第16話:戻ってきた手
何度目かの往復を終え、
ルミナは熱を帯びた甲板に手をつき、しばらく動けずにいた。
太陽に灼かれた鉄が、掌をじりじりと焦がす。
息は浅く、胸の奥が痛むほどに波打っていた。
喉はからからに乾き、
もう一歩進むだけでも、身体が悲鳴を上げそうだった。
それでも――
彼女は、ナギのほうへ顔を向ける。
「……ナギ……」
ささやかな日陰の中で、
少年の胸が、かすかに上下している。
その頼りない動きは、風前の灯火のようで、
ルミナの胸を、きゅっと掴んだ。
パフの声が、鋭く響いた。
「もうよせ、ルミナ。
君まで倒れてしまうぞ」
彼女はふらつく足で近づき、
そっとナギの頬に触れた。
「……あ……」
ほんの一瞬。
指先に、微かな温もりが返ってきた気がした。
ルミナは立ち上がろうとしたが、
足は、もう言うことをきかなかった。
熱で痺れた足裏が、
金属に触れるたび、悲鳴を上げる。
指先は赤く腫れ、
握る力すら残っていない。
それでも――
彼女はまた水を求めて、
背を向け、甲板の縁へ向かおうとした。
「きみが倒れれば、少年は助からない。
限界だ。やめるんだ」
視界が揺れ、
耳鳴りが砂嵐のように、頭の奥で広がる。
「ナギ……待っててね……」
その瞬間――
足がもつれ、身体が前へ崩れた。
「――あっ」
世界が傾き、
灼熱の甲板から、離れていく。
落ちる――。
そう覚悟した刹那。
温かな手が、
彼女の手首を、しっかりと掴んだ。
「……ルミナ!」
聞き慣れた声。
遠く、夢の中のようで、
それでも胸の奥を震わせる、確かな声。
ナギだった。
彼は半身を起こし、
まだ力の入らない腕で、
必死にルミナを引き寄せる。
ルミナは、掴まれたその手を見つめ、
震える声で呟いた。
「……ナギ……
戻ってきた……」
ナギは荒い息を整えながら、
それでも、かすかに微笑んだ。
「ありがとう。
助けてくれて……
生かしてくれて……」
かすれた声で、それでもはっきりと言った。
その言葉に、
ルミナの視界が、一気に滲んだ。
彼女はナギの胸に倒れ込むように抱きつき、
震える声で、泣きながら答える。
「……よかった……
本当に……よかった……!」
二人を包むように、
砂漠の熱風が、静かに吹き抜けていった。
ナギはルミナを、そっと日陰に寝かせた。
「今度は、俺の番だな。
休んでいて。出発の準備をしてくる」
彼は慎重に、
熱を帯びた機械神の肩から降りる。
足元の砂は、昼の陽射しでじりじりと焼け、
昨夜の戦いの痕が、
機械神の外殻に、まだ生々しく残っていた。
周囲を見渡したナギは、
ふと眉をひそめる。
「……砂蠏がいない」
昨日の騒動で、
逃げてしまったのだろう。
ナギは機械の腕を石で軽く叩き、
乾いた音を響かせた。
だが、返事はない。
砂蠏の子が近くにいれば、
きっと、この音に反応するはずだった。
ナギは砂の上にしゃがみ込み、
周囲の地形を、じっと見渡す。
「あいつなら……
どこに隠れる……」
砂漠の民としての勘が、
静かに働く。
彼は機械神の足元――
巨大な影が落ちる砂地へと歩み寄った。
しゃがみ込み、
機械の手を、そっと砂に当てる。
乾いた層の下に、
わずかな重みが伝わってきた。
その重みは、生き物の気配だった。
「……ここだな」
ナギは機械の腕を軽く叩き、
低い振動を、砂の奥へと響かせる。
もぞり、と砂が揺れた。
「おい……出てこい」
優しく砂を払うと、
砂蠏の子が、怯えたように甲羅だけを覗かせた。
「よかった。無事だったか」
甲羅をひと撫でして宥め、
ナギは静かに、ソリの準備を始めた。
その背中へ、
砂を踏む音が近づいてくる。
ルミナが降りてきた。
「……もう、準備はできた?」
「ああ。出発する。
村まで、あと少しだ」
ナギはふと足を止め、
動かなくなった機械神のもとへ歩み寄る。
砂虫の汁や、
昨夜ぶつかった痕が、
外殻に生々しく残っていた。
ナギは自分の機械の腕を、
そっと装甲に押し当て、
深く頭を垂れる。
「……アーク神様。
ありがとう。助かった」
短い言葉だったが、
その声は、まっすぐに響いた。
照りつける太陽の下、
二人は村へ向けて歩き出す。
ナギは、まだ完全ではなく、
足取りは、どこか頼りない。
ルミナは心配そうに寄り添い、
そっと腕を伸ばした。
「……今度は、ナギが乗って。
私が歩く番だから」
ナギは苦笑しながら、
それでも、素直に頷く。
「助かる……
少しだけ、頼るよ」
砂蠏のソリは、
二人の体重を、交代で受け止めながら、
ゆっくりと砂の上を滑っていく。
二人の影は、地面に張りつくように短くなっていった。
その影は――
昨夜の絶望とは違う、
確かな未来へ向かって、伸びていた。




