エルフはペーパー
ここは東京都八王子市の外れ、こじゃれたアパート「しじむら荘」。
からだいぶ離れた、高尾警察署。今日、俺はここに来ている。
別に警察のお世話になったわけでも、落し物をしたわけでもない。
高尾警察署では免許の更新ができるのだ。なので俺は、駐車場に車を止めた後、裏側の建物、免許更新所に足を踏み入れていた。
今年からゴールド。おかげさまで手続きが短くなるらしい。葉書に書いてあった。
ま、近場で済ますことができるというのはありがたいことだ。
と、油断していたからだろうか。
「あれ、大家くん?」
「うおっ!?」
思いがけない人物にばったり出会って、大声を上げてしまった。
「偶然だね~」
「な、ナナエルさん……」
ふわふわしたピンクの髪。下着ではないが露出の多い服。ニヘニヘした顔。長い耳。
しじむら荘の住人、エルフのナナエルさんがそこにいた。
「ついに補導されて?」
「ち、ちがうわよ~!」
ナナエルさんはぷんすかとむくれる。
「免許の更新ですっ。大家くんもそうでしょ?」
「免許」
エルフが、免許。
「……発行してもらえるんですか、免許」
「そりゃあ、ちゃんと試験受けたもの?」
そうじゃない。そうじゃなくて、エルフが国家資格を取っているってことは、つまり、え?
「疑りぶかいね~。ほら、これっ」
ナナエルさんが突き出したのは、間違いなく免許証だった。
ナナエルさんの顔写真があり、耳が写っており、名前は相羽ナナエルだった。
「──眼鏡、かけるんですね」
眼鏡の着用が義務付けられていた。
「うん、運転するときはね~。なになに? 眼鏡萌え~?」
ナナエルさんは身を乗り出して、眼鏡をクイクイするマネをして──胸元があぶない。
「そ、そういうんじゃないっ」
「でへへ」
ニヘニヘと笑う。
「でも、ずいぶんしてないから、今日持ってくるのも忘れちゃうところだったわよ~」
「ん? てことは、運転あんまりしないんですか?」
「よく考えたら、前回の更新からずっとしてないね~」
ペーパーじゃないか。
「まあ、運転はお客さんがしてくれるから、いいんだ~、私はしなくても」
「お客が運転……?」
「あれ、大家くんに言ってなかったっけ? お仕事の話、部屋借りるとき」
──覚えてない。あの頃はまだエルフに幻想を抱いていて、そのうえ美人で胸がでかかったから、その。
「私、自動車教習所の先生だよ~」
「よけい駄目だろっ!?」
俺は叫んでいた。叫ばずにはいられなかった。
「ペーパーの指導員なんて聞いたことないわ!」
「で~、でも大家くん、思い出して? 教習所では生徒しか運転してないでしょう? 先生は運転しないでしょう?」
「いやっ、それは──確か、最初は──」
最初は──どうだったろう。指導員の運転の手本は──見たような、見なかったような。
いかん、さすがに数年も前の記憶となると、はっきりしたことが言えん。
「う、うぐぐ……」
「キリッと自信満々に助手席に座っているだけでいい、簡単なお仕事なのよ~」
いや、駄目だろう、駄目だと思う。だって補助ブレーキ踏むし、踏むだろ? あれは? 眼鏡は? ダメじゃないか?
「そんなことより、一緒に講習受けましょうよ~。ほらほら、次の回始まる前に、手続きすませなきゃ~」
「う、うう……」
さまざまな疑念が渦巻く。今回の照明写真は、それはもう微妙な顔をして写った。
講習のビデオを見ている間も、俺の苦悩はおさまることなく──主に、寄りかかって寝てくるナナエルさんのせいだが──。
──講習を終えて、新しい金帯の免許を発行されて。
せっかく眼鏡を持ってきたし久々に運転をしてみようか、というナナエルさんを助手席に押し込んで、俺はしじむら荘へと戻っていくのだった。