第八十六章 仮面の告白
地下室の空気は重く、鉄格子の隙間から流れ込む冷気が由紀の肌を刺した。
仮面の人物は、無言のまま由紀を見つめていた。
その瞳には人間らしい温度が欠片もなく、ただ「計算」と「確信」だけが宿っている。
由紀は喉の奥を震わせながら問いかけた。
「……あなたは誰? どうして奈々や子どもたちを……」
仮面の人物は、ゆっくりと首を傾けた。
声は低く、しかし異様なほど穏やかだった。
「名は意味を持たない。私は“選ばれた器”だ。彼らの声を受け止め、実行するだけの存在」
由紀は一瞬息を呑んだ。
器――?
影が怯えていた理由も、少しずつ理解できてきた。
この人物は、影の“宿主”なのだ。
「あなたが……影を操っているの?」
由紀の問いに、仮面の人物はわずかに笑みを浮かべた。
「操る? 違う。影は私を必要とし、私は影を必要とする。互いに寄生し合い、強固な意思となった。それが“選ばれた存在”の証だ」
その言葉を聞いた瞬間、由紀の背中に冷たいものが走った。
影と人間が一体化している――?
***
一方、病室の被害者も同じ声を幻視の中で聞いていた。
仮面の人物は彼の前に立ち、冷ややかな言葉を投げかける。
「お前は選ばれなかった。だから残骸だ。記憶の端で、ただ彷徨うだけの存在」
被害者は全身を震わせた。
「……俺は……残骸……?」
「そうだ。奈々も、他の子どもたちも“素材”に過ぎない。選ばれた者だけが、ここに残る」
その冷酷な宣告が、彼の胸を突き刺した。
奈々の叫び、リボンを握り締めて抗った姿が蘇る。
彼女は最後まで“素材”になることを拒んだ。
だが、その意志があったからこそ、彼女の記憶は今も被害者や由紀の中で生き続けているのだ。
***
由紀は唇を噛みしめた。
「素材だなんて……奈々たちを物みたいに扱うな!」
仮面の人物は表情ひとつ動かさず、ただ淡々と続ける。
「人間は物だ。器官、記憶、感情……すべて分解し、組み合わせ、選別できる。奈々は強い意志を持っていた。だからこそ“最後の素材”として特別な価値を持った」
由紀は怒りに震えた。
「……奈々は人間よ! “素材”なんかじゃない!」
その叫びが地下室に反響する。
しかし仮面の人物は揺るがない。
「お前もいずれ理解するだろう。抗うことが無意味だと」
***
その瞬間、被害者の記憶が激しく波打った。
仮面の人物が奈々に手を伸ばし、注射器を突き立てようとしたあの光景――
だが奈々は最後までそれを拒み、リボンを振り払うようにして叫んでいた。
「私は……消えない! 誰かに……必ず届く!」
その声が被害者の胸を貫き、現実に引き戻す。
彼はベッドの上で息を荒げながら叫んだ。
「奈々は生きてる! “素材”なんかじゃない!」
***
同じ瞬間、地下室の由紀も同じ言葉を吐き出していた。
「奈々は生きてる! 私の中で、被害者の中で……そして必ずあなたを暴く!」
仮面の人物は初めて表情を動かした。
わずかに眉が動き、瞳の奥に一瞬だけ焦りのような光が宿った。
「……やはり、繋がっているのか……」
その言葉を最後に、仮面の人物の姿は闇に溶けるように消えた。
***
静寂が戻る。
由紀は膝をつき、リボンを握りしめた。
「奈々……必ず、見つけるから」
その時、鉄格子の奥から微かな声が聞こえた。
「……ユキ……」
耳を疑った。
それは――奈々の声だった。




