はったり和尚のおぼろ月夜話
-我らが一行和尚は、不倫願望の男をどう導くでしょうかー-。
-昔―-ある山奥の村に、持国寺という寺が在り、一行という風変わりな和尚が居った―-。
-彼は、麓の里に通じる峠道に出没する天狗をこらしめるやら、村の料理自慢な者達と対決してこれをことごとく破るやら、とんでも無い料理を出して殿様を感心させるやら、大した和尚じゃとの評判になっていた―-。
-ある時、麓の里の商家の若旦那で実質店を任されている、市助という男が持国寺に米や酒や魚を持って来て、噂の一行和尚の話が聴きたいのでしばらくの間、寺に逗留させて欲しいと申し出た―-。
-和尚は、貧しい山寺の事じゃて、差し入れや寄進は大歓迎と、市助を受け入れた―-。
-市助は、熱心な仏教信者という訳でもなかったが、無類の不思議話の好きな男であった―-。
-そして彼は、本当は女の事でちょっと困っており、和尚に相談にのって欲しかったのである―-。
~二日ほど経った、おぼろ月の晩の事ー-。-市助は一行和尚の人柄を気に入り、思った通りの御仁じゃと信頼するに至ったので、持って来た肴を和尚にすすめて、酒を注いだりしながら自分も少し飲んで、相談話を切り出したー-。
-市助の家は、肥後屋という小間物商で、彼の女房が身重になったので、近所に住むお蒔という大工の女房を雇ったー-。
-お蒔は、なかなかに垢抜けた女で、化粧品(小間物屋は化粧品も扱った)を売るなら自分も上手に化粧をしなければ説得力が無いと、厚化粧をして店先に立つ様になったが、その姿が美しいと評判になり化粧品はよく売れたー-。-しかし、そのうちに、市助は、彼女に惚れてしまったというー-。
-市助は、お蒔をどうこうしようとは思わないが、彼女に持ってゆかれた自分の気持ちを何とかしたいと打ち明けたー-。
~一行和尚は話を聴いて「わしにも、若い頃に覚えがあるわいー-化粧栄えのする女なら、きつね顔じゃろうー-」と訊いたー-。
-市助は「ええー-まあ、どちらかと言うと、きつね顔ですがー-」と応えたので、和尚は更に「その女は赤い物、赤い紐や赤い袋が好きなはずじゃー-」と言ったー-。
-市助は少し驚いて「そう言われれば、お蒔の持っている小間物は赤い物ばかりですがー-なぜ和尚にはそんな事がわかるのですかー-?-手前の気持ちとその事が、何か関係しているのでございますかいなー-?」と訊いたー-。
-和尚は「わからんか--お稲荷さんじゃよ--赤い色は、鳥居の赤じゃー-」と応えたー-。
-市助は「それでは、お蒔は、きつね女、はたまたお稲荷さんが取り憑いておりますかー-」と驚いたが、和尚は「そうは言わんー-じゃがなぁー-お前さんに、ひとつ、面白い話をしてやろうー-」そう言って酒をあおると、空になった湯のみを突き出し、市助に注いでもらってから、妙にあらたまって因縁話を語り始めたー-。
-その昔、京の都に居った藻女という身寄りの無い女の子が、鍛治屋の爺と婆に育てられ、美しい娘に成長したので十八歳になった時、宮中に仕える事になった--。-彼女はただ美しいだけではなく大変に頭の良い娘で、直ぐに鳥羽上皇の目にとまり、上皇の寵愛をうける様になった--。
しかし、ほどなくして鳥羽上皇は健康を害して寝込んでしまい、病は日に日に重くなっていったー-。
-陰陽師の安倍泰成( あべのやすなり)が調べたところ、白面金毛の九尾の狐が上皇に取り憑いており、玉藻前が怪しいとにらんだが、彼女は九尾の狐の正体を現して下野国に逃げてしまった--。
-その玉藻前になる前の九尾の狐は、もろこしが殷の時代じゃった時の紂王の妃の妲己で、紂王は九尾の狐にたぶらかされて圧政を行い民を苦しめた--。
-そこまで話すと市助が「それじゃぁお蒔は九尾の狐ですか--そんなにだいそれた者とは思えませんが--」と、和尚の話を中断させた--。
~一行和尚が「もちろん、お蒔は玉藻前の様な九尾の狐ではない--わしの話は、もろこしから九尾の狐の話が伝わって来た事を説明したに過ぎん--そして紂王の妃の妲己の名の由来は、元々は天竺の荼枳尼天じゃ--荼枳尼天は、狐の神なのじゃ--しかしな--女というものは、大なり小なり狐であり荼枳尼天じゃ--」と言ったので、市助は「それなら、荼枳尼天に祈れば、お蒔をものに出来ますかいな--?」と訊いた--。
-和尚は膝を叩いて「わっはっは!」と笑い「とうとう本音が出た様じゃな--!-よかろう、荼枳尼真言を教えてやるから、お蒔を仏像と見なして祈ってみるがよい--ものに出来るかも知れんぞー-!」と言って更に笑ったー-。
-翌日--市助は、和尚に礼を言って麓の里に帰っていった--。
-市助は三日間出かけていたが、小間物商の店は、お蒔がしっかり留守番を務め、特に変わった事も無かったという--。
-それから毎日ー-市助は、お蒔の背中を見ながら他人には聴こえない様に、和尚に教えてもらった呪文をごにょごにょと唱えておったが、お蒔は、それが気になる様子で、時々振り返って市助を見ておった--。
~三か月ほど経ったある日--市助は、再び持国寺を訪れた--。
-奇しくも、その宵もおぼろ月夜であった--和尚は、待ってましたとばかりに晩酌を始め、市助の話を聴いた--。
-あれから毎日、市助はお蒔の方を見ながら真言を唱えておったが、彼女は市助が自分に気があると勘づいて、態度を固くした--。-そして、みるみるうちに痩せていった--。
-そのうちお蒔は、一身上の都合により、店を辞めたいと申し出た--。-市助は、たいそうがっかりしたが、やむなくお蒔を辞めさせ、代わりに近所に住む、お靖という、よく肥えた大柄な娘を雇った--。
-お靖は、きりょうの良い娘ではなかった--下膨れ、八の字眉毛、やや垂れた細い目、豚っ鼻、鱈子唇と--しかし、不細工もこれだけ揃うと、要はやや子の様に可愛いらしく、市助は、痩せてしまったお蒔よりも興味をそそられた--。
-そこで、お靖こそが女神じゃったと思った市助は、その背中に向かって祈り始めた--。
-ほどなくして、市助の女房のお仲が男の子を出産し、竜吉と名付けた--。
~一月ほどすると、お仲は、やや子をみながら店の仕事も出来る様になったのでお靖は辞めさせた--。
-竜吉は可愛いらしかったが、誰かに似ていると思ったら、やや子の様な顔のお靖に似ていた--。
-こうして市助は、お蒔からお靖、そして竜吉へと気持ちが移り、霧が晴れる様にお蒔に惚れていた想いを払拭し、心から竜吉を可愛いがっているという--。
-話を聴いた、一行和尚は「荼枳尼天は、狐の神で怪しい悪女の神じゃー-しかし、祈りの入り口に居る神でなー-まずはこの荼枳尼天に祈らねば何事も始まらんのじゃー-お前さんは、お蒔をものにしたい一心で真剣に祈っていたので、それは荼枳尼天から福の神にまで通じたー-お靖も竜吉も福の神の化身じゃー-まあ、めでたしめでたしという訳じゃー-」と言って笑ったー-。
-いかがだったでしょうかー-。
-案外この和尚も、若い頃に色恋沙汰で苦労した様ですね--。