表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/22

第20話:食べちゃった、ごめんね

 夜が明けた。


 ルミナはほとんど眠れなかった。

 痛みは引きつつあったが、身体の奥に残る“何かがいた感覚”が、まだ皮膚の裏をざわつかせていた。

 目を閉じても、暗闇の向こうであの黒い影が蠢く気がして、呼吸が浅くなる。


 それでも、夜が白み始めるころ――

 張りつめていた心と体が、ふっと糸の切れたように力を失った。


(……もう、無理……)


 焚き火の残り火が赤く瞬くのを最後に見た記憶を境に、

 ルミナの意識は静かに沈んでいった。

 眠ったというより、疲労に押し倒されたような、そんな落ち方だった。


 ナギは早朝から動いていた。

 焚き火の灰を払い、外套を羽織ると、短く言った。


「ルミナが食べられるものを探してくる。そのまま寝てて」


 ルミナは弱々しく頷いた。


 もうずっとまともに食べていない。

 砂鯨の肉は匂いだけで吐き気がした。

 この世界の食べ物は、どれも“生き物の匂い”が強すぎる。


 ナギが出ていくと、テントの中は急に広く、寒く感じられた。


(……お腹、すいた……)


 空腹は、痛みよりも残酷だ。

 それを初めて知った。


 ***


 しばらくして、ナギが戻ってきた。

 手には、湯気の立つ木の器。


「ただいま。お腹すいただろ。一緒に食べよう」


 ルミナは身を起こし、器を覗き込む。


 白く濁った湯の中に、柔らかそうな肉が沈んでいた。

 砂鯨のような強烈な匂いはない。

 むしろ、ほのかに甘い香りがする。


「……いい匂い、食べられるの?」


「食べてみればわかる。無理しなくていいから」


 ルミナは恐る恐る一口かじった。


 ――驚くほど、優しい味だった。


 噛むとほろりと崩れ、淡い旨味が舌に広がる。

 昨日までの緊張がほどけ、涙が出そうになる。


「……おいしい……これカルチャード・シュリンプローフにそっくりよ」


「何だよ、そのややこしい名前。でも気に入ってくれたならいい」


 ルミナは夢中で食べ進め、ふと尋ねた。


「で、これ……何の肉?」


 ナギは少しだけ視線をそらした。


「砂蠏だ」


 ルミナは瞬きをして、聞き返した。


「……すながに……?」


 意味がつながらない。

 彼女は器を見下ろす。


 白い湯の中に沈む、柔らかい肉。

 さっきまで美味しいと感じていたそれを、もう一度じっと見つめる。


 そして――

 昨日の記憶が、ゆっくりと浮かび上がってきた。


 小さな体で、灼熱の砂漠を。

 彼女の乗ったソリを、必死に引いてくれた――あの影。


(……あれ……?)


 ようやく、点と点がつながる。


「……え……あの……私を運んでくれた……?」


「そう」


 ナギは淡々と答えた。


「群れからはぐれた子だ。

 今から育てても帰巣本能は育たない。

 食べるしか使い道はないんだ」


 ルミナの手が止まる。


 器の中の肉は、もう半分以上なくなっていた。


 胸の奥が、きゅっと縮む。


「……私……食べちゃった……」


「それでいい。生きるとは、そういうことだ」


 ナギの声は冷たくはなかった。

 ただ、事実を述べているだけだった。


 ルミナは器を見つめた。

 罪悪感と、空腹を満たす安堵が、胸の中でせめぎ合う。


(……美味しかった……ごめんね……)


 言葉にはならなかったが、

 その感情は確かに彼女の中に生まれていた。


 ナギは立ち上がり、外套を整える。


「歩ける? 今日はアーク神の神殿に行こう」


 ルミナはゆっくりと頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ