第十章 企業の影
相沢は庁舎の灰色の廊下を歩きながら、ファイルを脇に抱えていた。
被害者家族への聞き込み、半グレ組織の動向調査、そして過去十数年にわたる行方不明少女の事案――バラバラに見えていた点が、少しずつ線を描き始めていた。
とりわけ気になったのは、ある企業の名前が複数の資料に登場していたことだ。
――東都ホールディングス。
名古屋を拠点に急成長した総合企業で、不動産、金融、エネルギーと多角的に展開し、いまや全国的な影響力を持つ。
そして、その創業社長が、六十二歳の篠崎圭一。
新聞やテレビでは「一代で成り上がったカリスマ経営者」と持て囃されている。
家庭も円満、妻と二人の子供に恵まれ、チャリティ活動にも熱心――まさに「理想の成功者」のイメージを纏っていた。
だが相沢の目は、その輝かしい表層を信じてはいなかった。
捜査一課の会議室で資料を広げる。
過去十五年間で、歌舞伎町や大阪から姿を消した未成年少女のリスト。
そして半グレグループ「黒鴉」の活動記録。
一見無関係に思えるこれらの情報に、微かな共通点が見え隠れしていた。
黒鴉は未成年のスカウトや家出少女の囲い込みで悪名高い組織だ。
その資金源の一部が、不自然な形で東都ホールディングス傘下の企業に流れ込んでいる。
もちろん、公式には繋がりはない。巧妙なペーパーカンパニーを経由し、資金洗浄が行われているらしい。
だが、その“偶然の重なり”が相沢にはどうしても腑に落ちなかった。
「篠崎……お前が関わっているのか?」
小さく呟いた声は、誰にも届かない。
だが、その問いが頭の奥に残り続けていた。
篠崎圭一の写真を見つめる。
白髪混じりの髪、端正な顔立ち、眼鏡越しの知的なまなざし。
新聞社の取材に応じる彼の笑顔は、柔和で信頼感に満ちている。
だがその瞳の奥に、何か冷たい影のようなものが潜んでいる気がしてならなかった。
相沢は次に、過去の失踪事件の資料をめくった。
十二年前に姿を消した少女。
十六歳で消息を絶った少女。
いずれも捜査線上に決定的な容疑者は浮かばず、未解決のまま棚上げされている。
だが奇妙なことに、どのケースも最後に目撃された場所が繁華街の雑踏であり、その背後に「黒鴉」の名前が囁かれていた。
――そして現在、また少女が消えている。
頭の中で線がつながる。
黒鴉によるスカウト、背後にいる資金提供者、そしてその影に篠崎。
まだ確証はない。だが「企業の顔」を持つ男が裏社会と手を組んでいるとすれば、これまでの不可解な失踪の連鎖に説明がつく。
問題は証拠だった。
篠崎は警察の捜査をすり抜ける術を心得ているだろう。
企業のトップとしての表の顔が強固すぎる。
少しでも強引に動けば、逆にマスコミから「警察の暴走」と叩かれる可能性すらある。
「……だが、やらなければならない」
相沢は自分に言い聞かせた。
この都市のどこかに、まだ檻の中で助けを待つ存在がいる。
そして、その声は誰にも届かない。
届かせられるのは、自分たち刑事だけだ――。
蛍光灯の下、相沢の影が机に落ちる。
その影は、篠崎という巨大な存在に挑もうとする決意を、静かに刻んでいた。




