第三十二章 突入
地下に通じる隠し階段を見つけた瞬間、私――村瀬の背筋に冷たいものが走った。
老舗の豪邸の床下に、こんな頑丈な鉄扉が隠されているとは。これまで幾度も家宅捜索を経験してきたが、ここまで周到に造られた空間は見たことがない。
特殊班の隊員がバールを構え、無言で頷き合う。
「……行くぞ」
私の指示に合わせ、鉄扉が重い音を立ててこじ開けられた。ギィ……と軋む音の向こうから、ひんやりとした空気が吹き上げてくる。湿った土の匂いと、鉄錆のような匂いが混ざっていた。
階段を下り始めた瞬間、耳に届いた。
――かすかな叫び声。
女性の声だ。震えてはいるが、確かに助けを求める声。
「助けて! 誰か――!」
私は隊員たちと目を合わせた。誰もが同じ確信を抱いていた。
――生きている。まだ間に合う。
だが同時に、鋭い男の怒声がそれをかき消した。
「黙れ!」
篠崎だ。声の調子で分かる。普段の柔和な経営者の顔など微塵もなく、獣のような怒りを孕んだ声だった。
胸が焼けるように熱くなる。
彼女が危ない。時間がない。
階段の最下部には、もう一枚の鉄扉が立ちはだかっていた。分厚い鋼鉄製。外側から施錠されている。
「破錠急げ!」
特殊班の隊員がドリルとバールを組み合わせ、鍵ごと破壊に取りかかる。金属音が狭い階段に響き渡る。
扉の向こうからは、何かが暴れるような音が続いている。家具が倒れる音、鉄の檻を叩きつける音。必死の抵抗。
――被害者は戦っている。諦めていない。
私は鼓動を抑えられなかった。
刑事を二十年以上やってきたが、こういう瞬間ほど心が掻き乱されることはない。救えるかどうかは数秒で決まる。逮捕よりも証拠よりも、いま最優先すべきは彼女の命だった。
「急げ! 殺されるぞ!」
自分でも驚くほど声が荒くなっていた。
バキン、と甲高い音が響き、鍵が外れる。
隊員が合図を送り、扉に爆薬を仕掛ける。閃光と衝撃が走り、重たい鉄扉が内側に吹き飛んだ。
開け放たれた暗闇の向こうに、地下室が現れた。
最初に目に飛び込んできたのは、大きな鉄の檻。そしてその中に蹲る若い女性の姿。髪は乱れ、裸足で、必死に何かを振り上げようとしていた。
その前に立ちはだかるのは――篠崎。右手に光るナイフを握り、檻の鍵に手をかけていた。
「動くな! 警察だ!」
私の声が地下に響いた。
篠崎はぎょっとこちらを振り返った。
だが、目の奥に恐怖はなかった。むしろ開き直ったような、狂気じみた光が宿っていた。
「遅かったな……こいつはもう――」
言葉の途中で、彼は檻に身を寄せた。ナイフを構え、檻の中の女性に腕を伸ばそうとする。
「撃つな! 至近距離だ!」
私は隊員に制止を飛ばしながら、自ら前に躍り出た。拳銃を構え、篠崎の額に照準を合わせる。
「篠崎! ナイフを捨てろ!」
数秒間が、永遠のように伸びる。
篠崎の目が揺らいだ。檻の中の女性の震えが、ナイフの刃に映っていた。
この一瞬で決まる。
彼女を生かすか、殺すか。
私の声と銃口と、背後の隊員たちの緊張が、一点に収束していた。




