なぜ教えて差し上げなかったの?
「──え?」
ユニスは耳を疑う。
王立学園の親友であり王太子の婚約者でもあるブリアナが、とんでもないことを言い出したからだ。
ブリアナは身を乗り出し、さらに小声で囁く。
「だからね、私の神聖力がなければ、王太子殿下は生きていられないの。そんなことも知らずに、たかが男爵令嬢と浮気三昧なんだから。学園で耳にした噂によると、殿下は次の夜会で私に婚約破棄を宣言するらしいけれど。もし本当なら見ものね。私を失ってから、ようやく全てを知って後悔する殿下の顔が拝めるんですもの。いい気味よ」
やはり聞き間違いではなかったと、ユニスの背には冷たいものが伝う。ユニスはごくりと唾を飲み、友に尋ねた。
「なぜ殿下に神聖力のことを教えて差し上げなかったの? もしご存知だったら婚約破棄などしないでしょうし、もっとあなたのことを大切にしてくれたはずでしょう? それとも、何か言ってはいけない事情があるの?」
ブリアナは目を瞠る。ただ一緒に喜んでくれると思っていた友が、意外な反応を示したからだ。
「……事情なんて何もないわ。教えたくなかっただけ。私に対して愛情なんか一欠片もないのに、ただ神聖力欲しさに一生手放してもらえなくなったら困るもの。それに、王太子殿下を絶望させられる、お楽しみの手札なのよ? 有効に使う前にわざわざ教えるバカがどこにいるというの?」
ブリアナの言い様に、今度はユニスが目を瞠る。
「それでは、あなたは王太子殿下の浮気云々にかかわらず、殿下と別れたかったということ?」
「当たり前じゃない。頭も身体も弱い上に、思いやりもない。挙げ句に浮気だなんて。王太子としての器も品性も資質もない方が、国王として国を治められると思う? 第二王子殿下の方が、よっぽど未来の国王に相応しいわよ」
そう言うと、ブリアナは瞼を瞬かせ、うっとりとした眼差しをティーカップに落とした。
向かいに座るユニスは、ブリアナの表情や言葉の一つ一つを咀嚼し、慎重に整理する。
やがて、あり得ないという結論に至った。
親友として、何より父を宰相に持つ身として。ここはキッパリと言わなければいけないと、ユニスはやや緊張しながら口を開いた。
「ねえ、ブリアナ。あなた、王太子殿下には王になる資質がないと言ったけれど、私から見れば、あなたにも未来の王妃になる資質はなくてよ?」
その言葉に、ティーカップを持つブリアナの手がピタリと止まる。
不穏な空気の中、ブリアナはカチャンと音を立てて、カップをソーサーに戻した。
「私に資質がない? ……何でそんな酷いことが言えるの? 私がどれだけお妃教育に励んできたか、どれだけ殿下を支えてきたか。親友のあなたが一番わかってくれていると思っていたのに」
「ええ。もちろんあなたは努力したわ。私なんか足元にも及ばないほど有能だし、未来の王妃に相応しい女性は、あなた以外にいないと思っていた。でも……全て思い違いだったわ」
感情が高ぶったのか、ブリアナは身体を震わせ、強い口調で反論する。
「思い違い? 私の苦労なんて、何も知らないくせに偉そうに! 無能な王太子を支えることが、どれだけ大変だったか」
「ええ。何も知らないわ。だけど、これだけはわかる。臣下であるあなたが、王太子殿下を欺いている上、お命を危険に晒していること。さらに、誰より優先してお仕えしなければいけない王太子殿下を無能などと侮辱し、第二王子殿下に心酔していることも。これが反逆罪でなくてなんなのかしら」
『反逆罪』という言葉に、ブリアナはいよいよ眉を吊り上げる。立ち上がり、両手でバンとテーブルを叩くと、鋭い目でユニスを睨みつけた。
「ではあなたが王太子妃になればいいじゃない。私の力がなければ、どうせ殿下はすぐに亡くなるでしょうけど。側妃の男爵令嬢と仲良く悲しみを分かち合いながら、一生喪に服して城に閉じこもっているといいわ!」
「……ええ、そうね。その覚悟がなければ、王太子妃など務まらないでしょうね」
「綺麗事言わないでよ! 私は生きたいわ。自由に生きて、学んで、恋がしたい……もう限界なの! 解放されたいの! 王太子が死のうがどうなろうが構わない! あんな男とこのまま結婚するくらいなら、いっそ私の首を刎ねてほしいわ!」
ユニスは誰かに聞かれていないかとひやひやしながら辺りを見渡すが、親友とお茶を楽しむテラスはいつも人払いをしているため、小鳥の鳴き声とブリアナの泣き声しか聞こえなかった。
ユニスは安堵し、ブリアナの気持ちも考えずに詰めすぎたと反省する。そして言葉を選びながら、冷静にブリアナに向かい合った。
「ねえ、ブリアナ。私は親友として誰よりあなたの幸せを祈っているし、一臣下としては王太子殿下をお守りしたいの。まずは殿下とよく話し合って……」
ところが興奮冷めやらぬブリアナは、「あなたなんか絶交よ!」と言い捨て、テラスを飛び出していってしまった。
それから散々悩んだ末、ユニスは宰相である父に相談した。
親友が自分を信用し、教えてくれた真実。
だが、それが罪であると知りながら、一人で抱え込むことなどどうしてもできなかったのである。
話を聞いたユニスの父は、宰相として、この国と王室にとって何が最善かを模索する。これまで政権争いにおいて中立の立場を保ってきた彼だが、自分も巻き込まれることを覚悟の上で、娘とともに王太子の元へ向かった。
「……そうなんだ」
宰相とその娘から真実を聞かされた王太子は、まるで他人事のように呟く。
「ご婚約者様の神聖力がなければ、あなた様のお命が危うい。男爵令嬢とは今すぐ別れ、ご婚約者様を何より大切になさってください」
そう忠告されたにもかかわらずだ。
しばしの沈黙の後、王太子はふっと笑い言った。
「別に僕は、いつ死んでも構わないよ。というか、無理に生かしてくれなくてよかったのに。無能な僕より、有能な第二王子が王太子になった方が、この国にとってもいいだろう。死ぬまでゆるゆると女遊びができれば、僕はそれで満足さ」
ほぼ予想どおりの言葉に、ユニスの胸は痛む。
宰相に目配せし、頷き合うと、ユニスは口を開いた。
「臣下ではなく、ご婚約者のブリアナ様の親友として、無礼を承知でお伺い致します。殿下が夜会で婚約破棄を宣言されるという噂が学園中に広まっておりますが、それは本当でしょうか?」
「……ああ。本当だよ。無能で女好きの王太子が、愚かにも国の一大行事である建国記念祭の夜会で婚約破棄を宣言して、有能な婚約者にやり込められる。後世まで語り継がれる、痛快な事件になりそうだね。ざまぁみろって」
笑みを湛えたままそう答える王太子だが、ふと真面目な顔を宰相へ向けた。
「婚約破棄宣言を機に、僕は王位継承権を剥奪してもらうつもりでいたんだ。どうせ生きられないと知って、さらに覚悟が決まったよ。……ブリアナには新しい人生を歩んでほしい。彼女は有能だから、どこへ行っても何をしても幸せになれると思うよ。あ、もし互いに望むなら、第二王子の妃になるのもいいよね。せっかく妃教育をがんばってくれたんだし」
ブリアナの幸せを願う王太子と、王太子の死を願うブリアナ。
あまりにも乖離している二人の悲しい関係に、ユニスの胸はさらに痛んだ。
本来は穏やかで思いやりのある王太子が、なぜ婚約者のブリアナに対し冷たい態度を取り続けたのか。その真意は、
『無能な僕より、有能な第二王子が王太子になった方がいい』
という言葉に表れていた。
──王太子は前王妃の子である。
生まれつき、治療法のない難病を抱えて生まれてきた。
このままでは十歳まで生きられるかどうか──
一歳の誕生日で医師にそう宣告され、落胆していた前王妃の耳に飛び込んできたのは、国王の寵妃が元気な王子を産んだという知らせだった。
国王に愛されないなら、せめて愛する息子だけは王位に就かせたい。そのためには、何としてでも息子の病を治さなければ。
そんな前王妃の思いは執念となり、病を治せるほど高い神聖力を持つ者を秘密裏に探した。そして王子が五歳になった時、運良く見つかったのが同じく五歳の少女ブリアナだったのである。
ブリアナと数時間一緒に過ごしただけで、王子の体調はたちまち良くなった。優秀な第二王子に焦りを感じていた前王妃は、王子の病は強い祈祷で奇跡的に完治したと公表する。
こうして、直系長子制度に影を落としていた王子の病の問題は、“ 表向きには ” 解決し、王子は法律通り無事に王太子に即位したのだ。
なぜ表向きかというと、実際は完治などしていなかったからである。
神聖力を定期的に取り込まなければ、王太子はすぐに体調を崩すため、ブリアナを婚約者候補として頻繁に登城させる必要があった。
当時子爵令嬢だったブリアナが、伯爵令嬢となり、正式に王太子の婚約者になったのは、そんな経緯からだった。下級貴族の出だが、容姿も良く利発だったため、誰も疑うことはなかった。
王太子がブリアナの神聖力なしでは生きられないことは、前王妃とブリアナ、そして王太子が生まれた時から診ている医師しか知らない。第二王子を寵愛する国王にはもちろん、王太子本人にも知られぬよう、前王妃が固く口止めしたからだ。自分が生き長らえるために、ブリアナの自由が奪われたという真実を知ったら、繊細な王太子は耐えきれないだろうと懸念したのだ。
だが、王太子はその真実に薄々気付いていた。
本心では、健康で有能な第二王子に王位に就いてほしいと願っていたが、母の思いを無下にすることも、母の立場を危うくすることもできなかった。かといってブリアナを犠牲にすることはつらく、葛藤し苦しんだ。
その結果、ブリアナにはわざと冷たい態度を取り続け、周囲には我が儘で無能な王子のふりをした。いつか王太子の座を第二王子に譲る機会を窺いながら。
そして前王妃が亡くなった今、この真実は、ブリアナの残酷な手札となってしまったのだ。
宰相から聞かされていた王室の複雑な事情と、王太子の生い立ち。
さらに今、王太子の口から新たな真実を聞かされたユニスは、涙を堪えていた。
俯き、口をキュッと結ぶ彼女を見て、王太子はくすりと笑う。
「ブリアナは優しいんだよ。母上が亡くなった後も、ずっと神聖力のことを秘密にしてくれていたんだから。手札だろうが何だろうが、大事に持っていてくれてありがたいよ。……それに本当は、わざわざ婚約破棄騒動なんか起こさなくても、僕が陛下に申し出れば済むことなんだ。『病が再発したので、王太子は務まらない』って。そうすれば、陛下は喜んで王位継承権を放棄させてくれるだろうし、神聖力のことを伏せれば母上の名誉を傷付けることもないだろう。でも……」
王太子は一呼吸置き、つらそうな顔で続ける。
「怖かったんだ。『王太子』は、陛下と僕を繋ぐ唯一の糸だったから。第二王子に譲りたいなんて綺麗事を言いながら、本当は誰より王太子の座に執着していたんだろうな。僕も母上と同じで、父上には愛されなかったから」
吐き出される悲しみに、仲睦まじい父娘は何も言うことができない。
重い沈黙を、王太子は軽やかに破った。
「教えてくれてありがとう。ブリアナとはよく話し合って婚約を解消するよ。今までのことをちゃんと謝罪して、神聖力のことは秘密にしてほしいと頼んでみる。勝手だけど、可哀想な母の名誉だけはどうしても守りたいんだ」
どこか遠くを見つめる王太子の孤独な瞳に、ユニスはあることを決意した。
その後、建国記念祭を迎える前に、王太子は病の再発を理由に王位継承権を放棄し、王太子の座は第二王子へと移った。
国王が一王子となった息子に与えたのは、辺境の寂しい離宮だった。病には空気が綺麗な場所がいいという理由で、体よく王都を追われたのだ。
この離宮が、憐れな元王太子の終の住処になる──
誰もがそう考えていたが、奇跡が起きた。新薬が開発され、元王太子の病が本当に完治したのだ。
新薬を開発したのは、浮気相手と噂されていたあの男爵令嬢だった。
実は近年、元王太子の病は悪化し、神聖力では抑えきれなくなっていた。時折苦しそうにしているのに気付いた男爵令嬢が、元王太子の病を見抜き、新薬開発のために研究させてほしいと申し出たのである。
代々医師の家系に生まれた令嬢は、幼い頃から薬草と調合について学んできた。いつか不治の病を治療するという夢を抱き、王立学園の薬学部に通いながら、新薬開発の研究をしていたのである。
病で苦しむ人の役に立つならと、元王太子は進んで被験者となり、その結果、新薬が誕生したのである。
「……うん。副作用は見られませんね。お身体の調子も良さそうで安心しました」
薬師になった男爵令嬢がそう言うと、公爵となった元王太子は微笑んだ。
「全部君のおかげだよ。本当にありがとう」
「いいえ。こちらこそ。何せ珍しい病ですから、公爵様が被験者になってくださらなかったら、こんなに早く薬は完成しませんでした。病を研究させてくださるだけではなく、まさか貴い御身で試験段階の薬を試してくださるとは」
「いつ死んでも構わないと思っていたからね。でも、今は生きていて本当によかったと思っているよ」
公爵は傍らへ温かな眼差しを向ける。
そこには、妻となったユニスが座り、公爵の手を優しく包みこんでいた。
冷たい、我が儘、無能と言われていた元王太子の本性に、ユニスは早くから気付いていた。
父に連れられ参加した王宮の園遊会で、貴族が蹴飛ばした小鳥の死骸を、庭園の隅に優しく埋葬している彼の姿を目撃した時から。
自分が彼の家族になりたい、病に苦しむ彼を支えたい。そう決意したユニスは、あなたと一緒に離宮へ行きたいと伝えた。それは同情などではなく、心からの求婚だった。
健康になった公爵は、ユニスとともに製薬事業を興し、その利益の一部は、孤児や病人に寄付された。
名を伏せ、決して己を誇示しない夫を、ユニスは尊敬し誇らしく思うのだった。
静かな離宮とは反対に、王都は第二王子の婚姻で、連日祝福ムードに包まれ賑やかだった。
王太子妃になったのはブリアナ──ではなく、隣国から迎えた王女だった。
風の噂によると、ブリアナは遠い外国へ留学し、そのまま留学先で出会った男性と結婚したらしい。
元王太子の婚約者だったために敬遠され、第二王子も他の女性を選んだとなれば、国内で結婚することはもう難しかったのである。
あれからユニスは、ブリアナへ何度も謝罪の手紙を送ったが、ついに返事は来なかった。
あの日、親友と最後に飲んだものと同じ茶葉の紅茶を飲むたび、ユニスは苦い気持ちになった。
正義感を振りかざしただけで、友を理解し、その苦しみに寄り添ってあげられなかったと。
夫の言う通り、婚約解消後も秘密を守ってくれているブリアナは、本当は優しい人なのだ。それなのに……何も知らなかったとはいえ、『なぜ教えて差し上げなかったの?』などと責めてしまったことを、ユニスはずっと後悔していた。
もう会えない友が、どうか幸せでありますように。
そう願いながら、彼女は苦い紅茶を飲み込んだ。
ありがとうございました。
婚約破棄ざまぁものを読む時、なぜヒロインは真実を教えてあげなかったんだろう?
もっと早く教えてあげていたら、婚約破棄などされずにいい関係を築けたんじゃ……
たとえ救いようのないダメ王子だとしても、話し合ってもっと穏便に婚約解消できたのでは?
などと思うことが多く、このような物語が生まれました。
書いているうちに、ヒロインにはヒロインの苦しみがあるのよね。言いたくても言えなかったのかも、限界だったのかもと想像できたので、自然とこのようなラストになりました。




