第四十二章 残された設計図
篠崎の逮捕から数週間が経過していた。
表向きは経済界の名士、裏では異常な支配と犯罪の温床を築いていた男。
その邸宅は、すでに警察の徹底的な捜索を受けている。だが神谷には、どうしても拭えない違和感が残っていた。
――これで本当に終わりなのか?
地下室から解放された被害者はひとり。二十四歳まで囚われていた女性。
彼女の証言は具体的で、篠崎の罪を裏付けるには十分だった。
だが、あの男の冷徹さを考えれば「一人だけを十二年間飼い続けた」というのは逆に不自然だ、と神谷は思う。
「まだ何かある」
その直感に突き動かされ、神谷は単独で篠崎邸を再訪していた。
今は不動産管理会社が管理しているだけで、人の気配はない。
廊下は冷えきり、生活の匂いが完全に消えていた。
地下室には既に封鎖用の鉄扉が取り付けられ、関係者以外は立ち入り禁止となっている。
神谷は一度、薄暗いその空間に足を踏み入れた。
檻、監視カメラ、ポータブルトイレ……被害者の証言通りの異様な設備。
しかし、ここで終わりだとするにはあまりにも中途半端に思えた。
「奴の執着は、これだけじゃなかったはずだ」
神谷は壁を叩き、床を踏み、天井を仰いだ。
構造に違和感はないか。隠し部屋はないか。
何度も調べた場所のはずだが、それでも彼の心は落ち着かなかった。
ふと、地下室の壁に不自然な段差があることに気づいた。
塗装の厚みが周囲と微妙に違っている。
手を当てると、空気の流れがかすかに違う。
「換気口……?」
神谷はメモを取り、改めて邸宅の設計図を調べる必要があると感じた。
翌日、警察署の資料室で過去の建築確認申請を取り寄せた。
邸宅の建築は二十数年前、篠崎がまだ三十代の頃。
当時の設計士の名前も残っていた。
しかし、提出されている図面と、実際の地下室の構造には微妙な食い違いがあった。
「……やっぱりな」
本来あるはずの壁の厚みが図面上では広くとられている。
つまり、壁の向こうに「何か」を隠す余地があるということだ。
神谷は設計士に連絡をとった。すでに高齢で現役を退いていたが、話を聞いた瞬間、男の声は震えていた。
「篠崎氏に頼まれて、図面の一部を改ざんしました」
「やはり……」
「彼は“備蓄用倉庫”だと言っていました。外部に漏らすなと、何度も念を押された。私は断り切れず……」
倉庫? それなら隠す必要はないはずだ。
だが篠崎の性癖と行動を知る神谷には、それが単なる倉庫であるはずがないと直感した。
設計士の証言を得て、神谷は即座に上司に報告した。
「篠崎邸の地下には、まだ調べられていない区画があります」
上司は眉をひそめた。
「しかし、既に家宅捜索は終わっている。令状を再び取るのは難しいぞ」
「被害者の証言では説明できない構造の不自然さがあるんです。必ず何かあります」
「……お前の勘か?」
「はい。ですが、その勘で救える命があるなら、私は賭けます」
沈黙の後、上司はため息をつき、頷いた。
「わかった。追加の令状を申請しろ」
夜、自室に戻った神谷は手帳を開いた。
被害者の断片的な証言と、自分の調査メモを並べる。
そこに浮かび上がってきたのは、「檻はひとつではなかった」という確信だった。
もしもそこに、まだ誰かがいるのだとしたら。
解放された被害者の悪夢は、ただの幻覚ではなく――現実の残響なのかもしれない。
窓の外の夜空を見上げながら、神谷は唇を固く結んだ。
「待ってろ……必ず見つけ出す」
冷たい月明かりが、手帳の白いページを照らしていた。




