孤独の果てに
ルイスの事件をきっかけに「不幸」の代名詞がついた僕はだが博物館に戻されることはなかった。
警察署で腫れ物のように扱われ、シルクよりも無骨なざらざらとした布に巻かれて暑苦しいことこの上ない。
いい加減我慢の限界を超えたある日、どこかで聞き覚えのあるあくどそうな声が聞こえてきた。
「さて、ルイスから見せられた時はどうしたもんかと思ったが。なんの縁かね」
そのままひょいと持ち上げられ、どこかに連れ去られた。
そして人の手から人の手へ転がされどういう経路だかは分からないがいつの間にか僕はオークションにかけられていた。
「皆様どうぞ!これほど見事なブルーダイアをお目にかけたことはありましょうか!」
うわ眩しい。
博物館以上のスポットライトが僕に集まってくる。
スポットライトが眩しすぎてよく見えないが、どうやら薄暗くただ広い会議室のようだ。
集まっている人々は紳士淑女。
彼らのざわめくを聞くに、ブルーダイヤはキショウカチが高いそうだ。
でも僕の代名詞であるピオニオットの審判石という扱いではないようで、少し寂しい。
その日の目玉商品だったのか熱戦の後、僕の買手が決まった。裕福な引退老人のようだ。
さて僕は久々に持ち主が決まると喜び首にかけられる前から話しかけようとしたが、その人はずいぶんなご高齢で途端に心臓麻痺を起こして倒れてしまった。
力の使い方を誤ってしまったのだろうか。
ごめんなさい。 僕が不注意なばかりに。
その後僕はあらゆる人の手を転々とした。
最初の2、3度は僕も嬉しくてついつい話しかけてしまったけれど、話しかけた人々が異なる原因ではあるがすぐにコロリと死んでしまったのでやがて話すことをやめた。
だけどその後もすぐには死ななくはなったが、何年もしないうちに僕の目の前で主人は死んでいく。
僕の中に魂が蓄積していく。
彼らの嘆きは深く年々積み重なっていく。
ルイスから数えて何人目の主人だったろう。
その人は大きなアパレル会社の社長さんなようだ。一代でのし上ったようで館の中はいわゆる成金趣味で埋め尽くされている。(こういう言葉は魂たちが教えてくれる)
成金趣味だけならばいいのだけれど、屋敷には、少なくとも彼の周囲には人っ子一人いなかった。
ただ厳重な機械のセキュリティで幾重にも防犯は重ねられてはいたが。
僕は社長の自室の大きなオークの机の上で煌びやかなガラスケースに収まってじっと我慢していた。
夜になると社長が帰ってきて、疲れた顔で肩をもみほぐしながらおもむろに僕に手を伸ばしてその首に満足そうにかける。
女性を意識して作られた僕だが、おおぶりの宝飾は男性にもよく似合うと評判らしい。彼は僕を満足げに見下ろすとしばらくいすに座りぶつぶつとつぶやいた。
「あいつめ。にこやかな顔して"気にしてない"なんて言いやがったが、腹の底じゃ煮えくりかえってるのは知ってるんだ。偽善者め!なにが不幸のダイアを持つのはよろしくないだ。妬んでいるくせに!」
僕のことだ。僕はたまらず声をかけていた。
「どうなさったんですかご主人」
彼もまた歴代の主人のようにびっくり仰天した。
どころか警報をならして警備員まで呼びつけたが何も異常がないと分かると安堵したようだ。
そして僕は再度話しかけた。「どうしたんですか」って。
「どうも疲れているのか私は」
どうして皆僕が話しかけるのを疲れたせいにするのかは不思議だったけれど僕は続けた。
「何に怒ってらっしゃる」
「あの男だ。私のハイスクール時代からの友人だった男だ。同じ会社に入社したが私は奴を利用してこの地位を手に入れた。ハッハ!ざまぁみろ!私は何もかも手に入れた。妻も地位も家も何もかもだ!あいつは裏切られたと気づきながらも私を罵倒できん!私のが地位が上だからな!」
大きなルビーのついた指輪をせわしなく動かして彼は言った。
「くそっ。気にしていないなどと!嘘つきめ!私のことを殺したがっているくせに…。そうだ。今も私を殺す計画でもたてているに違いない」
彼を通じて見える視点に、穏やかで朴訥そうな初老の男性が見えた。
その男性はご主人と比べると大層やせ細っていているが、そのアッシュグレイの目を心配そうにしてこちら、ご主人を見ている。
『なんでそんな不吉なダイアを入札したんだロルフ。君は死にたいのかい?今からならまだ間に合う。手放そう』
『うるさい!私が私の金で買った最高の品だ!お前に指図される覚えはない!』
この男性がご主人を殺すとは僕には到底思えなかった。
そういえばこの家に来た時も箱越しではあるが誰かに同じようなことを言われていた。
初老の女性の声で『あなた。ケントさんから聞いたわ。そんな恐ろしいダイアを買うなんて…』と聞こえた直後に遮るように荒々しく扉を閉めていた。
僕が思い出している間にもご主人のつぶやきは続いていく。
「私は貧しい学生時代に誰よりも努力した。だからこの地位にいることは当然なのだ。努力できない者たちが私を嫉んで当然。なにが"かわいそうに"だ!私はすべてを持っているというのに!」
ガリガリと頭をかきむしる姿は狂気すら感じる。
「どいつもこいつも私の事を影で罵っている!妻も子供も役員も秘書も全員だ!」
彼はヒステリックに騒ぎ立て、あちこちの警備システムの確認に走った。
置いていかれた僕は、彼のあとを追うようにどす黒い影がつきまとっているを見ていた。
それは醜悪なほど彼に似ていた。見上げる僕に気づいた影は、真っ黒な眼窩の奥から狂喜に満ちた赤い光をたたえ、気持ちの悪い笑みを浮かべている。
すぐにご主人を追っていった。
これが本当の死神というやつだろうか。
やがて帰ってきたご主人に僕は言った。
「ご主人。ご主人。ご主人の後ろにご主人そっくりの影が憑いております。お望みならば僕が吸い取りましょうか」
やったことはないけれど、僕ならば勝てる気がする。
「なんのことだ…?」
ご主人は僕をいぶかしげに見下ろし、そのまま背後に顔を向けた。
ニタァと笑う影。
盛大に悲鳴をあげて床にへたりこむご主人。
『差し伸べられた手を全て拒否してきたのだ。孤独な貴様に人の世に生きる価値はあるのか?』
そう蔑むと、影はゆっくりとご主人の内側に浸透していった。
僕の忠告が遅かったようだ。
悪霊は彼にとりつき、その心臓をすみやかに停止させると消えていった。
あとに残ったのは僕だけだった。
しばらく経ち連絡が取れないことに疑念を覚えた警備員が駆け付けて彼の死が公になった。
入れ代わり立ち代わり人がその部屋に入っていく中、二人の人間が僕の目の前に現れた。
喪服をきた一人の男。これは友人だという男だ。そして女性。
その女性は布がかぶせられた社長を見ると大声で「あなた!」と叫んでつっぷして泣き声をあげた。
奥さんなのか。
そして友人の男性はというと。部屋の中を一通り見まわして、机の上に鎮座していた僕を見つける。
その優しげな顔をゆがませて、僕を取り上げると力いっぱいカーペットの床に投げつけた。
「死神め!」
待ってほしい。僕は死神じゃないのに。いや僕が死神なのか?僕が死神を呼んでしまった?
ざらざらするカーペットを枕に悶々と考えると、泣きつかれたのか掠れ声の奥さんの声が聞こえた。
「夫は本当は寂しかったのよ。ただあなたのこともずっと憎んでいるようにして遠ざけていたけれども。本当は助けてほしかったのよ。不器用な、どうしようもない人」
僕の中で社長の魂が大きく震えて、魂の坩堝の奥底に逃げていった。
僕には人間はわからない。あそこまで罵倒されていてそれでもなお故人を悼むその精神が。
この頃だろう。
僕の呼び名が不幸を呼ぶ「死神」という名になったのは。
別に僕はどう言われようが気にはしない。ただそう呼ばれると僕の中の死者たちがしくしくと泣く。
その声は僕にとって最大にいやなことで魂たちを奥深くに押し込めてより一層閉じ込めた。
もうちょっと続きます。
ネットで見やすい改行や余白の取り方がまだよくわかりませんね…。