第三十八章 見えない鎖
病院の廊下を歩きながら、私は無意識に拳を握りしめていた。
先ほど病室で少女――いや、もう大人になった女性が口にした言葉が耳に残って離れない。
「まだ声が聞こえるんです」
「鎖は、まだある」
彼女のか細い声は、ただの幻聴や妄想ではない。十二年という時間、徹底的に管理され、従属させられた生活が、心の奥深くに刻みつけた傷だ。
――物理的には檻から出られても、心はまだ囚われたまま。
私はその残酷な現実を思い知らされていた。
署に戻ると、捜査会議が開かれていた。
机には、篠崎宅の地下から押収された数々の証拠写真が並んでいる。
鉄格子の檻。監視カメラ。透明なポータブルトイレ。
そして、壁に取り付けられた大型テレビには、延々とアダルト映像が流されていた記録が残っていた。
「異常だ……」
同僚の刑事が吐き捨てるように言った。
だが私は異常という言葉で片づけられなかった。
篠崎は表向き、成功した経営者であり、愛妻家を装い、二人の子の父親でもあった。
その二重生活を、誰一人として疑わなかった。
――そのことこそが、最大の恐怖だと私は思った。
「外には普通の父親、会社社長。内には支配者。二つの顔を誰も見抜けなかった」
私は資料をめくりながら声に出した。
そして気づいた。
この「見えない鎖」は、被害者だけに向けられていたものではない。
篠崎の家族、社員、取引先、社会そのものが、彼の作り出した“仮面”によって縛られていたのだ。
「……まだ終わっていない」
独り言のように呟く。
篠崎は取り調べでも多くを語らない。
だが、少女が証言した「もう一度、十二歳の子を」という言葉が、次の事件を予感させていた。
十二年間、綿密に隠し通した男が、突然捕まるような隙を見せるだろうか。
「奴は……まだ何かを隠している」
そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走った。
地下室は一つではないのかもしれない。
あの屋敷の奥底に、私たちがまだ見つけていない“別の檻”があるのではないか。
少女の震える声が再び頭の中で響いた。
――鎖は、まだある。
それは彼女の心の叫びであると同時に、私たち捜査側への警告でもあるのかもしれない。
私は席を立ち、次の家宅捜索の申請書を取りに行った。
この見えない鎖を断ち切らなければ、また誰かが囚われてしまう。




