魔王城 C
洗濯物がはためく。真っ白とは言い難いが清潔になったシーツが城壁付近で揺れていた。大量のシーツが並んでいるが、洗濯を干す為に張られた紐にはまだまだ空きがある。そこに次々と衣服をかけていくのは白い猫の頭をした魔物だった。
その魔物が着ている服はレースの縁取りがまんべんなく施されていた。その服には何度も修繕された痕がったが、それすらも意匠を凝らした刺繍で模様の一部に変えてしまっている。
質素ながらも工夫と閃きで彩られた服。それは着ている魔物の容姿と相まって随分と可愛らしかった。
魔物の種族は『半獣』
猫の頭と人間の身体を持つ、彼女の足元には巨大なタライに雑多な服がこれでもかと山を成していた。
「はぁ・・・・・・」
そんな溜息が洗濯の山から聞こえた。
洗濯物の山の隣で小さく座っているカルマ。さっきから溜息が何度も零れ落ちていた。
落ち込む彼に猫頭の彼女が声をかけた。
「また、魔王様と喧嘩したの?」
「よくわかったな」
「カルマが魔王様と喧嘩した時はいっつもここに来てるんだから、わからない方がおかしいでしょ。で?今度は何?」
優しく問いかけてくれる猫頭。彼女の名前はターニャと言う。
「お金の話だよ」
「ああ、最近苦しいもんね。塩が無くなってきたってアルが言ってたよ。明日あたりに買い付けに行く予定じゃなかったっけ?準備しなくていいの?」
「・・・するよ・・・するけどさ・・・」
口から出てくるのはため息ばかり。
これから冬を迎える関係もあって、肉を塩漬けにする作業が城の中で進行中だ。例え魔物でも飯を食わなきゃ死んでしまう。冬を越す為の準備は絶対に必要なことだった。
「魔王様が言うには飯なんてものには宝を放出する価値はないんだと」
「まぁ、一里あるね」
「あるのか?」
「当然」
「飢え死にしてもか?」
「死を恐れるのは人間の特権よ」
「そうかよ・・・どうせ俺は人間ですよ」
ターニャは洗濯を手際よく干しながらカルマを盗み見る。包帯に半分程覆われた顔がが今や影を落としていた。どうやら、久々に落ち込んでいるらしい。
「なにかあったの?」
「・・・・・・別に・・・」
明らかに何かあった時の『別に』である。とはいえ、ターニャはそれに付き合うつもりは無かった。この城は大きさの割に使用人が驚くほどに少ない。ターニャの仕事はまだまだ残っている。喋るつもりのない相手に付き合ってられる程には暇じゃなかった。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
ターニャがばたばたと洗濯物の皺を取る音が大きく聞こえる。遠くからは木剣がぶつかりあう訓練の音。耳を澄ませば城壁のすぐ外に広がる森から鳥のさえずりも聞こえる。
魔物が跋扈し、魔王が治める城とは思えないのどかさだった。
だが、一度人間共がここを攻撃目標に据えれば彼らは死をも恐れぬ殺戮の軍団になる。
と、言われてはいる。
だが、カルマ自身は彼らのそんな姿を一度も見たことはなかった。
カルマはこの城で育ち、この城で暮らしている。
そして十数年のまだ短い人生の中では戦争と呼べるものは一度も無かった。
この城を攻めてくる十字軍も、魔王の首をあげようとする冒険者も、一致団結して国家転覆を狙うレジスタンスもいない。のどかな森の中にたたずむ大きな城。それがここマリア・スティライド様、マリーの治める城だった。
とはいえ平和であることはいいことだ。カルマも剣をとって戦うのは御免だ。それに、昔から自分の周りにいてくれた魔族の皆にも傷ついて欲しいとは思わない。
しかし、問題があるのだ。
「金がないって言ったら・・・それは人間の考え方だ・・・みたいなこと言われた。ついでに、俺が人間だから無能なんだ、って感じで」
カルマは拗ねたようにそうぼやく。魔王に対して啖呵を切った時とはまるで別人である。
「それで、『どうせ俺は人間だよ!先代は良かったなぁ!』って怒鳴って出てきたんだ」
落ち込むように頷くカルマ。
「その喧嘩何度目?」
「数えてないよ。さすがにね」
この城で人間はカルマただ一人。魔物の小さな冗談に怒り狂ったのも一度や二度ではなかった。とはいえ、今回の喧嘩に限って言えばカルマが人間か魔物かということは正直どうでもいいのである。売り言葉に買い言葉で口をついて出ただけの罵詈雑言だ。少し間を置いて謝りにいくしかない。
だが、それで問題の本質が解決するわけではない。
「まったく、どうしてこう、魔族って連中は城を維持するってことを考えられないんだよ。城の防備を保って、兵を養うことの難しさをマリーは理解してない」
「魔王様、でしょ」
「あんな奴は泣き虫マリーのままでいいんだよ」
「カルマがその呼び方をするのに違和感あるけど」
「いいだろ、別に・・・まぁ、マリーが泣いてるとこなんて見たことないけどさ」
城の他の連中が魔王様のことを時々そんな愛称で呼んでいる。だから、カルマも自然とそう呼んでいた。でも、彼女はカルマが物心ついた時から姿形や心意気は変わらない。努力家だが少し抜けてて、融通の利かない魔王様である。
彼女が昔はどんな性格で、どうして『泣き虫』と呼ばれているのかなんてカルマは知らない。
「はぁ・・・」
「そんなにお金ないの?」
「そもそも、なんであると思うんだ?」
兵士とは消費者である。彼等は生産的なことをほとんどせずに、武器の振り方を覚え、弓の命中率を上げることに日々を費やす者達だ。特にここの連中は強情な奴が多い。他のことをやってくれない。狩りで獲物をとってくるぐらいはしてくれるが、畑作業は頑としてやりたがらない。
「ほんのわずかの変わり者が小さな畑で野菜とか小麦とかを作ってくれてはいるけど。あれじゃ、城のみんなの飯にしたらほとんど余らないだろ」
「時々、カルマが余った野菜を売りにいってくれてるじゃない」
「帰り道に塩をどっさり買い込む。そしたらほとんど残らない」
その中でわずかに残った手取りをコツコツ貯金してきた。
しかし、それにしたって今年は余裕がない。
「ったく、兵士しかいない城をどうやって維持しろってんだよ」
頭が痛い問題だった。綱渡りのようにここ数年はやってきたが、今年は本格的に危ないのだ。保存食が全然予定量に達していない。このままだと、冬を1ヶ月飯無しで過ごすはめになる。魔族連中は餓死なんか怖くないと言い張っている。だからと言ってカルマも「はい、そうですか」とは言えない。
「俺だってギリギリまで粘ったんだぞ。なんとか、倹約して、無駄を削って・・・それなのに・・・ニワトリを潰しやがって・・・あいつら・・・」
昨晩の無許可の宴会。大事な卵を供給してくれるニワトリを潰された。なんとか買い付けが出来ればいい。だが、卵を産めるニワトリがまた高いのだ。数年かけて貯金してきた予算が底をつくのは目に見えて明らかだった。
今年の冬を乗り越えたとしても、来年また冬は訪れる。次の冬を越せるだけの資金を集めきれるかどうかは正直予想ができなかった。
金策が必要なのだ。この城だけでこれ以上の自給自足をするには限界がある。
「そういや、ターニャは昔、他の魔王城にいたんだろ?そん時はどうしてたんだ?」
「んーー・・・どうだったっけ?」
猫の頭で小首をかしげるターニャ。思い出そうとしてるのか、頭の耳が小刻みに揺れていた。
こんな可愛らしい顔をした彼女だが、ターニャの年齢は既に100を越えているというから驚きだ。
「私はその時からこういう使用人だったから詳しいことは知らないんだけど。やっぱり村をいくつか支配してたし、定期的に戦争してたよ」
「だよな・・・やっぱ、魔王城を維持するにはそれしかないもんな」
それぐらいならカルマでも思いつく話だ。
近くの村から税という名目で金やら食糧を集めるのは大前提。魔王の名が広まれば討伐隊やら冒険者やらが集まってくる。彼等は必ず最寄りの村を拠点にする。村に人が来れば金が落ちる。あとは適当に城で戦って、戦利品を持たせたり、幻影を倒させて満足してもらったりして彼らの顔を立ててやればいい。失った財源は税で回収できる。
生かさず殺さず、そうやって人間と付き合うのが正しいあり方なんだろうけど。
「あとは、金属類の売買かな。やってきた討伐隊とか冒険者の鎧を鋳潰して剣とかにして支配してた村の武器屋に卸してた。バルク印・・・えと、そこを治めてた魔王様がバルクレディア・ヘカトスティル・ジ・ルベルタル四世っていうんだけど。とにかく、そうやってバルクレディア様の紋章を付けた武具を売ってたりしたよ」
「まぁ、討伐隊とかくるし、質のいい武器はいい値段で売れるよな」
でも、それって自分らで造った武器を持った相手に攻められるってことだよな。
質のいい武器を造れば高く売れるけど、振り下ろされる剣の切れ味も高くなる。
バランス感覚が難しいところだな。自分達と戦ってギリギリ勝てる程度の武具を用意する。でも弱すぎると武器として売れないし。あまり売りすぎるとそれはそれで値崩れする。
そこまで考えてカルマの頭に疑問が浮かぶ。
「でも、武器を造る為の地金は攻めてきた人間の武器を奪ってるんだろ?それって安定して武器屋に卸せるのか?」
「さぁ?私使用人だったから、そんな細かいところまで知らないよ」
「それもそうか」
そういった大きな城で務めた経験のある人の知識が欲しいところだ。
この城にも図書館というものはあるが、どこの世界に『魔王城のいろは』なんて本を書いてくれる人間がいるというのだ。魔族も本を書くこともあるが、そういったのは基本的に出版されたりはしない。出版しようとしても国境を越える前に禁書扱いで処分されるのがオチである。それに他の城は抱えている魔物の種類も、頭数も違う。参考になるかどうかわかりはしない。
結局のところ城ごとになんとかするしかない。
「あっ、そうそう。窓の修繕を早くして欲しいんだけど。窓が割れてると掃除量が倍じゃすまないから。それに見た目も悪いし」
「窓?ああ、確かに割れてる窓の数が増えてきたよな。けど、多少汚くたって死にはしないだろ。冬に凍え死ぬってなら考えるが。それよりも・・・」
「それよりもって何さ!魔王様がいらっしゃる居城が汚らしいとか威厳に関わるでしょうが!多少の飢餓とかどうでもいいの!城を美しく保つ!これの優先度が食事より低いわけがないでしょ!」
またかよ・・・
溜息も打ち止めになりそうだった。
「・・・・・・・あぁ、考えとくよ」
昼飯前に怒鳴り、昼食も食べずに怒鳴り、またここでターニャと一悶着起こせる程にカルマは頑丈な精神力をしていない。もう疲れ果てていた。
「考えといてよ・・・それと、魔王様とはさっさと仲直りしてきなさい。どこまで行っても並行線なのは昔からでしょ。特にお金とか人間のことは。どうしても無理だったら、なだめておだてて魔王様の持ち物とか城の調度品でも売りに出すしかないんじゃない?」
「・・・それもなぁ・・・」
カルマは包帯が巻かれた部分に指をいれる。少し蒸れてかゆい。
「まぁ、仲介ぐらいならしてあげるから」
「そん時は頼みますよ」
空になったタライを持ち上げてターニャは空を仰ぎ見た。別に感傷に浸ってるわけでも、雲を羨んだわけでもない。日の高さでおおよその時間を見たのだろう。
「あとは、地下の魔神様と相談するとか」
カルマの口の奥からカエルが発する鳴き声に近い音が漏れた。
「あの方の物ならいくらかで売れる・・・」
「売れると思うか?」
カルマが口を挟む。ターニャは別に気にした様子もなく、カルマの言葉を考える。
「んん・・・少なくとも私は欲しくないね」
「それと、あの方が自分のものを手放すか?」
「んー・・・・・・・さっきの話は忘れて」
「お気づかいどうも」
こちとら考えなきゃならないことが多い。頭の中の情報量は取捨選択に限る。
「気づかいついでにもう一つ」
ターニャがやや腰をかがめる。彼女の縦に切り込みの入った瞳孔が間近に迫る。幼い頃から一緒にいる相手ではあっても、少しドキリとする近さだった。
「『カルマは』きちんとご飯食べなさい。あなたは私達とは違って弱いんだから」
心臓が高鳴る代わりにため息が漏れた。
「お気づかいどうも」
さっきと同じ台詞。だが、感情の込め方は五割減だった。口から出かかった言葉を抑え込むのに精いっぱいだったのだ。言葉にしてしまえばターニャとも喧嘩になりそうだった。
「それじゃあね」
「ああ、仕事がんばれよ」
「カルマもね!」
去りゆくターニャの尻尾を見ながらカルマの口から一際大きな溜息が零れ落ちた。