第五十七章 白い光
眩しい――。
目を開けた瞬間、強い光が網膜を焼いた。思わず瞼を閉じる。
長いあいだ、地下室の暗がりの中で暮らしてきた私には、この白さが暴力のように感じられた。
耳には絶えず人の声が流れ込んでくる。
「血圧測定します」「点滴準備を」――そんな言葉のひとつひとつが、現実感を持たないまま鼓膜を叩く。
シーツの柔らかさ、消毒液の匂い、どれもこれもが知らない世界だった。
私はベッドの上に寝かされ、両腕にはチューブが刺さっていた。
手首を無意識に動かすと、カチャリと金属音がしない。
――鎖が、ない。
その事実を理解するまでに、時間がかかった。
思わず両腕を胸に抱き寄せる。軽い。
檻の鉄格子も、あの透けた便器も、ここには存在しない。
だが代わりに、広がる世界は私にとってあまりに広大すぎた。
扉が開き、白衣を着た女性が入ってくる。
「大丈夫? 痛みはある?」
声はやさしいのに、私はうまく返せなかった。喉の奥が乾き、言葉を探す。
結局、小さく首を振ることしかできなかった。
彼女はにこりと笑ってカルテに何かを書き込むと、点滴の流れを確認して部屋を出ていった。
残された静寂の中で、私はようやく息を吐いた。
安堵と同時に、胸の奥から恐怖がせり上がってくる。
――私は、どうなるのだろう。
あの檻の中では、未来を考える必要がなかった。
一日が同じように流れ、ただ「耐える」ことだけがすべてだった。
けれど今、突然放り出されたこの白い部屋で、私は自由という言葉の意味を問われている。
自由。
それは、こんなにも苦しいものなのだろうか。
廊下から子供の笑い声が聞こえた。
その音は鋭く胸に刺さった。
私も、かつてはあんな風に笑っていたのだろうか。
いつから笑わなくなったのか――思い出せない。
窓のカーテンが揺れ、隙間から差し込む夕陽が床に落ちている。
オレンジ色。
光がこんなにも暖かい色をしているなんて、忘れていた。
涙が頬を伝う。拭おうとしても止まらない。
自分でも理由がわからない。ただ、溢れてしまう。
その時、扉が再び開いた。
入ってきたのは、あの女刑事だった。
顔に疲労の色を濃く滲ませていたが、瞳だけは真っ直ぐだった。
「……来てくれて、ありがとう」
思わず声に出ていた。
自分でも驚いた。
長いあいだ言葉を発していなかったせいで、かすれた声だった。
それでも彼女は微笑んで、小さく頷いた。
「これからは、あなたの時間を取り戻す番よ」
その言葉は重く、でも不思議と温かかった。
私は涙で濡れた頬をそのままに、彼女を見つめた。
未来はまだ霧の中。
けれど、初めて“信じてもいい”と思える誰かが目の前にいる。
――白い光は、まだ痛い。
でも、その痛みの向こうに、私が生きる理由があるのかもしれない。




