エルフはバーキン
ここは東京都八王子市の外れ、こじゃれたアパート「しじむら荘」。
爺ちゃんの遺産で引き継いだアパートだが、俺が手を入れているのは各部屋のリフォームがメイン。骨組みはかなりしっかりしているらしく、耐震検査の結果もあと数十年は大丈夫じゃね? と言われたぐらいだ。
立地は良いとは言えないが、日当たりはいい。ベランダが南を向いているのだが、そっちには山があるので木々に遮られた適度な光が差し込んでくる。朝、カーテンを開ければそれは気持ちのいい光景が――
「おはよー、オーヤ!」
ぶらん、と。
カーテンを開けると、赤毛の少女が逆さになってぶら下がっていた。
カーテンを閉める。
「あのねー、オーヤ、今日暇?」
「ってそのまま話しかけてくるのかよ!」
「んー?」
ため息を吐いて、カーテンとガラス戸を開ける。
ぶら下がっていたのは、俺の上の部屋に住んでいる元気娘。カラニアだ。2階のベランダに脚をかけてひっくり返っているらしい。危ないだろ……いやベランダの強度は問題ないが、タンクトップからいろいろ重力さんがさ……。
「朝からなんだよ」
「もうそろそろお昼だよ!」
そんな時間だった。……いいんだ、俺は不労所得で生きる大家だから。
「お昼食べにいかない?」
「……奢らないぞ?」
「うん、オーヤも貧乏だもんね」
うぐっ。
「大丈夫、高いところじゃないよ!」
「……どこだよ?」
「うん、あのね!」
カラニアは笑顔を輝かせる。ちょうど逆光だった。
「バーガーキングに行こ!」
「バーキンですって!?」
ガラッ、と。隣の部屋のガラス戸が勢いよく開いた。ニュッと、金髪の女が顔を出してくる。
「あたしも行くわ!」
「お前、地獄耳かよ」
「だってバーキンよ、バーキン!」
金髪女――ミステルは騒ぐ。
「直火焼きビーフ100%の大きなパティのワッパー! ワッパーといえば肉!」
「肉ー! いえーい!」
ミステルとカラニアは肉肉と騒ぐ。
「……やめろ! 違うだろ! お前たちは――」
「はいはい、あたしたちはエルフよ」
「うん、高尾山から来たよ!」
エルフだった。高尾山から来た。
「エルフといえば菜食主義で――」
「そんなひと聞いたことないわよ」
「うん。みんなお肉好きだよ」
「伝統的なエルフは――」
「だいたい植物を愛してるのに菜食主義って、なんか矛盾してない? あんたのエルフ像」
「うっ……」
いやそれは……愛するほど食べたいと言うことで……うごごご……。
「……それはともかく」
「あっ、逃げたわね」
「バーガーキングって、野猿街道のだろ? 地味に遠いから面倒なんだが」
今から車出すのもなあ。
「ちっちっち、甘いよ、オーヤ」
カラニアが逆さ吊りのまま指をふる。
「バーキン、近くにできたんだよ!」
「え、マジ? どこだ?」
カラニアはニッと笑う。
「イーアス高尾だよ!」
◇ ◇ ◇
イーアス高尾。高尾駅からほど近い、最新の大型ショッピングセンター。食品から電機、衣料、スポーツクラブまで揃っている総合施設だ。
もちろん八王子市民として、何度か行ったことはある。ただ俺が主に利用するのは、リフォーム資材を仕入れるホームセンターなので、最近は訪れていなかった。
「おお、マジでバーキンが入ってるな……この間まで別の店だったのに」
2階のフードコーナーに、果たしてバーガーキングはあった。しかし。
「……めちゃくちゃ並んでるじゃねーか」
長蛇の列だった。
「さすがバーキンね」
「おいしいもんね!」
「じゃ、あたしはテリヤキワッパーのセットね。ドリンクはコーラ」
「ボクはダブルワッパーチーズのセット、カルピス!」
「じゃ、頼んだわね」
「おう……って、おい!?」
「何よ、3人で並んでたら邪魔だし、意味ないでしょ。あたしとカラニアはそのへん見てくるから、あとで合流しましょ」
「いやそりゃそうだけどなんで俺が」
「注文決まってんの?」
「あ? いやえーと、何にするか……」
「さ、行くわよ」
「うん!」
ささっ、と二人は離れていった。マジかよ。……まあ確かに他の店に用はなかったけど、見て回るぐらいさあ……。
「仕方ねーなー……」
諦めて列に並ぶ。スマホで確認すると、どうやら今日がオープンらしかった。……平日なのにこんなに並ぶとか、バーキン恐るべし……。
「すっ……すみませ……」
「ん?」
ぜいぜい、と。
突然、女性が息切れしながら背後から話しかけてきた。振り返る……うお、銀髪!?
「あ、あの……はぁはぁ……ここ……」
長い銀髪の女は、膝に手をついてうつむいていた。背中に背負った大きな四角いバックパックがずり落ちそうだ。
「ここは……」
息が整い、女は顔を上げる。銀の髪、切れ長の目、漆黒の肌。そして――長い耳。
「ここは、バーガーキングの待機列の最後尾で間違いないでござるか?」
……江戸時代から来たのか? いや、でも江戸時代の人はサイクルウェアなんて着ないな。
「あの、もし?」
「あっ、ああ、いや……そう、ここが最後尾だ」
「お、確かでござったか。いやかたじけない! 助かったでござる」
サイクルウェアの侍は息を整えてから、ニコリと笑う。
「おっと失礼。拙者パルウェンと申す者。自転車を漕いできたゆえ多少汗臭いかもしれぬが、後ろに並んでも構わぬだろうか?」
「そりゃ、まあ、もちろん」
それほど臭ってないし。というか、他のことが気になってそれどころじゃない。
「んん? 拙者の顔に何かついてるでござるか?」
「いや、顔というか」
その両端というか。
「……もしかして、高尾山から来たのか?」
「む? おお、もしや同郷の者に知り合いが?」
侍はでかい胸を張って手を当てる。
「いかにも、拙者は高尾山に住まうエルフでござる」
なんなんだよ高尾山。ていうか。
「ダークエルフじゃないなのか」
「正確にはそうでござるが、人間もわざわざ自分のことを黄色人種と自己紹介しないでござろう?」
「あー……悪い、差別表現だったり……?」
「いやいや、それほどのことではないでござるよ。ただご年配には気にされる方もいるので、そこは気をつけたほうがよいでござる」
あ、やっぱり微妙なのか。ティヌーに訊かなくてよかった。
「ありがとう、助かった。うちに住んでるのはズボラなヤツばかりで、そういうのなんとなく聞けなくて」
「住んでる? エルフと同居されているのでござるか?」
「いや、俺はアパートを経営していて……」
バーガーキングの列は遅々として進まない。俺とパルウェンはすっかり話し込む。
「なるほど、その年で独立されているとは、大家殿は立派でござるなあ」
「いや、爺ちゃんの遺産だし、あんま威張れないっつーか」
「いやいや、働いているのは立派なことでござる」
「パルウェンさんも働いているじゃないか」
「拙者のことはパルでいいでござるよ。しかしはて、拙者が仕事……?」
「いや、それ」
俺はパルが背負っている、緑色の文字が刻印された立方体のバックパックを指す。
「デリバリーサービスだよな?」
「ああ! これでござるか」
パルは満面の笑みで言う。
「これはAmazonで普通に売っていて誰でも買えるのでござる」
いいのかよそれ。
「そもそも今日も、部屋でぐうたらしていたところ、親からおつかいを頼まれまして。それでイヤイヤ出てきただけにすぎないのでござるよ」
「おつかい」
「バーキンがイーアス高尾でオープンしたと、高尾山ではその話でもちきりでして」
エルフが? バーキンを?
「それで親戚一同のみならずご近所様からも、バーキンを買ってくるようにと頼まれたのでござるよ」
親戚のエルフと、ご近所のエルフが? この、肉肉しいバーキンを……?
「これにいっぱい詰め込んでも、まだ足りないでしょうな。3往復はする予定でござる!」
「……ポテトとかドリンク付きで?」
「ワッパー単品でござるな」
「……ご近所さんもダークエルフ?」
「いや、ダークエルフは拙者の家族だけでござる」
………。
「違うだろ……」
「ん?」
「違うだろっ……! エルフが! 肉を! それもファーストフードを! オープン初日から買いに行かせるほど大注目してるとか……!」
ダークエルフはなんとなくそれでいい気はするけども!
「そんなのエルフとして違うだろ……! エルフってのはもっとこう高貴で俗世に興味がなくて!」
「はっはっは、大家殿は愉快な方でござるなあ」
「うるせえ! 今までツッコまなかったけど、アニメコラボのサイクルウェアを堂々と着てる奴に言われたくねぇよ!?」
「お、ご存知でしたか。いやあ拙者この作品にハマり申して。今日乗ってきたロードバイクも、作中の物と思われるものをついポチってそのままにしていたものでしてな。ちなみに大家殿はどこまで作品についてご存知で? 同好の士であればぜひアツく語らいを」
「うるさいよオタク!?」
というかだな!
「そもそもダークエルフっていったらもっとこう冷たくてデキる女っていう感じだろ! なんか実家で働きもせずゴロゴロしてお使い頼まれてるオタクとか……違うだろ!? なあ!?」
「あっはっは、面目ない!」
「面目保ってくれ……!」
その後、パルは大量のワッパーをバックパックに詰め、直火焼きビーフ100%の匂いをさせながら駐輪場へと去っていった。
……大半が野菜抜きのオーダーだったのは聞き間違いだよな……?
特にバーガーキングさんからもらった案件とかではないです。