第六十八章 封じられた捜査
病院の談話室。
壁の時計が小さな音で秒を刻んでいた。
私は被害者の証言を一字一句書き留めたメモを手に、しばらく動けずにいた。
――「ナナ」。
その名を聞いた瞬間、全身が粟立つような感覚に襲われた。
高嶋奈々。
十年前、突如として姿を消した女子高生。
当時は家出か事件か判断がつかず、結局は“未解決”として棚上げされた。
しかし、私はあのときからずっと胸の奥で引っかかっていた。
今、被害者が記憶の奥底から掘り起こした断片は、私の疑念を確かなものに変えてしまった。
奈々は確かに「社長」の支配下にいた。
だがその後、彼女の痕跡は完全に消されている。
私はメモを握りしめ、署へ戻った。
だが、上司に報告した途端、冷や水を浴びせられた。
「十年前の失踪だぞ。証拠は残ってないし、いまさら騒ぎ立てて何になる」
「本件の優先は現行の被害者保護と、社長の行方追及だ。余計な横道に逸れるな」
机を叩きたくなる衝動を必死で抑えた。
横道ではない。
むしろ核心に触れている。
それでも、上層部の態度は一貫していた。
――古い失踪事件に触れるな。
――奈々という名は記録から抹消せよ。
なぜだ。
ただの未解決事件なら、ここまで強く封じ込める必要はないはずだ。
背後に警察ぐるみの「何か」があるとしか思えなかった。
苛立ちを胸に抱えたまま、私は自席に戻り、資料をめくった。
奈々の失踪当時の調書、現場写真、家族の証言。
そこには、今の被害者の言葉と不気味なほど一致する描写が散らばっていた。
「ここから出たい」
「何人も」
「消される」
被害者が語った断片は、十年前の記録と重なり合い、ひとつの線を描き始めていた。
私は決意を固めた。
上からの圧力がどうであれ、奈々の存在をなかったことにするわけにはいかない。
もし彼女がこの世界から完全に抹消されたなら、それはただの「失踪」ではなく「計画的な消去」だ。
深夜、デスクの上に積み上げられた資料に視線を落としながら、私は心の中で呟いた。
――奈々、お前は確かにいた。
お前を消そうとした連中を、私は必ず暴き出す。
その瞬間、机の電話がけたたましく鳴り響いた。
夜間当直からの内線だった。
「例の社長の動向に、新しい情報が入った」と。
私は受話器を強く握りしめた。
奈々の記憶を呼び戻した被害者。
そして、今なお逃げ続ける社長。
二つの線が、確実に重なろうとしていた。




