第十五章 檻の中のもう一人
その日、地下室の扉が開いたとき、私はすぐに“違う気配”を感じ取った。
篠崎が入ってくるときの重たい靴音はいつものことだった。だが、その後ろに続く軽やかな足音。震えるような呼吸。
――誰かいる。
篠崎は檻の前に立ち、無言で合鍵を差し込んだ。
金属の錠が外れる甲高い音が、胸の奥に突き刺さる。
そして彼は背後にいた小柄な影を押し出すように中へ入れた。
「……」
そこに立っていたのは、十二歳くらいの少女だった。
肩までの黒髪は乱れ、顔は涙と鼻水で濡れている。
裸足の小さな足には擦り傷があり、恐怖に震える体は檻の中の冷気に晒されていた。
私は言葉を失った。
かつての自分を見ているようだったからだ。
「今日からお前の“仲間”だ」
篠崎は淡々と言った。
仲間、という言葉の冷たさに、少女はさらに身を縮める。
篠崎はその反応を愉快そうに見下ろし、やがて扉を閉めて去っていった。
重たい鍵の音が響き、再び地下は二人きりになった。
しばらく、少女は私から離れた位置で蹲ったまま動かなかった。
「大丈夫?」と声をかけても、返事はなかった。
だが私は、彼女の震える肩を放っておけなかった。
「怖いよね……でも、泣いてもいいよ。私も、最初はそうだった」
少女はわずかに顔を上げた。
涙で濡れた瞳が、私を映していた。
その視線には、助けを求める必死さと同時に、見知らぬ場所への警戒が入り混じっていた。
私はそっと距離を詰め、床に座り込む。
「名前は……?」
少女はかすれた声で答えた。
「……みゆ」
みゆ。
それは檻の中に響く、久しぶりに耳にする新しい名前だった。
私は名を反芻するように口の中で繰り返した。
「みゆ……大丈夫。私がいる」
自分でも驚いた。
これまで私はただ、篠崎の支配の中で生き延びることだけを考えてきた。
しかし今、目の前に小さな存在が現れたことで、心の奥に眠っていた“誰かを守りたい”という感情が目を覚ましつつあった。
みゆは小さな声で囁いた。
「……お母さんに会いたい」
その言葉に胸が締めつけられる。
私もかつては同じことを口にした。
でも、それを何度も繰り返すうちに、望むことすらやめてしまった。
「会えるよ。絶対に」
根拠のない言葉を私は口にしていた。
自分でも信じきれない約束。だが、それを言わなければ、みゆの小さな心は砕けてしまう気がした。
その夜、篠崎が再び現れた。
手にはシャワー用のホースとバスタオルを持って。
「新しい子を洗ってやらないとな」
その言葉に、みゆは恐怖で後ずさった。
だが逃げ場はなく、篠崎の手に乱暴に引き寄せられる。
私は檻の中から、その光景を見つめるしかできなかった。
怒りと無力感で体が震えた。
なぜ止められないのか。なぜ声を上げられないのか。
長年の支配の中で、私は抗う力を奪われてしまったのだ。
シャワーの音が響く。
篠崎の声と、みゆのすすり泣きが混じる。
私はただ、唇を強く噛み締めた。
――この子だけは、同じ運命にさせたくない。
心の奥で、静かにそう誓った。
その誓いは、今までの自分を少しだけ変える確かな火種になった。




