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魔王城 B

 一人でやけに大きな階段を上る。何度目かわからない溜息がもれた。


「魔王ね・・・はぁ・・・」


行きたく無いと思う心を「これも仕事だ」という魔法の言葉で抑え込む。食事をしてないはずなのに胃が重い。石でも飲んだのかと思うぐらいに体が重かった。


それでも足は前に進む。階段をとぼとぼ上り、その後廊下を三回程曲がる。もう一つ階段をあがり、ようやくたどり着く。

城の上階、最奥部に続く廊下だった。


カルマの前には青い炎に照らされた薄暗い廊下が続いていた。周囲に窓はなく、一定間隔に趣味が良いとは言えない装飾品が並んでいた。

絶望に歪む人の肖像、赤い染みがこびりついた黒い鎧、これでもかと自分の存在を主張する吊天井の罠。

そして、最奥部には金で縁取られた黒い両開きの扉が待っていた。


単眼の巨人ですら楽に通過できるであろう大きさ。その両脇には精巧な造りの石造が鎮座している。

顔はゴブリンに似ているが頭には二本の角がある。体格は華奢で手足が長い。更に背中から蝙蝠のような羽を生やしている。今にも動きだしそうな程の迫力。いや、迫力だけじゃないのだ。

カルマが深呼吸すると、その胸郭の動きにあわせてその目が動いていた。


「・・・入ってよろしいかな?」


どちらに問いかけたわけでもなくそう言う。わずかな間があり、左右の彫像の首がかすかに動いた。それが合図だったかのように扉が開いていく。古びた石扉を動かすような重厚さで動く扉。それはまるで太古より封じられた魔物の居住区へと続いているかのような不安感を与える。


扉が開き、中から生温い風が吹いた。肌を撫で、纏わりつき、生理的な何かを刺激するような風。一歩踏み込んだだけで皮膚に汗が滲んだ。暗い室内に青い炎が点々と灯る。カルマの前には血塗られたかのような赤い絨毯が伸びている。


部屋の奥、周囲よりわずかばかり高くなった場所。

そこに長椅子が鎮座していた。

赤く染め上げられた上質の絹を張り、黄金で装飾された椅子だ。


その上にそのお方はいた。


妖艶なる美、最上の御姿と人は言う。


身にまとうのは装飾の少ない黒いドレスだけ。絹のように流れる長い黒髪は重力に任せて垂れ、妖艶なる美しさを持つ指先には宝石の一つもない。まるでこの世の全てが自分を飾るには不釣り合いだとでも言うようであった。


彼女はその美しい肢体を長椅子の上に投げ出し、カルマへと目を向けていた。


「カルマです・・・我が君よ」


カルマは片膝をつき、こうべを垂れ、右腕を胸の前に置く。忠義の証を示したところで頭の上から声がした。


「おぅ、待っておったぞ」


声音だけで人を惑わす力でも持っているかのような心地よい声が耳朶に響く。一瞬、夢の中にでもいるかのような感覚にとらわれる。だが、今は意識を飛ばしている余裕はない。カルマは自身の精神力を動員して意識を保った。


「面をあげよ」


許しが出る。片膝をついたまま顔をあげる。


青い炎に照らされて色を無くしても、その妖艶なる四肢は息を飲むほどに美しい。

カルマを見下ろす黄金色の瞳はそれこそ宝石のような輝きを持っていた。それはもはや傾国の美女とでも言うべき姿。

だが、彼女を人間の枠組みから外すものが二つ。

頭頂部から突き出た優美な黒い角。そして背から生える被膜を持った翼だ。ただ、それが彼女の美貌を損ねているかというと、まったくの逆だった。彼女はその全てで一つの完璧な芸術を造っていた。


「それでは、話を聞こうか」


威圧されたわけではないはずだ。なのに、カルマは肩に大きな力がかかるのを感じた。


「はっ、まずは・・・我が城の財政についてのことです」


魔王の美しい眉が軽く動いた。


「我が城の財政はかなり危険な状態にあります」


カルマはこの話題が魔王の琴線に触れることを知っている。

というよりも、魔王が金の話を嫌っているのは城に住む全ての住人が知っている。

だからこそ、この話題を魔王にお伝えするのは唯一の『人間』であるカルマの仕事なのだ。


「早急に手を打たねばなりません。その為にまず・・・」

「私が思うに」


唐突にカルマの発言が遮られる。魔王にそんなことをされてしまえばカルマは口を噤むしか方法はない。


「金などという猥雑なもの、人間が俗世に用いる品など我が城には必要ない」


断定するような言い方。話を始めたばかりでもうこの話題が打ち切られようとしていた。


「そういうわけにはいきません」


だが、それをカルマは真っ向から否定した。本来なら不敬にあたる行為。そうも言っていられない事情がある。


「我が城には多数の魔族がおります。彼等は霞を食っているわけでも、野山の草を食んでいるわけでもありません。彼等は野菜を食し、肉を好み、酒を愛しております。ですが、それらは我が城の周囲の畑だけでは全てをまかなうことはできないのです」

「その為に金がいると?ならばまずは畑を広げることを考えるべきだろう」

「畑を広げても収穫に繋がるのには数年の時を要します。今問題なのは目先のことです」

「ん?」


魔王の口に苛立ちが乗っているのがわかる。遠回しな物言いは嫌いな方だ。慎重に言葉を選び過ぎたかもしれない。


「間もなく冬になります。果物は消え、獣は姿を隠し、作物が枯れる冬が訪れるのです。その際にこのままでは我が城の食糧は枯渇するでしょう。今は余っている食材も時が立てば腐ります。魔王様のお食事もです」


魔王と言えども飯は食う。その食事が消えるとなれば腰をあげてくれるかもしれない。カルマはここに一縷の望みをかけて言葉を続ける。


「その為に必要なのは塩や香辛料といった保存のための品。ですが、それはこの周囲では取れません。それらを調達するのには金がいるのです」


特に塩に関してはこの城は死活問題に直結していた。この周囲には広大な森が広がっている。海は遠く、岩塩も取れない。そこのところはこの魔王も理解している、はずだ。


「・・・それで?」


まるで続きを聞きたくないとでも言いたげに魔王の美しい眉間に皺が寄る。極上の美が歪む。美しい顔の中に殺意が宿ったかのようだった。それは巨大な不協和音。初めてこれを目にした者は不安と畏怖で肝を悪くしそうだ。


人間である自分の内面に爪を立られたような痛みが走る。鳥肌が体を走り抜けた。


表情一つ。声音一つ。たったそれだけで自分の脆弱さを思い知る。それでも言わねばならない。この要求を呑んでもらわなければ自分の存在する意味がない。


大きく深呼吸をする。それはその後、落ちてくることが予想される魔王の雷を受ける覚悟だった。


「では、僭越ながら・・・」


カルマはゆっくりと口を開いた。


「宝物庫の品を・・・」

「だめぇえええええええええええええええ!絶対だめぇぇええええええ!」


魔王の威厳が吹き飛ぶ雷が落ちた。


「ダメに決まってるでしょ!やっぱりそれを言いに来たのね!カルマが折り入って話があるって聞いてたからもしかしてと思ってたけど。絶対ダメだからぁ!あれは先代から受け継いで、この私もその充実に心血を注いだ我が城全員の努力の結晶!どこぞの価値もわからない人間風情に売り渡すなんてもっての他!カルマだって知ってるでしょ!」


溜息が漏れた。なんでこいつが魔王と呼ばれているのかが不思議でならない。まぁ、威厳を保つ努力をしている間は多少は『らしい』とは思うが。


「ですから、相応の価値のわかる方に渡して、その対価として」

「ダメです!これは魔王としての決定です」


顔を全力で歪め、全身で拒否の意を示す魔王。


カルマの腹の虫が全力で爪を立てた。行き場のない怒りが鳥肌を誘発する。


「でしたら、もっとですね冒険者や討伐隊を煽るような行動でもしてくれませんかね。彼等の装備を奪い取れれば多少の金策になるでしょうし」

「嫌よ。私、戦いたくないもん」


こめかみで何かが切れた。度重なる心労が溜まっていたカルマ。今度は抑えることができなかった。

この程度で怒りが頂点に達してしまう自分の心の惰弱さが憎かった。


「ふっざけんなぁぁああ!」


畏敬の念も、敬虐の印も投げ打ち、カルマは吠えた。

彼女を前にするとどうしてこう、すぐに自分を抑えることができなくなるのだろうか。


「マリー!てめぇはなんにもわかってねぇ!」


マリーとは随分可愛らしい名前の魔王がいたものだが、それを指摘するものはいない。


「ゴブリンのボルドー並みになんもわかってねぇ」

「なんですってぇ!」

「いいかぁ!よく聞け!」


今度はカルマも遮らせはしなかった。


「人だろうが魔族だろうが、自給自足で生きていくにはどうやったって限界がある!必ず外から物品を入手していかなきゃ城すら立ち行かねぇんだ!この城を見ろ!窓は割れ!隙間風が吹き!ここの廊下の罠ですら故障したまんまだ!それらの修理には何がいる!金だぁ!物々交換で生計が立つ時代は終わってんだよぉ!」

「だからって、あの宝物庫に手を付けることの理由にはならないでしょ!他の方法を考えるのが先代からこの城の財政を任されたカルマの仕事でしょうが!」

「それがもはや立ち行かなくなってっから、こうして改めて話に来たんだろうが!」


カルマの顎から汗がしたたる。


「あぁ、もう!暑い!いい加減この締め切ったカーテンを開けろよ!」

「・・・・・・」


魔王ことマリーは手を腹立たしげに一振りした。魔族の放つ力が世界に干渉する。部屋の周囲で厚手のカーテンが次々と音をたてたスライドする。周囲の窓から燦々と暖かな陽光が差し込み、風が吹き抜ける。湿度を持った生温い空気が消える。代わりに入ってきたのは涼やかな乾いた空気。


明るい部屋で見るマリーは驚く程に青白い肌をしていた。これは持って生まれた魔王としての美とやらではない。魔族の血は青いのだ。青ざめた肌は感情が昂ぶっている証拠。人間は頭に血が上ると赤くなるが、魔族は青くなる。


「なんでカーテン閉じてたんだよ。演出だけは凝りやがって」

「これも魔王の務めでしょう!圧倒的強者を演じろっていう・・・」

「先代の教えだろ!聞き飽きたわ!だいたい、数秒しか保てねぇような演技ならさっさとやめちまぇ!付き合うこっちも疲れるわ!」

「だ、だから!少しでも慣れる為にこうして練習を重ねてるんでしょ!」

「あぁ!あぁ!うっせ、うっせ、うっせぇえええ!今の争点はそこじゃねぇ!」


カルマは大きく息を吐きだして話を戻す。


「だいたいなその宝物が他の倉庫を圧迫してるからこうも問題が増えてるんだろうが!」

「いいじゃない、ちょっとはみ出てるだけでしょ」

「それが食糧庫や武器庫を圧迫してるのが問題だっつってんだよ!雨ざらしの武器は簡単に錆びるし、食べ物は腐っちまう!」

「それはそうだけど、宝物の中には食糧庫みたいに湿度が少なくて乾燥した場所じゃなきゃ保存できないものとか、有事の際は使わざる負えないから武器庫に置いた方が都合がいいものとかいろいろあるから仕方ないじゃない!それこそあらかじめわかってたことでしょ!今更話題を蒸し返さないでよ!」


二人の間で火花が散る。もはや城の主とその従属とは思えない話し合いだった。


「ああ、わかったよ!話を戻してやる!宝物庫の物を売らないと城が立ち行かないどころか冬も越えられないって話だったな!」

「何度言ったらわかるの!宝物庫の物は絶対に手放さないからね!あれは太古の森や古の遺跡の中から私達が幾多の犠牲を払った上でようやく手にした宝なのよ!脆弱な人間では決して手に入らないようなものばかり!それを・・・それを・・・人間なんかに媚を売って手渡すなんて・・・有り得ない!そんなことするぐらいなら、私の手で叩き壊すわ!」

「なんでそうなるんだよ!お前は頭が固すぎるんだよ!相応の対価をもらうって言ってんだろ!くそっ!先代は良かったよなぁ!もっと考え方も柔軟でよぉ!」


一瞬にして魔王ことマリーの顔が青ざめる。怒りで頭に血が上ったのだ。次に魔王に現れたのは嘲笑とも失笑ともとれるサディスティックな笑みだった。


「相応の対価?人間風情が造りだした単なる金属片で私達が心血を注いで手に入れた宝を手に入れようなんて虫が良すぎる話じゃない。そうやって手に入れた金属片を使って城が潤う?食事がよくなる?そんなものが魔族にとってなんの価値になると思ってるの!ああ、そうだった!あなた人間だもんねぇ!私達のことなんかなんにもわからないんだよねぇ!私達が幸せになる方法なんか考えることもできないんだよねぇ!!」


言い切った直後。マリーの顔から笑みが消える。

カルマの表情が硬くなっていた。

マリーが息を飲む。


「あっ・・・・・・」


カルマの真一文字に結ばれた口。怪我をした時のような痛そうな表情。

言ってはならないことを言った。マリーがそう思った時にはもう遅かった。


「そうだよ・・・俺は人間だ!お前らとは違う!お前らとはものの見方が違う。そいつは仕方ねぇだろ!」


カルマは奥歯を噛みしめていた。喉の奥にこらえていた言葉があふれ出る。


「金の流通は人間が作った方法だ!けどな俺がそれを使いたいのは俺が人間だからじゃない!城の為を思って・・・ここに住む魔族の為を思ってのことだ!そこを疑われたのは・・・」


カルマの口から言葉があふれ出る。


ダメだ。これ以上は言ってはならない。言えばマリーを傷つける。


それがわかっていながらもカルマは止めることができなかった。


「先代は当たり前のように俺を信じてくれたけど、お前は違うんだな!俺のことなんか十把一絡げの人間と大差ねぇんだな!そんじゃそこらの羽虫と一緒なんだよな!!よぉくわかった!よくわかったよ!もう二度とこの話はしねぇよ!時間取らせて悪かったな魔王様よぉ!」


背を向け、大股で謁見の間を歩くカルマ。扉を体当たりでこじ開けて彼は一度も振り返ることもなく出ていった。

静まり返る謁見の間。先程の残滓のように青い炎がふわふわと宙に浮いていた。門番の為に石像の姿をとっていたガーゴイル達が様子を伺うようにのぞきこんでくる。


「ぁあ・・・・もう・・・やっちゃった・・・」


マリーは再び手を一振りする。青い炎が消える。

そして、彼女は玉座とも呼ぶべき椅子に深々と腰かけた。


「・・・はぁ・・・まただ・・・また喧嘩しちゃった・・・」


見上げた天井には穏やかな光を放つシャンデリアが飾られていた。


「先代はすごいな・・・」


彼女の独り言を聞き届ける者はいない。

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