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赤子

雨。天から降り注ぐ無数の雨粒。


森に落ち、木々を伝い、土に染みわたる。水滴はいずれ大きな一つの流れとなり、地上に湧き出でる。大地を潤し、森を豊かにし、田畑に恵みをさずける天からの贈り物。それは辛く苦しい乾季を乗り越えた先に待つ神々からの褒美だった。


久方ぶりの雨音に人々は我先にと家々から飛び出し、雨にうたれていた。大人は口々に感謝の祈りをささげ、子供たちは泥をすくってはしゃぎまわる。田畑の土は濡れ、井戸の中に水が溜まる。器が次々と家の外に持ち出され、口を開いて雨水を吸い込んでいく。


人も草木も獣も、誰しもが待ち望んだ雨だった。


だが、その雨の冷たさはまた命を削る刃となりえた。


喜びに沸く村々から離れると、そこは深く険しい森の中。どこまでも続く森はまさに樹の海と呼ぶにふさわしい。獣達の命のやり取りが一つのバランスの上で成り立っている。そんな森にも雨は等しく降り注ぐ。天を覆わんばかりの木々。葉の上に落ちた雨粒もいずれその重みに引かれるように地に落ちる。木々の頂点の葉から一つ下へ。そしてまた一つ。葉をしならせ、枝を伝い、そして落ちる。


「おぎゃぁ!おぎゃぁ!おぎゃぁ!」


雨粒赤子の頬へと落ち、小さな水滴をまき散らした。産まれてさほど経っていないであろう。本来なら今頃は母の腕に抱かれ、親戚一同の微笑みのもとで暖かな毛布にくるまれているはずだった。

だが、今その子を包むのは薄手の布が一枚だけ。それも雨に湿り、赤子のわずかな体温を奪うだけの代物となっていた。


周囲に人影はなく、森の中は薄暗い。腹を空かせた獣がいつ姿を見せてもおかしくはない深い森。

例え捕食者が現れなかったとしても、赤子の命は長くはないだろう。小さな命はこの自然界においてはあまりにも脆弱すぎた。


「おぎゃぁ・・・おぎゃぁ・・・」


泣き叫ぶ声は既に小さくなりはじめている。雨音と木々のざわめきに赤子の鳴き声が吸い込まれる。もはや、その声はどこにも届きはしない。

そして、赤子の最後の力も消え失せる。泣くこともできず、這うこともできず、ただ静かに、名もなき赤子はその温もりを止めようとしていた。


この世界に生れ落ちてまだわずかな命。


この幼子が人から受ける愛を知ることはない。他人との間に育まれる情を見つけることもない。永久の時を共に過ごしたいと願う人と出会うこともない。今の自分に絶望することも、これから訪れることを嘆くこともできないまま。天から授かった命は天に帰ろうとしていた。


心の臓の音が小さくなる。彼の呼吸が消えてゆく。


ふと、一際大きく木々が音をたてた。そして森の中に小さな静寂が訪れる。


「・・・・・・・・・・・・」


冷たくなっていく赤子。消えた雨音。風がやんでいた。

そこに巨体が立っていた。太い幹を持つ木々を雑草のようにかき分け、空をその身で覆わんとするかのような体が赤子の傍にあった。


「んあ・・・・」


その巨体に似合わない程に小さな頭部。その中央についた大きな一つ目玉がその赤子を見下ろしていた。


「・・・・・」


その巨体は自らの剛腕で近くの木を押し避けた。木々がしなり、幹が軋み、根が土の下から顔をのぞかせる。そして、その巨体は空いた腕でその足元の赤子へと伸ばした。大の大人の身体すら握りつぶせそうな巨大な掌。赤子の体など容易に砕け散ることが想像に難くない。その巨人から赤子を護るものなどここにはいない。


だが、不意に巨人の手が止まる。


巨人はゆっくりと背後を振り返った。そこには一台の馬車がとまっていた。闇に溶け込む色をした漆黒の馬車だった。率いるのは二頭の首の無い馬。御者は黒い鎧をまとった首の無い騎士。


「あかご・・・」


巨人は唸るような声でその馬車に告げる。

音がした。扉が開く音だ。馬車の扉がゆっくりと開いていた。


風が吹いた。生温かく、肌にまとわりつくような風だった。


馬車の中から腕が伸びる。人の手のようにも見える腕。だが、それはあまりにも青白い。人の持つ生気を感じさせない腕が、足が、体躯が、ぬかるんだ大地に降りたった。

纏うのは漆黒のローブ。そこから突き出た手足は死人のよう。外見は人のような姿をしているもののその顔は目深に被ったフードが覆い隠していた。ただし、フードが造りだした暗闇の奥、その黄金色の瞳だけが別の存在のように赤子を凝視していた。


その『者』はゆっくりと手を持ち上げる。指をさすような仕草。その先にいるのは赤子。


黒く塗られた指先から青い炎が顕現する。その炎は風に煽られるかのように指先を離れ、赤子へと向かう。

雨が炎に触れる度に白い霞となって消えていく。青い炎は巨人の脇を抜け、赤子へと触れた。


刹那、青い炎が赤子を飲み込んだ。


何の音も、臭いもなく、赤子はその炎に飲まれていく。

単眼の巨人も、首の無い御者も、ローブを纏ったその存在も、その青い炎の光をただ見つめていた。


それから幾年かの年月が流れた。

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