第九十五章 接触の兆し
アパートの夜は静かだった。
街灯の明かりが窓ガラスを淡く照らし、二人の影を壁に映す。
奈々は由紀の隣で眠りに落ちかけていたが、微かに肩を震わせている。
「奈々、大丈夫だよ……」
由紀はそっと肩に手を置き、リボンを握る手を優しくさすった。
地下室から逃れた後の初めての夜。しかし心の奥に潜む不安は、完全に消え去ったわけではない。
***
アパートの外。
闇に紛れる黒い影が、二人の部屋を遠くから見つめていた。
仮面の人物は微かに息を漏らし、通りの灯りに隠れつつ窓の位置を確認する。
「ここか……」
低く呟き、指先で微かに手を動かす。
彼はすぐには行動に移さず、静かに情報を集める。
地下室から逃れた二人の行動パターン、滞在場所、警戒心――
あらゆる痕跡を慎重に分析していた。
***
奈々は夢の中で微かに声を聞いた。
「ユキ……あの人……来るの?」
現実では聞こえない声だが、心の奥で警告のように響いた。
由紀は微かに目を開け、奈々の額に手を添えた。
「大丈夫……今は外にいる。光の中にいる」
だが、アパートの周囲を這う黒い影は、二人の光を薄く揺らす。
風に乗る微かな気配、通りの雑踏の中で目立たぬように動く姿――
その存在は確かに、二人に接触の可能性を示していた。
***
翌朝、奈々はカーテンを開け、外の景色を見つめた。
街の喧騒は穏やかで、地下室での恐怖を思い出させるものはない。
しかし、心の奥に残る不安は、影が完全に消え去ったわけではないことを告げていた。
「ユキ……まだ来るのかな……」
奈々はリボンを握りしめ、由紀に視線を向ける。
由紀は深呼吸をし、窓の外を慎重に観察した。
「可能性はある。でも、私たちは準備できる。光がある限り、負けない」
***
仮面の人物は遠くの影に身を潜め、二人の様子を慎重に見守る。
彼の目には怒りと執着が渦巻き、次の一手を考えていた。
「焦るな……焦れば見失う……しかし、接触は必ず行う」
微かな風に乗り、リボンの香りを辿ろうとするが、光の中にいる二人はまだ安全圏にある。
だが影は近づいている。確実に、忍び寄るように。
***
その夜、アパートのドアの外で微かに音がした。
鍵のかかったドアに触れるわずかな手の気配。
由紀はすぐに目を覚まし、奈々を守るために立ち上がった。
「誰だ……!」
しかし、そこには誰もいない。
影は通りの向こうに消え、仮面の人物の存在を匂わせるだけだった。
奈々は由紀の肩にしがみつき、震える声で囁いた。
「ユキ……近くにいる……?」
由紀はリボンを握りしめ、深呼吸をして答える。
「まだ光の中にいる限り、大丈夫。だけど、準備はしよう」
光と影、安堵と不安、日常と脅威。
二人の生活はまだ始まったばかりであり、仮面の人物との心理戦はこれから本格化することを示唆していた。




