歩き出した。二度と振り返らずに。
さらさらと雨が降る。僕は空を見上げた。曇天の、光一つ差さぬ空を。
……その後のこの世界がどうなったのか、僕は知らない。次の戦場で僕は死んだ。その身で彼女を庇って。
そうして、気付くと、また、僕はどこかの世界の終焉に転生していた。
今度の僕は勇者に戻っていた。ほっとした。けれど、もう、やめてくれと思った。転生したくないと強く願った。
……それが、いけなかったのかな。
やはり、転生してきた聖女の君に出会った。けれど、君は僕を、かつての、転生前の僕を覚えてはいなかった。こんなことは初めてだった。こんなことがあり得ていいのか?
あっていいわけ、ないだろうが‼
僕の唯一、僕の半身、いや、僕のすべてを失ってしまったのと変わらないじゃないか。
こんな転生に、何の意味があるというんだ!
僕は怒った。僕は嘆いた。泣いて、喚いて、狂人のようになって勇者の使命を放棄した。
けれど、君は優しかった。変わらずに気高く慈愛に満ちていた。使命を放棄した僕を責めるでもなく、諭すでもなく、側に寄り添い続けた。
もう一度、始められるだろうか?一から、最初から、君ではなくなった彼女を愛せるだろうか。愛してもいいだろうか。そう思えるようになった頃、その世界は、もう終焉を迎えようとしていた。
僕は抗った。ようやく芽生えようとしている愛を手放したくなかった。こんなに全力で勇者の力を振るったのは、いつ以来だったろうか。
傷つき、ボロボロになりながらも、僕はその世界の終焉を退けた。彼女は僕の手をとった。強く強く握りしめてくれた。
君はもう以前の君ではなかったけれど、その本質は変わらないんだね。それが、とても嬉しくて、愛おしくて、切なかった。
君が忘れてしまっても、どれほど転生を繰り返そうとも、僕は君を振り向かせて見せる。
そうして、二人、世界の終焉で、何度も何度も新しい恋をしよう。
さらさらと雨が降る。こういう雨は嫌いじゃない。今日は帰り道を変えてみる。この橋の先にある土手の上はとても見晴らしがいい。
橋を渡り切って、滑るように流れる川面を、雨に濡れる世界をただぼんやりと眺める。誰もいない、この静寂が私は好き。
ふと、誰かの視線を感じて道の方に振り返る。一人の同年代くらいの男の子が立っていた。私よりほんのちょっと背の高い、少し澄ました感じのする男の子。
雨の中、川面を覗く女が一人。やだ、変な女だと思われてたらどうしよう。内心おたおたしながら、少年と目線があった。
少年の切れ長の目が大きく見開かれる。私は声にならない声を上げた。ああ、と。
「……始まるね」
「……始まるわ」
彼の笑顔につられるようにして、私も理解した。そう、始まるの、この世界の終焉が。
勇者と聖女。世界の終焉に現れることを約束された一対の男女。
あなたと私は、その唯一の一対。あなたが目覚めると私も目覚め、私が目覚めるとあなたも目覚める。
世界も人も、すべてを玩具にしか思っていない神だか悪魔だか知れない存在が仕組んだシステム。
私たちは、その歯車。
いったい、私たちはどれほどの世界の終焉を見てきたかしら。
世界を救った時、あなたは嬉しかった?
世界を救えなかった時、あなたは、そう、きっと、悔しがったわね。あなた、冷静なふりして、意外と負けず嫌いだったから。
世界の終焉なんて、来てはいけない。けれど、私は待ち焦がれた。あなたと再び出会える日を。
愛してる。愛してるわ。私の唯一の半身。
ねえ、覚えている?あの時、あなたは賢者で、私は勇者だった。こんなこと、初めてだったから、私とっても驚いた。でも、とっても安心したのを覚えてる。あなたの後ろ姿を見守らないで済むから。
それなのに、あなたときたら。
「そんなに前に出るな!」
「自分の力を過信するな!」
「まったく、君ときたら……」
それ、全部、前の私の台詞じゃないの⁉
自分一人が傷つけばいいなんて、自分に酔ってるんじゃないわよ!ちっともカッコよくなんてないんだから。後衛の私がどれほど心配してたのか、あなた、わかろうともしなかったでしょう!
いい機会だわ、聖女の苦労、わかってもらおうじゃないの。
私は勇者ライフを楽しんだ。あなたの顔がだんだんと曇っていくのも気が付かないで。
「……もう、やめよう」
ある日、あなたは戦場に向かう足を止めた。賢者の証である杖を放り投げて。
「……本気で言ってるの?」
やめようって、賢者であることを、勇者であることをやめるって言うの?
ねえ、あなた、それ、どういうことかわかって言っているの?
私と永遠に別れたいって、あなた、そう、言っているのよ!
「……私は、やめない」
私は彼に背を向けた。振り向かなかった。とっても腹を立てていたから。
勇者の使命を放棄する。それは、魂、肉体、そのすべてを放棄するということ。その存在をないものとされてしまうこと。私のことも、永遠に忘れてしまうということ。
涙が、零れた。そんなにも、嫌われてしまったのかと思って。
さらさらと雨が降る。私のみっともない泣き顔を隠すように。
そうして、あなたは死んだ。私を庇って。……誰も頼みやしないのに。
知っていたわ。とっくに気付いていていたの。
あなたが、本当はとっても優しくて、脆い人だってこと。
誰よりも前に飛び出すのは、仲間を誰一人失いたくないから。
誰よりも明るい笑顔をするのは、自分が辛いのを悟られたくなかったから。
もう、だめだよ、こいつは。新しいの、あげようか?
あなたの亡骸を抱えて呆然とする私に、その存在は声をかけた。
いいえ。いいえ、壊れていても、狂っていても、私はこの人がいいの。この人でなければ、だめなの。この人が消えてしまうなんて、永遠に消えてしまうなんて、そんな、世界の終焉以上に恐ろしいこと、考えたくもないの。
……じゃあ、賭けをしようか。
私は記憶を失くした振りをする。あなたとの大切な思い出のすべてに蓋をする。
あなたを永遠に失わないために。
大丈夫。信じてる。過去の記憶を失った女を、それでも、あなたはきっと愛してくれる。
寂しかったわ。辛かったわ。何度、覚えていると叫んでしまいたかったことか。
あなたは、私を、新しい私を演じる私を愛してくれた。
けれど、どの私も、かつての私には敵わなかった。
いいの。それでもいいと、あなたが生きているのなら構わないと願ったのだから。
だから、二人、世界の終焉で、何度も何度も恋をしましょう。
さらさらと雨が降る。誰もいない土手の上、ピンクの傘の少女と紺の傘の少年は見つめ合う。おもむろに少女が口を開いた。
「今度の使命はなんなの、勇者?」
「星の船だそうだ、聖女」
「星の船?」
「……この星は、この世界はもうだめだ」
「ああ、うん、そうね」
それぞれの使命に目覚めた今、彼らは世界を冷静に分析する。
自らの手に負えないエネルギーで世界を汚し、それを使用した最終兵器を振りかざす。
彼らには世界の悲鳴が、終焉のカウントダウンが聞こえていた。
「間もなく世界は崩壊する。僕らの使命は、生き残った人々を星の船に導き、宇宙へと避難させること」
「その船ってのは、どこで調達するの?」
少女の問いに、少年はふっと笑った。
「太古の古代人類だか、宇宙人だかが残した船が、間もなくとある山中から発見される予定、だ」
「……なに、その昔のSF映画みたいなシナリオ。ご都合主義過ぎない?」
「どこかの誰かみたく、一から作れ、とか言われなくてよかったと思わなくちゃ」
「……それもそうね」
それでもどこか納得のいかない顔をしている少女を見つめる少年の目は、穏やかな優しさを湛えていた。
「……星海原に出たら、「虹の花」を探しに行こう」
「何、それ?綺麗なの?」
「綺麗だよ。きっと、君にとても似合う」
心なしか、ちょっと顔を赤らめた少女が少年を軽く睨む。
「使命が始まってもいないのに、デートの約束?ちょっと、気が早いんじゃないの、勇者」
「いやいや、そんなつもりは……大いにあるけどね、聖女」
少女の顔がますます赤くなった。少年は笑う。
「その顔、可愛いね、聖女」
「からかわないでよ」
「……本気なんだけど」
「なお、悪いわ!」
叫んだ少女の手からするりとピンクの傘が滑り落ち、橋の上でくるくると回る。傘の行方の目で追う少女の頭上に、紺の傘が差しかけられる。
「今後の作戦会議をしに、お茶でもしようか、聖女。コーヒーでも奢るよ」
「……それもデートの誘いじゃないの。職権濫用よ、勇者」
「違うよ、役得」
にこにこと笑う少年に、少女はちょっと呆れてため息をつく。
「……ケーキもつけて」
「了解」
紺の傘とピンクの傘。二つは並んで歩き出す。
雨はさらさらと、優しく降る。
なんだか、書いているうちに勇者が勝手に動き出して、斜め上の成長を遂げてしまいました。頑張れ、聖女。