エルフは映画
ここは東京都八王子市の外れ、こじゃれたアパート「しじむら荘」。
大家たる俺は、学生とも一般の社会人とも違うスケジュールで一週間を過ごしている……と思われがちだ。もちろん、そういう面もある。内覧の予約とかは土日に入りやすいしな。
しかし他の作業だってある。アパートのリフォーム作業はまあまあ騒音が出るので、人がいない間にやる必要があり、そうすると平日の昼間ぐらいしかやる時間がない。
何が言いたいかというと、週末はなるべく寝ていたい。
──のだが、今俺は眠い目をこすりながら玄関に立っている。
「……朝から揃って何の用だ?」
「しじ兄さん」
先頭に立っている、大きなキャスケット帽をかぶった紫髪の少女、ガウが俺を見上げて言う。
「映画館に連れて行ってほしい」
◇ ◇ ◇
「……いや、行けばいいだろ、映画館ぐらい」
俺は眠いのだ。
「しじ兄さんは分かってない」
「何がだよ」
「八王子に、映画館はない」
………。
「……南大沢にあるだろ」
「あれは実質、多摩か相模原。八王子じゃない」
「いや八王子は八王子だろ……言わんとすることは分かるけどさ」
いわゆる八王子駅を中心にした中心地域に、実は映画館は一つもない。八王子は広い面積にも関わらず、南大沢という端っこにある街にしか映画館はないのだ。
「いや、京王線使えばいいだろ。聖蹟桜ヶ丘とか調布とか、それこそ新宿まで出るとか」
「私は中央線ユーザー。京王線はティヌーとエキルしか使ってない」
ガウの後ろにいた金髪黒ギャルのティヌーと、黒髪清楚ギャルのエキルがペコリとお辞儀する。今日は制服じゃないから……露出の高くないギャルだな。なんで制服があんなで私服がこれなんだ。
「あと、せいせきシネサイトは閉館した」
「マジかよ」
知らなかった。
「ニュー八王子シネマが閉館したのは知ってたが……」
「あれは悲しい出来事。愛用していた」
ニューと言いながらかなり古かったし、仕方ない。
「とにかく。路線が違うと、定期で行けない。だから、しじ兄さんの車で行こう」
「……まあ、お前ら学生だから、懐事情が寂しいのは分かるけどよ」
ガウは大学生。ティヌーとエキルはJKだ。
「俺は土日だからって暇なわけじゃないんだよ。内覧の対応とかするし」
「別にいいじゃない。どーせ、予約は入ってないんでしょ?」
「ウッ……」
あくびしながら言ったのは、ぼさぼさ金髪の駄エルフ、ミステル。就職浪人だ。
「た、確かにまだ入ってないが……急に! 来るかもしれないだろ!」
「そんな休日に『今から内覧行きます』なんて非常識な人、お断りすればいいじゃない」
「休日に車を出せって言う方もどっこいだよな!?」
俺はお雇い運転手じゃないんだが?
「なあ、やっぱりわりィよ、やめとこうぜ」
「そうですよ。私たちのことはお構いなく……」
俺とミステルがにらみ合っていると、ティヌーとエキルがそう言いだした。
「ん? 二人がどうかしたのか?」
「あ、その……映画を見に行こう、って話を出したのは私たちなんですけど……」
「オレとエーちゃんで、見たい映画が違ってさ。定期の範囲内だと一緒にやってる映画館がなくて」
「ああ、そうなのか……ちなみに何の映画で割れてんの?」
ティヌーとエキルは顔を見合わせた。……? 何黙ってんだ?
「……えと、その……しんちゃん……」
「ドラえもん……」
──JKが、クレしんと、ドラえもん。
「──わかった。わかった、車を出してやる。出してやるから気にするな、な?」
「そうよ、デリカシーのないこいつが悪いのよ」
「お前は遠慮をしろよな!?」
赤面する二人のかわいらしさに比べたら、この駄エルフはさあ。
「たく……んじゃ、なんだ、今からか? 橋本でいいんだな? それとも南大沢か?」
「どっちも違う」
ガウは首を振る。
「は? 車で行ける範囲だとそれぐらいしかないぞ?」
「もう一つある」
スマホを突きつけてくる。
「イオンシネマ日の出」
「……日の出か」
八王子の北、西多摩にある町だ。ここからだとスムーズに行って30分ぐらいか?
「ここしか、みんなが見たい映画をそろってやっていない」
「……まあ行けないことはないからいいが……俺、あんま日の出って行ったことないぞ」
「Googleがナビしてくれる。大丈夫」
便利になったもんだよな。ちなみに俺の車にナビは積んでない。……地元しか走らないし。
「わかったわかった。山越え川越え行ってやろうじゃねーか。で、何時出発?」
「しんちゃんが40分後。この一本を逃すと、もうない」
「ギリギリじゃねーかよ乗れ!」
アパートの敷地内に置いている俺の車を急いで引っ張り出す。助手席にガウを突っ込み、ミステル、ティヌー、エキルを後部座席に乗せて出発!
「わりィな、オーさん」
「乗りかかった船だし、気にすんな。ガウ、ルートは?」
「こうなってる」
「そこ圏央道じゃねーか、有料道路は勘弁してくれ」
「じゃあ、こう」
「走ったことない道だな……まあいいか、行くぞ!」
車を飛ばす。飛ばして……え、ん?
「え、これここ曲がるのか?」
「ナビはそう言ってる」
「知らない道なんでしょ、従っていきなさいよ」
「え、いやいやでも……ええ、行くけどさ。え、何これ? いいのここ? これ走っていいのか!? めっちゃ農地じゃねーか! え、狭! は!? 対向車!? え、これ人んちじゃないの!? 怖! めっちゃ見られてるんだけど!? 騙したなGoogle! 俺を騙したなァ!?」
死ぬほど神経を使う道を走らされて。
……それでも、なんとかしんちゃんの開演時間には間に合った。巨大なショッピングモール、イオンモール日の出。
「もう嫌だ……あのルートは絶対使わねぇ……」
「お、お疲れ様です……」
「ワリィな、オーさん……」
「いや、いいって。いいから行ってきな」
ぺこぺこと頭を下げながら映画館に向かうJKに手を振る。
「はぁ……」
「しじ兄さん。しじ兄さんは何を見る?」
「……まあ、せっかく来たし何か見てくか……お前らは何見るんだ?」
「私はこれ」
ホラーかよ。ヤダよ俺、苦手だもん。
「ミステル、お前は?」
そ~っと、黙って券を買いに行こうとしていたミステルが、びくりと反応する。
「べ、別にあたしが何見たっていいでしょ!」
「そりゃそうだが、別に教えてくれたっていいだろ。参考にしたいし」
ミステルは──こちらに背を向けたまま、ぷるぷると震える腕を伸ばしてひとつのポスターを指した。
「……アレ」
「……そうか」
バリバリの恋愛モノじゃねーか、とか、似合わねーな、とかそう言って煽るのはなんだか気の毒になった。無言でいると、ミステルは「フンッ」とか言ってずんずんとチケット売り場に進んで行った。
「……じゃあ、俺もドラえもんにしようかな。リメイクのやつ見たことないし。一緒に行ってもいいか?」
「あ、もちろんです。あの、ポップコーン大きいの頼んでもいいですか? ハーフ&ハーフにしたいんですけど、一人じゃ食べきれなくて……」
「ああ、あるよなそういうの。いいぞ」
久しぶりに見たドラえもんは、疲れた心と体にだいぶ染みたとだけ記しておく。