人間の村 C
「はぁ・・・」
カルマの口から何度目かわからない溜息が漏れた。
「あっ、悪いな。気にするな」
気づかうように前を行くバイとセルに声をかけた。彼女等は作り物の頭の隙間から小さな炎を振りまく。青い火の粉は道に落ちる前に消えていく。『気になるだろ』と文句を言っているようにも見えるし、『元気だせよ』と言ってくれているようにも見える。彼女等の性格を考えると後者だろう。でも、気持ちが沈んでいるカルマにとってはどうにも前者な気がしてきてしまう。
「おっと・・・」
カルマはまたこぼれそうになる溜息を声を出して食い止める。ついでに背筋を伸ばして遠くを見る。せめて身体だけは前を向いていたい。
だが、誘惑に負けた。
もう一度溜息が噴き出た。
カルマは後ろの荷台に乗っている物を振り返る。
城から持ち出してきた野菜や麦の束は消え、代わりに樽が二段に積み重ねられて並んでいる。塩を買い込んだものの、予定していた量の半分にとどまった。懐に入れた香辛料の袋は四分の一にも満たない。ここに鶏があと何羽乗るか、消耗している日用品が幾ら買えるか。そして、俺の革の財布にはいくら紅銀が残るのだろうか。持ち出してきた貯金はいったい幾ら残るのか。
考えれば考える程に気が滅入る。
「カルマ!久しぶり!なんか買ってよ!」
不意にそんなカルマの憂鬱を吹き飛ばしてくれそうな元気な声が聞こえた。
「金がない。以上、じゃあな」
「おぉおおい!!」
道で馬車を停めることなく、カルマは声をかけてきた女性を素通りしようとした。
「ちょおおと待ちなさいって!」
強い風が吹く。次の瞬間にはカルマの馬車の御者台に座っている頭数が一つ増えていた。
「なんだよ」
カルマは心底嫌そうな顔で隣を見る。そこには短い茶髪の女の子がいた。身体は小柄で肌は浅黒い。目鼻立ちは整っているが、やや吊り上った大きな瞳が悪戯心を持った獣のように感じる。手には点々と火傷のあとがあり、革のシャツと革のズボンは煤で真っ黒に汚れていた。
見た目通り鍛冶屋見習いの女の子だ。
「今すぐ降りろ。さもなきゃ運賃を払え」
そう言いながらもカルマは少し尻を浮かせて荷台に場所を開けてやる。
「このぉ!金の亡者め!会えばいつも金の話をしやがって!・・・んじゃこれ」
「なんだよこれ?」
差し出されたのは一本の釘。しかも、先端が欠けていた。明らかに失敗作である。
「これで運賃な」
「ふざけんな」
カルマは素早く彼女の着ていた厚手の服のポケットに手を滑り込ませた。
「だぁっ!ちょっ」
軽くまさぐり、金属に触れた瞬間にそれを掴んで引き抜く。
「ったく!乙女のポケットに手を突っ込むとかどうよ!」
「そういうことはもっと色気を出してだな・・・」
普段から魔王様の姿を見ているカルマからすれば、彼女を女性として扱うには抵抗があった。身体が貧相すぎるし、手足も筋肉質すぎて女性らしさがない。下世話な言い方をすれば、興奮しない。
「ったく、しけてんな」
彼女のポケットから引き抜いたものには小銭だ。丸い金属片に認可の判をつけただけの簡単なお金だ。銀色をしているのが銀粒、赤褐色のものが銅粒。一般的な市民が使うのは主にこの粒銭と呼ばれる小銭である。
「銀粒1つに銅粒3つかよ」
「あんたはほくほくなんでしょ。商売帰りなんだから」
「んなわけあるかよ。こっちはこっちで火の車だ」
こんなはした金はいらないとでも言うように、カルマは彼女の掌に粒銭を返す。
「ほへーこんなに紅銀が一杯あるのにか?」
「てめっ!何時の間に!」
そんな彼女の手にはいつの間にかカルマの財布が乗っていた。
「わおっ、紅銀がえーと一枚、二枚」
「数えるな。そのカウントダウンは俺の心に突き刺さる」
ひったくるように財布を奪い返したカルマ。
紅銀は粒銭よりも大きな硬貨だ。他にも同じ大きさの硬貨には金貨や銀貨があるが、その中で最も質が悪く、価値が低いのがこの紅銀。銀に銅を混ぜて作ってあるせいで色がやや赤みがかっている。だから紅銀だ。
一般人が持てるお金はこの紅銀が限度であった。これより上等な銀貨、金貨の類は大きな取引をする大商人や国家ぐらいにならないと手にすることはない。
例えあったとしても、釣り銭の量が増えるため使いづらく、使ったとしてもいい顔をされないことが多い。
「これだけあってまだ足りないの?」
「むしろ足りなすぎるんだよ。これで冬を越えらえるか心配になってきた」
考えたれば気持ちがまた暗くなる。
彼女のお陰で上向いていたカルマの気持ちが彼女のせいでまた下を向きそうだった。
ふと、前を行くバイとセルがまた火の粉を飛ばした。
「おうおう、お二人さんもお久しぶり。元気だったかい!」
炎が燃え盛るような音がバイとセルから聞こえた。多分、馬がいななくようなもんだろう。
「よきかなよきかな。あっ、そうそう」
彼女が小ぶりな唇をカルマの隣に寄せてくる。
彼女の熱い吐息が耳にかかり、カルマの背筋が反射的に伸びた。
「・・・魔王様は元気?」
背筋が反射的に丸まった。
「あいつの話は今はやめてくれよ。ベルニーニ」
「ははは、また喧嘩してきたんだ」
「うるせぇよ。仲直りはしてきたっての」
「原因はお金」
「うるせぇっつうの!!」
ケラケラと笑う彼女の口元。その中の舌の先は二つに割れていた。よくよく見れば彼女のズボンの先から伸びる足には赤黒いものが煌めいている。鱗だ。
彼女の足は赤い鱗のようなもので覆われている。ズボンを脱いでその足を村人に晒せばすぐに彼女が魔物であることに誰もが気付くであろう。
半身が蛇の魔物。半獣族の一種である。ラミアと言えばわかりやすいかもしれない。だが、彼女に書物に出てくるラミアのような妖艶さは欠片もない。もっと言うなら異形っぽさもまるで無い。
血が青いのも浅黒い皮膚の色が隠してくれる彼女。足と舌を除けばほとんど人間と変わらない。その姿はこの村に自然に溶け込んでいた。顔の半分を包帯で覆っているカルマよりよっぽど人間らしい。
本来はカルマがこの村にいた時の見守り係兼相談役だったんだが、鍛冶屋の居心地があまりにも良かったのか今もこの村にいついている。
「たまには城にも戻ってこいよ」
「やだね。あたしはおやっさんに認められて一人前の鍛冶屋になるまでは帰らない」
「ったく、あまり長居すると、正体ばれるぞ」
「あっ、そのことなんだけど。つい三日前にばれちった」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
馬車の車輪が一段跳ねる。
言葉を頭の中で要約し、つなぎ合わせ、もう一度意味を再構築する。
「はぁぁっ!?」
カルマの口から驚嘆が飛び出た。
「あぁ、後お前も魔王城の一員だってばらしちった」
次の告白はすんなりと頭の中に飛び込んできた。
「はあぁあぁぁあああっっ!」
そのせいで驚きも一際大きかった。
「あはははは、変な顔」
ケラケラ笑うベルニーニ。カルマはその胸倉をつかんで顔を引き寄せた。
怒りを通り越して、殺意を抱く直前だった。
「おっ、キスか?ちゅーするのか?」
「そのちろちろと口の間から出てくる舌を噛み千切ってやったらさぞすっきりするだろうな」
自分のものとは思えない程にドスの効いた声が喉から出ていた。
「てめぇ、自分がやってることわかってるのか」
「わかってるって。大丈夫、大丈夫。おやっさんは言いふらすような人じゃないし、念も押しといたし」
「お前らはどうして・・・こう・・・」
楽観的なベルニーニを前にカルマは胸の内が煮えくりかえっているのを必死に抑えていた。例えおやっさんが信用なる人だとしても、こいつらは人間の趣味趣向ってのをわかってないのだ。
「そのおやっさんが酒に酔って漏らしたらどうすんだ?えぇ?」
「酒?あの美味い水か?」
「お前にとってはな。だが俺ら『人間』にとっては前後不覚に陥らせることができる危険な飲み物の一種なんだよ」
「そうなの?」
「てめぇは何年この村で暮らしてるんだ。いい加減、人間の生き方ってのを覚えろよ」
「あはははは、あたしが人間の暮らしを観察していると思う?あたしが興味があるのは一日でも早く立派な鍛冶士になることだけだぜぇい!」
ぶん殴ってやろうか。
そしたら俺のこの煮えくり返ったはらわたも少しはすっきりするだろう。
とはいえ、ぶん殴って頭に衝撃を与えても魔族の考え方は治らない。
それに、彼女の頑丈な身体を相手に拳を振っても折れるのは俺の指の骨だけだ。それじゃあ余りにも損失がでかすぎる。
「なんだ!殴ってこないのか?しゅっしゅっ!」
軽く拳を当ててくるベルニーニ。カルマはその脇腹を肘で小突き返した。
「もうすぐ村長の家なんだよ。降りろ、おらっ!おらっ!」
「なにくそっ!このっこのっ!」
「いいから降りろっての!」
半ばもみ合いになると、バイとセルが歩みを止めた。安全になったのをいいことにカルマは蹴落とすようにしてベルニーニを馬車から叩き降ろした。
「よっと」
華麗に着地を決めるベルニーニ。彼女はへらへらと笑いながら、振り返った。
「カルマ、鍛冶屋にも顔出せよ~」
「買い物はいくさ」
「あり?入用?」
「釘だよ、あとは金具とか日用品とか」
「んだよ、それじゃあすぐに帰っちゃうのか?」
「いや、その後、ブリンシェルまで行く」
ブリンシェルはここら一帯の村々を治めている領主のいる街だ。交易が盛んで活気のある街である。魔王の指輪を売りに行く為にはそこに行く必要があった。
「おっ、それはいいね」
ベルニーニが嬉しそうな顔をした。途端にこっちはしかめっ面になってしまった。
「なんだよ!そんな顔しなくてもいいだろ!」
「・・・お前、なに考えてる?」
「へっへっへ!そいつは明日になってからのお楽しみってやつさ」
とても嫌な予感がした。
「おいっ!人の顔を見てため息つくな」
「ため息をつきたくなる俺の気持ちを察してくれ」
「ん?」
ベルニーニは本気でわからないという顔をした。もう一度ため息をつきたくなった。
「まぁいいや、カルマ、明日はあたしの作品も見てくれよ」
「そういうことは売れる作品を作ってから言え」
「だよね~あたしの作品はまだまだだもん」
へらへらと笑うベルニーニ。彼女は終始楽しそうにしていた。
カルマは手綱を握った。それを感じたバイとセルはゆっくりと歩きだす。
「じゃあな~」
「ああ、また明日な」
お気楽な声を背中に受ける。一度振り返ると彼女は元来た道を駆け戻っているところだった。
「はぁ・・・どうしてこう魔族って奴は・・・」
それを聞きつけたのか、前を行くベルが作り物の首を向けてくる。
「あぁ、お前らは例外だよ。本当にいつも助かってる」
胃痛を癒してくれる唯一の存在にカルマは優しい声をかけた。