人間の村 A
村までの道のりは馬車を用いればおよそ三日の道のりである。城を出て一日目は森の中をひたすら進み、二日目に街道へと出る。そして昼頃には村にたどり着くことができる。
カルマは街道に差し掛かる直前にバイとセルに馬用の甲冑をかぶせた。街道は広大な平原の中を進む。さすがにそんな視界の開けた場所で首なしの馬を引きつれるわけにもいかない。どこかの兵士や狩人に出会えば攻撃対象になることだって考えられる。なにより村人を怖がらせてしまうのはいただけない。
バイとセルにかぶせた甲冑は馬の頭を模したものだった。甲冑の隙間は馬の毛皮で埋め、目玉をガラス玉で細工して作っている。遠目から見ればバイとセルが魔物であることに気付けるものはいないだろう。
「苦しく・・・ないか?」
そう尋ねると彼女等は尻尾をパタパタと振った。平気そうである。
そもそも、彼女らが『苦しい』と感じるのかどうかは甚だ疑問なところではあるが。
カルマは彼らの身体を軽く叩き、荷馬車に乗り込んだ。
街道を進んでいくと平原の風景の中に人の気配がしてくるようになった。村が近い証拠である。まず、所々に羊や牛などといった家畜が放し飼いになっているのが見えてくる。更に進むと、今度は多種多様な畑に道が囲まれた。仕事をしている人たちは昼前の最後のひと踏ん張りといった感じで仕事に精を出している。
「ウチの連中もこれぐらい仕事してくれるといいんだけどな」
前を行くセルが同意してくれるように首をこちらに向けた。作り物の顔がこちらを向いている。
「お前らぐらいだよな。俺を手伝ってくれるのは・・・」
そう言うと、バイが『当然だ』とでも言うように尻尾を一度揺らした。
どうしてあの金髪の穀潰しデュラハンの部下なのにここまで気のいい奴らなのだろうかはカルマには昔から不思議だった。
そんなことを考えていたカルマにふと遠くから声をかけられた。
「おーーい。カルマじゃねぇか」
声のする方を見ると体格の良い男性が手を振っていた。
「どーーもです!また来ましたー!」
大声でそう返すと「おーーう」と声があがった。
この村に来たときに良くしてもらっている人の一人だ。それを皮切りに周囲からも声がかけられる。
「おーーう、また来たか。金欠かい?」
「あらぁ、今日は何持ってきたの?」
「あっ、包帯兄ちゃん!久しぶりー」
カルマは幼い頃にはここで暮らしていた時もある。だいたいの人が顔なじみであった。
人間の村にいたのは先代の命令だった。人間なら人間の文化も学んでこいという配慮だ。そのおかげでカルマは金銭の流通や人の社会常識などを学び、人と魔族の関わりを知ることができた。
おかげで今は金策に駆け回る羽目になっているが。
先代はカルマに人間との交渉事をさせる為に人間の暮らしを覚えさせたのだと言っていた。
だが、カルマには昔から思っていたことがある。
あれは自分を人間社会に返すためだったんじゃないかと。
魔族の中で人間が生きるのはいろいろと大変だ。それを見越していつでも逃げられるようにしてくれたんじゃないかと思っていた。
結局、カルマは先代にその疑問を口に出すことはできなかった。
「聞いとけば・・・よかったかもな・・・」
先代のことを思い出し、芋づる式にマリーのことを思い出し、そして指輪のことまで連想してしまう。
「はぁ・・・」
溜息を聞きつけたのか、またバイとセルがこちらを向いてきた。なんでもない、と手を振って応え、カルマは村と外の境界となる柵の間を抜けていった。
村は妙に静かだった。農作業している人達が帰ってきてないからだろう。まだ日は上り切ってはいないが、そろそろ昼の一休みの時間。市場がまた賑わいだす頃である。この静けさもそう続かない。
カルマはそんな村の中を縫うように馬車を動かす。道は大きいが村自体はそんなに大きくはない。
村の中心付近には生活に必要な店が一通りそろっていた。織物屋や鍛冶屋や肉屋なんかの店が並び、村の外からやってきた商人の荷を捌く為の商売施設も一つある。
それに、小さいが教会もある。
日銭の無い旅人や敬虐な信徒は教会を見かけたら挨拶に伺うのが順序というもの。そうすれば、寄付と祈りを引き換えにパンと寝床を提供してくれる。それが教会という場所だ。
だが、カルマは前を素通りした。
一応、この大陸で一番信者の多い教会らしいがカルマには興味がない。生憎なことにカルマは神様の類を信じていなかった。
それは魔王の城で生活していたことは関係ない。
環境云々ではなく、カルマからしてみたらこの教会は胡散臭い。
なぜなら、カルマの城の連中の多数が信仰しているからであった。しかも、魔王も含めて。
カルマも一回経典を読んでみたことがあったが、そこでは明らかに魔族が邪悪な存在として描かれている。なのに城の連中はお構いなく信仰している。
『聖なる神様は魔族の信仰を寛容にもお許しになる』と言っていたのはマリーだった。玉座には威厳を保つためにその手の像は置いてないが、あの城にはきちんと礼拝堂まで備えてある。
魔王と呼ばれる存在が祈りを捧げて天罰の一つもないんだから、カルマの信仰熱も冷めるというものだった。
おかげでマリーは『隣人愛』だとか、『弱者への施しは強者の義務』だとかそんなことを言いだすことがある。
この宗教は信頼ならない。だからといって。わざわざ他の宗教を探して信仰する気にもなれない。カルマはそのままどこの神も信仰しないまま過ごしていた。
カルマは馬車を村長の家の前に止めた。小さな村だ。宿屋に泊まることもできるが、それより村長に一声かけて、客として扱ってもらった方が安上がりだった。
カルマは馬車を降り、村長の扉を三回ノックした。
「はいはーい、おや?」
村長カルネロ、彼は屈強な男性だった。大鬼は無理でも子鬼を三人ぐらいなら一人で撃退できそうだ。
「どうもお久しぶりです。カルマです」
「久しぶりか?前に夏野菜を売りに来たとき以来だろ?」
「そう考えると、まだたいして経ってませんかね。お邪魔でしたか?」
「まぁまぁ、そう言うな。入りなさい。デルネ、デルネ」
村長は妻の名前を呼び、カルマを招き入れる。
「包帯巻きのカルマが来たぞ。白湯でも出してやってくれ」
「はいはい、わかりましたよ」
招かれた部屋の中。壁際には剣と弓が掛けられ、その下には矢筒が置かれていた。
ここの村長は主に猟師で生活を立てていた。鹿や猪を狩り、近隣に魔族が現れれば罠をかけて仕留める。魔族の体の一部を国の討伐所に持ちこめば金が出るらしい。
この話を聞いた時にカルマは城にいる奴らの耳を切り落とそうかと、よっぽど悩んだ。たが、それはどうしようもなくなった時の最終手段にすべきだと結論付けている。
「今日は秋の野菜だな」
「それと、夏野菜の残りです。買いたいのは塩と香辛料と釘。あとは鎧の修理を請け負ってきたのがいくつか。それと・・・鶏を買い付けたくて」
あまり外部の人間が村の食料品を買い占めると村が困る。外から来た人間が大きな買い物をする時は村長に伺いを立てるのが基本である。
「塩と香辛料はべつにかまわん。こっちも冬越しに向けて村単位で塩と香辛料は結構な量を買い付けたからな」
白湯を口に運んでいたカルマは手の動きを止めた。
「そんなに儲かっているんですか?」
「今年は森で鹿が良く取れてな。それと、最近森に現れるようになった子鬼の集団を罠に嵌めて皆殺しにしてやったんだよ。臨時収入が大きくて村全体が助かったんだ」
カルマの表情は崩れない。魔族に育てられたからといって、魔族を常に擁護する立場にいるつもりはない。管理されていな魔族は他者の生活を脅かし、蛮行を働くことぐらいはカルマも知っている。
それに、一々死んだ奴らのことで感情が動くことも無かった。血を抜かれて食卓にあがった牛に何の感慨もわかないのと一緒だ。
「釘と鎧は鍛冶屋に聞いてみないとわからんが、まあ問題ないだろう」
「それはよかった」
「それで、鶏だが。何羽ぐらい欲しいんだ?」
そこが問題だった。カルマの顔が険しくなる。
「20羽って言ったら、いくらになります?」
そう言うと村長は目を丸くしていた。
「そんなにか?」
「実はこっちの雌鶏がかなり潰されてしまいまして」
「熊にでもやられたのか?」
「大鬼にやられましてね・・・」
嘘は言っていない。
「それは・・・よく無事でいられたな」
村長はしみじみとそう言った。多分、血まみれの戦闘を苦労して生き延びたところでも想像しているのだろう。実際は逆だ。俺が抵抗する暇もなく彼等の行動は終わっていた。
「まったく、運が良かったですよ」
カルマは遠い目をする。演技でもなんでもなく、あの日のことを思い出すと気が遠くなりそうだった。
「心中、お察しする」
「どうも、ありがとうございます」
村長の想像している事態とは大きく違うが、まぁ同情には感謝する。少なくとも荒んでる心にはよく効く。
「それで鶏だが、雌鶏とるとなかなかその数を用意するのは難しいな。各々の家を回って一羽ずつ売ってもらうか、大きな町に出た方がいいと思うぞ」
「やっぱりそうなりますか」
「値段も家々との交渉次第だ」
「そうなりますよね」
とはいえ、20羽買い付けることができるだけの金を持ってきているわけではない。20羽というのは言ってみただけである。本当は5羽ぐらいが限度だ。本音を言えばもっと買い付けたいのだが、何度も言うように我が城は金欠なのだ。
「それじゃあ、今回も我が家に泊まるといい」
「まいどお世話になります」
カルマは心の中でガッツポーズをする。
ここの奥さんの作る料理は絶品なのだ。カルマは我が城の料理担当のアルにも食べさせたいと常々思っていた。だが、彼女は下半身が蜘蛛の魔族なので連れてこれる日は来ないだろう。
「それでは、積荷の確認をお願いします」
「ああ、そうするか」
村での商売は買うことだけでなく売る時にも村長の許可がいる。野菜やら麦やらを大量に販売されては村から金が一方的に無くなっていってしまうからだ。
カルマは表に出て、馬の背を一撫でる。そのまま手を甲冑へと持っていき、金具の締め具合を確認する。
「よし・・・」
カルマは荷台にあがり、積荷の紐を解く。中身を確認してもらい、量を記した台帳を村長に差し出した。
「ふむ、まぁいつもの量と対して変わらんな。これなら問題ないだろう。売っていいぞ、値段は向こうに合わせくれ」
「わかりました。それでは早速いかせてもらいます」
カルマは御者台に座り、馬に鞭を入れた。商店が本格的に忙しくなる前に品を店に持ち込みたかった。それに、それ以上に村長の前で首なしの馬をあまり放置していたく無い。
「それじゃあ、また今晩」
カルマは鞭を入れるふりをして、バイとセルに歩き出してもらった。
太陽が空高くにあがり、少し賑やかさを取り戻してきた村の中。その間で馬車を転がすと、この村が普通の人間の村だというのがよくわかった。
道行く人は誰しもが同じ顔をしている。それは皆が同じ種族であるという意味ではない。理性の仮面を被った人達という意味だ。
彼等は一つの村という同じ空間を共有し、家庭の中で同じ時間を過ごしている。それは誰しもが他者に危害を加えないという前提のもとでなければ成り立たない。人々の生活はそういった理性の下で成り立っている。例え多少のもめごとが起きたとしても、手や足が出るまでには時間がかかる。それが人の社会というものだ。
だが、カルマが生活しているあの城は少し違う。理性よりも野生に近い連中の巣窟だ。腹が立ったから殴り、気に入ったから自分のものにし、強くなりたいから鍛える。全ての行動が直情的であり、それゆえにわかりやすい。
では俺はどっちだろうか。
不意にそんなことを思った。
すぐに自嘲の笑みがこぼれた。
そんなことを考えている時点で俺は『人間』だろう。『あいつら』なら、考えた瞬間に自分が『魔族』だと言い切るに違いなかった。もちろん『俺は人間だ』なんて言い張る奴も中にはいるかもしれない。
とにかく、あいつらは悩まない。
自分が何者であるとか、自分が何をしたいのかとか、そんなことを悩みはしない。ただ目の前のことにだけ全力であたる。
だから俺も彼等に習うとしよう。
「それじゃあ、オレも『魔族』ってことにしとこう」
車輪の回る音と、周囲のざわめきがカルマの独り言を飲み込んでいく。ただ、前を行く二人の『魔族』の尻尾が楽しそうに揺れていた。