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第5話:菌腐穴

ナギは地面に腰を下ろし

ツタを手繰り寄せ、黙々と編み始める。


ツタは柔らかく、それでいて芯がある。

砂漠で触れる乾いたツタとはまるで違い、魂繭の命そのものを指先で編み込んでいるようだった。


ルミナは、その様子をぼんやり眺める。


「……器用ね。どうしてそんな事が出来るの?」


「砂鯨漁では、網が破れたら、自分で直すしかないからな」


「……手だけで、こんなに作れるなんて。

 私たちは、道具がなければ何もできないのに……」


ナギは答えず、編み目を締めた。

指先に伝わる確かな張りは、締めるたびに輪郭を固めていく。


完成だ。


ナギは〈アクア・ステラ〉をそっと収め、肩にかけた。


「……できた」


少し揺れたが、落ちる気配はない。


「それと、これを君に」


編み終えたツタを、ルミナの前に差し出す。


「……綺麗ね。面白い形。なにこれ」


「髪留め。髪が散ってると、菌糸に絡まるから」


ルミナは受け取り、そっと髪を束ねた。

ツタは指先の熱に応えるように、花弁のような形を作る。


「……髪飾りみたいね。ありがとう」


「飾りじゃない。生きのこるための道具だ」


ナギはそう言って立ち上がったが、

彼女の横顔を見た瞬間、わずかに目をそらした。


ルミナは髪に触れたまま、しばらく動けなかった。


(……誰も、こんなふうにしてくれなかった)


「では、行こうか、少年、少女よ。

 いや、ナギ、ルミナ」


 パフの声が水面に溶けるように響いた。


 二人が小川へ足を踏み入れた瞬間――

 背後で、森がふわりと揺れた。


 振り返ると、緑の巨人が立っていた。


 いつからそこにいたのか分からない。

 ただ、森の影が形を変えたように、静かに佇んでいる。


 ナギが一歩踏み出すと、

 巨人もまた、水面を揺らさぬほどの静けさで歩みを始めた。


 付かず離れず。

 まるで二人の“影”のように。


 やがて、上流の水音が深くなり、

 白く乾いた菌糸が洞窟の縁に絡みつくのが見えてくる。


 ぽっかりと開いた暗い穴――菌腐穴(きんぷけつ)。


 その前で、巨人は歩みを止めた。


 穴の縁には、白く、干からびた海が残した塩の花のような菌糸が、

 びっしりと張りついている。


 風もないのに、かすかに呼吸するように揺れていた。


 ルミナが眉をひそめた。


「ここだけ、空気がおかしい」


 水音が、ふっと遠のいた。


「この穴は“生きてる”」


 ナギの声は低かった。

 砂海で獣を追うときの、あの勘が告げている。


 ――ここは、踏み込んだ瞬間に“試される”。


 ルミナが震える声で言った。


「1つのフィルター……交換はどうすればいいの?」


 ナギは菌糸の壁を見つめ、しばらく黙った。

 その沈黙は、砂海で獲物の“動きの癖”を読むときのものだった。


「十五歩ごとに交代する。

 俺が先に使う。

 十五歩目でフィルターを外して、お前に渡す。

 そして十五歩進んだら、俺に返す。

 それでどうだ?」


 ルミナは震える手でフィルターを握りしめた。


「……わかった。怖いわ」


 パフは、穴の奥を見つめた。


「あと、いい忘れてたが、菌虫を殺すな。

 一匹でも殺せば、菌腐穴は“異常”を検知し

 すべての菌糸が芽吹き、行く道を塞ぎ、お前たちを養分にする」


 ルミナの顔色が変わる。


「理不尽ではない。

 それが“鍵”であり、この穴の“理”だ。」


「……そんなの、知らないわよ……!」


「ここは、お前たちの世界ではない。

 お前たちがルールを決める側でもない。

 菌虫が騒がない限り――菌腐穴は安定する。」


 ナギは穴の奥を見つめた。

 白い糸が、まるで“こちらを待っている”ように揺れている。


「……つまり、こういうことだな」


 ナギはゆっくりと息を吐いた。


 ルミナは唇を噛んだ。

 彼女の価値観が、音を立てて崩れていく。


 パフが最後に告げた。


「覚悟を決めろ。

 菌腐穴は、通る者の“心”を見る。

 恐れも、憎しみも、焦りも――

 全部、菌糸は感じ取る」


 ナギが一歩、菌腐穴へ踏み出したその瞬間――

 背後で、パフが鋭く声を上げた。


「行こう!」

「ちょっと、待ってくれ。その前に……少しだけ、お別れを言わせてくれ」


 ナギとルミナが振り返ると、

 緑の巨人がゆっくりと近づいてきた。


 その前へパフの入ったアクアステラを差し出した。


 パフは、かすかにひれを揺らす。


「イリア……今まで、ありがとう」


 その名を呼んだ瞬間、

 巨人の胸に埋まる光苔がふっと明滅した。


 次の瞬間――

 巨人の喉奥から、風とも笛とも違う音が響いた。


 低く、柔らかく、

 どこか懐かしさを帯びた音色。


 それは言葉ではなかったが、

 確かに“返事”だった。


 パフは静かに続けた。


「お前が守ってくれたから、私は今まで生き延びられた。

 魂繭はもうすぐ目を覚ます。

 その時、お前は……また違う形で会えるだろう」


 巨人は、ゆっくりと手を伸ばした。

 大きな掌が、〈アクア・ステラ〉の表面をそっと撫でる。

 その撫で方は、かつて小さな手でパフを抱えた少女の仕草そのままだった。


 白い菌糸が、かすかに揺れた。

 まるで、別れとも見送りともつかない風が、そっと通り抜けたかのように。


 ナギは唇を引き結び、再び穴へ向き直る。

 ルミナも震える息を整え、ナギの背中を追った。


 こうして二人は――

 魂繭が課す“最初の契約”へと足を踏み入れた。

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