第1話 ログリン川攻防戦
3隻、4隻…
いや、まだまだ出てくる。幅の細い縦長の船だ、先端にいくほど細く鋭くなっていて見るからにスピードのありそうな船体。
手品を見ているように、対岸の木陰から、続々とその姿を現してくる、ざっと見ただけで30隻以上の船がこちらに向かってこぎ寄せてくる、まだまだ増えそうだ。
夜明け前の川面を船の前面に四角い盾を据え付け、後ろに武装した兵士を載せた船が我先に向かってくる。
「敵襲だ〜!!鐘をならせ!」
いつもなら、稀に夜中に現れる密入国者や密貿易の商人を監視する退屈な見張り塔の業務がいきなり最前線へと変わる。
敵襲を表す早鐘が国境警備隊の砦を戦闘体制に変えていく、弓隊が2階建ての櫓の上に上がってくる、槍と盾を装備した歩兵は砦の門の内側に集まってくる。
マルスは訓練どうりに隊長への報告の為、見張り塔を降りて隊舎に向かった。
隊長室の前に着いたときに中から完全装備の隊長が出てくるのが同時だった、
「ウェリル隊長、敵襲です!」
「ばかもん!そんなもんわかっとるわ!ラルクスのクソッタレどもか?数は」いきなりの怒声に首をすくめながらも、マルスは報告を開始する。
「小型のスピールが50隻以上、対岸には、まだ敵が集結中」
「スピールが50隻…先鋒だけで400人、こちらの倍か」
「カネリ!すぐに騎士団と周辺の砦に伝令をだせ」
「駐屯軍へは、よろしいのですか?」
「あいつらがまともにこちらの話を聞くか!
…それでもださない訳にはいかんか、クソッタレが」
「仕方ないでしょ、後から隊長が難癖つけられますよ」
「わかっとるわ、駐屯軍にも伝令を出せ」
やるせなさが滲み出る怒声に体を一瞬強張らせながら、見るからに俊敏そうな短髪の若者、副隊長のカネリが直ぐに手配に動き出す。「ワシは見張り塔に上がる、マルスついてこい」
ログリン川は、サンサドル帝国の北端、帝国属領メリスン王国とラルクス諸侯国を隔てる川である。
マルス達のいるダグラス砦は30年前のラルクスの侵攻で廃墟とかした街の後に同じ名前の砦を作ったものだ。
元々このあたりは水深が深く波も穏やかで船の航行が容易い為、北からの毛皮や鉱石の街道として古来栄えてきた要衝だったと聞いている。
しかしラルクスとの関係が悪化した現在は街道は封鎖され、貿易は西に大きく迂回して中立国経由で行われる様になっている。
本来ならば侵攻の可能性の高いダグラスには川沿いの国境警備隊の各砦と、属領の防衛に当たるサンサドル帝国駐屯軍5000がダグラス近郊のネガザルに常時駐屯して防衛に当たっている。
「まだまだ船がでてきそうだな。あの傲慢な駐屯軍はこの大事な時にクソの役にもたたないじゃねーか!」
見張り塔で、怒り狂う黒い鎧。
口は悪いが、傭兵としての戦歴は長く騎士団の騎士の中にも戦友と呼ぶ者もいる強者だ。
当然訓練は厳しいのだが裏表のない豪快な性格から砦の兵士たちからは絶対の信頼がある。
半年前にマルスが入隊したての頃には恐ろしくて顔もまともに見れなかったが新入り特有の色々な雑用に走り回っている内に、何となく従者のような扱いになっている。
見張り塔に登り、ウェリル隊長と接近してくる敵船をみながら、初めての実戦に戸惑うマルスは弓を構えて指示を待っている。
「マルス、初めての実戦、怖いか?」
「はい…怖いかどうかはわかりませんが、なんだか息苦しいですね」
マルスは、実戦自体が初めてなので現実味が感じられないでいたが妙に呼吸がくるしい。
「小便もらして生き残るうちにだんだん慣れてくるもんだ。
とにかく生きる死ぬも新兵には運次第、変に勇敢にならなくてもよいからな、臆病さは決して戦場で悪い事ではない。ただ死にたくないと思うばかりで逃げ腰になっていると必ず死ぬぞ。
敵に後ろを見せる物には死神が、怖くても前を向く物には戦の女神が微笑むということを覚えておけ」
ウェリルがガチガチに緊張しているマルスに笑いながら声をかける。
「はいっ!」
緊張感で声が裏返りそうになりながら、マルスがなんとか返事をする。
「ここから敵を見てどう思う?
」
「対岸の兵の数に比べて船の数がすくないと思います。先鋒の50隻に今、準備しているのが30隻ほど…砦の目の前で何度も船で往復するような下手な戦をするつもりなんでしょうか?」
その答えにウェリルは、少し驚いたような目をしていたが
「陽動だな。恐らく敵の狙いは、船の不要な上流からの騎兵による侵攻…
駐屯軍は下流のラムザールの反乱分子の制圧に出動中、頼みの綱は我らが騎士団だけ」
…しかし伝令が到着すれば、騎士団はこちらに急行する、全て敵の思惑どうりに進んでいるということではないだろうか?…マルスは頭の中で考える
「ばかもん!戦う前からそんな青い顔をするな、お前は目の前の敵を払い除けることだけ考えておけばよい!」
「はい!…しかし、このま」
言いかけたところで顔面に拳を叩きこまれてマルスが吹っ飛ぶ。
「生意気言わずに集中しろ」
「はい!すいません!」
キツイ一撃にマルスは我にかえって弓を構える
「野郎ども、よく聞け!騎士団には援軍不要と言ってある、このダグラスが精鋭揃いだと言うことをラルクスのクソッタレどもに教えて後悔させてやれ!弓を構えろ!」
…援軍不要?そうか隊長はすでに敵の意図を見抜いていたのだな
、変に心配せずに自分は戦いに集中しよう死にたくないしな
…そう思いながらマルスは戦いを前に何だか楽しそうなウェリルを見ながらその戦歴が嘘でないことを改めて実感する。
敵の先鋒の船が近づく、マルスはジリジリと弓を構えて指示を待っている、まだか…もう届く…まだか…
「ようし、野郎ども、はなてー!!」
ダグラス砦から一斉に矢がはなたれる。
無数の矢が敵の船に飛んでゆく、矢に当たった敵兵が次々と川に落ちる、だが船の勢いを止める程の力はない。敵も当然ながら各自が盾や剣で弓を防いでいる。
それでも砦からは矢が放たれ続ける、マルスも一度動き出すと急に体の緊張が解けてただひたすら矢を放っている。
今のところ敵からの応戦はない、こちらが一方的に攻撃している状態だ、敵の船の至るところに矢が刺さり針ネズミのようになっていく。
訓練のような攻撃にマルスはこちらの岸にたどり着く前に勝負がついてしまうのではないかと思ってしまう、いかに敵が勇敢でもなすすべも無く勝敗が決する事も拍子抜けだがありえるのでは…?
だが甘かった。それは、突然やってきた。
敵の船の1隻から銅鑼を鳴らす音がした途端、敵が一斉に弓を構えだす。マルスの目にはハリネズミの死体が銅鑼の音で突然生き返り、猛獣の咆哮をあげたように見えた。
耐える事で力を溜め込まれたその力が一気に解放され、今までの鬱憤を晴らすかのような暴力的な反撃の矢が放たれる。
なにかとんでもない怒りを向けられた気がして、マルスは恐怖を感じた、咄嗟にマルスの生存本能が体を動かし、敵の矢をかわす為に身を隠す。
その瞬間マルスの周囲に敵の矢が無数に突き刺さる。砦のあちこちから悲鳴が上がり人が倒れる音が聞こえてくる。
強烈な反撃を受けた国境警備隊だが、すでにこちらも応射の態勢に入っている。しかしこちらの反撃の前に敵の第2波が襲ってくる。
矢を構えた状態の味方に容赦なく突き刺さる、それでも数を減らした反撃が放たれる。
…敵の弓は、こちらより矢を放つ間隔が短いのか、次々に矢が飛んでくる。飛距離を犠牲にしているからなのだが、この間合いだと自分達の方が完全に不利だ…
マルスはさっきまでの自分の考えがいかに甘かったか早くも思い知らされていた。
マルス達の使う弓はメリスン王国では一般的な長弓だ、飛距離と破壊力には定評がある。しかし、今目の前で敵が猛攻を仕掛けているのは弓のサイズも矢も小さい短弓である、飛距離は劣るが速射性が高く船の上という不安定な場所から使うのはなるほど最適といえる。
戦況は、決め手にかけるまま敵が上陸を果たしつつあり第二段階に入りつつあった。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「セリオス様どうやら、先鋒は上陸したようですね」
「そうか、ならば我らもゆくぞ!勝ち戦に乗り遅れるな、ゾルトよ指示をだせ」
「いえ、我らへの命令はあくまで陽動ですので攻略は不要かと」
「むぅ…、では我らはどこで戦功をあげるのだ!」
「敵の増援をこちらに引き付けて、対峙するだけでセリオス様の戦功になりますので、ご安心を」
「そうなのか、わかった」
…はぁ、何回も説明したのに。相変わらず人の話を聞いてないなぁ、兄様達が侵攻部隊の主力になっていて戦功にあせるのも解るがこんな所で被害甚大とか目もあてられないからな…
とはいえ、敵が早々に砦を放棄してくれるなら落として足がかりを確保するというてもあるが
…まぁもうしばらくは戦況を見てからか…
ゾルトは味方が接近していく対岸を見ながら思考をめぐらす、ダグラス砦は川沿いにある敵の国境警備隊の砦の中でも規模が大きくこちらの手に入れば使い道はいくらでもある。
帝国駐屯軍不在の今なら砦の敵は200〜300の筈、こちらの兵力は1000あるので単純に落とせる筈だが、敵が抵抗し増援が入れば攻略はむずかしい。
ジリジリと味方は門の攻略にかかり始めているが敵の士気は高く、なかなかの気を放っている。やはりここは、敵に脅威を与えるというだけでよしとすべきであろう、セリオス様が戦功を焦ったところで今回はどうにもならない、引き際だけ間違えなければそれでよい筈だ。
数で有利なラルクス軍は優勢を保っている、本格的な力押しではないので被害もそれほど出ていない。
待機中の後続船に渡河の命令を出す頃合いかとゾルトが思った時に対岸の様子に変化が出る。
ラルクスの攻撃隊の側面から敵が黒い鎧を先頭に突っ込んできた、不意を受けたラルクス軍に衝撃が走る。なんとか潰走はしていないがかなり被害を出している。
「あの黒い鎧は何者だ?」
「あれはウェリルですな、黒い地響きの異名をもつ傭兵です」
「ほう、なかなか嫌なタイミングで仕掛けるな」
「はい、戦馬鹿は流石と言うべきかと…
セリオス様、そろそろ潮時かと」
「ふむ、全軍総攻撃!進撃の銅鑼を鳴らせ」
セリオスが言いはなつ。
「!!!!!」
「少々、少々おまちを!セリオス様撤退です、撤退。我らの役目は陽動です!」
ゾルトが慌てふためいて、必死に止めようとするが
「いや、ここは総攻撃じゃ」
セリオスは恐ろしいほど澄み切った瞳で対岸をみつめている
「それは、勘ですか?」
ゾルトの言葉にセリオス頷きでこたえる。
「わかりました、全軍総攻撃!銅鑼を鳴らせ」
セリオスがこういう瞳をしたときは天性の戦の才能が、機を捉える時だということをゾルトは知っている。
軍学の勉強は嫌いで、日々の訓練などでは適当にこなすだけなのに、いざ実戦になると軍神の寵愛を受けているかの様な決断をするのだ。
…ただそれが時々しかないので、実行すべきかどうかをゾルトは見極めなければならない。
実際に今までも、ここぞという場面で鮮やかに勝利を挙げてきたのがこのセリオスという18歳の少年なのだ。
しかし、ラルクス最大の力を持つランカスター家の他の兄達に警戒されつつあることを本人はまだ理解していない、結構綱渡りな裏事情をかかえながらゾルトは憎めないこの主君の危険を排す為に普段から情報収集に努めているのだが。
…黒い地響きの事を言えない位、この人も戦馬鹿なんだよな〜、
はぁ…
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
マルスは、ウェリルに付き従って突撃する一団の中にいた。
最初は横からのいきなりの攻撃に態勢を崩した敵を勢いのままに何人か切り伏せた。
混乱した敵は脆い、押せば簡単に倒れるハリボテのようだ。剣を振り、盾で殴り、勢いのままに蹴りつけて、必死で黒い鎧について進む。
前方では黒い鎧が敵を弾き飛ばすように進んでいる。
バカでかいウォーハンマーが凄まじい速さで振られ連続する打撃音がまるで地響きのように鳴り響く。
敵がその迫力から徐々にウェリルの周りから距離を空けていく。
敵が恐慌をきたすかと思われたその時、河から銅鑼の音が鳴り響き敵の後続部隊の舟が上陸してきた、先頭の舟の舳先に立つ青年が頭上で剣を円を描くようにふりまわしている。
「皆よく頑張った!このセリオスが来たからには何も恐れる必要はない!軍神の寵愛は我らにあるぞ!」
その青年の姿に、青年の声に崩れかかっていた敵から歓声があがる。
ウェリルの前進が止まり、後ろを進んでいたマルスも急に何か硬いものにぶち当たって弾きとばされた。すぐに立ち上がり敵に攻撃するが前に出れない、逆に押し返されている。
ウェリルがそれでも近づく敵を倒しながら、ジリジリと下がってくる。
「マルス、さがれ!お前ら退き時だ!じわじわさがれ」
敵は、退いていくウェリルをどうにか囲もうとしているがウェリルは右に左に敵の力を受け流しながら包み込まれないように下がっていく。
マルスも必死でウェリルの後ろに回り込もうとする敵を遮る。
砦の櫓では、副隊長のカネリが味方が包囲されないように弓兵に指示を出している。
もはや敵は砦の攻略ではなく、目標をウェリルの部隊との野戦に切り替えているようだ。
「ゾルト、あの黒鎧を後退させろ。別に討ち取る必要はない」
「承知ました」
ゾルトが指示をだすと部隊の一部が敵の後方に回り込み包囲するように動きだす。
それを見たウェリルは退路を確保するためにそちらへ突っ込んでいくが、ラルクス軍は少し抵抗したのちに退路を開けるように下がっていく。
敵から一旦距離を開けたところでウェリルは陣を組み直し敵に構えると同時に砦のカネリに合図を出している。
その後、ウェリル達は砦の中のカネリ達を収容したのち砦を放棄し退却した。
マルスは何がなんだかわからないまま戦い、とにかく自分が生き延びたということを理解していた。そしてもう1つ、あの自分とそんなに年齢の変わらないセリオスという青年、彼の存在を強烈に記憶に残して…
ダグラス砦は陥落し、ログリン川攻防戦はここに終了した、ラルクスの若き英雄セリオスを歴史の表舞台へと誕生させて…
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆