第五十五章 光の端にて
――静寂。
あれほど響き渡っていた鎖の音も、怒鳴り声も、もう聞こえなかった。
私は入り口で立ち尽くしていた。
目の前に横たわるのは、動かなくなった“影”。
私を長いあいだ縛り、檻の中に閉じ込め、世界のすべてを塗り替えてきた存在。
消えてほしいと願っていたはずなのに、胸の奥は空っぽだった。
自由のはずなのに、どうすればいいのか分からない。
――怖い。
この先、自分がどこへ行けばいいのか、そのことが何よりも怖かった。
「……もう、大丈夫だ」
刑事の声が耳に届く。
その声はかすれていて、息も荒い。それでも確かに私を現実に引き戻してくれる響きだった。
私は一歩、二歩と足を動かした。
膝が震え、床に倒れ込んでしまいそうになる。
でも、立ち止まりたくなかった。
――鎖はもうない。
そう自分に言い聞かせ、ようやく刑事の傍までたどり着いた。
彼女の腕は血で濡れ、服は破れ、全身が痛々しい。
けれどその瞳は、ただまっすぐに私を見つめていた。
「怖かったろう。でも、もうここから出られる」
その言葉に、胸がじんわりと熱くなる。
私は何も言えず、ただうなずいた。
喉の奥がつまって声にならない。
代わりに、頬を伝う涙が、私の気持ちをすべて物語っていた。
出口の方を振り返る。
そこには、暗い階段が伸びている。
長い間見上げ続け、決して上がることを許されなかった階段。
その先に、本当に光があるのか。
私はまだ半信半疑だった。
けれど――。
刑事の手が、そっと私の背中を押した。
「行こう、一緒に」
その一言が、私の足を動かす。
ぎこちなく階段を上るたびに、胸の奥で何かが崩れていく。
影が敷いた「決まりごと」、閉ざされた部屋の臭い、重く冷たい鎖の感触。
それらが少しずつ遠ざかっていく。
やがて、視界の先にかすかな光が見えた。
私は思わず息を呑む。
それは今まで見たどんな明かりよりも暖かそうで、柔らかい。
――これが、外の光。
私は震える手を伸ばし、階段の手すりを強く握った。
まだ怖い。
けれど、初めて“自分の意思で”その光へと歩み出そうとしていた。




