人間の村 D
村長の家で質素だが美味い食事を堪能し、夜遅くまで所持金の残りと荷台に乗る量を再計算したカルマ。
予想外の野菜の低価格を修正してみたが、魔王の指輪を売ることはほぼ確定になってしまった。
全ての計算作業が終わり、何の気なしに木製の窓を開けてみれば、西の空では満月が地平線の方に傾きだしていた。東の空へと目を向ければ逆に空が白んできている。農村の朝は早い。早い家ではもう煙が上がり、人が動いていた。
「はぁ・・・」
朝一番の溜息はひたすらに重かった。
少しでも眠っておこうと固いベッドに入ったものの朝食に呼ばれたのはそれからすぐだった。
「どうだいカルマ。昨晩は良く眠れたか?」
「ええ、ぐっすりです。ありがとうございます」
貧乏暇なし。眠る時間を削って朝を迎えたがその愚痴を村長相手に言っても仕方ない。カルマは顔の半分で笑顔を保つ。
「それで、これからどうするんだい?」
「今日中に鍛冶屋と織物屋を回ってそのまま、ブリンシェルへと向かおうと思います」
「ブリンシェルへ?」
「はい。荷台は置いていくので管理をお願いします」
「うん、わかったよ。ああ、そうそう。昨日村の連中に雌鶏を売ってくれるかどうか聞いておいた。少ないが売ってくれるところがあったぞ」
「本当ですか!?」
「ああ、売ってくれるのは・・・」
家の場所と家主の名前が三つ。どれもカルマとは顔なじみのある家族だ。
雌鶏三羽なら十分だ。どっちにしろ、買えるのはそれぐらいだと踏んでいた。
「ありがとうございます。助かりましたよ」
「なぁに、お安い御用さ。村に金を落としてくれる客人は大歓迎だ」
「ははは・・・」
悲しいかな。そんなにお金を持っていない。
その後奥さんが運んできた朝食に舌鼓を打てば、村長は早々に狩りへと出かけてしまった。
カルマもまた、食事を片付けた後は泊まった部屋を整えてすぐに荷物をまとめた。とにかく買える物を買ってさっさと村を出よう。街までの道のりは1日と少しかかる。交渉が長引けば街に一泊する可能性もでてくる。節約の為にもできるだけ早く村を出発したかった。カルマの頭にあるのはやはり『貧乏暇なし』である。
カルマはバイとセルを荷車につなぎ、村へと繰り出した。
まだ人が家にいる時間帯。カルマは村長から聞いた家を回ることにした。
「おや、包帯君」
「御無沙汰してます。雌鶏の件でお伺いしました」
「ああ、ああ、裏に来い。売ってやるよ」
「ありがとうございます」
雌鶏の相場は紅銀20枚。毎日のように卵を産んでくれる生産性のある生き物はやはり高い。
「いくらですか?」
「紅銀30枚だ」
「・・・・・・・」
口の奥から変な声が漏れそうになった。
「村が儲かっているのに、この家は儲かってないんですか?」
「はっはっは、飯の値段は安くなったし、家に入ってくる金も増えている。だけど、最近屋根が痛んできていてね。大がかりな修繕が必要なんだよ。それでまとまった金が欲しくてな」
なるほど。となると売ってくれる他の家も相応の事情がありそうだ。
村の人間の大半は農家だ。商売人じゃない。相場なんてものはわからないから買った時の値段に色をつけて言っているというわけだ。
これで買わされるのが年老いた雌鶏じゃあいくらなんでも割りが合わない。
「でも、30枚はふっかけすぎじゃありませんか?」
「ん?そうか?」
「若い鶏なら近い値段でも買えますけどね」
「んーーーー若い雌鶏ならいくらで買ってくれる?」
カルマは内心でにやりと笑う。
「紅銀18枚」
「おいおいおいおい、それはさすがにないだろ!」
「そうですか?でも、その雌鶏って繁殖した奴ですよね。元手はかかってないんでしょ?」
「だからって霞を食って育ったわけじゃねぇぞ!うちの鶏は他の家の連中より上物食わせてんだ。そんじゃそこらの鶏よりいい卵産むんだぜ!だから紅銀28枚だ!」
「28枚ですか・・・」
カルマは買い渋る態度を見せる。
ただ、状況はいい方向に傾いていた。
売りたい彼と買いたい自分がいて間に値段という線引きがある。値段交渉はお互いの欲望が勝った方が押し負ける。欲を抑え、渋る態度を見せ、相手が先に首を伸ばしたところを叩き落とす。それが値段交渉のポイントだ。
とはいえ、こんな素人相手に舌で勝ったところでなんの自慢にもならないが。
「じゃあ27枚!」
渋るカルマに対して痺れを切らした彼が値段を引き下げてくる。
「26枚でどうです?」
「それでなら買ってくれるか?」
「ええ、いいですよ。その代わり、若くて上等な卵を産んでくれる奴でお願いしますよ」
「よっしわかった。良いの選んでやるからな!!」
村の人間は御しやすくて助かる。相手が商人ならこう感嘆にはいかない。
奴らは魔物以上に執念深く、狡猾だ。
「ほら元気な鶏だろ」
腕の中で暴れまわる鶏、カルマはその首根っこを摑まえた。
「いいですね。それじゃあ交渉成立ってことで」
失禁して糞尿をまき散らす鶏を身体がから遠ざけながら、カルマは首輪と革紐を手際よくつけていく。これで一つ胸のつっかえが取れた気がした。相場より少し高い値段はしたが元気の良い鶏なら十分に価値がある。もともと5羽買う予定が3羽に減っている。少し高くても質のいいものを買っていければまだ取り返しがつくというものだ。
その後も家々を回って雌鶏を二羽購入することができた。全部で紅銀56枚。塩と香辛料も買い込んでいるので野菜を売ったお金はもうとっくに残っていない。城から持ってきたわずかな貯金を切り崩して対応する気分はそれこそ身を削る重いだった。
カルマはあまりにも軽くなってしまった財布を懐にしまう。
しかし、こうやって苦労した鶏も城の連中が数日で食いつぶすことだってある。
「あぁ・・・人間の村はいいな・・・」
適度なルールと人々の秩序と節制の精神が形作る小さな村は素晴らしいと思う。
完全な現実逃避である。
そんなことをしながら向かっているのは村の織物屋だった。そこでは服の補修用の大布を買うつもりだった。大布は便利だ。新しい服の下地にしたり、補修用の当て布にもなる。鎧の裏地に使えば破損のごまかしがきくし、強度も高くなる。ほぐせば糸になるのもありがたい。大布の使い道はいくらでもあり、多くの魔物が集う城では消耗品の一つである。
カルマは織物屋で一番安い灰色の大布を5枚購入。なんとか出費は抑えたものの、残金が怪しくなってきた。
最後に向かうのは鍛冶屋だ。先に街に出向いて金を作ってこないといけないかもしれないが、それは値段を聞いてからでも遅くはない。
鉄鍛冶には火を使う、火を使うなら薪がいる。薪を常に補充する必要のある鍛冶屋は森の傍か大きな商店の隣に居を構えることが多い。
この村の鍛冶屋も商店の近くに店を構えていた。
カルマは昨日野菜を買いたたかれた商店の前を通り過ぎる。ちょうどどこかの商人がやってきているらしく、店の人たちはカルマに見向きもしない。商人は大きな荷台に大量の荷物を載せるように指示を出している。護衛と思しき傭兵が野菜や麦を乗せていく様子を見つつカルマはその前を通り過ぎた。
あれだけの商品を買い付けつつ、護衛まで雇う金がある商人。
あやかりたいものである。
そんなことを考えていると、馬車が勝手に止まった。
「どうした・・・って、あ」
鍛冶屋の前だった。
「ありがと。ぼうっとしてた」
カルマは荷台から降り、鍛冶屋の軒先をくぐる。
「どうもーカルマです」
店の奥に声をかける。返事はない代わりに鉄を打つ小気味の良い音が出迎えてくれた。
勝手に店の奥へと進むと、そこでは髭を蓄えた筋骨隆々の男性が小さな金槌を振り下ろしていた。正確には手槌とか言うらしいがカルマは細かいことは知らない。
男性の背は低く、歳老いてはいるがその振り下ろす金槌の力は一切の衰えがない。彼が『おやっさん』だ。
彼が金槌を振り下ろし、振り上げたタイミングで間髪いれずにもう一つハンマーが振り下ろされた。柄の長い重そうな金槌だ。それを持っているのは汗だくのベルニーニ。彼女が金槌を振るたびに彼女の筋肉が盛り上がり、二の腕にくぼみをつくっていた。
二人は交互に金槌を打ち下ろしていく。ハンマーが振り下ろされるたびに金属に混じった不純物が火花に混じって散っていく。
「どこ打ってる!俺の槌に合わせろ!」
「はいっ!」
昨日とはうって変わって生真面目な顔で朱く光る金属を睨みつけるベルニーニ。一振り一振りごとが必死だ。
目を背けることもせず、へらへら笑うこともせず、一心不乱におやっさんの金槌に追従するように打ち付ける。
邪魔しちゃ悪い。
出直すことも考えたが、カルマは黙って見学することを選んだ。
雌鶏の交渉が思ったよりも早く終わったし、なによりベルニーニの働く姿を見ていたかった。
ベルニーニはカルマが幼い頃より一緒にいる魔族なのだ。特にここの村に滞在している時には随分と世話になった。当時は姉のように慕っていたものだ。
そんな彼女と会えるのはこの村にいる間だけ。
カルマは手頃な椅子を引き寄せて彼女の仕事の様子を眺めていた。
高温の金属を前にし、燃え盛る竈を隣に置きながら汗を拭う暇もなく金属を叩くベルニーニの姿。見た目だけならもう十分に鍛冶屋だ。だが、昨日の釘を見る限り腕前はまだまだらしい。
真っ赤になっていた鉄も次第に空気に冷やされて青く変わっていく。おやっさんは頃合いを見計らい、金槌を振る手を止めた。鉄を巨大な鋏で掴んで再び竈に入れる。鉄が赤くなったらまた取り出し、再び金槌を振り下ろす。
赤く伸びた鉄は次第に細く、薄くなっていく。形からして鎌かなんかだろう。
そういえば、冬小麦もそろそろ撒く季節だ。
城の畑のことを思い出すカルマ。麦刈り用の鎌も大分痛んでいたが、研げばまだ使えなくもない。本当は新しいものが欲しいのだが、何度も言うがそんなものを買っている余裕はない。
「ベルニーニが一人で造れるようになればいいのにな」
そんなぼやきも金槌の音に掻き消されて二人には聞こえない。
形が整っていく鉄を見ながらカルマはベルニーニの真剣な顔を見ていた。玉の汗は既に流れ落ち、水でも被ったのかと言いたくなるぐらいに汗だくの顔。赤い鉄の色が反射して赤い鱗を纏っているようにも見える。
決して美人の部類に含まれることはないベルニーニだが、今の姿は結構綺麗だった。
真面目な顔してりゃ少しはいい女なのに。
カルマがこの村の商店で店長にしごかれている間、ベルニーニは唯一頼れる身内だった。この村から城までは馬で数日の距離。でも、当時のカルマすれば城から遠く離れたこの村はまるで異国のような場所だった。その中で唯一の知り合いのベルニーニにはよく甘えていた。
姉のような存在だったし、友達のような間柄でもあった。なんかの拍子に結婚の約束をしたこともあった気がする。そのことに関してはカルマ自身も定かな記憶ではないが。
あの頃はまだこの顔の包帯も無かった。
「はいっ」
ベルニーニは足を踏み込み、腰を据え直してハンマーを振り下ろした。
彼女の体の造形は子供っぽいのに腰はしっかり括れているのでその仕草は少々色っぽい。
「・・・・・・・・」
俺は酒場の親父か。
女の尻をおっかけて喜ぶ自分を猛烈に反省する。反省しつつも、目はやはりベルニーニの体つきを追ってしまっていた。
そんな折に溜息が漏れた。
「はぁ・・・」
いつもの金に対する気苦労とは別の溜息。疲れ果てて絞り出すようなものではなく、肺の中の空気が何かの拍子にこぼれたような音だった。いつも彼の溜息を聞きなれているバイやセル、猫頭のターニャなんかが今の溜息を聞いたらきっと『軽い』と評しただろう。
カルマはふと考えてしまったのだ。
自分の先について。
城で暮らし、歳を取り、死んでいく。
魔族と人間の流れる時間は明確に異なっている。俺はあの城で誰よりも先に弱っていくことになるだろう。その時に自分の隣には誰かがいるのだろうかと思ったのだ。
「・・・・・・・結婚か・・・」
村ではカルマと同じ歳頃の人間はもう家庭を持っているものも多い。
それに対してカルマはこうして仕事に振り回される毎日である。色恋に頬をのぼせている暇すらない。そもそも、異性なんてものに胸を高鳴らせたことがカルマには今までに無いのだ。
城には女性に区分される奴はいることにはいる。
だが、素行不良の馬鹿だったり、姉御肌すぎて全くそちらの感情に動かなかったり、完全に友人としか見れない相手だったり、行動が完全におばちゃんだったり、果ては魔王様という立場だったりで恋愛感情にまで発展するような相手が皆無だ。
村に出てきて出会えるベルニーニにしたってそうだ。幼少期に依存していた時期があったせいで腐れ縁とか古馴染みと言った関係の方がしっくりくる。姉弟に近いものなのかもしれない。
親しい異性として一番近いのはバイとセルだろうか。気は合うし、頼りにもなる。こっちの気持ちも察してくれるし気立てもいい。
だが、カルマは知っていた。
彼女らはあの金髪デュラハンが一番なのだ。あの馬鹿騎士の何が良いのかがカルマにはさっぱりわからないが、バイとセルにとっては唯一の主人であり、仕える相手だ。そして、その間には上下関係以上の強い信頼関係があることはカルマもわかっていた。
あいつらはダメ男が好きなタイプなのだろうか?
これを嫉妬と呼ぶのかはカルマにはわからない。だが、そのことを考えると少しだけ胸の奥が締め付けられるような気がする。
となると、俺が持つ恋愛感情が一番高いのはバイとセルということだろうか。
ただ、自分と彼女らと共に暮らす姿を想像できない。
多分、これは部下が別の先輩に対してなついているのを見ている気分。きっとそうだ。
カルマはそんなことを考え、そして考えれば考える程頭の中が渦巻き、気持ちそのものもわからなくなる。
「愛ってなんだろうな・・・」
そんな疑問が渦巻いてまた溜息がこぼれた。
「・・・・よし、もういいぞ」
おやっさんの声が聞こえ、金槌の音が止まる。
「はい・・・ふぅ・・・」
ベルニーニが金槌を降ろして息を吐いていた。服の袖で汗を拭う傍でおやっさんは鍛えた鉄になにやら粉を撒き、別の金属を重ねた。それをもう一度炉の中に入れる。しばらくして取り出した鉄を取り出し、仕上げとばかりに一人で打ちなおしていく。
ベルニーニはそれらの工程を食い入るようにして見ていた。目を輝かせ、その一振り一振りを頭に叩き込みたいとばかりに熱心に。彼女は一心不乱にその金属を打つ作業を見ていた。
ここから見ている限りではただの仕上げにしか見えない。だが、ベルニーニのあの様子を見ると単なる手直しではないのだろう。ベルニーニが重ねてきた齢は200をはるか昔に通りこしている。そのベルニーニがあれほど目を輝かせている。
「土持ってこい」
「はいっ!」
熱した金属を土にいれ、二人は一息つくように背を伸ばした。
だが、まだ仕事が終わっていないのが空気でわかる。仕事場にはわずかな緊張感が入り詰めていた。こういう仕事場の空気というのがカルマは好きだった。
一声かければはちきれてしまいそうで、触れれば切れそうな程に研ぎ澄まされている。
似たような空気をカルマは良く知っていた。
それは昔、先代が仕事していた書斎だ。
カルマは熱心に書類仕事をしている先代の背中とそこから生えた黒い羽が時折動くのを見ているのがとても好きだった。
幼い頃には仕事をさぼってよく書斎に入り浸っていたっけ。
膝に乗せてくれたりしてくれた思い出。ターニャが探しに来た時に俺を机の下にかくまってくれたこともある。見上げるといつでも優しい瞳が迎え入れてくれた。
あの頃は楽しかったな。
「ああ、そっか・・・」
ふと、気付いたことがあった。
「俺の初恋は先代だな」
それだけは確信を持って言えそうだった。