プロローグ
「さきちゃん。10かぞえたら、すたーとだよ!」
「うん。わかった!」
「さきは10までかぞえらんないかもよ」
「おにいちゃんのばかー! もうおぼえたもん!」
「おい、はじめるぞ。いそげー!」
「いち、にっ、さんっ、よんっ、ごっ、ろーく、なーな、はーち、きゅう……じゅう!」
目を覆っていた掌をそっと顔から降ろし、それでもなお強く閉じていた瞼をゆっくりと開ける。
私はいつもこの瞬間が一番怖かった。
目を閉じる前の世界と、開いた後の世界が、どこかで違っちゃっているような気がしてて。目を閉じている間に皆が私のことを忘れてしまい、私抜きで別の場所へと遊びに行ってしまうんじゃないかって。
だから心の準備をしながら、少しづつ、少しづつ、開いてゆくの。海やプールに入るときの準備体操みたいに。
静かに、静かに、現実を驚かさないように。
それから、おまじない。
ポケットの中の小石を探す。目を閉じる前に仕舞っておいた小石。その小石があれば、私はさっきまでの世界にちゃんと居る。
いつの間にか私の中にあったおまじない。
一度使った小石は二度と使えないって決まっていた。戻ってきた私は小石にばいばいって言ってお別れして。これでちゃんと安全だった。
ルールなんて小さな私が勝手に決めたんだろうけど、いつも必ず戻ってこれていたから多分正しいおまじないなんだわ。
そしてみんなが居る現実に戻ってきた私は、鬼をはじめるの。
……私は、鬼。
……皆を見つけるの。
……見つけたいのに……でも何故か鬼に「なった」ときの記憶しかないわ。
しかも見つけたときの記憶がないの……小さい頃の私ってそんなにどんくさかったのかなぁ。
そんな事を考えたのはタンスの隅から出てきた小さな名札のせい。小学生のときのもの。
6枚あるわ……毎年毎年ぜーんぶ自分で書いてたのね。だんだん字が上手くなってゆくのが分かる。そこでもう一度、最初の名札を手にとってみる。
この字ったらもう文字だか模様だかわからないわね。チューリップのような可愛らしいデザインの名札に書かれた名前。
『てらい さき』
他の学年の名札はシンプルで機能的なデザインなのに一年生の名札だけは違うのね。やっぱり幼稚園からあがってすぐだからかしら。
あの頃って……
「おーい、咲季、ちょっとー」
彼に呼ばれてこっちの世界に戻ってくる。いけないいけない。こんなんじゃいつまでたっても引越し準備が終わらないわ。
台所で彼が持ち上げていた食器棚……コンビニでパンを買って集めた戦利品(キャラクター皿)が!
「そ、その引き出しは絶対にもってくー!」
「これもかー?」
そう言って苦笑いした私の彼、高野幸一。親友の結婚式で知り合ってから二年。一緒に住んじゃおっかなんて話は一応出てなくはなかったけれど、ちょっと前まではごくごくフツーのカップルだった。
その絶妙なバランスが崩れたのはちょうどハロウィンが終わった直後。ちょっと早いけれどクリスマスプレゼントを買いに行こうって連れてかれた高そうなブランドの店で、彼はこう言ったの。
「こないだ選んだやつ、もってきてくれますか?」
こないだ?




