エルフと熊
ここは東京都八王子市の外れ、こじゃれたアパート「しじむら荘」。
まあ……外れ、とは言っても大外れじゃない。なんたって最寄り駅は2路線を選択できるからな。イケてるだろ? ……最寄り駅までは徒歩表記できないけどな! 遠くて!
立地がアピールポイントにならない? それなら設備でどうだ。バス・トイレ別、室内洗濯機置き場、リフォームして1年以内!
インターホンはないが……最近になって一室を除いて全室に装備された新設備がある。
そう!
「はぁ~……涼しいわ〜……」
部屋の真ん中で寝転んでいる金髪残念美少女がたっぷりと浴びている冷風の発生源……三種の神器のひとつ、エアコン様だ!
「はぁ~……エアコン最高ね」
「最高なのには同意するが、なんで俺の部屋で寝てるんだよ」
「だってあたしの部屋にエアコンないんだからしょうがないでしょ!」
顔をこちらに向けて歯を剥いて威嚇してくる女の名は、ミステル。素材は良いくせにズボラでガサツな性格が全てをダメにしている、このしじむら荘の住人だ。
そう。こいつの部屋だけエアコンが設置されていない。
「つければいいだろうが。禁止してないんだから」
禁止なんてしてない。むしろ今年は酷暑になるという予報で、ここ八王子市でも気温が40度を超える日が頻発する事態だったので、さすがにエアコンなしは命の危機があるだろう……ということで、アパートの住人全員に設置を奨励したぐらいだ。
「だってエアコン、高いじゃない」
「設置工事費は俺が負担してやるっていう大サービスをやってるだろ」
「それ、つまりあんたが工事するってことだし」
「そうだが?」
俺はこのしじむら荘の大家。不労所得での生活を求める者。そのためじいちゃんから相続したオンボロアパートを自分でリフォームしている。
リフォームには当然、電気関係の工事も含まれるので……第二種電気工事士の資格も俺はちゃんと取得している。なのでエアコン工事の際の配線工事も自分で出来るわけだ。
「大サービスだろ? 本来工事費を取るところをタダにしてやったんだから」
さらにネットに強いガウに協力してもらって、激安のエアコンを仕入れてもらう。ネットで激安のエアコンは、工事がセットになっていないから安いという罠があるのだが……俺たちには問題ないわけだ。
この仕組みによってアパートの住民は全員がエアコンを購入でき、空き室にもエアコンを設置した。しじむら荘はエアコン完備の物件となったのだ。一部屋を除いて。
「あんたが工事するってことは、あたしが手伝わないといけないじゃない!」
「そうだな」
貧乏就活生のミステルは、家賃の減額の代わりに俺の仕事を手伝う約束になっている。もちろんエアコンの設置でもこき使った。
「それってぜんぜんお得じゃないでしょ! なんであたしがお金出してエアコン買うのに、工事の手伝いまでしないといけないのよ!? むしろ損してるまであるわ!」
「じゃあ手伝わなくていいから、家賃の割引無くしていいか?」
「イヤッ!」
わがまますぎるだろこの女……。
まあ、こんな理屈でこいつの部屋だけエアコンがない。そしてこの夏はほぼ毎日俺の部屋にエアコンをたかりに来ていて……。
「はー、秋になったんだからもっと過ごしやすくならないかしらね〜……」
10月になったというのにまだまだ暑い日が続き……今日もエアコンを乞食しに来ているというわけだ。
「お前さ、このぐらいなら扇風機で耐えられるんじゃないか? っていうか気温的に耐えられるだろ。去年は耐えてたぞ。エアコンのせいで体がなまってるだけだろ。いいかげん自分の部屋に戻って――」
「ちょっと待って。何か聞こえない?」
「テレビの音なら聞こえてるが?」
やることも特にないので適当につけているテレビは、昼のニュースを垂れ流している。
「って話を逸らすなよ」
「違うわよ、本当だってば! 誰か来たわよ」
「誰かぁ……?」
この時間帯に帰ってくるアパートの住民はいない。アパートは表通りから引っ込んでいて配送業者でさえ迷いがちなので、セールスも来ることは少ない。
となると、来客に関しては身構えるのが常になり――
ドン、ドン! とドアを叩かれれば、俺とミステルの間で緊張が走った。
俺の部屋に? 誰だ? 予定はない。もしかして空き巣……?
「た……たのもう、たのもうでござる〜……」
そんな俺たちの緊張をへし折るように、ドアの向こうから聞こえてきたのは、疲労困憊な女性の声。
「あつ、暑いでござる……み、みず、水をめぐんでくだされ、死んでしまうでござるよ〜」
その口調に……俺はとても心当たりがあった。
◇ ◇ ◇
「いや〜! 助かったでござる!」
コップに注がれた水を飲み干し、ぷはっと息を吐いた人物。
「そして久しぶりでござるな、大家殿!」
それは銀色の髪、漆黒の肌をした女――
「ああ……まさかここで会うとは思わなかったよ、パル」
実家ぐらしのヒキニートオタク、パルウェンだった。
「なによ、知り合いなの?」
「おっと、失礼しました。拙者、パルウェンと申す者。大家殿とはかつて目的を共にした間柄でござる」
「なにそれ」
ミステルが睨んでくる。別にパルに変なことはしてないっつの。
「バーキンに一緒に並んだだけだ。大げさにするな」
「あっはっは、あいすいませぬ。拙者にとっては一大イベントでしたゆえ」
引きこもり生活をしているらしいし、そうなると人と会う機会も極小なのだろう。
「まあ、とにかく水を飲め、体を冷やせ、横になって安静にしろ。熱中症になりかかってんぞ」
「ははぁ、ありがたくいただくでござる」
こいつ、今日もアニメコラボのサイクルウェアで自転車漕いでたんだよな……まだ引きこもりが外で活動するには辛い天気なのに、またおつかいでも頼まれたのかな?
「っ……ふぅ〜……」
水を飲んだパルの呻きが室内に響き――
「………」
なんとなく俺たちは言葉を失って黙った。
ミステルとはよく喋るが大半喧嘩みたいな内容だし、それをパルに聞かせるのも憚られる。かといって知り合ったばかりだし共通の話題というのも特に見当たらず。
『……続いては、またしても熊の目撃情報です』
「……熊かぁ」
テレビから流れてくる話題に乗ってしまう。
「今年は多いらしいな、人里に出てくる熊。猛暑で食い物が少ないんだっけか……って、オイ!?」
「何よ急にうるさいわね」
「どうしたのでござるか、大家殿」
「いやだってさ!?」
テレビは真面目な顔で告げていた。
「高尾山にも出たらしいぞ、熊!」
「あぁ、みたいね」
「みたいね、ってお前……それでいいのかよ!? 熊だぞ!?」
熊は恐ろしい。Wikipediaの熊関連の記事をよく読んでいる俺は詳しいんだ。だから危機感のない顔のミステルが信じられない。
「地元が心配じゃないのかよ!」
「はぁ……」
「おや、地元?」
ミステルがため息をつき、パルが首を傾げる。
「もしやこの方も、高尾山から?」
「フフン、そうよ」
ミステルはドヤ顔をして胸に手を当てる。
「あたしの名前はミステル。高尾山から来たわ!」
「おお、同郷でしたか!」
二人は同郷と知って少し打ち解けたようで――ってそうじゃない。
「だから高尾山に熊が出たって!」
「うるっさいわねー。別に今更騒ぐほどのことじゃないわよ。ねえ?」
「そうでござるな。熊はよく出るでござる」
「えっ、そうなの」
マジかよ高尾山。あんなに軽装の観光客が大挙してやってくる場所なのに、熊がよく出るのか……?
「いやそれにしても落ち着きすぎだろ。熊だぞ? 人里に来るようならハンターとか呼んで追い払わないといけないんじゃ……んっ?」
ハンター……狩人?
「そうか! なるほど、そういうことだな!? お前たちが落ち着いていられるのは!」
「何よ大声出して」
「いやぁ……お前たちにもやっぱり『らしい』ところがあるんだな!」
俺はミステルとパルの顔を見る。どちらも黙っていれば美人だが、重要なのはそこじゃない。見るべきは顔の両脇についた、細くて長くて尖った耳。
「お前たちはエルフ!」
エルフだった。
「そしてエルフといえば森の守り手、弓の名手!」
見える、見えるぞ。大樹の枝に乗ったエルフが弓を構える姿が!
「つまり高尾山ではエルフたちが弓で熊を撃退しているんだな!」
「そんなわけないでしょ」
ないのかよ……。
「弓で熊に勝てるわけないじゃない。漫画じゃあるまいし」
「大家殿。そもそもの話なのでござるが」
パルは真剣な顔で言う。
「日本では現在、弓での狩猟は禁止されているのでござる。もし弓で狩りをしたら狩猟法違反で捕まるのでござる」
「狩猟法」
エルフが……法律違反。
「つい最近変わったから、知らぬのも仕方のないことでござる」
「じゃ、じゃあ……エルフの狩人……ハンターはいないのか」
「一応いるわよ? ねえ」
「いるでござるな」
おお、いるのか!
「言っとくけど猟銃を使うわよ? 普通に」
「……エルフが……銃……?」
ダメだろ……そんなのダメだろ!? エルフに銃とか!?
「でも熊を狩れるような凄腕は……どうかしらね?」
「今はいないでござるなあ。そもそもハンターの数も減っているのでござる。猟銃の管理も面倒だと免許を更新しない方が多く、若者もなりたがるような職ではないでござるから」
エルフ、人間と同じようなこと言ってるな?
「……え、じゃあ結局、熊が出たら大事じゃねえか。どうすんだよ?」
「毎度のことだし、猟友会に頼んでなんとかするわよ」
「それがミステル殿。今回出た熊はちと手強いのでござる」
パルは声を潜めて言う。
「どうも人間と交戦経験のある熊らしく、お呼びしたハンターでも歯が立たないと」
「あらら……どーすんの?」
「そこで、それがしの仕事でござる!」
ドン、とデカい胸を叩くパル……えっ。もしかしてこのヒキニート侍、実は強いとかそういう……?
「このしじむら荘に、勇者殿がいると聞いてお使いに参った次第! 大家殿、勇者殿の部屋はどちらかご案内いただけませんか!?」
◇ ◇ ◇
このしじむら荘には、土乃日アイシエルさんという素晴らしい美女が住んでいる。彼女は人妻であり、その夫こそが勇者と呼ばれる男だ。
パルをアイシエルさんに紹介し、ちょうど在宅中だった勇者はパルと共に高尾山に赴いた。
俺? 俺はただの大家だから……祈りを捧げるアイシエルさんを部屋に戻したら、また自分の部屋に戻ったよ。
「勇者って、狩猟免許持ってたんだな」
「持ってないわよ?」
「は?」
その間ずっと俺の部屋で涼んでいた駄エルフの答えは……え? 免許ないの?
「……熊退治に行くんだよな? じゃあ、無免許狩猟ってこと……?」
「別に免許がなくても狩猟はできるわよ。スリングとかでやってる人のブログとかあるでしょ?」
……そういえば見たことあるな。
「あくまで狩猟法が関係するのは、そこに記載されている道具に関してだけよ。勇者が銃を使うとか、あんた的にもありえないでしょ?」
「ああ、まあ……そうか……」
なるほど。勇者だもんな。
「てことは……勇者だし、剣を使うのか?」
「ん? ああ、そうね。ケンを使うわ」
「おお、マジか。……って、危なくないか? っていうか、剣で熊に勝てるのか?」
「勝てるから勇者なんじゃない」
そうか。すげーな、勇者。漫画みたいなでけー剣を振り回すのかな……勇者、細マッチョって感じなんだけど……。
「……いや、待てよ? そもそも剣なんて使ったら、狩猟法じゃなくて銃刀法で捕まるんじゃねーか?」
「は? どうしてケンで銃刀法になるのよ?」
「長いやつはダメだろ」
「長さなんて関係なくない?」
「……ってことは、短いのか?」
「あんた何見てんのよ?」
ミステルは眉間にシワを寄せる。
「勇者のケンの長さぐらい見れば分かるじゃない」
「……ッは!?」
見れば分かる……つまり俺は見たことがある……とミステルは認識している……そうか!
「なるほど……見えない剣か!」
エルフと勇者以外の、一般人には見えない、神聖なエルフ一族に伝わる剣とか……! それなら銃刀法にも引っかからないな!?
「あぁ……確かに勇者のケンは見えないかもしれないわね。はやすぎ――」
「すげえ!」
あったんだ……! やっぱりエルフの神秘はあったんだ!
「見直したぜ、ミステル! やっぱりお前らも、高尾山でも、ちゃんとエルフなんだな……!」
「は?」
――その後、勇者は無事に熊を退治して帰ってきた。お土産に熊肉まで携えて。いやぁ……さすがアイシエルさんの夫、勇者だわ。いつかどうにかして剣見せてもらえないかな……。