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『見えない鎖』  作者: キロヒカ.オツマ―


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第二十一章 置き去りにされる影



 あの人の目つきが変わった。

 檻の中で暮らす日々は、もう十二年を越えている。

 暗闇に慣れた視力は、わずかな光の揺らぎや、人の目の奥の温度を敏感に捉えるようになった。だからこそ、篠崎の視線が、もう私に向けられていないことがはっきりと分かるのだ。


 先週、彼が檻の前に立ち、珍しく長い沈黙を落とした。

 私はその沈黙が怖くて、思わず声をかけた。

 「……どうしたの?」

 返事はなかった。ただ薄い笑みを浮かべて、まるで別のものを思い描いているような顔をしていた。


 ――別の誰か。

 その言葉が頭をよぎるたび、胸の奥が冷たく締めつけられる。


 夜、檻の中で横になっていると、階段を下りてくる足音が響いた。

 普段なら酒の匂いとともに現れる篠崎だが、この夜は違った。妙に落ち着いた、乾いた足取りだった。

 「お前も、もう大きくなったな」

 彼の声は、過去に何度も聞いた甘い調子とは違っていた。まるで、物を評価するような口ぶり。


 私は咄嗟に問いかけた。

 「……いらなくなったの?」

 その言葉を吐いた自分に驚いた。ずっと心の奥に押し込めていた恐怖が、ついに声になって漏れてしまったのだ。


 篠崎は少しだけ目を細め、やがて短く答えた。

 「飽きた、というべきかな」


 その一言で、血の気が引いた。

 十二年の歳月は、私を守る檻ではなく、ただただ彼の興味を繋ぎ止めるための“鎖”にすぎなかったのだと悟った。


 翌朝、階段の上から誰かの笑い声が微かに聞こえた。高く澄んだ声。

 それは私の声ではない。

 まだ知らない誰か――きっと新しい少女の声だと、直感で分かった。


 篠崎が檻の前にやってきたとき、私は黙って彼の目を見つめた。

 「新しい子が来るのね」

 自分でも震えているのが分かる声でそう言った。


 彼は否定しなかった。ただ肩をすくめ、檻に近づくこともなく去っていった。

 ――その態度が答えだった。


 孤独が檻の中を満たしていく。

 今までは、たとえ歪んでいても、篠崎の視線が私の存在を保証していた。

 けれど、その視線が他の誰かに向いた瞬間、私はただの「邪魔者」になったのだ。


 檻の床に座り込み、耳を澄ませる。

 階上からは、生活音やテレビの音に混じって、かすかな話し声が聞こえる。

 それは私の世界に新たに割り込んできた存在の証であり、同時に私の終わりを告げる足音のように思えた。


 ――どうなるのだろう。

 もし篠崎にとって不要な存在となれば、私はどう扱われるのだろう。

 檻に閉じ込められたまま、闇に葬られるのか。それとも……。


 答えはどこにもない。

 ただ一つ確かなのは、これまで十二年間私を支配してきた「見えない鎖」が、今まさに断ち切られようとしているということだ。

 だがそれは自由を意味しない。

 ――鎖が解けた先に待つのは、消滅という名の絶望なのかもしれない。


 私は膝を抱え、かすれた声で呟いた。

 「……誰か、気づいて」


 檻の鉄格子が冷たく光り、答える代わりに沈黙だけを返してきた。

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