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三話

 似たような二階家が延々つづく静かな住宅地がとぎれると、辺りが急ににぎやかになった。片側三車線の突き当たりの車道を、宅配車だとかタクシーだとかが、ビュンビュンとばして走っている。国道に出たのだ。

 文房具屋やコンビニやファミレスやケーキ屋なんかのお店が、歩道にはぎっしり詰まっている。白文字の青い看板は、地下鉄の駅のしるし。そこだけ異次元に通じてるみたいに、ぽっかり口を開けている。

 肩の下くらいの高さがある緑のガードレールのその横を、僕は、お気に入りの運動靴、ナイキを見ながら歩いていた。国道には近づかないよう、いつも、かあさんから言われていたけど、今さら引きかえすのも面倒だった。

 子供は歩道にほとんどいない。大人はぼちぼち歩いている。携帯を見ながら歩く人、黒いブーツのお姉さんや、スーツにネクタイのサラリーマン、サンダル履きのおばちゃんたち──。

 クラクションがうるさく鳴った。

 携帯の着信音、大勢の人が歩く音、話し声なんかで、ざわざわしていて騒がしい。赤信号で車が止まって、排気ガスが立ちこめる。車道の信号が点滅し、そうして何度か赤に変わった。ああ、僕の人生も赤信号だ。

 背中を丸め、ポケットに手を突っこんで、足元を見ながら、僕は歩いた。歩道に敷かれたオレンジ色の四角いタイルに、うねうねうねった変な模様が掘ってある。なんのつもりだ。

 その時、顔をあげたのは、置いてけぼりの僕を哀れに思って、神様がイキな計らいってヤツをしてくれたからかも知れない。

 僕は、見た。

 バッチリ見た。

 カミサマがニッと笑って、Vサインをくり出すのを。

 ──いや、違う!

 向かいの車道の、引越しトラックの窓の向こうだ。

 二人の大人にはさまれて、座席にアヤちゃんが座っていた。茶色いクマのヌイグルミを抱きしめて。

 隣にいるのはアヤちゃんのママだ。若くてきれいな、あのママだ。煙草をふかしながら運転しているのは、覚えてないけど、たぶんパパだ。がっしりした強そうな奴で、車のハンドルに手を置いて、頑丈そうな歯を見せて大口開けて笑ってる。いや、そんなことより問題なのは、トラックが向こうの車線にいることだ。向こう車線はつまっているけど、早くしないと行ってしまう!

 僕は横断歩道の場所を探した。

 あわてて見まわし、やっと発見。歩道の先だ。でも、遠い。ここからかなり離れている。しかも、そっちはトラックが向かっているのとは逆方向だ。

 ──このまま車道を突っきるか。

 イケナイ考えが頭をよぎる。

 でも、六車線道路に満杯の車がもしも一斉に動き出したら、アニメみたいにひょいひょいかわして渡り切る自信なんて、僕にはない。現実はシビアなのだ。特に、国道の車はとばすから。

 横断歩道はけっこう遠い。

 トラックは今にも動き出しそう。

 そうして僕は、空を仰ぐ。

 カミサマ。

 どーして、僕に、いじわるするんですか!?

 イケズな神様に頭の中でケリを入れ、横断歩道に向かって走る。 

 信号が青に変わるのを、苛々しながら僕は待ち、青信号に変わった途端、フライング気味にダッシュした。向こう岸に駆けこんで、消火栓の赤鉄棒を片手でつかんでユーターン。

 ぶん回されて、体が浮いた。

 キャッと近くのおばさんが、わめいて端まであわてて避けた。どこかのおじさんの怒鳴り声が聞こえる。「これだから、近頃のガキは──!」

 でも、悪いけど、僕は今、それどころじゃないのだ。オレンジ色のタイルを蹴って、引越しトラックの後を追う。

 僕は走った。

 がんばって走った。

 歯を食いしばって、しゃかりきに走った。

 こんなに一生懸命走ったことは、未だかつて一度もない。かあさんがデジカメ振りまわし、黄色い声で応援していたあの徒競走の時だって、こんなに走りはしなかった。

 冬なのに、熱かった。

 空気が顔に冷たくて、喉がヒーヒー痛かった。もう、汗びっしょりだ。

 でも、次の信号が赤に変われば、トラックに追いつく自信はあった。こっちの車線はつまっているし、タイミングだってドンピシャだ。それに何を隠そう、僕は足が速いのだ。

 実は僕は、サッカー・チームのエースなのだ。ああ、ヤマジ達とサッカーやってて、本当に良かった。誘ってくれたヤマジに感謝。でも、アヤちゃんに内緒で「かわいいだろ?」と見せてやったら、あいつ「そうでもない」なんて言いやがったから、密かに絶交してやったけど。

 トラックの荷台がぐんぐん近づく。

 テールランプを赤く点け、のんびり車道で停まっている。

 胸が急にどきどきした。

 アヤちゃんに、なんて言ったらいい?

 僕を見たら、驚くかな。

 きっとクマを放り出し、まん丸の目を見開いて、トラックの窓から転げ落ちそうになるほど、僕に手を伸ばしてきて──

 

 ああ、神様! 

 僕のお願い叶えてくれたら、僕の内緒の宝物「ヤッターマン・カード」三枚、さしあげますっ!

 

「──あ!」

 僕は呆然と立ちつくした。

赤信号をスルリとかわして、トラックが横断歩道を突っきったのだ。いや、今のは赤だろ? きっちり赤だ。そして、赤は「とまれ」のサイン。ほ~ら、子供だって知っている。そんなの万国共通だ。なのに──

 

 カミサマ、そんなの反則だろ!?

 

 狭い日本、そんなに急いでどこへ行くのだ……

 カクカク笑う崩れそうな膝に手を当てて、僕はパパのでたらめさを恨んだ。大口開けて、ぜえぜえ酸素を吸いこんでいるから、油断してると、口からヨダレが垂れそうになる。トラックが次の信号で止まるまで、走る自信なんて、もう、ない。

 お気に入りのナイキをすり減らし、歩道の大人に怒られて、カミサマに裏取引を持ちかけてまで追いつこうとした僕の努力は、けれど、パパのあこぎな反則技でこっぱ微塵になってしまった。ちなみに僕のカミサマは、「ヤッターマン・カード」三枚にはあんまり興味がなかったみたいだ。

 走りっぱなしだったから、立っていることさえ、しんどかった。僕はジャンバーで汗をふき、タイルの歩道に両手をついた。本当は寝転がってしまいたかったけど、ここはみんなが通る歩道なのだ、そういうわけには、まさかいかない。けだるい体で四つん這いになって這いつくばる。

 あの花が咲いたところを、アヤちゃんと二人で見るはずだった。

 ぽかぽかあたたかい春の日に。

 黄色い花の、咲く頃に。

 汗がぽたぽたしたたり落ちて、タイルに黒いしみができた。ぎりぎりセーフで信号をかわし、トラックはぐんぐんスピードをあげる。

 へたりこんだ歩道から、僕は見送ることしかできなかった。

 ヘトヘトにへばって何もできない僕の前で、トラックはみるみる遠ざかる。そして、あのアヤちゃんも、やっぱり僕に気がつくことなく、そのまま行ってしまうのだ。

 トラックは交差点の角を曲がり、そのまま消えて見えなくなった。排気管からまき散らされた灰色のガスだけを僕に残して。

   

 僕は土手に行かなくなった。あんな吹きっさらしの寒い所、一人で行っても、しょうがない。そして、いたく傷ついた傷心の僕は、カミサマが見向きもしなかった「ヤッターマン・カード」三枚で、ヘソを曲げたヤマジに詫びをいれ、ヤマジ達のグループにさん然と復帰した。

 そうして月日は過ぎていき、僕はいつしか、白と黒のサッカーボールを追いかけることだけに夢中になった。そうそう、特筆すべきことが一つある。

 僕は、カミサマのヤツと絶交した。


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