第五章 檻の外から来る影
鉄の扉が、きぃ、と重く軋んで開いた。
私は反射的に体を縮める。どれだけ時間が経っても、この音には慣れなかった。
暗く閉ざされた空間の中で、唯一「外」を感じさせる音だからだ。
足音が近づいてくる。規則正しく、落ち着いた足取り。
その主を、私は知っていた。
檻の外から現れるのは、決まってひとりの男――この場所の支配者。
男は私の前で立ち止まり、静かに笑った。
その笑みは、優しさにも冷酷さにも見えた。けれど私にとっては、ただ恐怖を呼び覚ます合図にすぎない。
「元気にしていたか」
低い声が響く。私は答えない。ただ膝を抱えて視線を逸らした。
すると、柵の間から差し出された手が、私の髪をそっと撫でた。
「髪が伸びてきたな。そろそろ切ってやろう」
男の指が私の髪に絡む。ぞっとする感覚が背中を走った。髪は、ここにいる私の時間を物語る唯一の証拠だった。それを「切る」と言われるたび、私は自分の存在そのものを削られていく気がした。
男は檻の外に腰掛け、ゆったりとした仕草で私を見下ろした。
「いい子にしているか。……ああ、何も心配はいらない。ここにいれば、おまえは安全だ」
その言葉は奇妙な響きを持っていた。檻の中に閉じ込められていることが「安全」だというのか。自由を奪われてなお、守られていると強調するその口調は、私の頭を混乱させた。
私は唇をかみしめ、何も言わなかった。
だが沈黙さえも、男にとっては心地よいもののようだった。微笑を浮かべたまま、彼は檻の前に食事のトレーを置き、椅子に深く腰掛けた。
「外は寒くなってきた。……だがここは暖かいだろう」
男は独り言のように呟きながら、上着のポケットから新聞を取り出し、ページをめくり始めた。
紙の擦れる音が、檻の中に響き渡る。
私はその光景を、まるで別世界を覗くように見つめていた。
新聞。外の情報。世の中が動いている証。そこには私が二度と触れられない「現実」が刻まれている。
男はやがて新聞を畳み、私に視線を戻した。
「おまえはここで生きていればいい。……それだけでいい」
言葉の最後に、柔らかな笑みを添える。その笑みは、私を安心させるためではなく、自分の正しさを確かめるためのものに思えた。
私は心の奥で叫んでいた。
――ここは生きる場所じゃない。
――ここは、終わりを待つ檻だ。
けれど、その声は口から出ることはなかった。
出したところで何も変わらないと、もう知ってしまったからだ。
男は立ち上がり、椅子を片付け、再び柵越しに私の頭を撫でた。
「いい子だ。……また来る」
足音が遠ざかり、重たい扉が閉まる。
静寂が戻った瞬間、私は小さく震えた。
彼が残していったものは、食事と新聞の匂い、そして消えない恐怖。
そして何より、私の心を締めつける「見えない鎖」だった。