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第19話:砂蚤の熱針

 立ち上がろうとした瞬間、足首に鋭い刺激が走った。

 焼けつくような痒みと痛みが同時に押し寄せる。


「……痛い、なにこれ……?」


 恐る恐るブーツを脱ぐ。


 真っ白な足首が、不自然なほど赤く腫れ上がっていた。

 その皮膚の下で、小豆ほどの黒い影が三つ、ゆっくりと形を変えている。


 ルミナは悲鳴を上げようとして、喉が引きつった。

 自分の体の中で、何かが動いている。


(中にいる……取り出さないと……)


 震える指先が、腫れへと伸びていく。

 だが、触れる寸前――


「触るな」


 ナギが彼女の手首を強く掴んだ。


「刺激すれば奥に潜る。

 すぐに取り除かないと駄目だ」


 その声には一切の揺れがなかった。


「半日もすれば体内で産卵し、足を切り落とすことになる」


 そう言うと、ナギは焚き火に薪をくべ、炎を強めた。


「今から治療する。少し待て」


 やがて、真っ赤になるまで熱した太い縫い針を取り出す。


「ちょっと! 何する気なの!?」


 ルミナは青ざめて足を引っ込めようとする。

 だがナギの手は、万力のように彼女の足首を押さえ込んだ。


「砂ノミだ。袋を破かずに取り出す」

「早くしないと、卵が血管に入って死ぬぞ」


「う、嘘でしょ……麻酔は!? お医者さまは?」


「必要ない」


 ナギは焚き火のそばに置いてあった黒い皮を取り、

 ルミナの口元へ押し当てた。


「噛め。歯がボロボロになる」


 ゴムのような黒い皮が、半ば強引に口へ押し込まれる。

 油の匂いと、革の味。


 歯を食いしばると、皮がぎゅっと沈んだ。


 そしてナギは、ためらいなく熱した針を患部へ向けた。


「い、いやあああぁぁッ!!」


 テントの中に、張り裂けるような叫びが響いた。


 あまりの痛みに、ルミナは反射的に手を伸ばし、

 ナギの機械の腕を強く握りしめた。

 冷たい金属が、今は命綱のようにさえ思えた。


 ナギは顔色一つ変えず、皮膚を裂き、

 肉に食い込んだ黒い塊を慎重に、しかし強引に抉り出していく。


 血まみれの黒い虫が、砂の上にポロリと落ちた。

 それを三度、繰り返す。


 ルミナは痛みと恐怖で過呼吸になり、

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。


「うぅ……ひどい……こんなの野蛮よ……! 消毒……消毒液ちょうだい……!」


「消毒する水があるなら、飲む」


 ナギは、あろうことか熱した砂を彼女の傷口に押し当てた。


 ジュッ、と肉の焼ける音がする。


 ルミナは声も出ないまま悶絶し、その場に崩れ落ちた。


 ナギは血の付いた針を拭きながら、冷たく言い放つ。


「これでもう大丈夫だ」


 ルミナは知った。


 ここは、彼女がいた無菌室の宇宙船ではない。

 汗も血も涙も、すべてが敵を招く餌になる世界。


 “生きる”ということが、ただひたすらに残酷な場所なのだと。



 夜の帳が下り

 焚き火の音だけが響く。


 ルミナが痛みとショックで泣き疲れている。

 焚き火のそばで横になる。


 その“静けさ”の中で、

 ルミナがぽつりと話し始める。


 ルミナは、涙で濡れた頬を袖で拭いながら、

 かすれた声で呟いた。


「……迎えは、来ないわ」


 ナギが顔を上げる。


「どういうことだ?」


 ルミナは、焚き火の赤い光を見つめたまま、

 ゆっくりと言葉を吐き出す。


「先遣隊は……“選ばれた者”なんかじゃないの。

 禁忌のタブーと、犯罪者。

 社会の外側に追いやられた者たちだけで組まれてる」


 ナギは息を呑む。


「……ルミナもその一人だったのか?」


 ルミナは小さく笑った。

 笑いというより、諦めのひび割れた音だった。


「私たちはね……

 “死んでも構わない人間”なのよ。

 だから地上に送られた。

 帰還なんて、最初から想定されてない」


 焚き火がぱちりと弾ける。


「AIを壊して、自由を手に入れたはずだった。

 でも……自由になった私たちは、

 結局、争って、奪って、壊して……

 新しい宇宙で文明なんて築けなかった」


 ルミナの声が震える。


「だから戻ってきたの。

 地球を……奪うために」


 ナギはしばらく何も言わなかった。

 ただ、焚き火の向こうで揺れる彼女の影を見つめていた。


「今でも奪いたいと……」


 ルミナは首を振った。

 涙が一粒、砂に吸い込まれるように落ちていく。


「そうじゃない……!

 違う……私は……

 私はただ……

 “汚れた子”じゃないって……証明したかっただけ……」


 震える声は、焚き火の熱にも届かず、

 夜の冷たい空気に溶けていった。


 その言葉は、パフに突きつけられた“真実”と重なり、

 胸の奥をひりつかせる。


 焚き火の向こうで、〈アクア・ステラ〉の水面がふわりと揺れた。


 パフはただひれを一度だけ動かし、何も言わなかった。

 その沈黙は、責めるでも慰めるでもなく――

 ただ、事実だけを静かに肯定しているようだった。

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