第六十九章 揺らぐ帝国
深夜の高層マンション。
分厚いカーテンを閉ざした部屋の中、私は一人、窓際に立っていた。
遥か下に広がる街の灯りは、どこまでも無数に瞬いている。
その光の一つひとつが、人間の営みであり、欲望であり、弱さである。
私は長年、それらを巧みに操り、踏みつけ、支配してきた。
だが、いま。
その均衡が音を立てて崩れつつある。
警察が動いている。
それも、徹底的に。
普通なら数日で被害者は黙らされ、世間は別のスキャンダルに流れる。
しかし今回は違う。
刑事たちは妙に執念深い。
特に、あの女刑事。
彼女の目は、ただの「仕事」の枠を超えていた。
私はワイングラスをゆっくりと揺らしながら、記憶の底に沈めていた名前を思い出す。
――奈々。
その名を久しく口にしていなかった。
だが、忘れたことなど一度もない。
あの少女は、私の「帝国」の礎の一つだった。
彼女をどう扱い、どう消したのか。
その記憶は、私の中で冷たい宝石のように沈殿している。
警察があの名に辿り着いたのなら、これはただの偶然ではない。
誰かが漏らしたのか。
それとも、あの被害者が。
私は舌打ちした。
あの小娘の中に、まだ余計な記憶が残っていたとは。
だが同時に、私は妙な昂ぶりを覚えていた。
十年前の「奈々」と、いまの「彼女」。
二つの物語が重なり、再び自分の支配が試されている。
机の上には、いくつかの携帯電話が並んでいた。
どれも使い捨てだ。
私はその中の一つを取り上げ、短くメッセージを送る。
――「処理を急げ。目撃者をこれ以上しゃべらせるな」
送信ボタンを押した瞬間、胸の奥に冷たい安堵が広がった。
私は決して追い詰められてはいない。
むしろ、試されているのは警察の方だ。
奈々を消したときもそうだった。
世間は数日のざわめきの後、あっけなく沈黙した。
今回も同じだ。
彼女たちの記憶は曖昧で、証拠は消され、やがてすべては「なかったこと」になる。
私は再び窓の外を見下ろした。
街はまだ眠らない。
無数の光が、私の支配を待っている。
――帝国は崩れない。
私が望む限り、決して。




