第七十四章 重なる名前
夜明け前の捜査本部は、蛍光灯の白い光に照らされながら、張りつめた空気を漂わせていた。
デスクに腰を下ろした私は、さきほど現場で採取した足跡の写真と、水滴を収めた証拠袋を机の上に並べる。
雨で流されかけていたとはいえ、人間の靴跡であることは間違いなかった。
そして、あの水滴――ただの雨か、それとも別の液体か。鑑識が答えを出すだろう。
深夜にもかかわらず、数人の刑事たちがまだホワイトボードの前に立ち、事件の関係者を洗い出していた。
その中で、私は一人、机に身を乗り出し、調書の束をめくっていった。
――奈々。
被害者が口にしたその名前が、頭から離れない。
単なる記憶の錯覚なのか。
それとも、彼女の過去に関わる実在の人物なのか。
私は過去の失踪事件のデータベースにアクセスし、検索欄に「奈々」と入力した。
瞬間、複数のファイルが画面に並ぶ。
だが、その中の一件に目が留まった。
――七瀬奈々、二十年前、名古屋市で失踪。
背筋が粟立つ。
二十年前。現在の被害者がまだ十代の頃だ。
失踪当時の年齢は二十一歳。
彼女とほぼ同世代。
記録をさらに読み込む。
行方不明のまま現在に至り、事件性が疑われたものの、証拠がなく未解決扱い。
居場所も遺体も見つからず、ただ「消えた」だけ。
私はノートに「七瀬奈々=被害者の“記憶の奈々”か?」と書きつける。
頭の中ではいくつもの仮説が駆け巡る。
もし被害者が無意識のうちに過去の失踪者の存在を知っていたのだとしたら――彼女自身の過去に、何か隠された接点があるのではないか。
「北条さん」
背後から声をかけられ、私は振り向いた。
鑑識の若手が証拠袋を持って立っている。
「さっきの水滴、成分が出ました。……血液反応、ありました」
心臓が一瞬止まる。
雨水に紛れた血。
つまり、侵入者は負傷していたか、あるいは……。
若手は続けた。
「ただ、量はごくわずかで、個人特定まではまだ。DNA鑑定に回します」
「分かった。すぐに急げ」
彼が去ったあと、私は再びホワイトボードを見やった。
現在の被害者、その背後にちらつく“奈々”。
そして現場に残された血痕。
糸のように細いが、確実に繋がり始めている。
――犯人は、被害者の記憶と“奈々”を意図的に呼び起こしているのではないか。
その仮説に行き着いた瞬間、胸の奥で得体の知れない寒気が広がった。
まるで誰かが、二十年前から仕組まれた舞台に私たちを誘い込んでいるかのようだ。
私はペンを握りしめ、静かに決意を固めた。
「必ず引きずり出す……この影を」
窓の外、雨はまだやまず、夜の街を洗い流していた。




