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其の二

「んあー、つめたーい!」

「カナ、アイスはほおずりするものじゃなくてたべるものだよ?」


だがし屋のベンチをギシギシゆらしながらカナはおおはしゃぎだ。

ずいぶん昔からあるっぽいベンチはもうボロボロで、いまにもこわれそうでちょっとこわい。

こんなところにあるお店だからしょうがないのかもしれないけれど、もう少しお客に対するきづかいってものがあってもいいと思う。

なにせ私たちは、お寺の山のたんけんから帰ってきたばかりで、疲れはてているのだ。でこぼこの山道はとても歩きにくくて、何度もころびそうになったし、じっさいカナは一回ころんだし。



「すぐたべたらもったいないんだもん、まずこうやって体ぜんぶでアイスをあじわって…」

「それはいいけど、たべるときにとけちゃうよ?」



カナがどうしても見せたいものがあるって言うからお山についていったけどたいへんだった。

木にかこまれた山の中は、少ししか空が見えなくてここがどこなのかわからなくなりそうだった。

どんどん登っていっちゃうものだから、ちゃんと帰れるのかなって心配になったけどカナはまるで気にしてなくて、目的地の事で頭がいっぱいみたいだった。だから私もカナについていくしかなくて、それでもカナはどんなに急いでもつないだ右手だけは放さないでいてくれたから、そのあたたかさだけで信じられた。



「カナ、ひざはだいじょうぶ?」

「ん?別にもういたくないからへーきだよ!血だってとっくにとまってるし!」」

「だったらいいんだけど、帰ったらちゃんと洗わないとダメだよ?」

「ママみたいなこというなよーうりゃー!」

「やっ、ちょっとカナつめたい、だからアイスとけちゃうって」


カナの息もそろそろ上がりはじめた時に、やっとついた。

山道をぬけたと思ったら急にまぶしくなって、目の前にいっぱいの空が広がってた。

お山のまんなか辺りにあるそこは広場になっていて、ついさっきまでいた町が小さく見えた。

胸をはずませながら、じまんげにこっちをみるカナの顔がなんだかおかしくて、私はわらってしまった。



太陽の光が、カナの赤い髪をキラキラさせて、綺麗だったのを覚えている。

お互い汗ばんだまま握り合った手の温度も、後ろの山林から聞こえる蝉の声も。



「うりゃうりゃーにげるなー!あっ」

「ああほら、だから言ったのに…」

「ひっ、ひぅっ、おちちゃっ…」

「えっちょっとカナそこで泣くの?さっきころんだ時にも泣かなかったのに?」

「ひぐっ、あ、アイス…」

「もう一本買えばいいじゃないの」

「もうおかねない…う、うぅ~!」

「ああもう泣かないで、私のはんぶんあげるから…」

「ほんとに?」

「カナはいっぱいがんばってあそこまでつれていってくれたんだもん、そのお礼」

「あ、ありがと…」


そのあと、二人で一本のアイスをわけあって、今度は私がカナの手をつないでカナのおかあさんの家まで帰った。

この手のあたたかさが、今度はカナを勇気づけてくれるようにとおもって。


ひざをすりむいて、半袖からでていた手足はよく見たら枝でひっかけてきずまみれで、

そんなで力いっぱい出ていった娘がべそかいたまま手を引かれて帰ってきたら

カナのお母さんどう思うかなって心配だったけど、別におこられることもなく二人しておふろに入れられた。

洗いっこして、カナの赤い髪をワシャワシャやっているとようやくカナはわらってくれた。





「ほう、洗いっこを」

「えっこの流れでそこに食いつくの?」

「やーだってやったことないんだもん洗いっこ。やってみたいなー」

「この歳になってからだと確かに中々出来ないし、抵抗あるわね…」


チヒロの部活上がりを待っての帰り道、夏とはいえ少し日は落ち始め

コンビニ前のアスファルトで舗装された駐車場にも、茜色が差し込み始めていた。

陸上部長距離選手であるところのチヒロの夏の追い込みを労うために、アイスをおごっていたのだけど、日々の地道な鍛錬と、統制された強い意志力によって初めて可能になるのであろうあの洗練された反復に、このアイスが相応しい報奨であるかは自信がない。


「いつも悪いね、先に帰ってくれてても良かったんだよ?」

「いいのよ。チヒロの練習を見るの、好きだし」

「物好きだねえ。短距離やら棒高跳びと比べれば、随分と地味なシロモノだと思うんだけど」

「動作の大きさ、と言うか動作そのものにはあまり興味は無いわ。それはどのスポーツだって同じことよ」

「うん?」

「例えば、ショウビジネスとして有名なスポーツといえば野球やサッカーだけど」

「うん」

「野球のキャッチボールや、サッカーのドリブルを延々見ていて楽しいかしら」

「いやそりゃ、それ単体は面白く無いでしょ。それは相手が居てナンボのものじゃん」

「そう、どんなスポーツでも動作そのものは面白く無い。そこに相手が居てルールがあって、勝敗に望む意志があって、初めてそこに瞬間的な物語が生じる。その瞬間こそがスポーツの面白さだと思うのだけど」

「えっと、それで合ってると思うけど、それだと長距離の練習はやっぱりつまらないんじゃないの?」

「何故?」

「だって、ルールはあるけど相手も居ないし、練習だから勝ち負けもないし」

「そんなことはないわ。だってそこにチヒロがいるもの」

「どゆこと?」

「長距離走のルールがあって、そこに昨日より良い記録を、より高みに登ろうとするチヒロがいる。つまりチヒロの相手はチヒロで、そこにはチヒロの自分自身に対する勝利への意志がある。だから、そこにはチヒロの物語があるわ。登場人物がチヒロだけの物語」

「…それ面白いの?」

「面白いわ。無駄に余計な登場人物がゴチャゴチャいるよりよっぽど。よりチヒロの美しさが鮮明になるもの。ワビサビっていうのかしらこういうの」


不意にチヒロの表情が崩れる。チヒロの練習明けで少し乱れた黒髪が跳ねた。


「ちょっ、ちょっと美しさって」

「ルールに全力で臨むものはそれだけで美の対象足り得るわ。なにかおかしいかしら?」

「あーもー分かった分かったって!お褒め頂きありがとうございます!」


照れたチヒロが乱雑に頭をかき乱す。くしゃくしゃに乱れ、夕焼けの赤に少し染まった黒髪が綺麗だと思った。

ふと、あの時のことを思い出した。

あの山の広場で見た、空の下で息遣いに揺れる赤い髪を。

時間も場所も、色すらも全て違うのに。


「もー、外人さんはこれだから。あんまり正面から褒めないでよね」

「日本人特有の謙虚さというやつかしら。十数年日本に住んでる私が言うのも何だけど」


「…十数年か。追い抜けるのはまだまだ先だなあ。」


「…追い抜く?何か目標にしてる人でもいるの?」

「いるよー」

「チヒロの物語に新たな登場人物ね。どんな展開になるのかしら」

「新たな登場人物、ね。はてさてどっちがニューカマーなのやら」

「…チヒロ?」

「なんでもなーい。暗くなってきちゃったし、もう帰ろ。」


そういってチヒロは咥えていたアイスの棒を袋に入れてゴミ箱に捨てた。

私もそれに倣って、先に歩き出しているチヒロの後を追う。

後を追うことは昔から慣れているけれど、今こうして追っているチヒロの背中は、何かあの時とは違う気がした。

あの時、カナは私の手をひっぱってくれたけれど、今少し先に揺れているチヒロの手を握るとチヒロはどんな顔をするのだろう。どこに連れて行ってくれるのだろう。


日が落ちて、伸びる影も途中で夜に紛れて途切れ、先が見えなくなっていた。

熱を帯びたアスファルトの地面からは、湿った空気の匂いが立ち上っている。

夏の雨を思わせるその匂いは、奇妙に捻れた、不思議な懐かしさを纏っていた。

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