呪われた塔
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です・・・。」
息も絶え絶えで答える。説得力ないか。
この少年にあってからもう一週間もたっていた。
あれから村に行ったが、私のことを知っている人は誰一人としていなかった。しょげかえる私に声をかけたのが、オズヴァルトさんだった。
赤い髪で眼鏡をかけた学者然とした男性で物知りそうだったが、この人も私のことを知らないのだという。
「・・・私は本当に何者なのでしょう。」
たくさんの人に聞いたにも関わらず誰も私のことを知らないなんて。ますます自分が分からなくなってきた。
肩を落とす私にオズヴァルトさんは苦笑いし、そして考え込むように言った。
「君、どこから来たかも分からないんだっけ?」
「・・・ごめんなさい。」
さらにしょげかえる私に向かってオズヴァルトさんは慌てて手を振って制した。
「あ、いや責めてるわけじゃなくってさ。」
そこで言葉を切り、しばらく間を空けた。
ずっと下を向き、言うべきか否か、迷っているように見えた。
その様子に私が首をかしげるとほぼ同時に、オズヴァルトさんはためらいがちに言った。
「これは僕の勝手な推測なんだけど。もしかして、ハイルリーベから来たんじゃないかな。」
「ハイルリーベ?」
何だろう、どこかで聞いたような気がする。
「それはないと思うぞ。」
不意に背後から声が上がった。
驚いて背後を振り返ると、先ほどの少年が立っていた。
「ああ、君もいたのか。知り合いかな?」
オズヴァルトさんが、手ぶりで私を示しながら聞く。少年はむっとした様子で返した。
「ずっと居た。・・・さっき会ったんだよ。」
え、ずっと?完全に忘れてしまっていた。影が薄いのかな?この人。
口に出したら怒られそうだ。余計なことは言わないでおく。
「そうかい。それは悪かったね。ところで君は何故そう思うのかな?」
オズヴァルトさんが続きを促す。
「何となく。そんな気がする。」
少年は目を逸らしながら、何故かためらいがちに言った。
何となく?それでは確証はないと?
じとっと少年を見やるが、少年はそれに気づく様子もない。いや、もしかしたら意図的な無視かもしれない。
オズヴァルトさんは、また考え込むように言った。
「なるほど。君が言うならそうなのかもしれない。」
・・・?どういうことだろう。
私はうまく話が呑み込めず、首をかしげていた。
そんな私の心情を察してか、オズヴァルトさんは私に向かって言った。
「ハイルリーベというのは、呪われた町のことだよ。」
「呪われた?」
聞き返す私にオズヴァルトさんはうなずき、続ける。
「ほら、ここから巨大な塔が見えるだろう?」
オズヴァルトさんが見た方向を見ると、確かに巨大な塔がそびえ立っていた。
「この世界には聖女のいばら姫という統率者がいたんだ。ところがある日、このいばらの塔に入った時、いばら姫は謎の呪いに襲われてしまったんだ。」
呪い。
ちくっと頭が痛んだ。
オズヴァルトさんはさらに続ける。
「いばらの塔はもともと一つだったんだけど、いくつにも分かれて変貌し、いばら姫を閉じ込める牢獄と化してしまったんだ。」
「え?それじゃあいばら姫は・・・。」
私が濁した言葉を、オズヴァルトさんははっきりと口にした。
「まだ、あの塔のどこかに閉じ込められたままなんだ。」
かちっと、まるでスイッチが入ったかのように、記憶が呼び起こされる。
「・・・そして、その呪いは塔だけにとどまらず、世界各地に侵食した。その呪いが蔓延した町というのがハイルリーベ・・・って、あれ。」
反射的に口元に手を当てる。気づけば私はオズヴァルトさんの言葉を継ぎ、続きを口にしていた。
もしかして・・・。そんな淡い期待とともに記憶を探るが、思い出せたのはそこまでだった。
「少し、思い出せたみたいだね。」
「まあ、少しですけどね。」
微笑んだオズヴァルトさんにそう答える。
私が思い出せたのはほんの少し。まだ自分が誰かは思い出せていないようだ。
ここまで考えて、ふとあることに思い至る。
「さっき言っていたことは?」
問いかける私に、オズヴァルトさんは答える。
「ああ、何故彼が言うなら違うのかってことかな?彼はハイルリーベから来たんだよ。」
「へぇ・・・ってえぇ⁉」
大声を出したのは私だ。思わず納得しそうになってしまったが、それは驚くべきことだ。
「だってハイルリーベって呪いが蔓延していてすべてのものが眠ってしまっていて誰も近寄れないって・・・そうでしたよね?」
念のためオズヴァルトさんに私の記憶が確かか確認する。オズヴァルトさんはうなずいたため、間違いではないのだろう。
「そのはずなんだけど・・・。」
オズヴァルトさんも腑に落ちないらしく、首をひねっている。
先ほどから何も発言していない少年を見やる。少年は話を全然聞いていないらしく、いつの間にかしゃがんで足元の草をいじっていた。
その様子に呆れながら考える。
本当にこの人は。
本当ならば、あの不思議な雰囲気にもうなずけるような気もするが、その様子を見る限り、どうもそんな風には見えなかった。
こちらの視線に気づいた少年は、草をいじっていた手を止め、首をかしげた。
「話終わったのか?」
本当に聞いていなかったらしい。
「休憩するか。」
少年は疲労しきった私を見かねてか、そう切り出した。
少年は近くにあった地面から張り出した枝に座った。
私もそれにならい座り込む。
あのあと、特にやることもなかった私は、オズヴァルトさんに騎士になることを提案された。
騎士というのは、姫に仕えて姫を守るという職業であった。
少年にはやめた方がいいと言われたが、その騎士という職業に私は強く惹かれた。そのため、その騎士になるための騎士試験を受けることにしたのだ。
騎士試験の内容は、私が以前遭遇したぶにゅぶにゅ(ゼリルーというらしい)よりも大きなビッグゼリルーを倒すというものだった。図体が大きいだけあって、強さも段違い。しかし、さほど強い魔物でもないらしく、難易度は低いらしい。そのため、簡単に合格できるはず。
しかし、私には問題があった。
私は、弱かった。そのビッグゼリルーよりも弱いはずのゼリルーにすらかなわないほどに。
おまけに剣の扱いも知らない、全くのど素人。
少年が反対した理由もおそらくそのためだろう。普通に考えてそんな私が騎士になど到底なれるはずがない。
それでも、私は諦めなかった。
騎士に抱いた憧れは、諦めろと言われてもそう簡単に諦められないほど強いものだったのだ。
その憧れが背を押したのか、私はわずか五日で剣をまともに振れるようになり、そして今日。私は当初おびえて逃げていたあのゼリルーに勝つことができたのだ。
「うん、少しずつだけど動きは良くなってきてる。それに、全くの素人が一週間でここまで進化できるのは凄いと思うぞ。もうちょっと頑張ればビッグゼリルーくらい倒せるようになるだろ。」
少年は水筒を私に差し出しながら言った。
その言葉がうれしくて、息を整えた私は「ありがとうございます。」と笑いかけ、水筒を受け取った。
少年もまた騎士だった。それも精鋭。思っていたよりもずっとすごい人だった。
ゼリルーを一瞬で葬ったのを見たときに、ただ者ではないという気はしていたが、それほどまでとは。
この少年が修行を見てくれることになったのはそれゆえだ。
しかし、精鋭の騎士である少年は、本来ならばものすごく忙しいはずだ。それなのに、こうして私の修行を見てくれている。
「すみません。すっかりお世話になりっぱなしで・・・。」
急に申し訳なくなって、謝罪の言葉を口にする。
少年はぱちくりと瞬きをして答える。
「いいよ別に。特に依頼とかないし。」
本当にそうだろうか。
水筒を握る手に力を込める。
私の修行は基本的に午後に行っているのだが、午前中少年の姿は全く見ない。
・・・午後の私の修行のために午前中に仕事を片付けているのでは?
前に一度、別に修行は一人でいいと申し出たことがあった。
しかし、少年は「外では何が起こるか分からないから駄目だ。」と言って断固として譲らなかった。
心配してくれるのは嬉しい。その一方で、心配させてしまって申し訳ない。そんなことも思っていた。・・・なんか、悪いな。
と、不意に少年が言った。
「そろそろ暗くなってきたな。帰ろうぜ。」
辺りを見回すと、日が落ちつつあるところで、一帯が茜色に染まっていた。
「そうですね。」
立ち上がって歩き出した少年の後ろについて、私も歩き出す。
ざくざくと草を踏みしめ、村に向かって歩く。
突然少年が立ち止まった。急に立ち止まったため、思わずぶつかりそうになる。
「どうかしましたか?」
私が聞くと。少年は振り返って一言。
「そういえば名前聞いてなかったよな?」
沈黙。
「あっ!そういえばそうですね。」
私も声を上げる。
「俺はエルだ。」
複雑な表情で少年・・・エルさんは言った。その名はエルさんにぴったりなきがした。
「・・・すみません私名前覚えてないです。」
しょんぼりと、私も複雑な気持ちで言う。
「あ、そうか。」
エルさんはそういえばそうだったな・・・なんて言いながら頭を掻いた。
会ってからもう何度目かも分からない沈黙が訪れる。
会ってからもう一週間も経つというのに、まだお互いの名前も知らなかったなんて・・・。
そう思うと、急に可笑しくなってっきて、思わず吹き出してしまった。
笑いを堪えようと、口を手で押さえる。
そんな私をみて、エルさんは首をかしげた。
「どうした?」
エルさんの問いに答えようと、息を落ち着かせる。
「あはは・・・だって会ってもう一週間も経つんですよ?なのにまだお互いの名前も知らなかったなんて・・・。」
お腹を押さえながらなんとか声を出す。
口に出すと更に可笑しくなってきて、また吹き出してしまった。
エルさんは答えない。
笑いはいつの間にか収まり、場にまた沈黙が訪れる。
エルさんはあの時、私と初めて会った時、目を合わせた時と同じ感情を目に浮かべていた。
・・・それはどこか哀しげな・・・。
しかし、それが何なのか。それはいまだに分からなかった。
「・・・そうだな。」
エルさんは、そのまま前を向き、歩き出そうとする。
何か言おうと思ったわけでもないのに、私の手は勝手に動き、エルさんの袖を掴む。
振り返ったエルさんの顔には、何の表情も浮かんでおらず、ただ暗い影が落ちていた。
エルさんと目が合い、ようやく我に返った私は袖を掴んだ手を離し、今更ながら慌てだす。
「あ、えと。」
目を泳がせ、口をついて出た言葉は突拍子もない言葉だった。
「エルさんって、変な人ですよね。」
何言ってるの、私。
冷や汗がにじむ。
本当に何言ってるの⁉今ここでそんなこと言う⁉変なのは私の頭だよ!
心の中でどんなに自分を責めたところでもう後の祭り。どうしようもない。
弁解しようにも、私は恥ずかしさと焦りで頭が真っ白になっていて、とてもじゃないがそんなことを考えつく余裕はなかった。
おろおろしていると、不意にエルさんが口を開いた。
怒られるかと思い、ぎゅっと首をすくめ目を閉じる。しかし、出てきたのは私に負けずとも劣らない、突拍子もない言葉だった。
「お前も変な奴だよな。」
優しい声。
私が恐る恐る目を開けると、エルさんの顔に落ちていた影は、月の光に照らされ、なくなっていた。
私と目が合うと、エルさんはふわりと微笑んだ。
思っていたのと違う展開に私が目を白黒させていると、エルさんは再びすっと前に向き直り、歩き出した。
「あっ!待ってくださいよ!」
私も小走りで追いつき、ちょっと考えてから隣に並んだ。
そんな私を見て、エルさんはまた少し口元を緩めて笑った。
会ってから初めて見せてくれたエルさんの笑顔に、私は不覚にも」ドキリとしてしまった。
その笑顔は、なんだか懐かしいような気がした。
星々に彩られた夜空に、きらりと流れ星が一つ流れた。