第20話:食べちゃった、ごめんね
夜が明けた。
ルミナはほとんど眠れなかった。
痛みは引きつつあったが、身体の奥に残る“何かがいた感覚”が、まだ皮膚の裏をざわつかせていた。
目を閉じても、暗闇の向こうであの黒い影が蠢く気がして、呼吸が浅くなる。
それでも、夜が白み始めるころ――
張りつめていた心と体が、ふっと糸の切れたように力を失った。
(……もう、無理……)
焚き火の残り火が赤く瞬くのを最後に見た記憶を境に、
ルミナの意識は静かに沈んでいった。
眠ったというより、疲労に押し倒されたような、そんな落ち方だった。
ナギは早朝から動いていた。
焚き火の灰を払い、外套を羽織ると、短く言った。
「ルミナが食べられるものを探してくる。そのまま寝てて」
ルミナは弱々しく頷いた。
もうずっとまともに食べていない。
砂鯨の肉は匂いだけで吐き気がした。
この世界の食べ物は、どれも“生き物の匂い”が強すぎる。
ナギが出ていくと、テントの中は急に広く、寒く感じられた。
(……お腹、すいた……)
空腹は、痛みよりも残酷だ。
それを初めて知った。
***
しばらくして、ナギが戻ってきた。
手には、湯気の立つ木の器。
「ただいま。お腹すいただろ。一緒に食べよう」
ルミナは身を起こし、器を覗き込む。
白く濁った湯の中に、柔らかそうな肉が沈んでいた。
砂鯨のような強烈な匂いはない。
むしろ、ほのかに甘い香りがする。
「……いい匂い、食べられるの?」
「食べてみればわかる。無理しなくていいから」
ルミナは恐る恐る一口かじった。
――驚くほど、優しい味だった。
噛むとほろりと崩れ、淡い旨味が舌に広がる。
昨日までの緊張がほどけ、涙が出そうになる。
「……おいしい……これカルチャード・シュリンプローフにそっくりよ」
「何だよ、そのややこしい名前。でも気に入ってくれたならいい」
ルミナは夢中で食べ進め、ふと尋ねた。
「で、これ……何の肉?」
ナギは少しだけ視線をそらした。
「砂蠏だ」
ルミナは瞬きをして、聞き返した。
「……すながに……?」
意味がつながらない。
彼女は器を見下ろす。
白い湯の中に沈む、柔らかい肉。
さっきまで美味しいと感じていたそれを、もう一度じっと見つめる。
そして――
昨日の記憶が、ゆっくりと浮かび上がってきた。
小さな体で、灼熱の砂漠を。
彼女の乗ったソリを、必死に引いてくれた――あの影。
(……あれ……?)
ようやく、点と点がつながる。
「……え……あの……私を運んでくれた……?」
「そう」
ナギは淡々と答えた。
「群れからはぐれた子だ。
今から育てても帰巣本能は育たない。
食べるしか使い道はないんだ」
ルミナの手が止まる。
器の中の肉は、もう半分以上なくなっていた。
胸の奥が、きゅっと縮む。
「……私……食べちゃった……」
「それでいい。生きるとは、そういうことだ」
ナギの声は冷たくはなかった。
ただ、事実を述べているだけだった。
ルミナは器を見つめた。
罪悪感と、空腹を満たす安堵が、胸の中でせめぎ合う。
(……美味しかった……ごめんね……)
言葉にはならなかったが、
その感情は確かに彼女の中に生まれていた。
ナギは立ち上がり、外套を整える。
「歩ける? 今日はアーク神の神殿に行こう」
ルミナはゆっくりと頷いた。




