エルフの自由研究(後)
昆虫食の話なので苦手な方はスキップしてください。
頭の中でティヌーの言葉をグルグル回しながら、アパートの前に戻ってくると、主犯がいた。
見ただけでだいたいわかった。こいつが犯人だと。
「来たか」
「来たか、じゃねーよ。何してるんだよ」
涼しい顔をして言うガウに、俺はつっこみを入れた。
いつもどおり大きな帽子で頭の半分隠れたガウは、アパート前の空き地に、バーベキューでも始めるかのように調理機材を用意して待っていた。
「お前がそそのかしたんだな?」
「自由研究の相談を受けたから」
いつの間にそんなに仲良くなったんだ。
俺が頭を抱えていると、もう一人のエルフが立ち上がった。
「遅いわよ、待ちくたびれたじゃない」
「お前はなんでいるんだよ、ミステル」
「目の前で準備してれば分かるわよ。バーベキューするんでしょ? 混ぜなさいよ。食費浮かせたいから」
卑しいやつめ。
「……バーベキューじゃないぞ?」
「嘘。のけ者にしようったって、そうはいかないから」
ミステルは不遜な態度でせせら笑う。
「ぜったいタダ飯食らってやるんだから、覚悟しなさい」
「いや、それは構わないんだが」
「なによ」
「──食材、肉じゃないぞ」
ミステルは考えこんだ。
「……焼き鳥パーティ?」
「鳥も肉だろうが」
「じゃあ魚? エビ?」
「おしい」
ガウがピッと指を一本立てる。
「エビは近い。エビの殻も、同じキチン質。親戚のようなもの」
「じゃあ、カニね!?」
「いや──」
俺は、手に持った中身の重たいネットを掲げた。
「セミだ」
「──は?」
「セミを食うんだと」
ミステルはぽかん、とほうけた後──牙を剥いて唾を飛ばした。
「ふざけるんじゃないわよ! なんであたしに虫を食べさせようとするわけ!?」
「別に食えとは言ってないだろーが……」
そうしてもめていると、後ろから女子高生二人組がやってくる。
「すいません、学校の課題の自由研究なんです。テーマが自然環境ということで、食糧問題を取り扱うことにして」
「食糧問題……?」
「はい。今の食べ物だけだといずれ食糧不足になってしまうから、食べ物を見直そうということで、最近、昆虫食が注目されているんです」
「ベトナムとか東南アジアでは、よく食べられている」
ガウが補足に回る。
「日本でもイナゴの佃煮が有名。虫を食べることは何もおかしくない」
「そ、それは……そうだけど、セミよ?」
「おいしい部類、らしい。私も初めてだけど」
初めてなのかよ。
「興味はあった。労働力を確保できるよい機会。準備は万全。さあ、ミステルも」
「食べた人の感想も、レポートにまとめたいんです」
「ううっ……」
空腹とモラルを天秤にかけているであろうミステルが、俺のほうを向く。
「……あんたは?」
「乗りかかった船だしな」
女子高生がやるといっているのに、逃げるわけにもいかない。
悲壮な覚悟を決めてうなずくと、ミステルは深いため息を吐いた。
「……わかったわよ。せめて白米はつけてよね」
◇ ◇ ◇
「それで、ガウ、まずは何をするんだ?」
「まずは下処理から。そのままでは食べれない」
まあ確かにな。そもそも、まだネットの中で動いてるし。ジジジッ、とか言うし。
「下処理っつーと……洗う? 動いてるんだが」
「絞めるところから。あそこにお湯が沸いた鍋があるから、それに通して息の根を止めて」
まじか……。
「しじ兄さん、ファイト」
「無理ならオレがやるぜ?」
「いや、ここは……男の仕事だ」
腕まくりするティヌーを押しとどめ、俺はネットを持ち上げると、鍋の上に移動した。
「いくぞ……。ッ、あちっ、あちちっ!」
湯につけた瞬間、何匹かのセミが暴れて羽ばたき、しぶきが上がる。
それに耐えながら、なんとかトングを使ってネット全体を湯の中に沈める。
「ど、どれぐらい漬けとくんだ?」
「数秒。あまり長いと煮えてしまう」
てことは、もういいよな。ネットを湯から引き上げると、もう動いているセミはいなかった。
「次は、成虫の羽と脚をもぐ。ここはあまりおいしくないらしい」
「もうちょっとマイルドに表現しないか?」
「もいで」
「……あいよ」
小学生の頃、似たようなことした気がするな。
女子高生たちと一緒に、羽と脚をむしっていく。
「成虫も幼虫もよく洗う」
「けっこー汚れてるな。まあ土の中にいたんだから当然か」
ザルをつかって何度か水を替えて洗う。
「幼虫はめんつゆで煮て軽く味付け」
「だんだん料理してる気になってきたな」
「いままでなんだったのよ?」
ガンとして作業に加わらないミステルがツッコミをいれてくるが、無視。
「終わったら水分を取る。成虫は味付けしてから揚げ、幼虫も半分は揚げる」
「もう半分は?」
「スモークする」
いつぞやのダンボール製の燻製機があったのは、そのためか。
分担して作業をする。日はすっかり落ちてしまったが、ガウの持ち出してきたアウトドア用の照明で十分明るい。
そしてついに。
「できた」
できてしまった。
セミの成虫・幼虫の素揚げと、幼虫の燻製が。
「見た目は……虫ですね」
「ああ、どう見てもな」
「ぜんぜん食欲をそそられないわね」
炊飯器を間近にキープし、もくもくと白米を食べながらミステルが評する。
うそつけ、それ二杯目だろうが。
「で、誰から食べるの? あたしはゴメンよ? 食の安全にはうるさいほうなの」
「三秒ルールとか言って拾い食いするやつが、なんだって?」
「だまんなさい」
いてぇ。机の下で脛を蹴られた。この駄エルフが。
「いざとなると緊張する」
「言いだしっぺのくせにか」
ガウも手が伸びないようだった。女子高生二人も、皿の上の有様を見つめたまま動かない。
「こういうとき頼りにならないわね?」
「なんだよ……だって虫だぞ」
「ふーん」
ミステルがじっと見てきて──ああ、もう、わかったよ、俺が行けばいいんだろ!
意を決して、セミの成虫のから揚げを取る。
幼虫よりはハードルが低い。衣もついてるし、羽もないから、言われなきゃセミとは分からない。
「い、いくぞ……」
カリッ。
──カリカリ。サクサク。
「うん」
「ど、どうなの……?」
「いや、わりといけるぞ。カリカリサクサクしてて。胸のほうは肉もついてて」
「しじ兄さん、味は」
「エビ……っぽいか? そういうスナック菓子だと言われたら信じそうだな」
カリカリサクサク。
「ひどい絵面ね」
「うるせえ」
確かにこの瞬間だけ切り取ったらホラーかもしれんが。
「とにかく、普通に食べれるぞ。ていうかわりと気に入った。食べないんなら俺が全部──」
「そんなわけないでしょ」
「いざ」
そこから先は早かった。みんな最初はおっかなびっくりだが、一口食べるともう虫ではなく、食べ物だった。
セミがどんどん、エルフたちの口の中に消えていく。
「幼虫のほうが味がしっかりしている」
「燻製、おいしいです」
「エーちゃん、オレにも」
「酒がほしくなるわねー」
どんどん、セミがなくなっていく。
「なんでこんなにエビっぽいのかしら?」
「エビもセミも、外骨格……殻がキチン質という同じ成分でできているからだと思われ」
「遠い親戚みたいなものですか?」
「そう。昆虫はキチン質。だから黒い例のあのアレも、キチン質」
「やめなさいよそういうの、食欲なくなるでしょ」
「セミ丼かっこみながら言うセリフじゃないな」
セミが、なくなっていく。
「──さて」
セミが、なくなって──
「こいつはどうすんの?」
──残ったのは、黒く光るツノをもつ、昆虫の王。
「ていうか、誰よ、これ採ってきたの」
「オーさんが捕まえたんだよ、な」
ああ、確かに捕まえた。捕まえたが──
「あえてそのまま素揚げにした」
「するなよ……」
得意げに言うガウに、俺は力なく抗議した。
そう、セミは食べつくされた。もはや、皿の上に残っているのは、このカブトムシだけだ。
「幼虫は腐葉土の匂いがするらしい。成虫は樹液しか食べない。けど、土臭さは残っているとか」
「途中まで聞いて、甘いのかな? とか思った俺がバカだったよ」
しかし、揚げられてしまったのだ。
「食べないの?」
「だってお前……このビジュアルで、しかもあんまり美味くなさそうで」
「命を弄ぶのね。子供の目の前で」
振り返る。ティヌーとエキルが俺の決断に注目していた。
──命を粗末にしていいのか?
しかし、カブトムシを? だが俺が捕まえさえしなければ、料理されなかったのだ。
俺は──俺は──
「あれ、皆さん何を?」
その時だった。
朗らかな男の声が聞こえたのは。
◇ ◇ ◇
「あら、勇者じゃない」
アパートの前に姿を現したのは、背の高い男性だった。
工事現場からそのまま帰ってきたのだろう、汚れた作業着を着て、それでもなお爽やかなイケメン。
土乃日アイシエルさんの夫だ。
「こんばんは、ミステルさん。なにやら楽しそうだったのでつい」
「タイミング悪かったわねー、みんなで食事してたのよ」
「はじめまして、エキルといいます」
「オレ──わたしはティヌーです、よ、よろしくお願いします」
「よろしくね、土乃日です。確かにいい匂いがしてますね、揚げ物パーティかな?」
「もうあれしか残ってないけどね」
ミステルが、カブトムシを指差す。土乃日さんは、ほう、と感心した声を出した。
「カブトムシを? タンパク質が豊富とは聞きますね」
「……食べるか? ハハ……」
俺は声を絞り出した。それぐらい追い詰められていた。が。
「いいんですか?」
土乃日さんは乗り気だった。
「いや、仕事帰りでお腹ペコペコで。ほんとにいただいても?」
「お……おう」
「ありがとう、それじゃいただきます」
むしゃり。ばり、ぼり。
「うん」
イケメンは、口からはみ出たカブトムシの足を口の中に詰めなおしながら言った。
「塩が振ってあっておいしいね。角の部分も噛み応えがあっていい」
ばり、むしゃ、ごくん。
「ごちそうさま。それじゃあ、アイシエルが待っているから、お先に失礼させてもらうね」
そして──土乃日さんはアパートの二階に消えていった。
「さすが勇者ね」
「男らしい」
ミステルとガウが腕を組んでうなずく。
ティヌーとエキルも、アイドルを見たファンのような顔をしていた。
俺は──俺は──
悔しさなんてひとかけらもなかった。
ありがとう、勇者。これからは俺も勇者と呼ぶ。呼ばせてもらう。
勇者のいるアパート、『しじむら』荘の夜は、静かに更けていった──