9話
森の中には、血生臭い臭いが立ち込めていた。
「はあ、はあ」
騎士のひとりが息を整えつつ、剣に付いた血を振るって飛ばしていた。
「随分タフな魔獣だったわね」
「長く生きた個体だろうよ。・・・皮膚が鉄みたいな硬さだったぜ」
その体毛は皮脂にまみれ、針金のように硬質化した毛の束は斬撃の勢いを容易く殺す。
アイゼアン騎士団の1部隊が魔獣出現の報告を受け、捜索。その退治の任務の最中だ。
街外れの森の中。
5名の騎士の連携で、対象となる魔獣を駆逐した。
灰色の毛に覆われた四足歩行の獣は、その足の1本を切断され、濁った両目を開けたまま絶命した。
ドス黒い血飛沫を地面、そして周囲の木々にこびりつかせながら。
「あーあ、純武鉄の剣が欠けちまった。支給されたばっかりなのによ」
別の騎士が、上質な金属で鍛えられた、先端の欠けた剣を恨めしそうに眺めていた。
「構えがなっていないからよ。剣筋がぶれている証拠」
もちろんそれだけではないだろう。それを容易く欠損させる、攻撃力以外の高さを窺える。
セイン・ルイファートは、側の岩に腰を落とし、眉根を寄せる。
「どうしたんスか?隊長。難しい顔をして」
ひとりがセインの様子を怪訝に思い、剣を収めながら、聞く。
「・・・おい。誰か今の魔獣の遠吠えを聞いたか?」
セインの疑問に、4人は顔を見合わせる。
「・・・いえ。断末魔は聞きました、けど」
とどめの一撃となった致命傷。天を突くように震える声は嫌に不快で。耳を覆いたくなるような咆哮だった。
「鉢合わせする前だ。微かに聞こえた」
「すんません。聞こえなかったっス」
セインは岩から腰を上げ。
「咎めている訳じゃねえ。・・・この魔獣は元はツガイオオカミじゃあないのか。声がメスのものだった」
魔獣とは、従来の動物が何らかの外的要因により異形に変化させた生物の総称を指す。
そして、魔獣に変化させた個体は獰猛さ、攻撃性を増したまま元の動物の性質を引き継ぐ。
姿形は変化前のフォルムから大きく逸脱することはない。
四足歩行なら、足の数は変わることはない。鳥類なら空を飛ぶ性質が変わることはない。
セインが見立てたツガイオオカミは、その名の通りオス、メスが常に寄り添い合う。子供が出来て、その子が親を離れても死ぬまで離れることはない。
その性質をそのまま受け継いでいるのなら。
「こいつの片割れが残存している可能性は高い」
地面で動かない死骸を見て、言った。
セイン以外の騎士に緊張に包まれる。
元々気性の粗さはメスを遥かに上回る。狩りをするのはオスの仕事だからだ。
そして、その伴侶を殺されたオスは、その怒りを昂らせることがないといえるだろうか。
「独り身であるのを祈るばかりだが・・・。セナ、リベラ。お前らは教会の様子を見に行け。シスターと坊主が無事だったらそのまま城に帰還して報告。残りのメンバーで、可能性のある片割れの捜索を続ける」
「はい」
「うす!」
セインの指示に、女性の騎士ふたりが森の奥に消えていく。
装備を確認した残りの3人が、去って行ったふたりと反対方向へと歩き出した。
セインの聞いた遠吠えがオスを探すものではなく、ただの求愛ならば杞憂に終わる。危険な事には代わりはないが。
魔獣化した場合、上昇する凶暴性と比例するように、理性を失う。飼われていた動物が変質した場合、飼い主の顔や匂いなど、初めからなかったような状態になる。
警戒を切らさず、3人は隊列を組み、森の中を進行する。
「騎士長」
しばらく歩いた後、ひとりが声を上げた。
「どうした」
セインが声の方へと振り向く。
草むらの向こう。少し開けた場所に『それ』はあった。
警戒感が一瞬だけ高まった。
しかし、今はそれは動くことはないだろう。
「騎士長の予想、当たってましたね」
先ほど駆逐したものと同型のシルエット。
灰色の毛で覆われた4足の獣。今でも命の鼓動が聞こえてきそうな大きな瞳。
ただし、すでに事切れている。
「こいつが、先の個体のつがいなら、オスということになる。だとしたら、その戦闘能力は倍は硬い。体躯も一回りはでけぇ」
その死骸は、不思議なことに腹部にこぶし大の穴が穿ってあった。だが、周囲を血に染めてはいなかった。
「誰がやったんだ・・・?」
このクラスの魔獣相手だ。
魔獣の血同様、人間の出血も見当たらない。周囲は木々の色を赤色で汚してはいない。どこかで何者かが倒し、ここまで運んだとしても、その痕跡がないのもおかしい。
「どういうことですかね」
セインの疑問の色を察したのか、ひとりがそう言いながら、死骸にしゃがみ込み、見定めている。
「こんなに綺麗にくり抜いたようになりますかね」
円状の腹部の穴。手練れの剣士でも、こんな傷跡を撃ち抜くのは不可能だ。
セインは周囲を見回し、気配を探る。
「・・・そいつを埋葬してやれ。終わり次第、帰還する」
「はっ」
ふたりが短剣を抜き、地面を掘り始める。
あの時セインが聞いた遠吠えは、オスを探していたものではなく、すでに死んだ片割れに向けたものだったのか。
釈然としないものを感じつつ、セインは地面の中に埋められる魔獣の亡骸を眺めていた。
湯上がりのふたりは、テーブルを挟んで食事の準備。ああは言ったものの、
ルクはちょっとだけ気まずい。
風呂の中では、あの時のような艶めかしい接触ではなく、本当にルクに触れられて嬉しい、といった様子だった。
頭や身体を献身的に洗ってくれるのは嬉しいけれど、わたくしもお願いしていいですか?というレティシスの言葉を断ることが出来ず、背中にタオル越しとは言え、手を這わせるのにためらったり。
でも、レティシスは軽く鼻歌で、明らかに上機嫌だった。
優しい酸味が美味しいトマトスープにスプーンを沈めながら、ルクはレティシスの顔を盗み見る。
ルクが彼女に投げつけた酷い言葉などなかったかのように、いつも通りだ。そう見せているだけなのかも知れない。
「ルクさんがお優しい人なのは、わたくしは存じております」
突如、レティシスはそんなことを口にした。
「そして、ルクさんはわたくしを許してくださいました」
ルクの心の内が見えているかのような、柔らかい眼差し。
「これからも、いつも通り接して頂けると、嬉しいです」
ルクも、レティシスをもう悲しませたくない。悲しむ顔を見たくない。いつも通り、笑っていて欲しい。
「・・・うん」
だから、ルクは素直に、そう答えた。
食事を再開させようとした時、遠くから扉を叩く音と声が微かに聞こえた。
「ごめんくださーい」
ルクはその声に聞き覚えがあった。
「はぁい」
レティシスもスプーンを持つ手を置き、立ち上がる。ルクも気になり、その後を追う。
開けた扉の奥にいたのは、鎧で武装したふたつの影。礼拝に来るような時間ではない。
「何か御用でしょうか?」
その姿がアイゼアンの騎士だと分かり、ルクはレティシスの後ろで安堵の息を吐いた。
「該当の魔獣の駆逐には成功しましたが、まだ油断は出来ないので戸締まりは引き続き行って、外出は控えてください」
「まあまあ、それはご苦労さまです」
魔獣は動物の頃よりも気性や攻撃性を荒げるものではあるが、唯一変わらないものは気配察知能力だと言われている。全ての感覚の発達を攻撃性に振り切ったからであると研究者は言う。
「やっほー、ルクくん」
「あっ」
聞いた声と姿。
その女の人は女性騎士宿舎にいた女騎士だった。
名をリベラと言った。
ルクを取り囲み、可愛がるように囲んでいた内のひとりだ。
隣にいるもうひとりはルクには所見で、セラと名乗った。
リベラは人懐こそうな童顔で、一方のセラは目元の凛々しい、騎士という肩書が似合う聡明さが見える。
「そういうわけなんで、外に出たら駄目だぞっ!」
「は、はい」
明らかに硬い表情のルクにレティシスは薄く笑う。
「では、今日は一緒のベッドで寝ましょうか」
ルクの顔が真っ赤になる。他人のいる前でそういうことを言われると、困る。甘ったれだと思われるかも。
「えー、いいなぁ。ねぇ、ルクくん。今度お姉さんと一緒に寝ようよ」
「・・・犯罪だぞ」
セラは目を細め、どこか憐れむような眼差しをリベラに向ける。
「人肌恋しいんスよぉ・・・」
何故かうなだれているリベラを、セラが慰めながらふたりの騎士は教会を去っていった。
「お食事が済みましたら、今日も早く就寝にしましょうか」
一緒に寝ましょうか?というレティシスの提案に、ルクは特に反対することはなかった。
魔獣などという物騒な中においても、冷静なのが、ルクはにはとても頼もしかった。
朝日が登りきる頃、昨夜のセナとリベラとは別の騎士が教会にやってきた。
魔獣の討伐を確認。安全が保たれたため、その報告に来たのだ。
その際、男の騎士ふたりはレティシスに向けて呆けた顔をしていたのが印象的だ。
顔は赤く、その感情以外をどこかに置いてきたかのようだった。
いつか誰かが言ってたっけ。レティシス目当てでやってくる人間も多いって。
男ふたりは腰に刺した剣の鞘を揺らしながら、去っていった。それが浮足立ったものだって一目ででわかる。
魔獣の恐ろしさはルクでも知っている。奴隷の時、その脅威も少なくなかった。
武装した兵たちは、奴隷が脱走するのを防ぐためともうひとつ、出現した魔獣に対応するためだったと言われている。
見張りの兵は決して戦闘能力に優れた、訓練された腕利きでは無かったためか、一定期間で見る顔が変わっていたのが印象的だった。それが何を意味するのかは、当時のルクにはわかりかねることで。後々、別の大人が教えてくれた。
牢獄に入っていたほうが、ある意味安全だったのだ。
「レティシスさん?」
レティシスの向く視線が、空にとどまっている。
ルクの呼びかけで、意識を取り戻したように、空に登る太陽と同じ輝きをその顔に宿す。
「いいえ。なんでもありません。・・・さ、朝食にいたしましょう」
また、何かを隠している、とは思わなかった。
それとは別の。どちらかと言えば心配に近い。
簡単に相談に乗れるほど、ルクは頼りがいがあるわけでもない。経験豊富なわけでもない。
そんな自分がルクは情けなかったし、何より無力を痛感した。




