エルフは蕎麦
ここは東京都八王子市の外れ、こじゃれたアパート「しじむら荘」。
「ありがとうございました!」
「おつかれさまでした」
空き地から去っていくトラックへ丁寧に頭を下げる女子高生二人を見て、俺はその礼儀正しさに感心する。
一時はビッチだと思い込んでいたが、ほんとにいい子達じゃないか。
まあ、お辞儀すると超ミニなスカートから中身が見えそうになるよーな服装なあたり、見た目はビッチなんだが。
──いや、見てないぞ、目はそらしたから。
「大屋さんもありがとうございます」
振り返って黒髪のほう──エキルが頭を下げる。
「空き地の使用許可をとってくれただけじゃなく、荷物まで運んでもらって」
「引っ越しの時は恒例だからな、気にするなよ」
さすがの頑固ジジイも引っ越しの時ぐらいは空き地を使わせてくれるのだ。
とはいえ時間は限られるので、さっさと済ますに限る。
「でもおかげで早く終わったしィ、感謝でっす」
金髪黒肌の方──ティヌーがピースをしながら言う。
ティヌーとエキル。この二人は結局、うちに引っ越してくることになった。今日からここの住人になるわけだ。
「んじゃ、後は荷ほどきとかあるだろうし、俺は部屋に戻ってるわ。男手が必要なときは言ってくれよ」
「あ、えっと」
「ん?」
二人は顔を見合わせる。
「お願いしようよ」
「でもティーちゃん、これは私たちが」
「──なんだか知らないけど、まあ言ってみろよ。大人は頼るもんだぜ」
それでもしばらく遠慮していた二人だったが、ようやくこちらに頭を下げてきた。
「実は──」
◇ ◇ ◇
俺の部屋は道路から一番遠い方の端にある。
その隣が住民第一号の部屋だ。
「おーい」
その扉をガンガンと容赦なく叩く。うちにはインターホンはない。
「おーい、ちょっと出てこい。新しい住人がご挨拶したいんだと」
本当に今どき感心な若者だ。住人に入居の挨拶回りをしたいとは。
俺は別に住民同士で仲良くするべきだとは思ってない。トラブルさえ起こさなければ、無理にご近所付き合いなどせず不干渉を貫いてくれていい。
「ハア? なにそれ、めんどくさいわね、パス!」
部屋の住民も同じ考えのようだった。
だが──振り向けば、しゅんとした女子高生が二人いる。
ここは俺も引き下がるわけにはいかない。
「それじゃ、お前のぶんの粗品は俺がもらっていいんだな」
ガチャリ
「それを早く言いなさいよね」
あずきジャージの欲深金髪女はあっさり姿を表した。
「後ろのが新しい住人? よろしくね、あたしはミステル」
そう言って、ミステルは手を差し出す。
──握手の形ではなく、手のひらを上にして。
「──なに? ひとの顔をじっと見て」
言われて見ると、ティヌーとエキルは目を丸くしていた。
「あ、あの……エルフ、ですよね」
「そうよ」
ミステルは当然よ、とドヤ顔をした。
「高尾山から来たわ。あんたたちもそうでしょう?」
「は、はい」
「なんだ、知り合いか?」
「どうしてそうなるのよ」
「いや、だって高尾山から来たんだろ?」
「あんたねえ」
ミステルは口をへの字に曲げる。
「同郷でも必ず知り合いなわけないでしょ。あんた、八王子市の住民全部の顔を見知ってるわけ?」
高尾山は八王子市並みに広いのかよ。
──まあ、勝手に想像していたファンタジーのエルフの里みたいな、こじんまりした所ではないようだな。
「とにかく、はい、粗品、あるんでしょ?」
「あ、えーと……」
「そんなに期待してないわよ、早く出しなさい」
期待してるじゃねーか。
しばらく女子高生二人は顔を見合わせていたが、やがて紙袋から箱をひとつ取り出した。
「どうぞ、これ──」
「うんうん、ありがと。おっ、これタオルじゃないわね。結構重いわ、なにかしら」
「その──」
二人は視線で押し付けあいをして──エキルが説明した。
「蕎麦です」
ミステルの顔が露骨にガッカリする。
「あ、そう……蕎麦ね……。ありがとう、そのうち食べるわね」
「生蕎麦です……」
「あぁ……保存効かない方ね……」
「人間の間では、引っ越しには蕎麦だって聞いて……」
いたたまれない沈黙。
「なあおい──蕎麦の何が不満なんだ? せっかく貰ったのにその態度はないだろ」
「うっさい、あんたには分からないわよ。──ま、ともかく、これからよろしくね。じゃ」
バタン、とドアが閉まって、俺は微妙な空気に取り残される。
というか、二人は目に見えて落ち込んでいた。
「──さあ、次にいこう、次に!」
空気を変えるため──俺は張り切って声をあげるのだった。
◇ ◇ ◇
さらに隣のナナエルさんの部屋。
「あらー、賑やかになるねー」
ニヨニヨとするナナエルさんは、今日も際どい下着姿だった。
ティヌーとエキルはそれを見て恥ずかしそうに顔を赤らめて──って君らの格好も大差ないんだが?
ともかくにこやかに顔合わせが終わって──と思ったんだが、粗品の段階でナナエルさんも
「あー、そっかー……お蕎麦かー……」
と微妙な空気になってしまった。
さらにその隣の部屋のガウ──は外出中だったので、二階の端、俺の部屋の上のカラニア。
「うー、蕎麦かぁー……」
なぜだ。食べ物ならなんでもいい系じゃないのか。
こうなったら最後の良心、アイシエルさんに託すしか。
「お蕎麦ですか……あっ、いえその──ありがとうございます、さっそく今晩、勇者様といただきますね!」
アイシエルさんまでもか。
なんだっていうんだ。エルフは蕎麦に何の恨みがあるっていうんだ?
「今のひとで最後ですよね?」
「ああ、あとはさっき留守だった部屋だけだ」
「──もしかして、そのひともエルフ?」
俺は──残酷なようだが、頷いた。
二人はしょんぼりとする。
「あいつが帰ってくるのは遅いから──俺が預かって、渡しておくよ、それ」
「でも、直接挨拶しないと……」
「いいからいいから。挨拶はまた明日でさ、ちゃんと時間空けるように言っとくから」
これ以上不憫な二人を見たくなかった。
二人はだいぶ渋ったが、帰りは深夜になることを伝えて、なんとか頷いてもらったのだった。
◇ ◇ ◇
(LINEでのチャット)
「なあ、ガウ」
「なに?」
「粗品を預かってるんだが」
「食べ物?」(キラキラしたスタンプ)
「ああ」「蕎麦だぞ」
──返信が遅い。
「蕎麦だ」
「しじ兄さんの胃袋で預かっておいて」
それは預かるとは言わん。
「お前らなんで蕎麦だと妙な反応するんだよ?」「二人とも落ち込んでたぞ」
「しかたない」「蕎麦はたとえば」「コンビニのサンドイッチを渡されたようなもの」
「そうか」
──そこまでか。
俺はエルフの食文化に思いを馳せながら、俺の分としていただいた蕎麦に遠慮なくガウの分をぶちこみ、茹でるのだった。