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第21話:選ばれし者の軋む祈り

 村を出て、しばらく歩いた。

 背後のざわめきは、風に紛れて遠ざかっていく。


 耳に残るのは、風の音だけ。

 砂を踏むたび、乾いた粒がさらりと崩れ、足跡はすぐに消えた。


 ナギは前を歩きながら、ふと立ち止まり、振り返る。


「もうすぐだ。

 村の外れに……アーク神の神殿がある」


 ルミナは胸に〈アクア・ステラ〉を抱えたまま、小さく頷いた。

 太陽の光はまだ強い。

 だが、村の影が遠ざかるにつれ、空気がわずかに張り詰めていくのを感じる。


 やがて、砂丘の向こうに――

 灰色の石で組まれた、古い神殿が姿を現した。


「……あれだ」


 半ば砂に埋もれ、長い年月に削られた壁面には、無数の細い溝が刻まれている。

 それらは、かつてここで捧げられた祈りの名残だったのかもしれない。


「……これが、アーク神の神殿……?」


 ルミナは息を呑んだ。

 天空の文明にはない“重さ”が、石の塊そのものから滲み出ている。


 中へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 外の熱が嘘のように消え、ひんやりとした静寂が肌を包む。


 内部は、驚くほど簡素だった。

 祭壇も、壁も、床も――ただの石。

 装飾と呼べるものは、どこにもない。


 ただ中央に置かれた八足台だけが、異様な存在感を放っていた。


 黒漆で塗られた八本の脚。

 その上に置かれた平らな石板は、まるで――

 誰かを、ずっと待ち続けているかのようだった。


 ナギはその前に立ち、静かに言った。


「俺はここで……

 この腕を、アーク神様から授かったんだ」


「……ここで?」


 ルミナは思わず周囲を見回す。


「治療器具は……?

 切断面の処置だけでも、器具が必要なはずよ」


 あるのは、石と砂と、古い祈りの痕跡だけ。

 医療設備など、影も形もない。


 ナギは肩をすくめた。


「神の力だ。

 そういうものは、必要ない」


「……本気で、神を信じているの?」


「ああ」


 迷いのない答えだった。


「祈りが届くこともあれば、無視されることもある。

 でも……あの日は、奇跡が起きた」


 淡々とした声の奥に、揺るがない実感が宿っている。


 ルミナは唇を噛む。


「……科学じゃ説明できない……

 こんな、原始的な場所で……」


 〈アクア・ステラ〉の中で、パフが静かにひれを揺らした。


「“理解できないもの”を、すぐ否定する。

 それが天空人の悪い癖だ」


 ルミナは言葉を失う。


 石の神殿の沈黙が、胸の奥に重く落ちてくる。

 測れないもの。

 数式にできないもの。

 それでも――ここには、確かに“何か”がある。


 そして、その“何か”が、ナギの命を救った。


 ナギは八足台に近づき、そっと手を置いた。


「砂鯨漁で右腕を失った日……

 俺はここに運ばれた」


 声は低く、石壁に吸い込まれていく。


「意識は朦朧として、血が止まらなかった。

 村の連中が祈りを終えて扉を閉めたとき……

 ああ、これで終わりだと思った。

 独りで、暗闇の中で、静かに死ぬんだと」


 ルミナは息を詰める。


「八足台の上で、俺は待った。

 霧のような煙に包まれて……意識を失った」


 ナギは義手を見つめた。

 真鍮の指先をゆっくりと曲げると、関節が軋む音を立てた。

 そのわずかな音が、石の静寂に吸い込まれていく。


「……気づいたら、腕があった」


 ナギは小さく息を吐き、言葉を続ける。


「温かくも冷たくもない……他人の腕みたいで。

 でも、俺の血が通っているような……そんな、不思議な感覚だった」


 ルミナの胸がざわついた。

 科学では測れない“感覚”が、ナギの声の奥に確かに宿っている。


 天空では、“奇跡”という言葉は使われない。

 だが、この世界では――それが、現実として存在している。


 そのとき、パフが静かに言った。


「では、アーク神と対面しよう」


 ナギが振り返る。


 祭壇の裏側。

 石壁の中央に、丸い穴がぽっかりと開いていた。


「……腕が入るくらいの穴だ」


「その通りだ」


 パフの声は落ち着いている。


「ここは、ただの祈りの場じゃない。

 “選ばれた者”だけが、先へ進める」


 ナギは迷わず、義手を穴へ差し込んだ。

 石の内側は冷たく、深い。


 指先が、何かに触れる。


「……これは、人の力じゃ回らない……」

 ナギの声には、重みと、わずかな弱音が混じっていた。


 それでも、ナギは歯を食いしばった。

 ぐぎぎぎぎ……

 真鍮の指が強く曲がり、関節が悲鳴のように軋む。


 義手の内部で、青白い火花がぱち、と散った。

 腕全体が震え、金属の骨格がきしむたび、微かな放電音が石壁に反響する。


 パフが低く、しかし鋭く告げる。


「集中しろ、ナギ。

 それは人間では動かせない。

 選ばれた者だけに与えられた力を――すべて解放しろ。」


 ナギはさらに力を込めた。

 義手の奥で、何かが“噛み合う”感触が走る。


 ゴゴゴゴゴ……


 石の奥で、巨大な仕掛けがようやく動き始めた。


「なに……?」

 ルミナは思わず後ずさった。

 神殿全体が震え、天井から砂がぱらぱらと落ちる。


 重い石扉が、ゆっくりと横へスライドした。


「こんなの……動くはずがない……!

 石と歯車だけで……どうして……?」


 彼女の声は震えていた。

 天空の技術では説明できない“古代の力”が、目の前で脈動している。


 そして――


 暗闇の奥から、冷たい風が吹き抜ける。


 パフが静かに言う。


「進もう。

 君たちに見せたいものがある」


 ナギはルミナの手を取り、闇の向こうへ踏み出した。


 背後で、石扉が重く閉じる。


 まるで――

 長い時を経て、ようやく“誰か”を迎え入れたかのように。


 石の奥に眠っていた空気が、静かに息をつく。

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