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第11話:沈む夕陽、目覚める神

 砂蠏の子が引くソリは、砂の上を静かに滑っていた。

 風に巻き上げられた細かな砂が、二人の足元を白く染める。


 ルミナを乗せたそのソリの横を、

 ナギは息を切らしながら走り続けていた。


 二人分の重さには耐えられない。

 それは、最初から分かっていた。


 だが、ルミナの呼吸が、次第に乱れていく。


 乾いた風を吸うたび、胸が軋み、

 揺れるたびに、身体の奥から力が抜け落ちていった。


 喉が、焼けるように乾く。


 彼女は何度もアクア・ステラの水に手を伸ばした。


「……ルミナ、もう飲んじゃだめだ」


 球体の内側で、パフが珍しく強い声を出す。


「……でも、喉が……」


「これ以上水を失えば、アクア・ステラは壊れる。

 藻も微生物も、全部死んでしまう。……私も、維持できなくなる」


 ルミナは震える指を止めた。

 その声には、いつもの余裕がなかった。


 ナギは横目で二人を見ながら、短く言う。


「あの丘を越えれば、水がある。

 そこまでだ。……耐えてくれ」


 ルミナは唇を噛みしめ、

 アクア・ステラを胸に抱いたまま、必死に耐えた。


 ――そして。


 砂の裂け目の向こうに、淡い光が滲んだ。


 湧き出す清水が、

 夕陽を受けて海碧色に染まり、

 円を描くように砂漠に溜まっている。


 鏡のように静まり返った水面を割って、

 胸から上だけが突き出している一体の機械神。


 砂に埋もれ、錆びつき、ほぼ原型をとどめていないが、

 その造形は明らかに"人"の形をしていた。


 湧水は絶え間なく流れ、

 巨体の周囲だけが、不自然なほど澄んでいる。


 まるで、この存在そのものが、

 水を呼び寄せているかのようだった。


「……ここで休めば、体力が回復する」


 ルミナは息を呑んだ。


 こんな水、見たことがなかった。

 文明の濾過水とは違う、生の、生きている水。


 思わず身を乗り出す。


「水って……こんな綺麗な色なの?

 信じられない……」


 指先が水面に触れた瞬間、

 まるで水そのものが、彼女に語りかけてくるようだった。


「少年、アクア・ステラに水を満たしてくれないか。

 ゆっくりだ。急ぐと、水が合わない」


 ナギはアクア・ステラを慎重に水へ浸し、

 静かに満たしていく。


 球体の中で藻が揺れ、

 新しい水が古い水と混ざり合っていく。


「ありがとう。助かったよ、少年」


「こちらこそ、無理をさせた」


 ルミナはもう限界だった。

 膝をつき、両手を水に伸ばす。


 夢中で水を掬い、口へ運んだ。


「……っ、は……っ……」


 何度も、何度も手ですくっては飲む。

 水が頬を伝い、顎から滴り落ちても気にしない。


 ナギはその姿を見て、ようやく息をついた。


「……慌てるな。水は逃げはしない」


 彼はルミナの隣に腰を下ろし、

 両手ですくって静かに水を飲んだ。


 冷たさが喉を通り、胸の奥まで落ちていく。


 ナギは空を見上げた。

 太陽はすでに傾き始めている。


「日が傾く前に出発しよう」


「……もう少しだけ。お願い」


 懇願ではなく、身体の限界だった。

 ルミナは膝を折り、砂の上に座り込む。


 ナギは迷った。

 このまま進めば、彼女は持たない。

 だが、止まれば――砂虫が来る。


「……わかった。少しだけだ」


 それは、ナギ自身の判断だった。


 しかし、砂蠏の子が突然動きを止めた。

 甲羅を震わせ、砂の下へ潜ろうとする。


「どうした?」


 ナギが近づくと、砂蠏は警戒するように身を低くした。


 咄嗟に、ナギはアークの腕を砂に突っ込んだ。


 義手に伝わる無数の振動。


「……砂の底に、何かがいる」


 次の瞬間、砂がざわりと音を立てた。


 地平線の向こうから、黒い波が押し寄せてくる。

 砂虫の群れだ。


「……来るぞ! 機械神の上に登るんだ!」


 二人は即座に水へ飛び込んだ。

 冷たい水をかき分け、胸元まで泳ぎ着く。


 水面から顔を上げると、

 巨大な胸部が壁のようにそびえ立っていた。


 無数のパイプや装甲の継ぎ目、

 折れ曲がった骨組みのような突起が、無造作に突き出している。


 ナギは機械神の胸部に手をかけ、

 梯子のようなくぼみを見つけた。


「ルミナ、ここから登れる。早く!」


 ルミナは震える指で金属の縁を掴み、

 梯子状のくぼみを一段ずつ登る。


 背後では、砂虫の群れがオアシスを取り囲み始めていた。


「あと少し……急いで!」


 肩まで上ったルミナに、ナギが叫ぶ。


「今から、パフを投げる」


「少年、無茶だ」


 ナギは義手を握りしめ、手首をひねる。

 歯車が噛み合い、腕輪が青白く光る。


 ――投擲モード。


 全身が弓のようにしなり、


「――受け取って!」


 低い唸りを残して、パフの球体が弧を描く。

 ルミナの顔面すれすれで速度を失い、ぴたりと静止した。

 彼女の両手がしっかりと包み込む。


「……捕まえた」


 息を吐き、球体を抱き寄せる。


「ナギ……早く……!」


 ナギは転がるように肩へ登り切った。

 息を整える間もなく、二人は下を見下ろす。


 そこに広がっていたのは――

 水辺を完全に取り囲む、黒い影の円。


 数百匹の砂虫が、頭を機械神に向け、静止していた。

 体長一~二メートル、棘の渦巻く口部が鈍く光る。


 無音の包囲。

 まるで黒い花弁が、中心の巨体をゆっくり貪ろうとしているかのように。


「ここにいれば大丈夫だ。やつらは水には入れない」


「だけど……逃げ場がない」


 夕陽が沈みかけ、絶望に沈む二人。


 その瞬間――


 一匹が、弾かれたように砂を蹴り、信じられない高さまで跳躍した。


「っ……!」


 硬い殻が胸部に激突し、金属が震える。

 砂がぱらぱらと落ちた。


 そのすぐ下で、跳躍に失敗した一匹が水へ落ちた。

 水面が弾け、黒い影がもがく間もなく沈んでいく。

 ――砂虫は泳げない。


 水際に群がる砂虫


 中には、腹部の無数の爪を機械神の装甲に引っ掛け、

 よじ登ってくるものまでいた。


 金属の継ぎ目に爪が食い込み、

 ぎち、ぎち、と嫌な音を立てながら這い上がってくる。


「ルミナ、下がって!」


 ナギが叫ぶと同時に、

 一匹の砂虫が弾かれたように跳ね上がり、

 ナギの顔めがけて一直線に飛びかかってきた。


 反射的に、機械の腕が唸る。

 金属の拳が砂虫の頭部を正面から捉え、

 鈍い衝撃音とともに吹き飛ばした。


 だが、次が来る。また次が。


 ナギは殴り落とし続けた。

 金属が軋み、砂虫が水面へ叩き落とされるたび、水しぶきが上がる。


 ルミナはパフを抱え、機械神の頭部の後ろへと後退した。

 身を縮めて座り込み、震える息のまま恐怖に怯えていた。


 ――そのとき。


 低く、重い共鳴音が響いた。


 機械神の耳の位置にある丸い穴が震え始めた。


 ナギの義手も、同じリズムで振動する。


「……なんだ?」


 金属同士が呼び合うような、深い響き。


 アクア・ステラが光を帯び、パフが囁く。


「アーク神によって選ばれた者は、神の道具を扱う資格を持つ」


 共鳴は強さを増し、

 耳の穴と義手が"会話"するように震え続けた。


 砂虫たちは跳ね続け、

 機械神の脚部を覆い尽くしていく。


 だが――

 何かが、動き始めていた。


 巨神の奥で、古い心臓が、再び鼓動を刻もうとしていた。

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