第十九章 忘れられた影
最近、彼の視線が私を通り抜けていく。
かつては毎日のように檻の前に立ち、長い時間を費やして私の髪に触れ、身体の匂いを嗅ぎ、意味もなく私を見つめていた。
しかし今は違う。
部屋の扉が開く回数は週に一度あるかないか。
私の存在は、彼にとってただの「忘れ物」に変わってしまったのだ。
食事は相変わらず檻の外に置かれる。
無言で皿を差し入れられ、彼はすぐに背を向けて去っていく。
以前のように味を確かめたり、わざと遅らせたり、私の反応を楽しむこともなくなった。
ただ仕事のように、機械的に。
だが、その無関心こそが恐怖だった。
「興味を失った人間」に、未来はない。
犬でも猫でも、飽きられたペットの末路は知れている。
私がその立場にいるのだと、ひしひしと感じていた。
夜、地下室の隅に設置されたテレビから、また別の声が聞こえた。
成人向けの映像が流れ続けているが、その合間に彼の声が交じることがある。
通話か、録音か。
「……十二歳? そうだ、まだ若い方がいい。俺の目で確かめてからだ」
心臓が止まりそうになった。
十二歳――その言葉は、私がかつて連れ去られた年齢と同じ。
つまり、彼は新たに「私」を求めている。
代替品。交換可能な存在。
私という人間が、この男にとって「消耗品」でしかなかった事実が、冷たい刃のように突き刺さった。
その夜は眠れなかった。
地下室の湿った空気の中で、膝を抱えて震えていた。
ここに閉じ込められて十二年。
失った時間は、もう取り戻せない。
それでも、ただ処分されるのを待つしかないのだろうか。
次の日、珍しく彼が檻の前に立った。
「……お前も、もう二十四か」
呟く声に温度はなかった。
私は必死に笑顔を作ろうとした。
「まだ……役に立てる。料理だって、掃除だって――」
声が震え、喉の奥が詰まった。
だが彼は冷ややかな目で私を見下ろしただけだった。
「そういうことじゃない」
吐き捨てるように言って、彼は去っていった。
扉の閉まる音が、地下室に響き渡った。
私の存在は、彼にとって「不要」なのだ。
それがはっきりした瞬間だった。
涙が止まらなかった。
泣けば泣くほど、十二年前の自分が脳裏に浮かんでくる。
まだ街の灯りを信じていた。
まだ未来を信じていた。
あの日、歌舞伎町で彼と目が合い、すべてが壊れた。
そして今、また同じことが別の少女に向けられようとしている。
「……助けて」
誰に向けてでもなく、声が漏れた。
助けなど来るはずがない。
けれど、この声を出さずにいられなかった。
もし、どこかで誰かが聞いていてくれるなら。
見えない鎖を断ち切ってくれる誰かがいるなら。
そのわずかな希望だけが、まだ私を生かしていた。




