8話
「手を触れずに相手を気絶させる魔法?」
キュレミーが眉をひそめる。
「うん」
次の日の曜日。
キュレミーが教会に遊びに来た。
レティシスお手製のクッキーが載せられた皿に指を伸ばしつつ、言う。
「何?アンタ、魔法に興味があるの?」
何故かキュレミーは嬉しそうに言った
「魔法はまず4大元素の属性が基本。それに上位元素がさらに4つ。そこにアンタが言ったタイプの魔法だろうと、発動時には例外なく魔法の特徴とも言える燐光が見えるはずよ」
燐光。
魔法発現時には瞬く、粒子状の輝く光が放たれるとキュレミーは言う。
ルクは教会での一件をキュレミーに話した。・・・漏らしたところは省いて。
「それが見えなかったってことは、違うんじゃない?大方、アンタを守ろうとするシスターの気迫にヤラれたんじゃない?」
あの時は混乱していたし、一瞬の雷鳴めいた閃光で視界が乱れたから、良く覚えていない。
「で、何なのその話」
「いや、魔法ってすごいな、って話」
キュレミーは、鼻息を粗くする勢いでこぶしを握る。
「当然よ。魔法は最高にかっこよくて、硬度な技術が必要なんだから」
それは細かく小さい読めない文字で埋め尽くされた魔導書から見て取れる。とてもじゃないが、ルクには手に負えそうにない領域だと思う。
「既存の術はもちろん、魔法をゼロから生み出すなんて、高名で腕の立つ術師でないと出来ない芸当よ。今、一般的に知られている数々の術法は、全て過去の魔導士たちの産物なの。新しい術を生み出すのなんて、高位の魔法を覚えるのより誉れなことなんだから」
さすがは魔導師志望、魔導のことに関して詳しい。
「魔導について1番大切なことって、何だか分かる?」
・・・分からない。
たくさん知識のある、頭のいい人間、だろうか。
「自由な発想と、柔軟性よ」
きっぱりとキュレミーは言い放った。
「だって、昔の人は今みたいに魔導の教本があったわけでも、教えてくれる師事がいたわけじゃないもの」
確かに。考えると最初の魔導に足を踏み込んだ人の気持ちはいかほどだろうか。
「魔導式は、正しい呪文の組み合わせでないと、爆発や発光だけ残して霧散しちゃうの。昔の人はどれだけ失敗と成功を繰り返してきたか。・・・尊敬しかないわ」
魔導の本に記されている文言も、そこには過去の先人たちの知恵と努力の結晶が刻まれているのだ。
「アタシも、いつか歴史に名を刻む魔法を作ってやるんだから!」
凄いな。キュレミーにはしっかりとした夢があるんだ。
キュレミーは魔導の知識だけでなく、偉人にも詳しい。
「それは『魔導学の始祖』ヴァシオス・ファラザーね」
「人類で初めて反属性同時融合を成功させたメリル・ハーリーンも凄いわ」
「でもやっぱり頂点は『魔帝』イングリッド・ウインズよ」
恐らく名のある高名な魔導士なのだろう。ルクには知らぬ名ばかりだ。
話すキュレミーの顔は、生き生きと輝いている。
「もちろん、オッゴ・イヴンスとルーナ・イヴンスは外せないわね」
「名字がキュレミーと同じだね」
キュレミーは胸を張る。
「お父様とお母様は、世界で1番尊敬しているわ!」
いつぞや、キュレミーの両親も魔導士とは聞いたが、名前は初耳だ。
アイゼアンお抱えの宮廷魔導士。騎士団と双璧を成す、この国の守護神。
「いつかは大魔道士モデルの杖もほしいなぁ」
「ああいうのって、その辺に落ちている枝じゃ駄目なの?」
「当ったり前でしょ。あれには放つ魔法を安定させたり、ちゃんと意味があるのよ。あれは騎士にとっての剣、物書きにとってのペンと同じなのよ」
キュレミーは力説する。
「素材も霊験あらたかな神木から切り出した杖なんて、家1軒のお金を出しても買えないんだから」
家、1軒。ただの棒に。
魔導の世界も広い。
「じゃあさ、魔法以外に人間が不思議な力を使うことって出来ないの?」
「なにそれ、なぞなぞ?」
キュレミーは不思議そうな顔で返す。
「聞いたことはないわね。それこそ『魔族』くらいなものじゃない?」
魔族。
一般的に、人知を超えた力を有する、異形の存在。
もちろん、向こう側がそう名乗った訳では無いから、これは人間側での呼称だ。
神話に片足を突っ込むくらい稀有な存在で、今やその存在は聞かない。
「今噂の夜天鳥なんて、魔族なんて言われているみたいだけど」
どこからともなく現れて、去っていく。具体的な目撃証言もない。
数少ないおぼろげな証言を手繰り寄せると、それは人の姿をしており、背には黒い翼を背負う。
被害者の報告はないが、家畜や動物の被害が多発。もっとも、それが夜天鳥の仕業だと断定できる証拠はない。
名の示す通り、夜に姿を見せる。これも不確定な情報。
ふと、窓から外を見ると、空には茜色が見え始めていた。
「キュレミー、そろそろ夕方だよ」
「え?もうそんな時間?楽しい時間は早く過ぎるって本当なのね」
「楽しんでくれて良かった。大したおもてなしも出来なかったけど」
「お、思ってたより、って付けるのを忘れていたわ。思ってたよりもね」
なぜか顔を赤らめつつ、キュレミーはルクに詰め寄って言い訳する。
「夜天鳥が出たら困るから、寄り道しないで早く帰りなよ」
「ばか。何変なこと言ってるのよ。出たとしても、アタシの魔法で一撃よ!」
ぴっ、と杖を持ったフリの手の先を、天に掲げるポーズ。
ルクとキュレミーは部屋を出て、教会の外に出る。
「じゃあまた、ヒマなときにでも遊んであげるわ。今度は魔導に関する本を持ってきて上げてもいいわよ」
そんな言葉を残して、キュレミーは帰っていった。
少し遠くでキュレミーの姿が小さくなった時、彼女は振り返って大きく手を振ってきた。ルクは、それに同じくらいの大きさの動きで返した。
夕暮れの向こうに星が見える。
さわさわと歩みの遅い風がそよぐ。
木々の揺らめきがいつもと違う感じがした。
何だか嫌な感じがして、ルクは早足に教会に入った。
「そういう訳だ。戸締まりはしっかりしておけ」
セイン・ルイファートを含む複数の騎士たちが教会を来訪。
目的は出現した魔獣への警戒を促しに来たのだ。
木々をへし折る巨体を農夫が目撃。その討伐も含めて。
魔獣は動物が何らかの要因で突然変異を起こし、進化したと言われる存在だ。
攻撃性がひどく上昇し、人間が抑え込むことの出来ない凶暴性も持つ。基本的には討伐しか対処法がない。高まった攻撃性に加え、体質をも変化させる。
生半可な武器や正義感で動くのは命知らずも甚だしく、大人しく戦闘のプロである騎士や魔導士に任せる他はない。
「分かりました。皆様もお気をつけて」
レティシスは胸の前で指を組み、騎士たちを見送った。
扉を閉め、鍵を掛ける。魔獣の法外なパワーなら、こんなものは防御の内にも入らないが、そもそも人間の気配を悟られないことが身を守ることにつながる。立ち向かわないのが1番なのだ。
「大丈夫ですよ。騎士の皆さんを信じましょう」
不安なルクの表情を察したように、レティシスは優しい笑みを絶やさない。
空はルクの心の中の色のような曇り空で覆われていた。
眠れない。
時計はすでに深い時間を指し示している。
ルクは自分のベッドで毛布にくるまり膝を抱えていた。
最近、レティシスのことを避けている自分がいる。
レティシスに対する小さな疑念。
ただ自分と仲良くなりたかったから?
絡め取るように身体を這うレティシスの指の感触が忘れられない。同じレティシスなのに。抱きしめられている時とは別の感覚。まるで、違う人だったみたいだ。
ガナンの件。
それがルクの杞憂ならば、それでいい。
でも。
怖い。
まるで、恩を仇で返すような行動だ。
レティシスの顔に陰りが見えるのが辛い。
全部ルクの態度のせい。
レティシスは優しくて美人で。大好きなはずなのに。
怖くて仕方ない。
・・・大丈夫。
騎士の人も言っていた。
人とそれ以外を判別する魔法もある。レティシスが無事でいられるはずがない。
かたん。
どこかで何かの音がした。
自分の部屋の窓が揺れた音ではない。
それはここではないどこかから聞こえた。
ルクはゆっくりと起き上がり、廊下に出る。
そっと向かいの扉に耳を付けてみる。
・・・不審者そのものじゃないか。
自分の態度を改め、ノックしてみる。
・・・返事はない。
「レティシスさん?」
寝てたら悪いな。そう思いながらも不安が勝り、ルクはレティシスの部屋の扉を開けた。
部屋は暗い。
風の音がする。
音の正体は、窓が風に揺られてガラスが振動する音だった。
だが。
そこにレティシスの姿はなかった。
1階の礼拝堂にも、炊事場にレティシスの姿はいなかった。
ルクは怖くなって、不安になって、急いで階段を駆け上がり、自分の部屋に飛び込んだ。
毛布を被り、身を縮ませて、自分で自分を抱きしめる。ただひたすらに時間が過ぎるのを舞った。
夜が明けるのを舞った。
やがて、ルクの意識は深い闇の中に落ちていった。
レティシスは炊事場で朝食を作っている最中だった。
「レティシスさん」
呼ばれ、レティシスは振り返った。
「あ、おはようございます、ルクさん」
いつも通りの、朝日のような笑顔。
「レティシスさん。昨夜、どこにいたの?」
レティシスの鍋を掻き混ぜる手が一瞬だけ止まった。
「・・・寝ていましたよ?騎士団の皆さんに外に出るなと言われましたから。明かりを消して、いつもより早い就寝を迎えましたよね」
嘘だ。
「なんで、そんな嘘をつくの?」
どこかに出かける用があるのなら、それを言えばいいのに。ルクは分別のつかない子供ではないつもりだ。
「部屋に、レティシスさん、いなかった」
鍋を混ぜる手が完全に止まる。
「そ、それは」
明らかに動揺した表情で、手を痛いくらいに握りしめるルクを見ている。
「違うのです・・・!」
ルクに駆け寄り、しゃがみ込み、肩に手を添える。
「それには訳がありまして・・・!その、ですね」
レティシスにしては歯切れが悪い。
次の瞬間に、ルクは自分でも思いがけない行動を取る。
「きゃっ!」
レティシスは後ろにたたらを踏み、お尻を床に落とす。ルクが両手でレティシスを突き飛ばしたのだ。
「ひとりに戻ったのかと思った!置いていかれたのかと思った!」
押さえつけていた感情が溢れるように。押さえられない。
「それに!」
ぎっ、と困惑しているレティシスを睨みつける。
「心配したのに!」
ルクは、レティシスを信じようと思った。レティシスがどこの誰であろうと。自分も、どこの誰でもないから。
「ルクさん!」
炊事場を飛び出すルクを、レティシスは手を伸ばして追いかける。
だが。掴み掛けるレティシスの手は、虚しく空を切った。
教会の裏手には森がある。
山菜や木の実、薬草が採れると聞くが、ルクはまだ足を踏み入れていない。というより、入ることを許されていない。まだ、地の利がなく迷ってしまうからだろう。
レティシスが今度、一緒に行きましょうと言ってくれた時が懐かしい。
教会を飛び出した勢いのまま、ルクは深い森の中へと走っていった。
木漏れ日の差す森の中を、ただひたすらに走り抜ける。ぐちゃぐちゃになった感情を振り払うかのように。
「はあ、はあ」
整地のされていない土の上を、そびえる木に手を添えながら、ルクは息を整える。
昨夜のレティシスの行動は、思いも寄らない理由があるのかも知れない。
けど。それで納得出来るほど、ルクの心は出来上がっていない。
とうとう、行くところがなくなっちゃった。
子供が広い世界でひとりで行きていけるほど甘くないことは、幼いルクでも知っている。
誰もが誰かと手繋がりあい、生きているのだ。ルクは、それをみずから突き放した。突き飛ばした時のレティシスの顔が忘れられない。
傷つけて、悲しませて。
ぼくにはやっぱり、家族なんていないんだ。
喉の乾きを川の水で潤す。
気持ちが沈んでいても、腹は減る。喉も乾く。
・・・レティシスさんのご飯、食べたいな。
流れる水面に、いつもの幻想を見る。
裸足の足は泥にまみれ、服も所々汚れている。
レティシスの言っていた訳って、一体何なんだろう。子供には理解できないから言わなかっただけなのか。
気がつくと、レティシスのことばかり考えている。
自分は弱くなってしまったのか。
それは身体的なことではない。
奴隷時代は、誰かのことを考えることなどしなかった。誰かのことを考えるなんて、弱いやつのすることだ。
そのために自分に矛先が向かう。馬鹿らしい。
「・・・ふう」
吐く息が弱々しくなるのが自分でも分かる。それはきっと身体が冷えてきたからだけではないだろう。
大木を背に、ルクは膝を抱える。何だか、眠くなってきた。
ぱきっ。
途切れかける思考を、枝の折れる音で意識を取り戻した。
そして。
「見つけたっ・・・!」
もはや懐かしい声がした。
「・・・ご無事で、何よりです」
ルクは信じられなかった。
ひどい言葉をレティシスに投げつけたのに。追いかけて、探してくれた。
見上げると、目を赤く腫らしたレティシスが息を荒げていた。
駆け寄り、服が汚れていのも厭わず膝を突き、躊躇いもなくルクを抱きしめた。
「・・・すみません。不安にさせました」
それは、こちらが謝るべきことなのに。
レティシスは声を引き絞るかのような声で、ルクに謝罪する。
自分も謝りたいのに、口が動かない。
それは、とめどなく溢れる嗚咽と涙のせいだからだ。
だから、せめて。
ルクは自分の思いをレティシスの背中に手を回すことで伝えることしか出来なかった。
「おんぶ、しましょうか?」
足を酷使したルクは、その足元がおぼつかない。レティシスの手を離せば、もれなく倒れるだろう。
「だ、大丈夫です」
レティシスとは、手を繋ぎながら帰路へ着く。
ふたりの間に流れる空気はどこか、ぎこちない。
「ルクさん」
ふいに、レティシスが口を開いた。
いつになく神妙な面持ちで。
「いつか、わたくしの秘密の全てを話す時が来るかも知れません。その時、ルクさんが審判を下してください」
レティシスの言葉の意味はよく分からなかったが、その『いつか』の日まで、一緒にいていいんだ、と言われているようで、安心した。
教会に戻ると、ルクはお風呂に連れられた。
「お着替え、ここに置いておきますね」
脱衣所に、レティシスがルクの着替えを置く。
「・・・レティシスさんは?」
レティシスの服も、ルクに抱きついため、汚れや泥が移ってしまっている。顔や手にも、土が付いている
「わ、わたくしは後で構いません。ルクさんが先にお使いください」
明らかにルクに気を使っている。
だから、ルクも勇気を出した。
「・・・一緒に、入りたいです」
それはルクのワガママだ。自分から拒絶しておいて、虫のいい話だとは思う。
一瞬、レティシスは何を言われているか分からなかったが、目を丸くして頬を染める。
「よ、よろしいので?」
「変なことさえ、しなければ」
レティシスは何の躊躇いもなく服に手をかけると、それを勢いよく脱ぎ始めた。
「わあああっ!?」
ルクは慌てて首を反対に回し、半裸体が視界に映らないようにするので精一杯だった。
「さあ、参りましょう!」
レティシスは、あわあわと慌てふためくルクの小さな背中を押しながら、風呂内に誘うのであった。




