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第18話:砂鯨の骨の下で

 吐き疲れてぐったりとしたルミナを、ナギは村の端へと案内した。


 砂漠の風が頬を撫でていく。

 ルミナは足元を見つめたまま、黙ってナギの後をついていった。


 やがて、小さな高床式の小屋が見えてきた。

 砂鯨の肋骨を柱に使い、

 目の詰まった布で覆われたその場所は、

 風通しが良く、焚き火の煙が薄く漂っている。


 小屋の前には、使い込まれた水袋や、乾いた砂を払った跡が残っていた。

 ナギがここで暮らしてきた気配が、静かに漂っている。


 小屋の前に差しかかったとき――


「ナギ」


 柔らかな声がかかった。


 入り口の布をめくって、一人の女性が顔を出す。

 優しげな目元をした、ナギより十ほど年上に見える女性だった。


「ミラ。ただいま」


「無事だったんだね。心配したよ」


 ミラは布をくぐって外へ出てきた。


 その瞬間――

 ルミナの足がぴたりと止まった。


「……え……?」


 ミラは、両手で大きく膨らんだ腹を支えていた。


 胸の奥がざわりと揺れる。

 視線が、その丸みに吸い寄せられる。


 ミラはルミナに気づき、微笑んだ。


「この子は?」


「ルミナだ。黒匣からやってきた客人」


「黒匣から……? それは驚いたわ」


 ミラは腹をやさしく包み込みながら、ルミナを見つめた。


「もうすぐ生まれるのよ。元気な子がね」


 その言葉に、

 ルミナの喉がひゅっと鳴った。


「……“生まれる”?

 その……お腹の中に……?」


 ナギが不思議そうに振り返る。


「ああ。当たり前だろ?」


 ルミナは答えられなかった。


 胸の奥が痛いほど締めつけられる。

 自分の出生――“禁忌の子”である事実が、

 突然、鋭い棘になって突き刺さる。


(……私も……こんなふうに……

 母から生まれてきたの……?)


 ミラは気づかず、優しく笑った。


「あなたも、いつか母になるわよ。きっと」


 その言葉に、ルミナの心は掻き乱された。


「……わ、私は……そんなことはしない……」


 声が震え、言葉が続かない。


 ナギはルミナの顔色に気づき、そっと腕を伸ばした。


「ルミナ、大丈夫か?」


 ルミナは小さく首を振るだけだった。


 ミラの腹の丸みが、どうしても目から離れなかった。

 それは――彼女が“奪われてきたもの”の象徴のように見えた。


「じゃあ、私はそろそろ戻るね」


 ミラは笑顔で手を振り、ゆっくりとした足取りで去っていった。


 その背中を見送りながら、ルミナは唇を噛んだ。


 ナギは何も言わず、小屋の布をめくった。


「入って。狭いところだけど。遠慮しなくていい」


 ルミナは無言で頷き、小屋の中へと足を踏み入れた。


 中は思ったよりも広く、整っていた。

 布で仕切られた寝床、小さな水瓶、壁に掛けられた道具や武器。

 質素だが、生活の温もりがある。


「……少しは落ち着いたか?」


 ナギが差し出したのは、

 先ほどの蒸留水ではなく、

 古い陶器の器に入った澄んだ水だった。


「これは、神殿から分けてもらった貴重な水だ。

 ……これなら飲めるだろ」


 ルミナはおそるおそる口をつける。


 それは無味無臭で、驚くほど冷たかった。

 喉を通り、胃に落ちる感覚。

 さっき吐き出した「命の味」への恐怖が、少しずつ引いていく。


「……ありがとう。

 ……ごめんなさい、せっかくのご馳走だったのに」


「謝らなくていい。

 ……俺の方こそ、いきなり悪かった。

 君の世界には君のルールがあるんだもんな」


 ナギは小屋の縁に腰掛け、夜の砂漠を見つめた。


 地平線の彼方には、銀色の砂が月光を浴びて、

 本物の海のように波打っている。


「……さっき、ガランに言ったことは本当だよ。

 この村なら、君を受け入れる。

 空から来たとか、地上で生まれたとか、そんなのどうでもいい。

 みんなで水を分け合って、風を読んで、砂鯨を追う。

 そうやって、一緒に暮らしていけばいい」


 ナギの声は、砂漠の夜風のように穏やかだった。


(……“一緒に暮らす”?)


 ルミナは、膝を抱えて顔を伏せた。


 その言葉が、今の彼女には

 どんな刃よりも鋭く胸を刺す。


 ナギは知らないのだ。


 ルミナが背負っている「使命」の正体を。

「ノア」がこの星に、この砂漠に戻ってきた本当の理由を。


 彼らは、故郷を懐かしんで帰ってきたのではない。


 宇宙の果てで全てを使い果たし、死にかけたイナゴの群れが、

 最後の餌場を見つけて降りてきただけ。


 彼らが求めているのは、分かち合いではない。

 魂繭たままゆやアクア・ステラに秘められた命。

 それらを根こそぎ吸い上げ、「持ち去る」ことだ。


 もし「ノア」が本格的に動き出せば、

 この村の命であるわずかなオアシスも、

 数日で干上がり、ただの死の荒野に変わるだろう。


「……ナギ、あなたは何も分かっていないわ」


 ルミナの呟きは、焚き火が爆ぜる音にかき消された。

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