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五話

 何故、急に思い立ったか、自分でも、よく分からない。

 たぶん、あのヤマジのヤツが、デートだとか生意気にも抜かして、僕との映画の約束を浮かれてドタキャンしやがったからだ。それとも、重たいコートが要らなくなって単に身軽になったからか。とにかく「ちょっと行ってみようかな……」と、なんとなく思い立ったのだ。

 ひとたび決めると、昨夜はよく眠れなかった。翌日に遠足を控えた小学生みたいに、ごろんごろんと寝返りをうって。つまりは、寝不足なのだった。夜の商売の人のごとくに、昼の日ざしがシパシパまぶしい。

 季節は、春になっていた。ジーパンのポケットに指を引っかけ、擦り切れたナイキでぶらぶら歩いた。吹きさらしの土手の上は、吹きつける風が意外と冷たい。──いや、かなり、冷たい。

「……な、なんで?」

 冷風ピープー吹き抜ける誤算に、僕はカタカタ震えて首を傾げる。僕の漠然とした予定では、もっと、あたたかい陽気のはずだった。そう、春っていうのは、ぽかぽかしたもんだと思ってた。その上、意外にも風が強い。

 春になったら、河原に行く──僕の頭に、いつの間にか組み込まれていたパブロフの犬的計画では、決行日はもっと、ぽかぽか陽気のはずだったのだ。そう、こんなはずじゃあ──

「……まあ、現実はこんなもんか」

 土手の吹きっさらしで、溜息をついた。なんとなく肩透かしを食らった気分だ。そう、とかく現実はシビアなもの、身を以て知っていたはずではないか。そう、あのトラックに逃げられた、忘れもしないあの日から。

 胸のどこかで奇妙な失望を味わいつつも、気候については諦めて歩いた。文句を言ったところで、どうしようもないのだ。

 視界にまっすぐ伸びているのは、懐かしい土手の道だった。そう、覚えがある。ここは何も変わらない。月日はたっても、あの場所はすぐに分かった。ああ、随分ご無沙汰だ。

 雑草の葉が冬空をさして、さらさら風に揺れていた。僕は全身の力を抜いて、伸び放題の草の斜面を、重力に体を引っ張られるに任せ、足だけでズンズン降りていく。

 目は、あの場所を探していた。そう、僕は恐らくは、"あれ"がどうなったのか見届けておきたかったのだ。あの頃の高い体温が、僕の体に残っている内に。

 かったるい足を動かして、あの場所に向かって、ぶらぶら歩いた。何度も通ったあの場所に。

 僕は目を疑った。半ば呆然としながらも、そちらの方へと歩み寄る。

 周囲に、人は不思議といない。──そう思ったそばから、ああ、と気づいた。丁度、桜のシーズンだから、土手に来るような者は皆、派手なそっちに集まっているのか。そうした土手の歩行路は大抵桜並木になっていて、この土手も然りだから、近所のおばちゃんやらおっさんやらが集団でゆっくり歩きつつ、薄桃色の小花群を嬉しそうに見あげている。

 でも、春の花が、春に咲くのは当たり前のことだろう?

 別に、不思議でも何でもない。何故ああも嬉しそうな顔をするのか、僕にはよく分からない。マックのクーポンをもらった方が、そんなことより、よっぽど嬉しい。配る娘がかわいければ、もっと嬉しい。

 

 ……それは、ともかく。

 

 "それ"に吸い寄せられるようにして、僕の足は速まった。

 さっぱり訳がわからない。僕らが作ったあの花壇は、せいぜい30センチ四方のものだった。それなのに──

 黄色い花が咲いていた。あたり一面、一斉に。

 二メートル四方にも広がった、黄色いお花畑がそこにあった。日頃はとんと興味がないが、この時ばかりは綺麗だと思った。ああ、あんな桜なんかよりも、ずっと、ずっと──。

 黄色の分厚いカーペットが、僕の足元を埋め尽くし、そこにびっしり密生していた。ふと、"そのこと"に気がついて、僕はあんぐり口を開ける。花の種類には詳しくないから、あの種の袋に描かれていたのが何の花か、なんて全く知らない。でも、もしや、あれは、──

 雑草の種だったのか?

 呆気にとられて立ち尽くし、僕はがっくり脱力した。あの種は雑草の種で、勝手にここまで増えていた、と? つまり、

 ……水なんかやんなくたって、こんなに立派に育つんじゃねーかよ。

 だったら、家からセッセと水を運んだ苦労の日々は何だったのだ。体の小さな小学生に、2リットル入りペットボトルはけっこう重い。それを両手で抱えて毎日毎日。それにしたって、その福引を開催した隣町・町内会の責任者! いくらハズレの景品だからって

 もっとマトモなやつ用意しとけよ……。

 当時の途方もない徒労を思って、僕は深くうなだれた。いや、別に、文句をつけられた筋合いなんかじゃないけどさ。

 花達は健気に──というよりも、そりゃあもうたくましく咲き誇っていた。周囲の雑草なんかぐいぐい脇に押しのけて。あたかも、人の世話など要らなかったかのように。

 葉っぱや花の色艶もいい。周りに生えた雑草なんか、比べ物にもなりゃしない。茎も太く短く頑丈そうで、どっしりしている。動物ならば「まるまる太った」とか「図太い」とかいう表現がピッタリだ。

「……なんだ、お前ら。隣の雑草より、よっぽど、たくましいじゃねーかよ」

 思わず、笑った。まったく、ひ弱な草花の種かと思えば、周りの地面にまで侵食し、領土を拡大しているし──

 いや、

 ふと、僕は気がついた。息を吐き、綺麗に咲いたお花畑を眺めやる。

 この花達は毎年咲いて、こうして待っていたんだろう。

 一向に姿を見せない二人の幼い友人を。

 こんなに綺麗に咲いたよ、と、ほころんだ花を見せる為に。

 いつか、やって来るだろう友を待ち続け、だから、零れた種から発芽して、こんなにも増えてしまったんだろう。時おり降り注ぐ雨水だけで、自分に与えられた領分を守って。

 だって、よく見りゃ、コイツら、なんだか、とっても得意げだ。頭でっかちの黄色い花を、一斉に揺らすその様が、我も我もと競って話し掛けてくるようで、僕を歓迎してくれてるようで。それなのに、こっちときたら、勝手にさっさと見限って。僕は苦笑いした。

「オレ達は、薄情だよな……」

 ふと、口をつぐむ。

 耳に飛び込んだ自分の声が、思っていたよりずっと低い自分の声が、清らかなこの場には、何か決定的にふさわしくない、そんな気がしたのだ。

 自分の声は毎日聞いているはずなのに、僕の声はひどく変で、耳障りな響きを持っていた。そして、奇妙に歪んだ違和感は、"それ"を知らしめるに十分だった。

 絶対的な「時」の隔たりを。

 僕は愕然とした。もう、戻れはしないのだ。あの子と遊んだ、あの頃には。もう会えはしないのだ。あの小さな女の子には。

 大好きだったアヤちゃんには。

 

 川面かわもを渡った強風が、午後の土手をさらっていった。

 一陣の風に、桜が吹雪いて舞い踊り、伸びやかな青葉の波がサラサラ涼しげな音を立てている。

 大きな頭をざわりと揺らして、一面の花が一斉になびいた。僕は、なんとか息を吐く。

 潮時だった。もう、いい加減、諦めて然るべき時だった。

 僕だけが "ここ"で立ち止まって待っていても、この先には何もない。決着は、とうについている。僕ははっきり負けた(・・・)のだ。

 そう、僕らの未来は分かたれている。

 そういう運命だったのだ。小学生がトラックなんかと追いかけっこしても、勝てるはずなど初めからなかった。アヤちゃんの一家がどこへ越していったかなんて、苗字さえも知らなかったあの頃の僕に分かるはずがなかった。

 僕らの未来は、断ち切れている。

 僕が追いつけなかった、あの時に。

 

 長く、息を吐き出した。

 胸にぽっかり穴が空き、その分だけ軽くなる。

 いっそ、気分がせいせいした。あの懐かしい一角は、一面の花畑になっていた。僕を慰めてくれるかのように。

 それだけ見れば、十分だった。頭上に広がる青空を眺めて、うーん……と、腕を付き伸ばす。

 いい天気だ。春の河原は気持ちがいい。風は、まだ少し冷たいけれど。あの女の子は、いなかったけれど──

「……いる訳がないって」

 未練たらしい自分を、僕は苦笑いで笑い飛ばした。旺盛に伸びた青草の上に、ゴロリと横になってみる。そう、僕はもう、歩き出さなければならない。

 視界に広がる大空は、刷いたような雲を浮かべて、地球を薄青く包んでいた。遠く中天の太陽がまぶしい。

 底知れぬ空にいだかれて、僕はゆっくり瞼を閉じた。予定なんか、別にない。急いで帰ることもない。

 足を伸ばして寝転がった鼻先を、ぼうぼうに伸びた青い香がくすぐる。その後、うっかり寝入ってしまったのは、僕が不精だからじゃない。僕は所構わず寝転がったりするような、傍迷惑尚且つワイルドな奴なんかじゃ断じてない。そう、いうならばたまたま(・・・・)だ。きっと、たまたま昨日貫徹だったから……

 

 その気配に気づいたのは、それから、しばらくしてだった。

誰かいるのだ。花畑に。

 僕はむっとして身を起こした。別に僕の花畑じゃないんだが、様子を見にきたことなんか一度だってなかったが、だから、こんなに花が咲いてたなんて、今の今まで知らなかったが、

 けれど、それでも嫌だった。

 あの子とのあの思い出が踏みにじられてしまいそうで、赤の他人には立ち入られたくないようで──いや、違う。だって、そもそも、あの種まいたの僕じゃないか!? ペットボトルで、水だってかけた。おし!

 文句を言う資格は、たぶんあるぞ自分!


 よしっ! と僕は跳ね起きた。気合を入れて相手に踏みだす。

 そこにいたのは、一人の若い女だった。こっちに背中を向けているから、顔の美醜は分からない。

 相手が女の子なら、大抵のことは大目にみちゃう大らかな僕だが、そいつらをつんだりしたら許さない。こいつらだって、こんなにがんばって咲いたんだし、これは僕だけのものじゃない。あの子は忘れちゃったかもしれないけれど……ともあれ、僕の大事なものだ!

 背中を向けて立っている女に、僕は憤然と歩いていった。ほっそりした後ろ姿だ。ベージュ色の薄いコートと、膝丈の白っぽいスカート。髪は茶色く、長さは腰まで、それから──ふと、彼女が振りむいた。

「え──」

 僕は息を呑みこんだ。

 何が起きたか分からなかった。頭の中は真っ白で、僕はその場で棒立ちになった。そして、唖然と固まった僕の中で、あの日のカミサマが復活した。よっこらせ、とよそ様の壁にでもよじ登るような感じで。実に久々、唐突に。

 生憎発想が貧困なもので、僕のカミサマも巷でよく見る白髭・白衣、規格品仕様の外見なのだが、例によって白髭・白衣のその人は、ニッと笑って、Vサインをくり出した。前々から思っていたが、どうも僕のカミサマは、親しげっていうか軽いっていうか、威厳がなくて、よろしくない。

 ……とにかく!

 僕はやっぱり、アナタを信じることにします! カミサマ!

 だって、これは──

 

「おっそーい!」

 

 まだ肌寒い春の風が、長い髪をさらさらさらった。

 よくあるベージュのスプリング・コート、中はたぶんワンピース、茶髪のかかる薄い肩、細い首に銀のアクセサリー、そして何より僕がよく知るあの面影。そう、だって、これは

 ──とびきりの奇跡だ。


 あの頃の女の子が、腰に手を当て立っていた。いや、あの頃より数段綺麗になった、あの女の子、アヤちゃんが。

 変わっていない。ちっともだ。そう、いつだってそう言って、僕のことを怒るんだ。なんだかとっても理不尽な理由で。

 あまりに突然の再会で、呆気にとられて突っ立っていると、アヤちゃんはぷりぷり抗議した。

「んもう、遅いんだからぁ! " 約束だぞ "って言ったの、コウヘイちゃんでしょ? 一体何年待たせる気なの?」

 

 ……何年(・・)

 

 僕は身じろぎできなかった。

 だって、それに気づいてしまった。そう、

 

 約束を破ったのは、僕の方だ(・・・・)

 

 会えたのはたぶん、偶然じゃない。

 偶然なんかであるわけない。アヤちゃんの足元には、プラスチックのボトルが転がっていた。青いキャップの、20センチくらいのプラスチック・ボトルだ。それと全く同じ物を、うちのベランダで見たことがある。白いボトルの紙ラベルには、単純化された三輪の花の絵。太字で書かれた商品名は「液体肥料」。どういう用途か、今なら分かる。

 あの日、引っ越したアヤちゃんは、ちゃんと、ここで待っていたのだ。引越し先から時々様子を見にきては、まいた種を育てていたのだ。僕が夢中でサッカーボールを追ってる間も、ヤマジ達と馬鹿面下げて爆笑している間にも、たった一人でここに来て、あの日の約束をきちんと守って──

 

 少し冷たい春風に吹かれて、黄色い花々が揺れていた。

 花達はこうして、毎年花を咲かせていた。花が咲き、葉が枯れて、種を落として冬を越し、春に再び一斉に芽吹いて、毎年毎年僕らを待って、いく度も萌芽をくり返し。

 アヤちゃんは、ずっと待っていた。この花達が咲く頃に。

 僕が来るのをひたすら待って、まだ冷たい吹きっさらしの春風に吹かれて、一人ここで日が暮れるまで──

 呆然とアヤちゃんを見つめたままで、僕は動くことができなかった。

 アヤちゃんはまっすぐ目を向けて、ヒールのサンダルで歩きだす。

 

 黄色い花の、咲く頃に、

 下ろしたままの僕の手に、そっと片手をさしのばす。

 

 黄色い花の、咲く頃に、

 アヤチャンの手が、僕の手をとる。


 まぶしい春の日ざしの中で、僕らの未来が、つながった。


 

 

 

 



   ~ 黄色い花の 咲く頃に ~

 

 



☆ お読みいただき、ありがとうございました。ご感想お待ちしております。

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